第二十五話 花束のような愛を
ーー時は少し遡る。
「……ここは」
見渡す限りの雪原に、リリアはいた。
満天の星々が広がり、煌々と輝く月が世界を照らし出している。
全く見覚えのない場所だ。サンテレーゼ以外の場所をリリアは知らない。
「わたしは、どうなって……」
頭を抑え、直前までの記憶を思い出す。
確か、ジークと共に第七死徒と戦い、陽力切れで倒れてーー
「ぁ、わ、わたし、胸……!」
ハッ、と自分の身体を見下ろし、リリアは服の中身を見た。
穴は開いていない。それどころか血の跡も見当たらなかった。
「あれ……本当に、わたし、どうなって……」
『こっちへおいで』
「え?」
突如、頭の中に声がした。
『おいで。こっちへ……』
顔を上げ、声に導かれるままに視線を向ける。
雪原の中に小さな家が建っていた。
まるで自分たちが暮らした、テレサの家のようなーー
「あっちに行けば、いいんですか?」
見知らぬ声に従うのに抵抗があったリリアだが、不思議とその声に悪意を感じなかった。むしろ、その声には自分を慈しむような、ずっと一緒だったような不思議な感慨を得て、リリアはそぉっと歩き出し、雪原に足跡を刻んでいく。
小屋の前に立つと、ぎぃと音を立てて扉が開いた。
「いらっしゃい。待ってた」
「ぁ……」
そこに居た人を見て、リリアは愕然と目を見開く。
ーー白い、麗人だ。
淡雪のような髪に、透き通るような肌。
浮世離れした美貌は人のものにあらず、女神のごとき美しさ。
否。彼女はまぎれもなく、女神なのだろう。
「もしかして……冬の女神アウロラ様、ですか……?」
「正解」
そしてこの場所はーー神域。
天界の一角にある、冬の女神の領域にして彼女の寝所だ。
「わ、わたし……どうして、神域に」
「私が招いた。リリア。あなたは……」
アウロラはリリアの目を見て、まっすぐ告げた。
「あなたはもう、死んでいる」
「……!」
ひゅっと、リリアは息を詰めた。
ドクンッ、ドクンッ、と鼓動が早まり、身体が冷たくなっていく。
「今の貴方は魂のみでここに存在している。わたしが、楽園から呼び出した」
おのれの死を突きつけられたリリアは、かろうじて声を絞り出す。
「……一体、どうして」
「まだ、生きたい?」
「……!」
唐突な問い。
けれどリリアの答えは決まっていた。
自分を呼ぶ、半魔の少年の笑顔が、脳裏に浮かび上がってくる。
「……生きたい、です」
「……」
「まだ、わたし、あの人に何も返せてない……あの人の傍で、支えてあげたい」
過酷な運命に真っ向から立ち向かう少年を。
こんな自分を闇の中から救い上げてくれた彼を、助けたいのだ。
心の底から愛している、もう一度触れて、声を聞けるなら、リリアはなんでもする。
「……でも、あなたは力不足」
「ぁ」
「気づいているんでしょう?」
「……」
こくん、とリリアは弱々しく頷いた。
そう、ジークの隣に立つには、リリアはあまりに力不足だ。
たった二か月やそこらで加護の到達点ーー権能武装まで習得したジーク。
彼の隣に立つには、同じ高みか、それ以上の戦闘力が必要となる。
けれどーー
「わたしじゃ、どうやっても、追いつかない……」
「うん」
アウロラはあっさり肯定した。
今のリリアでは、どれだけ努力しても彼には追いつけないと。
彼の隣に立つには、才能も努力も経験も、何もかもが足りなさすぎるのだと。
「そこであなたに、提案がある」
「え」
リリアは顔を上げた。
アウロラの瞳はまっすぐ彼女を捉えていた。
「私の眷属になる気はある?」
「け、眷属……?」
「そう。天界を守護する、天使。神の使い」
「それは……でも、わたしがなれるものなんですか?」
「問題ない」
アウロラは天使について語った。
天使とは、旧世界ではワルキューレと呼ばれ、死した戦士の魂を運ぶ御使いとして伝わっていたものだ。
その実態は、楽園で安寧を得た魂の転生体。
人間や動物など元の魂は様々だが、天界を守護したり、女神の仕事を手伝ったりするのだという。
無論、前世の事は全て忘れた上での話だ。
だが天使に生まれ変われば、貧弱な器を捨て、女神に近い器を手に入れる事が出来る。
「前世を、忘れる……ジークのことも、忘れちゃうんですか?」
「普通はそう。だから特別に、記憶を残してあげる」
「……!」
特別な提案に、しかりリリアは飛びつかなかった。
アウロラの試すような、見定めるような瞳に気付いたからだ。
「……その代わりに、わたしは何を差し出せばいいですか?」
神々が理由もなく、ただの人間であるリリアを見初めるわけがない。
自分にそんな特別なものはないと、彼女は誰よりも知っていた。
「いい子」
アウロラは満足げに頷いた。
どうやらその答えで正解だったらしい。
最も、とアウロラは暖炉の焚火を見つめた。
「……あなたが天使に生まれ変われるかどうかは、運命の子、次第だけど」
「え?」
「今、あの子はあなたを救うために闇の領域に足を踏み込んだ。もしも彼が闇に屈すれば……この世界は終わり」
「世界……ど、どういうことですか? ジークに一体、何が!?」
あまりに規模が大きくなりすぎてリリアは話についていけない。
必死の形相で問いを投げる少女に、アウロラは肩を竦めた。
「まず、前提となる情報を教えたい」
「情報……?」
「そう。あなた達人間でも一部しか知らない、この戦争の真実を」
そうしてアウロラが語った情報に、リリアは言葉を失った。
全てを語った上で、女神は言う。
「これは取引。私はあなたを前世の記憶を保ったまま天使に生まれ変わらせる」
「……」
「その代わり、あなたには協力してもらう。私の目的の為に……全てを懸けて」
「……」
葛藤は一瞬、迷いはすぐ消えた。
「……分かりました」
元より、このままではジークに会えない。彼の隣に居られない。
それならば、自分はーー
「今よりわたしはあなたの手となり足となり、目となる。存分にお使いください」
リリアは跪き、アウロラが差し出した手にキスをする。
顔を上げると、冬の女神は「うん」と口元を緩めた。
「立ちなさい、私の眷属。私の天使。今より私はあなたの主となり、あなたを導きましょう」
そうして、契約は成った。
主と眷属となった二人は、暖炉から地上を眺めるーー。
◆
「えっと……そんな感じで、天使になりました」
「……そっか。そう、なんだ」
「いやいやいやいや、『そうなんだ』じゃねぇよ!」
さらりと納得したジークに、オズワンが吠える。
「天使、天使ってオイ、んなもん普通に生活できんのか!? ここ、人間界だぞ!」
【その点については問題ないんじゃないかな?】
太陽神ソルレリアが口を開いた。
【僕たちとの中継ぎの為に、天使は普通に地上に住んでるしね。カルナックに】
「そ、そうなのか……? あいや、そうなんすか」
オズワンは恐縮したように頷くと、ルージュがにやりと笑った。
「ゴリラ、お義姉ちゃんがあんまり綺麗だから見惚れちゃったんでしょ。全く、これだから童貞は」
「あぁん!? んだとコラ! テメェだって処女じゃねぇのかクソ吸血鬼!」
「あたしの処女は予約済だもーん。いつかお兄ちゃんが貰ってくれるし」
「貰わないけど!?」
「えぇ~。あんなに激しい夜を過ごしたのに……お兄ちゃんったら、い・け・ず」
「え、わ、ちょ」
とんでもない発言に、ジークは慌てて釈明する。
「ち、違うんだよリリア。これはね。たぶんルージュが言ってるのは……」
「ふふ。ふふふ」
リリアは口元に手を当てて笑い出した。
突然笑い出したリリアに、ジークたちは顔を見合わせる。
「ごめんなさい。あんまりみんな仲が良かったものですから」
リリアは笑みをひっこめ、涙を拭ってジークたちを見た。
「本当は不安だったんです。この姿を見て、引かれちゃったらどうしようって」
「そんなのあるわけないじゃん。すっごく可愛いよ。世界で一番きれいだと思う」
リリアは目を見開き、ほぅ、と熱い息を吐いた。
上目遣いにこちらを見上げ、ゆっくり伸ばされた手がジークの裾を握る。
「ジーク……そ、その、ちょっと見ない間に、ジークもカッコよくなってますよ……?」
「リリア……」
再び近づく二人の間に、ルージュが割って入った。
「隙あらば二人の空間を作らないでよ、もう、このバカップル! あたしの事も構ってよ!」
「ルージュも可愛いよ。僕のたった一人の妹だもん」
「わたしたちの妹、ですよ。ジーク」
リリアは微笑み、ルージュの頭を優しく撫でた。
「お義姉ちゃんって、呼んでくれて嬉しいです。やっぱり生きてたんですね」
「う……その、あの時は……」
「いいんです。実はわたし、ずっとこんな可愛い妹が欲しかったんです」
ぎゅぅ、とルージュの後ろから手を回し、翼で抱きしめるリリア。
遠慮なく温もりを伝えるリリアの腕に、ルージュはそっと手を触れた。
「……ありがとう」
頬を赤らめ、力なく頷く。
リリアと同じように、彼女もまた不安だったのだ。
悪魔である自分を彼女が受け入れてくれるかーー
そんな不安を、リリアは一瞬で消し飛ばした。
天使であり姉と、妹であり悪魔と。
相反する存在が仲睦まじくする在り方に、神々は複雑な表情だ。
【まさか、こんな光景を見る事が出来るとはね……】
【冥王の支配から逃れた悪魔か。全く、つくづく規格外の事をしてくれるものだ】
【フーハハハハ! 終末戦争の時でもなかった光景だな!】
三柱の男神の言葉に、ラークエスタは微笑む。
【いいではないですか。わたくしは、良い光景だと思いますよ】
【珍しく意見があったわね。私も、いいと思う。いつかこんな世界が来れば、きっとーー】
ラークエスタの言葉に、しみじみと頷くアステシア。
未知の世界に夢を馳せる姉の言葉を肯定しながら、イリミアスが口を開く。
【ま、そろそろ帰りましょうよ。あたし今、剣を打ちたくてたまらない気分だわ】
【そうだな。オレもそろそろ修練したくなってきた。負けていられないからな】
【全く……じゃあ帰りましょうか】
アステシアの言葉と同時に、神霊たちが天に昇っていく。
別れも告げずに帰ろうとする神々に、ジークは慌てて叫んだ。
「アステシア様! その……ありがとうございました!」
【こちらこそ。あなたがこちらを選んでくれて嬉しいわ。また会いましょう】
【ジー坊! 剣の手入れは忘れずにね!】
【あと少しだ。鍛錬を怠るなよ。ジーク】
アステシアが、イリミアスが、ラディンギルが天に消えていき、
【いいものを見させてもらった。運命の子。神殿に寄ったら会いに来てくれ。話したい事がたくさんあるんだ】
【忘れるなよ! 我はまだ貴様を認めたわけではないぞ!】
【うふふふ。わたくしは歓迎しますよ。また会いましょうね。小さな英雄さん】
ソルレシア、デオウルス、ラークエスタが続いて消える。
神聖な気配が消えた森に、ざわめきが戻ってきた。
「行っちゃったね……たくさん、助けられちゃった」
「そうですね……」
今度彼らの神殿に行くことがあればお礼を言ったほうがいいだろう。
借りた恩は返さないと、あとで余計なものがついてきたら困る。
(加護は要らないけどね。加護は。これ以上貰ってたまるか)
ジークが内心で決意すると、リリアが腕の中に倒れこんできた。
「ちょ、リリア!?」
「お義姉ちゃん!?」
【大丈夫。転生のショックでちょっと疲れただけだろう】
そう声をかけてきたのは、神霊体であるナシャフだ。
アステシアたちと一緒に消えなかったのかと、ジークは目を丸くする。
「ナシャフ様?」
【やぁ、ジーク。ちょっと話せるかい?】
「はぁ……まぁいいですけど」
リリアを預け、ジークとナシャフは森を歩く。
【それにしても、本当に良く成長したね、ジーク】
「ありがとうございます」
【それでこそ、俺が助けた甲斐があるってものさ】
ナシャフは思う。
ジークという特異点を中心に、これから世界は変わっていくだろう。
否、既に変化は始まっているのだ。時代の荒波はすぐそこまで来ている。
【話というのは他でもない。君はこれから最前線に配置されるだろう。だから、一つ、忠告をね】
「忠告……?」
【アステシアには気をつけな】
「え」
ナシャフは片目を閉じて言った。
「彼女は何かを企んでいる。君の身を利用してね」
「……そ、そうなんですか?」
【そうだよ。そうじゃなきゃ、彼女があんなにも君に興味を抱くわけがない。半魔だから、という理由だけじゃないのさ】
そもそもアステシアは叡智の女神だ。
彼女がどれだけ未来を見通しているか分かってものではないと、ナシャフは告げる。
【決して利用されてはダメだ。分かったね?】
「……ご忠告ありがとうございます。話はそれで終わりですか?」
ジークは半信半疑といった様子で問う。
その反応はむしろ好都合だ。今は疑念さえ抱いてくれればそれでいい。
心に埋め込んだ小さな悪の芽が、いつか咲くことを願って。
遊戯の神は【あぁ】と満足げに頷いた。
【話は終わりだ。じゃあ俺もそろそろ
「そういえば、僕もあなたに話があったんですよ」
【!?!?】
その瞬間、ナシャフは硬直した。
【……これは、一体どういうことだい?】
彼の周りには水晶色の剣が突きつけられていた。
首、肩、腕、足、肘、腿、脇、全身の全てに、だ。
今にも肌を裂きそうな数十の剣に驚き、ナシャフは頬をひきつらせた。
【冗談にしちゃ、笑えないんだが……】
「どうもこうもありません。それは、こっちの台詞です」
ジークはナシャフの耳元で囁いた。
「リリアに手を出したのは、あなたですよね?」
【……!】
ゾ、と。
凍えるような瞳がナシャフを射抜いた。
【何か、証拠が……?】
「キアーデは、リリアの体は悪魔教団って奴らが持ってきたって言ってた……でも、あのテレサ師匠が……元序列七十五位だというあの人が、人間に遅れを取るとは思えないんですよ。例えば、どこかの神霊が手を貸さない限り」
淡々と告げるジークの声には抑揚がない。
底冷えするような怒りを込めた言葉に、それでもナシャフは揺るがない。
【……例えそうであっても、君はあの子を取り戻した。それでいいじゃないか。君の魂魄闘法は昇華し、英雄に相応しい力をーー】
「あはは! もういいですよ、演技しなくても」
乾いた笑みを浮かべ、ジークは言う。
「魂魄闘法なんて、嘘っぱちでしょう」
【……!】
今度こそ、ナシャフは驚愕に目を見開いた。
【一体、いつから……?】
「最初から」
世界中の誰よりも、ジークは知っている。
この世は何よりも理不尽であることを。
個人の意志なんて簡単に握り潰せる、不条理の塊であることを。
《魂魄闘法》などと、聞いて笑わせる。
もしも意志の力で世界を塗り替えることが出来るのならーー
自分は、二年間の地獄を味わってなんかない。
【……君も人が悪いな。バレてたなら言ってくれればよかったのに】
悪びれずにそう嗤った男神に、ジークは「別に」と声を低くして、
「僕は最初から、あなたの事を微塵も信用していません」
【……嫌われてるなぁ。アステシアに言われたからかい?】
「違います」
ジークはナシャフの目を覗き込んだ。
「分かるんですよ。人の事を利用しようとしている目は。あなたの目は、人の事を道具としか思ってない目だ。玩具みたいに、どうすれば自分が気持ちよくなるかだけを考えている。僕は二年間、その目にさらされてきた。そうでしょう……いや、そうなんだろ?」
【……っ】
「アステシア様の事もそうだ。僕があの人を裏切ると思ったか? 馬鹿にするな」
ぞく、と背筋に悪寒が走った
温度の消えた目がナシャフの心臓を貫く。
「次にリリアに手を出したら、お前を殺す」
【……!】
「天界に逃げても無駄だ。冥界でも、楽園でも、地上のどこに逃げても無駄だ。絶対に殺す。死んでも殺す。何が何でも殺す。どんな手を使って殺す。僕の大切な人たちに手を出したらどうなるのかーー魂の髄まで、刻み込んでから殺してやる」
ジリ、と。無数の剣先から紫電が迸る。
あのヴェヌリスを焼き、死徒を圧倒した雷撃を食らえばーータダでは済むまい。
神霊体を通して本体にダメージを与えうると、ナシャフの直感が囁いていた。
ごくり。
反抗しようとしても無駄だろう。
彼がその気になれば、自分の権能なんて簡単に打ち消すだろうから。
「返事は?」
【……肝に銘じよう】
「分かったならいいんです」
ニコ、とジークは笑い、
「じゃ、消えろ」
【え】
斬、と。
首と胴が離れた神霊体が悲鳴を上げて消えていく。
先ほどまで確かにいた神霊の気配が完全に消えたのを見て、ジークは呟いた。
「……許すわけないじゃん。バーカ」
結果的に助かったとはいえ、リリアを傷つけたのは事実。
そしてテレサの生死も不明な以上、ジークがナシャフを許す理由はない。
(どうせ神霊体だから、死んでないだろうしね)
ふん、と鼻を鳴らし、魔剣を鞘に納めたジークはリリアたちの元に戻っていく。
眠りこけているリリアを膝に抱えたルージュが、ジークに気付いた。
「おかえり。お兄ちゃん」
「ただいま、ルージュ」
「話は終わったの?」
「うん」
「……そっか」
何かを察したように、ルージュは微笑む。
「あたしは何があっても、お兄ちゃんの味方だからね」
「うん。ありがと」
「お、おれも味方だかんな! ちっと強くなったからって調子乗んなよな!」
「調子なんか乗れないってば。でも、ありがと。オズ」
「ハッ!」
(た、頼られちまった! やべえ! クソ、カッコよすぎるだろうがぁあ!)
内心でもだえるオズを不思議そうに見て、ジークはくすりと笑う。
そして地面に膝をつき、まだ眠っているリリアの頬に手を当てた。
冷たい風が四人の肌を撫で、静かに森の闇が深まっていく。
けれど、取り戻した温もりはこの手の中にあって。
「……ジーク」
おのれに触れる手に気付いたのか、リリアが目覚めた。
薄っすらと目を開けた恋人に、ジークは頬を緩めた。
「ーーおかえり、リリア」
リリアは目を見開き、
「……はい」
うっとりと頬を赤くしながら、ジークに手を重ねて、
「ただいま。ジーク」
満開の花が咲くように、微笑んだ。
ようやく取り戻した恋人を抱き起し、ジークは空を見上げる。
「帰ろう。僕たちの家にーーみんなで」
そうして、一行は黄昏の森を後にし、冥界に続く洞窟へ戻っていく。
洞窟の中に入る一瞬、ジークは振り向き、母の石碑を見た。
……さよなら、母さん。
過去への想いを断ち切り、少年は歩き出す。
真っ赤に咲き誇る彼岸花が、旅立つ男を見送るように揺れていたーー。
◆
ーー天界、某所。
「はは、はっははははははははははははは!」
おのれの首を触りながら、ナシャフは笑っていた。
幸いにしてゼレオティールの雷を使われてはいないがーー
それでも、魔力の消耗は痛手だ。
「ははッ、あーおかし。これ、人間たちは地雷を踏むって言うんだっけ?」
何のためらいもなく、感傷もなく神霊体を殺したジーク。
ただそれだけのことを、一体どれだけの人間が出来るだろうか。
(あの目……この俺が気圧された。くくッ、ヴェヌリスが入れ込むわけだ)
神霊体を消されたとはいえ、ナシャフに堪えた様子はない。
まぁいっかと、彼は呟く。
「予想外だけど、目的は果たした。くくっ、これから面白くなりそうだ」
誰よりも享楽を重んじる神は、人知れず呟いた。
「存分に強くなってくれよ、運命の子……神の天敵。俺は君に期待しているんだ」
呟き、ナシャフは次なる場所へ歩き出す。
隣に立つ者は居ない。その手を取る者はいない。
だが、それでいい。誰の手も借りず、彼は世界を渡るのだ。
「--冥王を殺し、地上を焼き、世界を滅ぼす。そのために」




