第二十三話 英雄の飛躍
「いきます。おじさん」
「来い、ジーク」
一秒に満たない瞬きほどの刹那。
常人では剣の実体が捉えられないほど速くジークは動いた。
(今の僕じゃ、逆立ちしたってこの人には届かない)
冥王とジークの実力差は明らかだ。
天地をひっくり返しても勝てない事は分かり切ってる。
(だから、僕の全てを)
継続戦闘は無謀。一瞬の刃に全てを懸ける。
ルージュの時よりもさらに強く、さらに大きく、力をひねり出す。
ありったけを。
ありったけを。
ありったけを。
心の底から湧き上がる意思を《魂魄闘法》として表現する。
陽力操作の修業により実現した、淀みない陽力の移動。
これまで培った全てを魔剣の切っ先に集中し、バチッ、と魔剣が雷を纏う。
ーーまだ足りない。もっと、もっとだ。
ーーこれで終わってもいい。だからもっと、
ーー研ぎ澄ませ。ひねり出せ。魂の一滴まで!
陽力が収束する。
放電する雷が刃に押し込められ、魔剣の輝きが視界を真っ白に染め上げる。
「ぁ、ぁあああああッ」
「……!」
刃と刃を重ねるその一合。
その刹那、世界の全てが震えを起こした。
ガキィーーン、と。
天空の彼方まで響き渡る金属音。
地上に住まう誰もが足を止め、天を見上げるほどの異音。
荘厳な鐘のような美しさを纏う音色の発生源はしかし、苛烈の一言であった。
嵐が激突している。
身体が吹き飛ばされそうな衝撃波の中、ジークは奥歯を噛みしめた。
(重い……全てを絞りつくしても、到底届かないッ!)
ゼレオティールの加護をフル稼働させ、周囲に存在する電子を味方につけていても。
魔眼で見えた剣の軌道を躱しても、魂の一滴まで力を絞りつくしても。
魔剣アルトノヴァの権能を用い、冥王の魔力を吸い続けても、
(ピクリとも、動かない……!)
冥王の目はまっすぐにジークを見つめている。
今の今まで彼は一歩も動いていない。力を込めているようにも思えない。
それなのにーー
「その年で、よくぞここまでおのれを鍛え上げた」
「…………っ」
「誇れ。この私にここまで言わせる者はそう多くない」
冥王は事実を告げる。
ーー今のジークの力は、特級葬送官の中でも上位に入るであろう。
たかが十五歳でその高みに昇り詰めるのは並大抵の事では出来ない。
例えゼレオティールの加護を得ていたとしても才能だけでは不可能だ。
才能に甘んじず、
加護の理解を深め、
研鑽に研鑽を重ね、
おのれを磨き上げ続けてこそ至れる高み。
その努力をこそ冥王は賞賛する。今ここに立っている事が一つの奇跡だ。
だが、それでもーー
世界の頂点に立つ冥王には、届かない。
冥王メネスは一歩、足を踏み出した。
体重が移動し、鍔迫り合う剣の切っ先に力が乗る。それがジークの限界点だ。
「か、は……ッ!」
均衡が崩れ、吹き飛ばされたジークは母の墓石に背中から激突する。
ずるりと、かつての母と同じように倒れこみ、ジークは思い出したように呼吸を繰り返す。
「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」
(生きてる……まだ、生きてる……)
ほんの一瞬、意識が飛んでいた。
死んでいてもおかしくはないほどの衝撃だった。
否応なく、悟る。
(届かない。今の僕の剣は、どうやっても……!)
「最後に一度だけ、問おう」
眼前に切っ先が突きつけられた。
冷たく凍えるような王の瞳を光らせ、冥王は言う。
「我が元へ来るつもりはないか、ジーク」
「……言ったはずです。それが僕の生き様だって」
「死しても叶えたい願いか。悪魔となって従える事も出来るのだぞ」
「例え……悪魔になっても、僕はあなたに従わない。きっと、あなたに刃を向ける」
そもそも今のジークは冥界行きの際に渡された枷により、悪魔にはなれない。
心臓の停止と同時に腕輪が起動し、葬魂される手筈になっている。
だが、この腕輪がなくてもきっとジークの答えは同じだった。
「例え、どれだけ届かなくても」
震える全身を叱りつけ、ジークは血反吐を吐きながら立ち上がる。
「僕は、何度でもあなたに挑む。誰が無理だと言おうと、それが、僕の物語だから」
「あくまで生き様に殉じるか。無謀の果てに理想を夢見るか。母同様、愚かだ」
冥王メネスは冷たく斬って捨てた。
野望、夢、理想は、生きていてこそ活きるのだと。
だが、とメネスは口の端を上げる。
「その信念、見事! 我が甥よ、貴様の魂を背負い、私はこの先へ行こう!」
漆黒の一閃がジークを袈裟斬りにする。
圧倒的強者を前に、全力を振り絞ったジークは動けない。
(これが、僕の終わりか……)
全力を尽くした。それでも届かなかった。
後悔がない事と言えば嘘になる。心残りはたくさんあった。
(ごめん。母さん。ごめん。ルージュ……テレサさん)
遺された妹はどうなるだろう。
ずっと一緒にいるという約束を果たせない事が心苦しい。
地上に遺してきたテレサは悲しんでくれるだろうか。二人とも泣いてくれるかな。
(ごめん。リリア……僕、今そっちに行くね)
諦めを享受し、ジークは来たる痛みに目を閉じた。
その時だった。
『ーーまだです。ジーク』
声が、聞こえた。
その瞬間、神聖な光がジークを包み込んだ。
「なに……!?」
突然の事態に、冥王が飛び退いた。
語り掛けてきた声の主を、ジークは呆然と見た。
「今の、声……………?」
ジークと冥王の間に横たわる、リリアの身体が光に包まれている。
ジークの視線を辿った冥王も気付いたようだ。
間違いなく死んでいるはずの肉体が、何らかの動きをしている事に。
「……死してなお、楽園から思念を飛ばしているのか。神霊のように……!」
理屈なんてどうでもよかった。
ジークは縋りつくように手を伸ばし、問いかける。
「リリア、そこにいるの……?」
リリアの遺体は動かない。
ただ思念だけが。声だけが、ジークの頭に語り掛けている。
会いたくてたまらなかった少女の、もう聞けないと思っていた声がーー。
「リリア……僕、」
『ジーク。立ちなさい』
「え」
冷たい声がジークを叱咤する。
『何を呆けてるんですか。立ちなさい。さぁ、早く!』
雷に打たれたように全身が硬直し、声に促されたジークは首を横に振った。
「……もう、いいよ。僕はもう、負けたんだ」
今ある全ての力を使っても、冥王には届かなかった。
例えここで立ち上がっても勝つことは出来ない。それほどの実力差があるのだ。
何より声を聞いて思ってしまった。ここで死ねばーー彼女に会えると。
「僕、もうすぐそっちに行くからさ……だから
『何を甘えているんですか?』
リリアの声は、今まで聞いたことがないほど厳しかった。
陽力を振り絞って動けないジークを、それでも戦えと叱りつける。
「無理だよ。もういいんだ。僕はもう、負けたんだから」
『ーー何度負けても、生きてれば勝ち。あなたが言ったんですよ』
「……っ」
ぐっと、ジークは奥歯を噛みしめた。
確かに言った。けれど、それとこれとは話が違うのだ。
今、ここから逃げ出すことは出来ない。勝つ事も出来ない。
なら、自分に何が出来る?
何も出来ない。後はもう、ただ殺されるのを待つだけだ。
「僕に出来ることは、もう……」
悲しいのだ。辛いのだ。苦しいのだ。
最愛の人を取り戻すために戦い、それでも力が及ばず。
何もかも全て取り落としてしまったという絶望の中、自分は精一杯やったはずだ。
人類最大最悪の敵に立ち向かった。
その事実だけで、良いじゃないか。
陽力もなく、力もなく、勇気もない。そんな状況で何が出来る。
『ーー諦めない事は出来ます』
「……っ」
楽な道へ逃げようとすることを、リリアは許さない。
辛く苦しい現実から目を逸らすことを、彼女だけは許さない。
かつて才能という言い訳に逃げ、自分から目を逸らし続けたリリアを、引っ張り上げたのは他でもない、ジークだ。
『それでも、わたしの惚れた男ですか?』
「……っ」
闇に満たされた心のカーテンが開けられ、光が差し込んでいく。
暗くて寂しくて、膝を抱え込んで座る臆病者を引っ張り上げていく。
『わたしが愛した人は、どんな絶望にも立ち向かっていきました。何度も負けても諦めませんでした』
「でも……それは」
『死が、何だというのです』
リリアはきっぱりと言った。
『あなたのお母さんが死んでもあなたの心にいるように、わたしも、あなたの傍にずっといる』
言い訳を封じ、逃げ道を塞ぎ。
諦めようとすることを彼女は許さない。例え相手が冥王でも。
『立ちなさい!』
「--」
怒号のような声が響いた。
『立ちなさい!』
「--」
何度でも、彼女は続ける。
『立って、戦いなさい。その命尽きるまで!』
がつんと、頭を殴られたようだった。
無理だと、勝てないと諦めていた心が光に浄化され、洗われる。
ジークが立つことを疑わないリリアの、それは愛の叫びだ。
『ちゃんと此処にいますから』
死してなお、彼女の心には共に在る。
『カッコいいところ、見せてください。ジーク』
「…………は、はは」
ジークはつい、笑ってしまう。
あぁ、そうだ。そうだった。
コキュートスの時も、ヴェヌリスの時も、死徒の時も。
ジークはいつだって一つの事しか見えていなかった。
守りたいだとか、勝ちたいだとか、信念だとか。
そんな気持ちは確かにあるけれど、根っこのところは一つだった。
「そっか。そうだったね……」
「まだ、立つか」
血だらけになりながら立ち上がる甥に、冥王メネスは厳しい目を向ける。
「何がお前をそこまでさせる。お前を駆り立てるものはなんだ!」
「カッコつけたい」
「は?」
ジークは心のままに言った。
「惚れた女の子に格好つけたい。だって、僕は男だから」
「……」
冥王は目を丸くした。
世界の頂点たる存在を前に。
人類の仇敵である自分を前に。
使命、諦め、恐怖、怒り、憎しみ、そのどれでもなく。
あろうことか、女の為に格好つけたいだと?
く、と冥王は口の端を歪めた。
笑声が響く。
「は、ははははははははははは! そうか、格好つけたいか!」
「うん」
「惚れた女の為に恰好つけんがため、おのが命を懸けるか! く、くく……! それが運命の子が言う事かよ」
腹を抱えて笑うメネスに、ジークは血に濡れた口元を拭う。
「他人が決めた運命なんて、糞喰らえだ」
心が軽かった。
諦めと意地で逃げていたさっきまでとは違う。
前を向くために戦う意思が、ジークを駆り立てる。
「そんな運命、僕がぶっ壊してやる」
「……そうか。お前はルプスの子でもあったな。くくっ、あぁ、そうか」
冥王は何度も頷き、清々しさすら感じる声で、
「許せ。我が甥、ジーク・トニトルス。私はお前を過小評価していたようだ」
軽い言葉とは裏腹の、闇の力を現出させる。
花々が萎れ、樹々が枯れ、空気が乾いていく。
「我が全力を以て、お前を叩き潰す」
アルトノヴァ、とジークは愛剣に呼び掛けた。
取り落としていた剣が、喝采を上げながら手に吸い付く。
「今度はこちらから行くぞ。ジーク」
「……っ」
ドクンッ。
死の刃が迫る一瞬。
死を覚悟し、細い命の光をつかみ取ろうとするジークの心臓が拍動する。
『この世界は意思の連なりで出来ている。意思こそが、世界を動かすんだ』
ーーイメージしろ!
今、やりたいこと。
やらなければならない事。
冥王の剣を受ける。彼と戦い、一矢報いてから生き延びる。
それがリリアに叱咤され、ルージュの命を背負う自分の義務。
ーーそのために必要な事はなんだ? どうやれば生きられる!?
ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!
想像し、創造する。
今必要なのは、冥王の剣を受ける事。
天界の神々すら手玉に取る、その一瞬を凌ぐこと。
このままでは死ぬ。必ず死ぬ。絶対に死ぬ。
その運命を、宿命を、塗り替える。
ーー答えはもう、あなたの中に。
ーーさぁ、呼んで。
ジークは叫んだ。
「僕は、拒絶するーー!」
「…………!?」
ジークの意思が形となり、世界に現出する。
ドクンドクン、と心臓の拍動と共に全身が光と放ち、視界を塗りつぶした。
魔剣アルトノヴァが冥王の魔力を吸い上げ、切っ先が攻撃を受け止め。
そして、新たな力が、神の力そのものを無効化する。
激突。
「…………な、んだと」
甲高い金属音を響かせ、鍔迫り合いの向こうで冥王は息を呑んだ。
全身に力が入らない。血液に鉛を流し込まれたように身体が重い。
ーー死の神の力が、打ち消されていた。
「ふ……ッ!」
いかに冥王と言えど、神の力なしに世界を変革する事は不可能だ。
複数の神々の力を持ち、陽力操作を鍛え上げた今のジークを、止める事は出来ない。
「ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ジークの剣は、冥王の剣を真っ向から弾き返した!
「な、にぃ……!?」
「アルト、ノヴァぁあああああああああ!」
ーー斬ッ!
魔剣の切っ先が冥王を捉え、鮮血が噴き出した。
たたらを踏んだメネスの懐へ、ジークは続けて連撃を放つ。
ーーずっと不思議に思っていた。
『そういやテメェ、なんでエリージアにいいようにやられてた?』
あの、ヴェヌリスの言葉だ。
月の女神エリージアの強襲を受けたジークは完膚なきまでに負けた。
あの時はただの神の戯言なのかと流してしまったが、本当にそうだろうか?
ジークはゼレオティールの加護を使いこなせてはいない。
だが、そうであるなら、月の女神の攻撃を受け、無事だったのはなぜだ?
剣の修練、陽力の修練、どれも違う。そんなもので埋められるほど神の一撃はぬるくなかった。
(あの時、もう第二の加護は目覚めていたーー!)
そうでなければ月の女神の前で動けるはずがなかった。
あの女神の力はそれほどに強大だった。
無意識的に第二の加護が発動していたからこそ命を拾ったのだ。
それは、
襲い来る全てから身を守り、あらゆる運命を拒絶する加護。
それは、
運命を否定し、宿命に抗う少年への神の祝福。
《天威の加護》第二の力。『絶対防御領域』!
「ぁぁああああああああああああああああああああ!」
剣閃が交錯する。
右へ左へ前へ、互いの位置を入れ替えながら、激しい金属音を響かせる。
弾ける閃光、舞い散る火花、無数の剣と剣をぶつけ合い、少年は王へ挑む。
(これほど、とは……!)
雷の力を使いながら、第二の加護は使えない。
だが、ジークには鍛え上げた剣技が、そしてアステシアの魔眼がある!
「…………っ!」
雷の力を使わずとも雷速に迫る、その姿はまさに修羅。
齢十五歳とは思えないほどの執念を以て、ジークの剣は冥王に攻撃を許さない。
(行き着く暇もない高速攻撃。雷を捨てた肉体の衝突。それがお前か、ジーク!)
それだけではない。技の冴えも凄まじい。
右に来たかと思えば左に現れ、風切り音すらフェイクに使って相手を動揺させ、一閃ごとに微妙に速さを変えて緩急をつけた攻撃を仕掛けている。速さに対応するだけでは間に合わない。相手の呼吸の僅かな隙を捉え、逃さず剣で切り込んでいく。冥王とて鍛え上げた戦士だ。これまで速いだけの奴なら腐るほど見てきた。
だがーーここまで呼吸を乱されると。
(絶妙に、やりづらい……!)
そういう風に魅せられている。
陽力による肉体強化一つ見てもそうだ。全く隙が見当たらない。
見事だ。全く以て見事だと、冥王は素直な賞賛を送る。
だがーー
「まだ、届かぬ」
「…………っ!」
突如、周囲の景色が闇に包まれた。
同時にジークの目も暗闇に染まり、彼は思わず足を止める。
(これは……!)
「どうやらその力で無効化できるのは神の加護一つのみらしいな」
汚泥のようにまとわりついた暗闇の中に響く声。
ジークは振り向くと同時に電磁プラズマを発生させて光源を作り、視界を塞ぐ。
だが、冥王の放つ魔力はジークの小細工を真っ向からねじ伏せ、胸元に刃が迫った。
紙一重で避ける、続けて突き、弾かれた。次は右ーーいや違う。
後ろだ。
「……こ、のッ!」
「お前と私とでは、積み上げた年月の重みが違う」
アルトノヴァで魔力を吸う。剣から流れ出る力をすぐさま陽力へ変換し、雷として現出。宙を奔る紫電が空気を焼き、冥王へ迫るも、身体に触れる寸前で消えてしまう。恐らくはオルクトヴィアスの力で雷を殺しているのだろう。そう当たりをつけ、ジークは魔眼を発動する。一秒先の未来を視た上で、メネスがどの加護を発動するのか見てから決める。しかしそんな小細工は、冥王には通じない。
「このまま力で押し切ってやろうーー!」
オルクトヴィアスの力で魔眼の力を殺されている。
かといって第二の加護を切り替えれば、次に襲い来るのはどの神の加護か分からない。
ならば。
ーー目には目を、力には力を。
「はぁぁああああああああ!」
叫び、ジークはアルトノヴァを振りかぶった。
激流に真っ向から刃を振り降ろし、割れた魔力の波が肌をかすめる。
雷と黒。
光と闇の均衡は、長くは続かなかった。
アルトノヴァで吸い切れない魔力がジークを押し始める。
「く、ぅ……!」
嵐のような魔力の激流がジークを呑みこむ。
足を犯され、手足の感覚を殺され、それでもジークは剣を離さなかった。
ーーあの子が見ている。
「ぉ、ぉおお」
ーー大好きな人が、そばにいる。
「ぉおおおおおおおおおおおおおお!」
負けられない。負けてはならない。
例え指が折れようが全身の血管が張り裂けようが、まだ僕はここに居る。
ーーあの人の為に。何より僕の為に。
「まだ、僕は、まだ戦えるッ! 僕は負けてないぞ。メネーーーースッ!」
「その生き様ごと、ここで散れッ、ジィーーーークッ!!」
雄たけびと雄たけびがぶつかり合い、
意地と意地が激突し、力と力が対決し、
戦いを制したのはーー冥王だった。
ジークの雷を真っ向から迎え撃ち、二つに分かれた光を突き進み、死者の王は往く。
血のつながった甥の元へ、容赦なく剣を振り下ろした。
その瞬間だ。
【今度こそーー間に合ったわ】
突如現れた女神の手が、冥王の剣を受け止めた。
否、彼女だけではない。
【ハーッハハハハハハハッ! いいな、いいぞ不肖の弟子よ! 貴様は最高だ!】
【ま、このあたしが剣を打った男なだけあるわね】
見慣れた声が次々と響き、女神の後に続く。
「アステシア様、ラディンギル師匠、イリミアス様……!」
【待たせたわね、ジーク】
「また貴様らか。いい加減に理解すればどうだ。三柱程度では、今の私を止める事はーー」
【ーーなら、六柱ならどうだい?】
「………………っ!」
冥王の顔に激震が走った。
咄嗟に飛び退いた冥王と同様、ジークもまた目を丸くする。
加護を与えてくれた神々とは別に、見たことがない神々が現れたからだ。
いずれも実体のない透き通った姿--神霊体である。
「え、誰……?」
【ふん。我はまだ貴様を認めたわけではないからな】
海のような青い長髪を揺らす大男、海神デオウルス。
【うふ。うふふふ。間近で見るとますます愛おしい子ですね。食べちゃいたいです】
栗色の髪をなびかせるおっとりとした女、地母神ラークエスタ。
【さすがはゼレオティール様の選んだ男、といったところかな】
そして最後に金髪の細い男、太陽神ソルレリア。
六柱の大神が目の前にいるとは知らないジークと裏腹に、冥王は忌々しげに唇を噛んだ。
「貴様ら……!」
【いくら君でも、さすがにもう一度世界の時を戻すのはきついだろう。ここは退いてくれないかな、冥王】
「舐めるな! この冥王、神霊ごときに遅れをとるほど衰えたつもりはない!」
六柱の大神を前にしても、冥王は強気だ。
神霊たちの間を吹き抜ける衰えることなく、むしろ強さを増すばかりで。
【まぁ、僕たちだけでは止めきれないだろうね】
「ならーー」
【なら、儂が居ればどうか?】
たん、と。杖を突く音が響いた。
天から舞い降りた神霊ーーその姿に、今度こそ冥王は言葉を失う。
「馬鹿な」
【五百年ぶりじゃなーー冥王】
創造神ゼレオティール。
冥王と双璧を為す光の神々の頂点が、今地上に降り立った。
「なぜ動ける。貴様は、あの時ーー!」
【五百年、力を蓄え続けてきた。神霊を飛ばすくらい造作もなかろうて】
「……それほどまでに、ジークが大事か。あいつの代わりに、今度はその子をッ!」
【ジークは我らの希望。この子がお主を拒み、光の道を選んだ以上、味方をするのは当然じゃろう】
「ゼレオティール様……」
終末戦争で力を失ったはずの主神の現界にジークは言葉を失った。
確かに先ほどもアステシアが助けに現れてくれたがーーまさかまた来てくれるなんて。
期待していなかったと言えば嘘になる。
けれど、その手が肩に触れた瞬間、絶大な安心感を感じる事が出来た。
【ここは我らに任せろ。お主がこのステージに立つのは、まだ早い】
「はい……」
「またか……また、私の家族を奪おうというのか。ゼレオティーーーールッ!!」
【数十億人の家族を奪ったのは、貴様じゃ。メネス】
先ほどとは比べ物にならないほどの魔力が、メネスの全身から噴き出した。
しかし六柱の大神もさるものーー冥王の闇の力を、次々と押さえつけていく。
そしてゼレオティールは、ゆっくりと杖を振り上げた。
【不死の都に還るがいい】
「…………ッ!!」
ーーバシィイイイイイイイイイイ!!
雷轟がメネスに直撃する。
世界が白く染めあがり、突風で身体が持って行かれそうな衝撃が奔った。
「おのれ、おのれぇえええええええええええ!!」
メネスの身体は宙に浮き、彼方へ吹き飛ばされていく。
地平線まで地面が抉れた破壊痕のみが残され、静寂が舞い降りた。
ーー否。
【どうやら、奴は置き土産を残していったらしいな……】
「え」
蒼髪の男神の言葉に顔を上げれば、確かに、小さな人影と男が一人いた。
ジークも見覚えのある顔ーーキアーデとアーロンだ。
【儂等の仕事はここまでじゃ。あとはお主に任せようかの、ジーク】
「……はい」
決着をつけろと、ゼレオティールは言った。
恐らく彼は冥王を止めることで力を使い果たしたのだろう。
今にも消えそうに身体が揺らぐ創造神に、ジークはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。ゼレオティール様」
【うむ】
満足げに頷き、ゼレオティールの姿は消えていった。
ジークは首を傾げ、
「アステシア様。まだ居てくれるんですか?」
【ここまで来たんだもの。どうせなら直接、最後まで見届けせてもらうわ】
「そうですか……あ、ラディンギル師匠、邪魔しないでくださいね」
【む】
「あいつらは、僕が決着をつけなきゃいけない相手だから」
魔剣を握りしめ、ジークは一歩足を踏み出す。
ラディンギルは【ふ】と口元を緩めた。
【漢の戦いだ。邪魔などするものか】
「なら、いいです」
【ジーク】
「はい」
【勝てよ】
「はい!」
六柱の神霊を背に、ジークはキアーデたちと向かい立つ。
悪魔たちはちらりと神霊の方を見て、
「神霊に助けてもらわないんすか。愚かっすね。ま、好都合っすけど」
「やっと、やっとお前をぶちのめせるッ! 八つ裂きにしてやるよ、ジークッ!」
「……僕、今、めちゃくちゃ八つ当たりしたい気分なんだ」
「ぁ?」
だから、と。
《魂の泉》で完敗したジークはすっと構えを取り、名乗りを上げる。
「女神アステシアの加護を受けた半魔、ジーク・トニトルス」
キアーデたちは応えた。
「冥王様直下、第五死徒『怠惰』キアーデ・ベルク」
「その眷属、アーロン・マクガウィル」
一陣の風が両者の間を吹き抜ける。
静寂は刹那、睨み合う視線を切り、ジークは動き出す。
「今度こそーーお前らを殺してやる」
「やってみろっすよ。クソ餓鬼」
「八つ裂きにしてやるよ、ジークぅッ!」
因縁の戦いが、始まる。




