第二話『聖なる地』カルナック
太陽の光に照らされた湖が波紋を立てている。
水面に浮かぶ船はゆっくりと直進しながら、湖の中央に向かっていた。
彼らが向かう先には、監視塔がいくつも聳え立っている。
監視塔が守るのは、湖の中央にそびえたつ都市だ。
赤燐竜の機動小隊が宙を巡回し、監視塔からはいくつもの『目』があたりを睥睨している。
「……これが、『聖なる地』カルナック」
列車の格子窓から外を見ながら、ジークは呟きを漏らす。
(これじゃ、都市っていうか要塞だね)
都市を囲む湖は何十キロもあり、湖の中央はぐるりと広大な壁に囲まれている。
悪魔の侵入を拒む壁は他の都市と同じではあるが、警備の『質』がまるで違う。
蟻一匹許さない厳戒態勢とは、きっとこのことを言うのだろう。
がちゃん、と音がした。
振り返れば、五人のカオナシたちが牢獄の前に立っていた。
「到着した。出ろ、ジーク・トニトルス」
「はーい」
ジークは五人のカオナシに囲まれながら外に出る。
埃っぽい牢屋の外に出ると空気が澄んでいて、がやがやと喧騒が伝わってきた。
「これから僕をどうするつもりですか?」
「大姫様に会ってもらう」
「それで?」
それ以上の事が聞きたいのだが、カオナシは黙して応えない。
ただ刺すような殺気を向けられていて、ジークは肩を竦めた。
(そんなに警戒しなくても、逃げないよ。今は)
大姫様、というのがどんなのかは知らないが、サンテレーゼの姫のようなものだろう。
ジークはそう当たりをつけて、成り行きに任せる事にした。
列車から降りると、
「ジーク!」
こちらの姿を見つけたリリアたちが駆け寄ってきた。
リリアは安心したように胸を撫で下ろし、ジークを上から下まで眺めて、
「大丈夫ですか? 変な事されませんでしたか?」
「うん、全然大丈夫。むしろリリアは?」
「こちらは大丈夫です。なぜか崇められましたよ」
あはは、と頬を掻くリリア。
言われてみれば、周囲の視線がおかしい。
列車から降りた乗客たちはしきりにリリアやジークを見ていた。
(おい、あれって噂の半魔じゃないか? 耳が長いし)
(ほんとだ。つーかみろよ。天使様も一緒にいるぜ?)
(半魔だからどうなんだろうって思ってたけど、天使様も一緒なら安心ね)
(あの人めちゃめちゃ強えんだろ? また新しい英雄がきてくれたんだ!)
そんな風に囁く彼らの声が聞こえてジークは苦笑した。
エル=セレスタでも同じような事があったが、彼らのそれは熱量が違う。
今にも押し寄せそうな民衆たちを、カオナシたちが堰き止めていた。
「こんなに注目されるなら夜に入れてくれればいいのに……」
「それじゃあ宣伝にならないだろうよ、馬鹿弟子」
くい、と酒瓶をあおり、テレサが言う。
「異端討滅機構はあんたの存在を宣伝することで、民衆を安心させてやりたいのさ。天使になったリリアを添えたら効果倍増だ。なにせ天使と悪魔は犬猿の仲。天使が親しくする半魔なら、人類に危害は加えないだろうってね」
そうやって異端討滅機構や各神殿への寄付金を集め、神々の信仰を高めるのだ。
民衆の支持を集めるための、異端討滅機構の戦争戦略。
「堂々としていれば良いと思いますわ。ジーク様」
カレンが微笑み、
「あなた様は正真正銘の英雄なんですもの。他人の目など気にせず、おのれの道を歩めば良いのです」
「……うん。そうするよ」
元より蔑まれていた自分が英雄になるなんて思ってもいなかったのだ。
ジークは崇められたいわけでも、褒められたいわけでもない。
ただ大切な人たちと普通に暮らすために、おのれの全てを懸ける。
(だからルージュ。くれぐれも気をつけてね)
(お兄ちゃんこそ、気をつけてよ)
影の中に潜む妹とやり取りを交わす。
カオナシたちも知らないルージュの存在は絶対に秘密だ。
なんとしても守り抜くと、ジークは改めて決意した。
ーーそんなやり取りをして、しばらく。
湖から聖地に渡る船でオズワンが船酔いを起こしたり、
呆れたカレンが弟を湖に叩き込んで慌てて引き上げたり、
船の中を見たいルージュが影の中で文句を言ってきたり……。
一悶着あったものの、一行は都市の入り口である門扉へ到着する。
古めかしい扉は荘厳なレリーフが施され、ヒエログリフが刻まれていた。
重厚な音を立てて、門が開く。
そこにはーー
「わぁ……」
荘厳な街並みが広がっている。
旧世界と新世界の建築学を融合させた、不思議な街並みだ。
そこかしこに高い塔が建てられ、旧世界の廃墟を美しく利用した集合商業施設まである。街の最奥には巨大な城が聳え立ち、空には赤燐竜が飛び交い、大勢の葬送官たちが歩き回っていた。
「ここが、『聖なる地』カルナック……」
呟き、ジークが足を踏み入れた瞬間だった。
ーーようやく来たな、運命の子よ。
「……………………っ!!」
ゾワ、と背筋に悪寒が走り、ジークは振り向いた。
キョトンと首を傾げるリリアが、恋人の異変に気づく。
「……ジーク? 何かあったんですか?」
「……いや」
声が聞こえた、ような気がした。
全身をあまさず撫で回され、検分されたような感覚もあった。
「今のは……」
「あ、もしかして痛みましたか?」
リリアが心配そうな顔になる。
「『聖なる地』は儀式で術式を付与した魔晶石を壁に埋め込んでいて、悪魔の侵入を拒んでいるんです。いわば結界ですね。もしかしたら半魔のジークにも影響があったのかもしれません」
「そう、だったのかな」
(あれは結界というより、むしろーー)
だが、ジークが思考している余裕はなかった。
角笛の音が鳴り響いていた。
「え、何?」
「……始まっちまったか。ジーク。前だけ見てな」
テレサが背中を叩き、ジークは背筋を伸ばす。
門から伸びる中央通りに立体映像が浮かび上がったのはその瞬間だった。
頭に生えた猫耳と、上機嫌に揺れる尻尾が特徴的な女性だ。
『こんにちはー! みんな、元気にしてるかなー? 歌って踊って戦う、みんなのアイドル! イズナちゃんだよー! にゃんにゃん!はい、注目注目〜♪』
「え、誰……?」
「『戦場の舞姫』イズナ・エルブラッド。序列三十五位の特級葬送官だよ」
相変わらずだねあの子、とテレサは呆れまじりに言った。
そうしてジークが動揺している間にも、彼女の話は続いていて、
『今日はねー! あたしたちの仲間になる、特別な人を紹介しちゃうよん! 今、中央の門の前に立っている人、見えるかなー? あ、映像来た!』
『え!?』
ジークは声を上げた。
そうして上げた声は、イズナの隣で立体映像になった自分も発していた。
偵察用ドローンが彼の姿を立体映像に変換し、宙に映しているのだ。
聖なる地に住まう数十万人の視線が仮想のジークに集まっていた。
『みんなはもう知ってるよね? 北のサンテレーぜ王国で起きた死徒による内乱画策と、神霊率いる大侵攻の件。あれを撃退したことが、半魔の新人クンだってことも』
語りかけるように、イズナは言った。
立体映像のジークに蕩けるような熱い視線を向けてーー
まさか。と。
誰かが言い出すのを待っていたかのように、彼女は微笑んだ。
『うん。もう分かっちゃったかな?』
「……」
立体映像だけではない。実物のジークにも視線が注がれている。
突然の事態に口をパクパクさせるジークは逃げようにも逃げられない。
下手に口を開けば立体映像の自分も声を届けてしまう。
(逃げ場がない……完全に、詰み……!)
『ーーそう、この可愛い子こそが』
イズナの言葉が、民衆の心に熱を届ける。
『大侵攻において煉獄の神ヴェヌリスを撃退し、わずか十五歳で『聖銀勲章』を授与され、その一ヶ月後、かの有名な第七使徒『傲慢』オルガ・クウェンを葬魂した、若き新人。半魔の英雄なのです!』
イズナの目は輝いていた。
すでに民衆の心はイズナの言葉によって煽り立てられ、ジークを受け入れている。あの列車で囁かれた言葉だけではない。数十万人の熱が燃え上がっている。
『さらにさらに! それだけじゃないんだよ! これは、みんなも知らない情報なんだけど……』
イズナは声を潜め、
『あのね、言っちゃうね? 彼、またとんでもない事やっちゃったんだ」
今度はなんだと、誰かが言った。
だが、言葉とは裏腹に民衆の瞳は期待に染まっていて、
『あのね、彼は異端討滅機構に極秘裏の命令を受けて、ついこの間まで冥界に潜ってたの! それでね、彼、何をしたと思う? なんとなんと! 月の女神エリージアを撃退したんだ! それだけじゃないよ。彼の侵入を察知した『怠惰』第六死徒キアーデ・ベルク。これもまた、葬魂に成功したの!』
『はぁ!?』
民衆が目を見開いた。
イズナは身を乗り出すように、
『ねぇ、すごくない!? 『第六死徒』キアーデ・ベルクは、対人戦において死徒の中でも抜きんでた脅威なんだよ! わたしたち特級葬送官でも、あいつに勝てるのなんて『七聖将』くらいだよ!? 一体どれだけの国が、あの死徒一人に滅ぼされたか! ……もしかしたらここにも居るかもしれないね、あいつに国を滅ぼされちゃった人が』
でもね、とイズナはジークを示す。
『もう大丈夫。彼が、仇を取ってくれたから。彼が、みんなの思いを遂げてくれたから』
『……!』
『だからね、今度はみんなが応える番だよ』
演説するように、イズナは両手を広げた。
『もしかしたら、まだ彼を半魔だって受け入れられない人もいると思う。気持ち悪いって、嫌だって思う人もいるかもしれない。でも、もう充分でしょ? 彼は覚悟と力を以て、人類の味方であることを示した。これ以上ないくらいに、頑張ったの。だからさ、暖かく迎えてあげよう? 少なくとも、イズナちゃんは認めるよ』
数十万人の視線がジークに注がれている気がした。
騒ぎを聞きつけた者たちが、実物であるジークを人目みようと集まっている。
家々の窓から、商店の軒先から、通りの向こうから、大勢の人間が集まってくる。
『そう、彼こそが』とイズナは声を張り上げ、
『この半魔の少年こそが、私たちの新しい仲間であり、時代を切り開く英雄だってことを』
『……!』
『そして彼こそが、いつの日か冥王を討ち、この戦いを終わらせてくれる光であることを!』
『…………………っ!』
民衆の期待の目に、崇拝と憧憬の感情が加わっていく。
熱い視線をジークに送る彼らの心の声を、イズナが引き出し、
『さぁ! みんなの声を彼に届けよう! みんな、彼を歓迎してくれる!?』
「ぉ……」
民衆の感情が、爆発する。
『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
ーーありがとねー!
ーー 期待してるよー!
ーーお前は俺たちの仲間だ!
ーーきゃぁあ、こっち向いてー!
ーージーク様、万歳!
ーー新しい英雄の誕生に乾杯!
口々に騒ぐ声と同時に、大勢の人たちが押し寄せてくる。
波濤のような彼らの勢いを、ジークを囲むカオナシたちが抑えていた。
『みんなありがとねー! じゃあ、新しい英雄クンに一言、お願いしちゃおっかな!』
『え!?』
『はいどうぞ!』
(どうぞと言われましても!?)
イズナの渡してくれたバトンを受け止めきれないジーク。
慌てふためく彼の姿に女性陣から黄色い歓声が上がるが……。
(こ、これ、何か言わなきゃまずいやつだよね?)
ジークの言葉を待って数十万人が息を潜めているのが分かる。
ごくりと生唾を呑み込み、汗ばんだ手のひらを服で拭い、
『え、えっと……よ、よろしくお願いします』
『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
再び、大歓声。
心を焚き付けられた者たちの騒ぎは止まることなく、街中がお祭り騒ぎだ。
ジークの立体映像が切れ、イズナは最後に目の横にピースサイン。
『じゃあ私からのお知らせは以上だよ! みんな、またね!』
ブツン、と立体映像が途切れる。
好き勝手民衆を煽った彼女がいた場所を、ジークが恨めしげに睨んだ。
(どうすんのこれ。なんでこんな事するのさ、もう!)
「くく、ていの良い広告に使われたね、ジーク」
「笑ってる場合じゃないですよ、師匠!?」
「本格的にジークが英雄になってしまいました……悪い虫が付かないように警戒しないとですね」
「リリア? なんで怖い顔してるの?」
「なんでもありません、行きましょう、ジーク」
「うん……」
リリアに促され、ジークは歩き出す。
ため息を吐く彼の後ろをついていきながら、竜人の姉弟は言葉を交わした。
「……わたくしたちはとんでもない人についてきたのかもしれませんね」
「ハッ! こいつがすげぇ事なんておれのが先に知ってたっつーの」
(なんせおれが憧れた兄貴だからな!)
二人は付き合いが短いとはいえ、ジークの人となりを知っている。
功績を振りかざさず、謙虚に努力を続ける彼を、誰よりも誇らしく思っていた。
(ニシシ。人気絶大だね、お兄ちゃん?)
(笑い事じゃないよ、もう!)
影の中から囁く妹に、ジークは頭を抱えた。
(僕は普通に暮らしたいだけなのに、どうしてこうなっちゃうかな!?)




