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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第三章 飛躍
84/231

第二十一話 冥王はかく語りき

 



「ハ、ハ、ハ、ハ…………!」


 荒い呼吸を繰り返し、ジークは頭を抑えていた。

 追憶の彼方から帰還し、頭と心はぐちゃぐちゃになっていた。


「思い出したか」


 ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!

 心臓の早鐘がうるさい。嫌な汗が全身に流れている。


「かあ、さんは。人間に、殺された……?」

「そう。お前と同じ、葬送官にな」

「…………っ」


 母の最期の姿が脳裏をよぎって今とリンクする。

 樹の幹にもたれかかり、血まみれでジークを見る母を幻視する。


『ジーク』

「ぁ、あ」


 ジークはふらつきながら、母の墓石へ歩き出した。

 メネスは道を開け、後ろから見守る姿勢だ。手を出す様子はない。

 だが今のジークには、彼の動きを警戒する余裕すらなかった。


「母さん……」


 冷たい墓石を撫で、後ろにある樹の幹に目を向ける。

 強烈に脳裏に蘇った追憶ーーここで、母は死んだのだ。


「僕は。こんなに大事なことを忘れてたの……?」


 母の言いつけを守る自分と。

 人間が憎くてたまらない憎悪のはざまで壊れて。

 あろうことか、母を殺した者達と同じ葬送官になっている。


「憎いか。ジーク」

「……っ」


 メネスの言葉に、ジークは肩を震わせた。


 ーー憎いに、決まっている。


 僕たちはただ、普通に暮らしたいだけだった。

 三人でどこか安全な土地を見つけて、ささやかな暮らしが出来ればよかった。

 なのに奴らは逃げても逃げても追い回してきて、罪もない母を殺した。


「貴様は見てきたはずだ。奴らの醜さを。思い出せ、屈辱の日々を」

「はぁ……! はぁ……!」


 理不尽に蔑まれ、石を投げつけられた日々が脳裏に蘇る。

 アーロンに受けた仕打ちの数々は、今でも夢に見るくらい忘れられない。

 煮え湯を飲まされ、馬の小便を呑まされ、彼らが催した糞の上で寝かされた。


 まともに寝た事なんてなかった。

 未踏破領域に放り込まれ、悪魔の盾にされ、剣で背中を刺された。


 ーー僕が、一体何をした?


「母を殺し、父を殺し、己を虐げた人類が憎いか」

「憎い……っ」

「殺してやりたいか」

「殺したい!」


 ジークは叫んでいた。

 飾り気もなければ見栄もない。

 死者の王に叫ぶそれは、ジークの魂に眠っていた憎悪の結晶。


 ありのままの心を受け止め、メネスは頷き、


「ならば、この手を取れ」

「ぇ」


 そっと、手を差し伸べた。

 呆然とその手を見たジークに、彼は紅色の瞳を光らせる。


「私なら……私たちなら、お前を受け入れてやれる」

「……っ、でも、でも……お前たちだって、僕を!」

「有象無象がお前に行ってきた、これまでの全てを詫びよう。すまない。もっと早くお前を見つけたかった」

「え」


 ジークは目を目を丸くした。

 死徒を束ね、悪魔たちを統率し、冥界の神々と対等に立つ男が。

 冥王メネスが、目の前で頭を下げたのだ。


「お前を見つけられなかった私の責任だ。許してほしい」

「そ、んな」


 告げられた言葉に、ジークはただ呆然とするしかなかった。


 なんで、そんなことを言うんだろう。

 なんで、この人の言葉は刺さるんだろう。


 何十億人もの人間を悪魔にしたはずなのに。

 旧世界を滅ぼした恐ろしい人のはずなのに。


 今まで会った誰よりも、この人の瞳は真剣だ。


「なん、で、僕を」

「妹の息子で、我が甥だ。家族と同じだろう」

「かぞ、く」


 失ったモノ。もう取り戻せないモノ。

 自分は天涯孤独になったと思ったのに、こんなところに繋がりがあるなんて。


「家族に、なってくれるんですか……?」

「違うな。私たちは既に家族だ」


 じわりと、ジークの瞳に涙が浮かぶ。

 ずっとほしかった言葉。ただ誰かと一緒に居たいという願い。

 憎悪と怒りを受け入れ、それでも共に居てくれると言ってくれた。


 この人となら、本当にーー


「来い、ジーク。共に人類を滅ぼそう」

「ぁ」


 ひゅっと、ジークは息を詰めた。

 熱していた頭に、冷や水を浴びせられた気分だった。


 ーーそう、そうだ。この人は、冥王なんだ……。


 ジークの魂に眠る憎悪を受け入れ、家族として共に在ろうと言ってくれても。

 数十億人の人間を殺し尽くし、悪魔へと変えた死者の王なのだ。

 例えずっとほしかった言葉を、言ってくれたとしても。


「……でき、ない」

「……」

「僕はもう、大切な人を、見つけたから……」


 自分を拾い、強く育ててくれた人がいた。

 人も半魔も関係なく、一緒に居たいと言ってくれた人がいた。

 事あるごとに力を、知恵を貸し、自分を見守ってくれる神がいた。


「それに、それに……あなたの部下は……死徒は……リリアを……っ」

「リリア?」

「不死の都に捕えているんでしょう。キアーデ・ベルクが、そう言った!」


 死の王の誘惑を跳ねのけ、ジークは吠えた。

 そう、ジークが憎いのは人間だけではない。

 リリアに手を出した死徒も、それを束ねる冥王だって……!


「不死の都……()()()()()()()()()()()()()

「え?」


 そんなはずはない。

 キアーデは確かに言っていたのだ。

 リリアが捕まっている映像も、確かに見た。


「キアーデ」


 メネスが呟く。

 その瞬間、彼の影から見覚えのある顔が飛び出してきた。


「第五死徒『怠惰』キアーデ・ベルク。ここに」

「リリアとやらを捕えたと、ジークが言っている。それは本当か?」


 メネスは一瞥もせずに問う。

 すると、キアーデはばつが悪そうな顔で、


「……申し訳ありません。この半魔を脅迫するために嘘をつきました」

「え」

「あの女は既に死んでいます」

「嘘だッ! 嘘をつくな!」

「嘘じゃない。お前に見せた映像は死体を使って生きているように見せただけ」


 信じられるか、とジークは思った。

 死徒は平然と嘘をつく。死徒に騙されて死んだ男をジークは知っている。

 ましてや、相手はあのアーロンと行動するような奴だ。

 世界中の誰が信じても自分だけは信じてやるものか。


「ならば聞けば分かるだろう」

「は? どういうッ」


 反射的に怒鳴ろうとしたジークだが、


()()()()()()()()

「…………!」


 冥王メネスの発した言葉に、ひゅっと息を詰めた。

 水を打ったような静寂が広がり、

 虚空がぱっくり割れて、闇がにじみ出てくる。


「ぁ、ぁ……!」


 それ(・・)が発する威圧感に、ジークは震えが止まらなかった。

 ヴェヌリス、死徒、月の女神、

 いずれも凄まじい強者だったが、それ(・・)が発する気配は常軌を逸していた。


【呼んだ……? メネス】

「あぁ、聞きたいことがある」


 黒いローブですっぽり顔を覆った、女神だ。

 フードの隙間から見える顔は蒼白く、手足は骨のようにやせ細っている。

 鎌を持たせたら死神そのものだろう。否、正しくこれは、死の神なのだ。


 ーー死の神オルクトヴィアス。


 冥王と共に終末戦争を引き起こし、

 ゼレオティールに反旗を翻した闇の神々の主神……!

 恐らく神霊だろう。身体が透き通っているが、禍々しさは桁違いだ。


【あら。見ない顔ね……?】


 オルクトヴィアスの言葉に構わず、メネスは言った。


「ジーク。リリアとやらの真名を言え」

「ま、まな……? なんであなたにそんなことッ」

「いいから言え」


 有無を言わさぬメネスの言葉に、ジークはたじろいだ。


「……リリアは、リリアだよ。リリア・ローリンズ……生まれたときは、リリア・ブリュンゲルだったと思うけど」

「分かった」


 メネズは頷き、


「オルクトヴィアス。今聞いた名前の生死を調べろ」

「……! な、名前だけで、分かるの……?」

「人間は魂、肉体、名前で出来ている。魂に紐づく名を調べれば生死を調べるのはたやすい」

【ふ~ん……そういうこと。まぁあなたが言うなら調べるけど】


 オルクトヴィアスが目を閉じる気配。

 しかしそれは一瞬で、彼女はすぐに目を開け、首を横に振る。


【死んでいるわ。悪魔にもなってない。葬魂されてる】


 ……………………。

 …………………………………………。

 ……………………………………………………は?


「今、なんて」

【リリア・ローリンズの魂は既に楽園(アアル)へ還った。地上にはない】

「嘘だ……嘘だ、嘘だぁああ!」

【嘘じゃない。死んだのは六日前、悪魔化しかけたところを何者かの手によって葬魂されている。これは……恐らく、ドゥリンナの子】

「テレサ、さんが……? じゃあ、あいつが映していたリリアは誰なんだよ!?」

「それは本物っす。悪魔教団の奴らが持ってきた死体を使いました」

「悪魔教団って……」

「不死の都と通じている人類の裏切り者共っすよ。あいつらが勝手に持ってきたんす」


 ハ、ハ、ハ、と荒い呼吸を繰り返し、ジークは胸を抑えた。


 リリアが死んだ?本当に?

 いやだ、嘘だ。信じない。

 この目で見ていない限り信じない。信じてやるものか。

 オズワンにも言われたじゃないか。あんな奴らのいう事を真に受けるなと。


 そう、そうだ。

 今、僕に出来る事はこの状況を何とかする事でーー


「……その目で見れば、信じるか」


 メネスはひとりごちた。

 次の瞬間、キアーデの身体が影に包まれ、消える。

 瞠目するジークをよそに、再び影が現れて。


 キアーデが抱いていたその女性に、ジークは目を見開いた。


「りり、あ……?」


 間違いなく、リリアだった。

 胸に穴が開き、土気色となった彼女の身体には虫が這っている。


「う、そ」

「確かめればいいっすよ」


 キアーデはそう言って慎重な手つきでジークの前にリリアを置く。

 ごくりと息を呑み、ジークはリリアの頬に恐る恐る手を伸ばした。


 呼吸もなく、人形のように綺麗な顔立ちを見せるリリア。

 手を這わせれば、かつて共に過ごした思い出がありありと脳裏に蘇った。


『ジーク。もう朝ですよ』


 視界が滲む。


『ほら、口に食べかすがついてます。もう。しょうがないですね、ジークは』


 身体から力が抜けて、涙がとめどなく溢れてきた。

 かつて火傷するように熱かった手は冷たくて、温度がない。


 偽物だ、と言いたかった。

 けれどジークの魂は、この遺体を本物だと囁いている。


 服の下に隠れた、へその横にあるホクロも、

 お腹の傷跡も、杖術を練習した出来た手のひらの豆も。

 穴の開いた左胸から覗く、生々しい傷跡も。


 全てがリリアを本物だと言っている。


「ぁ、ぁ、あぁあああああああああ!!」


 滂沱の涙を流し、ジークはリリアの身体に抱き着いた。


 もう一度触れたかった。もう一度会いたかった。

 もっと一緒に、ずっとずっと一緒に居てほしかった。


 リリアは半魔である自分を友達だと言ってくれた、世界で最初の友達で。

 こんな自分を愛していると言ってくれた、大切な恋人だった。


「リリア、リリアぁ……!」

「これでも人間の味方をするというのか、ジーク」

「ぅ、ぁ、ああ……」


 人間、また人間なのか。

 一体、どれだけ自分から奪えば気が済むんだ。


 母を奪い、居場所を奪い、今度はリリアまで奪うのか。

 たった一人、絶対に守ると魂に誓った女性まで、人間は奪うのか。

 人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間、人間……!


「人間、なんて……!」

「我ら共に来い。ジーク」


 メネスは再び手を差し伸べる。


「お前の望む者を生かしてやろう。我らがお前に居場所を与えてやる」

「ぁ」


 ドクンッ! と心臓が脈を打つ。


 ーー手を取っても、良いのだろうか。


 テレサが襲われ、リリアが死に、ジークの中で価値観が揺らいでいた。

 葬送官として人間を守る意味が分からず、葬送官として生きる意味も分からない。


 リリアは死んだ。

 唯一無二の可能性を、人間が潰した。


 なら、ジークが守るべきは妹のルージュだけだ。

 冥王の指示を受けない特異な悪魔である彼女を、人間は決して受け入れないだろう。


 今ここで手を取れば、ルージュだけは守れるんじゃないか?

 自分だけでは守り切れない彼女を、今度こそ生かしてやれるんじゃないか?


 死徒は信じない。神霊も信じられない。

 けれど、叔父である冥王だけは、信じていいかもしれない。

 こんな自分を家族だと言い切ってくれた、彼だけは。


「僕は……」


 守るべき者を守るために。

 二度も守れなかった誓いを、今度こそ果たすために。

 ルージュの笑顔だけは、絶対に失ってはいけないから。


「あなたと、一緒に……」


 ジークは恐る恐る、手を伸ばした。

 涙に濡れた瞳をまっすぐ見つめ、メネスは頷きーー


【--そこまでよ】


 その瞬間、天が裂けた。


「!?」


 黄昏色の空がぱっくり割れて、光の中から何かが降りてくる。

 いや、何かではない。

 それは人だ。透明な体をした、人の形をした神々の使い魔--。


「アステシア、さま」


 民族衣装をまとい、本を胸に持つアステシアが舞い降りる。

 その横には剣を携え、不敵な笑みを浮かべるラディンギルが、

 槌を肩に担ぎ、苛立たしさを隠さないイリミアスが居た。


【ジーク。冥王の言葉に耳を貸しちゃだめ】

「でも、でも……! 人間は、あいつらは、リリアを……!」

【悪魔教団は不死の都と通じている。こいつらが嘘をついていないとでも?】

「……!」


 アステシアはそう言って視線をメネスの方へ。

 その後ろに佇むオルクトヴィアスの神霊を見て、


【久しぶりね。オルクトヴィアス。そして冥王】

【ハーッハハハッ! 終末戦争以来か! 貴様ら、また強くなったようだな】

【あたしが選んだ使い手に手を出そうなんて、ムカつくわ! けちょんけちょんにしてやるわよ!】


 三柱の神々の言葉に、オルクトヴィアスが笑った。


【本当に久しぶり……なんか、顔を見たら殺したくなってきちゃう。ね、死んで?】

【いやよ、バーカ! あんた、相変わらず過ぎるわよ、誰彼構わず殺そうとして!】

【死んだら永遠に私の中に居られるもの。親しい人ほど殺したくなるでしょう?】

【ならないわよ!?】


 親しげに話す死の神と鍛冶神をよそに、アステシアは厳しい顔だ。

 彼女の顔は、ジークの足元にいるリリアと、そして冥王に向いている。


【……この子に手は出させないわよ、メネス】

「……アステシア、ラディンギル、イリミアス。三柱の大神が来るとは。そうそうたる顔ぶれだな。察するに、ジークに加護を与えた者達か? 三柱もの神々に見初められるとは……ふ。さすが我が甥と言ったところか」


 メネスはこともなげに言って、


「だが、邪魔だ」


 パチン、と指を鳴らした。

 その瞬間、世界の時間が停止した。


「え?」


 樹々も、風も、空気も、何もかもが停止する。

 白と黒の灰色のモノクロの世界。

 呆然とするジークの前で、世界はまたたく間に動き出す。

 まるで逆再生でも見ているかのように、アステシアたちが天界に戻っていきーー。


 瞬きの後には、冥王以外に誰も居なくなった。

 アステシアも、ラディンギルも、イリミアスも、

 キアーデも、オルクトヴィアスも、リリアの遺体さえーー


「は?」


 戦慄が走る。


(な、なに。今の……まるで、時間を巻き戻したみたいに……)


「あなたは一体、どれだけの神の加護を……」

「複数の神の力を宿しているはお前だけではないという事だ」

「……!」

「ともあれ、これで邪魔者は消えた」


 再び手を差し出し、メネスは言った。


「さぁ、答えを聞こうか。ジーク。運命の子よ」



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