第十八話 白き意思
「あっははははははは! そうなったか! うん、実に面白いなキミは!」
「僕としては全然面白くないんですけどね……」
腹を抱えて笑うナシャフをジークはじと目で睨みつける。
面白さを至上とする神は他人事もいいところだ。
せっかく相談してるのに真面目に答える気がない。
まぁ今さらか、とため息を吐いた。
アルトノヴァがきゅぅ、と甘えたように膝に首を乗せる。
「いやぁ、ははは。すまない。あまりにも面白くて」
「だから僕には面白くないんですってば!」
「まぁいいじゃないか。言っただろう? アルトノヴァは生きた剣だ。君の意思が、魔剣をそう変えたんだよ」
本物の生き物に変わる剣があるか、とジークは内心で頭を抱えた。
確かに、確かにだ。
ジークはアルトノヴァの意思と交わせたらと思った事はあるが、生き物に変わるなんて願ってない。
大体、今のアルトノヴァが何の生き物かもわからないのだ。
「その子は神獣だよ。ゼレオティール様が生み出した創造神の眷属に似てる」
「そうなんですか?」
「うん。つまり、君の《魂魄闘法》が磨かれてきたって事さ」
「ふーん」
気のない返事を返しながら、ジークは考える。
意思で世界を塗り替えるという魂魄闘法なら、そんな事も可能なのだろうか。
確かに相手はイリミアスが作った魔剣だ、人界の常識が通じなくてもおかしくはない。
(それに……ちょっとは成長してるってことだしね)
ナシャフが用意した石を全く割れていないジークである。
少しでも進歩が感じられるなら嬉しい。
とはいえ、だ。
「きゅー!」
「うわ、くすぐったいってば。もう」
「きゅう、だよ♪」
左頬をアルトノヴァに舐められていたジークは「ん?」と首を傾げる。
右頬に濡れた感触がした。腕が暖かいものに包まれる。
ぎぎぎ、と壊れた歯車のような動きで振り返れば、そこには頬を染めた少女がいた。
「な、何してるのかな、ルージュさん?」
「にしし。マーキング」
「はい?」
「泥棒猫にお兄ちゃんを盗られるわけにはいかないからね」
そう言ってアルトノヴァを睨むルージュ。
魔剣が愛らしい動物の姿に変わったことに、彼女はなぜか危機感を抱いているようだった。
「ギュァァ!」
「ふん。何さ、あたしとやろうっての? 毛皮むしられて虐められたいの?」
「ギュウ……」
アルトノヴァが翼を広げてルージュを威嚇する。
ふわふわの毛がくすぐったいジークの横で、ルージュは怯まなかった。
「言っておくけど、あたしの方が先にお兄ちゃんと出会ってるんだからね」
いや、何張り合ってんの?
「ギュォオ!」
一人と一匹の間で視線の火花が散る。
そこへ。
『--何してんの変な悪魔! 休憩は終わりよ。あんたはこっち!』
「あぁん。もうちょっとお兄ちゃん成分を補充したかったのにー!」
「きゅ、きゅー♪」
アルトノヴァが勝ち誇ったように嘶きを上げた。
むきー! と悔しげなルージュの声はすぐに戦闘音にかき消された。
「ルージュも頑張ってるし、僕もそろそろ頑張りたいんだけど」
「きゅ?」
「えっと……君、剣に戻れる?」
「きゅぉ!」
了承したように翼を広げるアルトノヴァ。
その瞬間、神獣の身体が青白い光に包まれ、みるみるうちに小さくなる。
瞬きの後には、黒い脈のある水晶色の剣が地面に刺さっていた。
「良かった……自在に戻れるんだね」
これで元に戻れないならどうしようかと思った、とジークは独りごちる。
遠くでナシャフが面白そうに見ていたが無視。剣を取ると、暖かい力が流れ込んできた。
(今までより強く、アルトノヴァの意思を感じる……)
《魂の泉》に来たことで、アルトノヴァに何らかの変化が起きたのだろうか。
それとも自分が成長したのか……。
細かいことは分からないが、仲間が増えたと思えば心強い。
最初は戸惑ったが、ペットが出来たみたいで嬉しい気持ちもある。
「おいで」
「きゅー!」
呼び掛けると、アルトノヴァは再び神獣形態に変わる。
神獣形態に変わるまでの時間はコンマ一秒、文字通り瞬く間の時間だ。
これなら戦闘でも使えるかも、と思ったジークは、犬のしつけのようにアルトノヴァと意思を交わす。
ーーアルトノヴァが神獣形態で何が出来るのか。
ーー自分とアルトノヴァの組み合わせは?
ーー死徒と戦った時に有効と思える戦闘法はあるだろうか?
「リリアに見せたら驚くだろうな」
知らず、ジークは口元を緩める。
リリアはどんな反応をするだろう。
喜んでくれるだろうか。それともルージュのように妬いてくれるかな。
「へへ……」
冥界に入る前からのしかかっていた仄暗い不安が、嘘のように消えていた。
心は軽く、ただ目標に向かって突き進む意思がジークを突き動かす。
世界を塗り替える意思を《魂魄闘法》として現出させ、力を操る。
「アルトノヴァじゃ長いよね。なんか名前いる?」
「きゅ?」
「うーん。略してノヴァにする?」
「ギュウ」
「ダメか。じゃあアルは?」
「きゅー!」
こっちはお気に召したらしい。
ジークはほっとして、神獣形態となったアルに頬を寄せる。
「アル。君の毛並みはもふもふだねぇ」
「きゅう」
ピコピコとアルの翼が嬉しそうに揺れる。
全身が包まれるような肌の感触を感じていると、アルの翼が嬉しそうに揺れる。
その姿を見ていたジークは「ぁ、そうだ!」と顔を上げた。
「ねぇアル。君、もっと大きくなれない? 君に乗って死徒から逃げちゃえば……」
「きゅう」
「ダメか……そっか。そうだよね」
戦いを避けられるなら避けたかったが、そう上手くいかないらしい。
いい思いつきだと思ったんだけどな、とジークはひとりごちる。
「まぁ無理なものは仕方ない。地味に頑張ろっか」
「きゅ!」
ジークは膝の上に神獣形態のアルを置きながら例の石を手に取る。
アルから伝わる陽力が手のひらに集中し、空気が陽炎のように歪んだ。
(石を割る、石を割る、石を割る……)
どうにか意思を世界に伝えようと、ジークは眉間にしわを寄せた。
その時だ。
『こら。もっと肩の力抜きなさい』
「ほえ、アンナ?」
アンナが透き通った手を肩に乗せてきた。
実体がないため触れられないものの、そこに本物の手があるように感じる。
『あんた、力入れすぎなのよ。いい? 《魂魄闘法》がどうとか、死徒がどうとか、どうでもいいの。あの神が言ったことを思い出しなさい。人は、意思の力で世界を塗り替える。でもそれは本来当たり前で、誰にでもできる事なのよ。神々が世界を創るんじゃない。意思が世界を創るの』
「……えっと、」
「あんたは全知全能の存在。多少魔力が込められた石なんて割れて当然。そう思いなさい」
「……うん」
ジークは目を閉じる。
ーー想像する。
石が割れている光景を。
ーー創造する。
石が割れている世界を。
陽力という意思が世界を塗り替え、石の魔力をねじ伏せる。
内側に入り込んだ陽力がジークの意思を体現し、ぱっくりと亀裂を走らせ──。
……パキッ!
「……ん」
鋭い音が響き、ジークは目を開けた。
あれだけ斬りつけてもびくともしなかったのに、石は真っ二つに割れている。
その裂け目に自分の力の残滓を見つけ、ジークはガッツポーズ。
「やった、やったよアンナ! 君、凄いね!」
『フン。当然よ、私、あんたより先輩なんだから』
アンナが透明な髪をさらりとかきあげて言った。
ジークは全面的に同意する。
「うん、うん。ほんとにすごい。もっと色々教えてよ、先輩!」
『せ……! しょ、しょうがないわね。ちょっとだけなんだからね?』
「うん!」
アンナは本当にたくさんの事を知っていた。
茶化すように話しかけてきたナシャフによれば、アンナは至上最年少で上級葬送官になった天才だったらしい。あのオリヴィアの弟子という事で、陽力の扱いには人一倍練り上げ、精密な陽力コントロールでは特級葬送官をも唸らせたとか。
そんなアンナから教えてもらえる陽力操作は次元が違った。
これまでジークは陽力量に合わせて雑に陽力を扱っており、どの技にどれくらい陽力配分するか、自分の陽力総量はいくらか、などと、そういう細かいところまで目が届いていなかった。矯正は難航したが、教わっているうちにどんどん陽力操作が出来るようになって嬉しかった。
とはいっても、
『ほら、また雑になってる! もっと意識して、針の穴に糸を通すより深く!』
「わ、分かった」
『あんたは陽力を波として捉えすぎてる。ありていに言えば雑なの。ほら、集中!』
「はひ」
アンナの訓練はテレサ以上にスパルタだった。
睡眠や休憩も細かく管理され、トイレの時間まで決まっていた。
さすがに水浴びの時に覗こうとするのは恥ずかしいからやめてほしかったジークである。
ルージュの方は大丈夫なの、と聞けば、あちらは他人任せに出来るようになったから問題ないとのことだった。
『あんたの妹ってやつ、陽力操作だけは筋がいいわ。操作だけね』
「じゃあ、これが終わったらもっと強くなってるかもだね」
アンナは一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに表情を切り替えた。
『……そうね。妹に負けてんじゃないわよ、ダメ兄貴』
「う、努力します……」
陽力操作だけではなく、《魂魄闘法》の訓練も忘れない。
今まで無意識的に行っていた、陽力の部分集中。
手足や目、肘、指先、足先といった部分に集中することで身体能力を大幅に引き上げる。
そういったことを教わり、ジークはいかに自分が陽力操作を雑に行っていたかを反省した。
葬送官になって二か月も経っていないから仕方ないよね、とジークは独り言ちる。
(とはいえ、悪魔や死徒が言い訳を許してくれるわけじゃないし、頑張らないと)
アルトノヴァとの訓練も忘れない。
神獣形態となったアルトノヴァと加護の組み合わせは予想以上にうまく組み合わさり、双剣の片割れを神獣形態に変えて戦う事も出来た。いつも誰かと一緒に戦っているとはいえ、アルトノヴァはジークの意思を瞬時に読み取り、動いてくれる。これならいけそうかも、とジークは思う。
ーーただ、同時に焦りもあった。
《天威の加護》の第二の力は目覚めるそぶりすらなかったのだ。
本来であればこの力を目覚めさせるのが目的である。
陽力操作も実力の底上げにはなっているが、これで死徒に勝てるとは確信が持てなかった。
「どう思います?」
「んー」
どうにも不安だったジークはナシャフに問いかける。
ジークの修業を見守る遊戯の神は顎に手を当てて唸った。
「正直なところ、俺も詳しい事は知らないんだよね」
「……そうなんですか」
「例えば加護を強化するための試練ってさ。神ごとに違っているんだよ。例えば俺の場合は何でもいいから勝負に一万回勝つとかーーそういう条件付きのものが大半だけど、ゼレオティール様はどうだろうね……君の方こそ、何も聞いていないのかい?」
「……はい。何も」
ゼレオティールは何も教えてくれない。
いや、彼だけではない、ジークを取り巻く神々の大半がそうだ。
彼らは手取り足取り、ジークを導くことは絶対にしない。要所要所で魔剣をくれたり修業をつけたりしてくれる事はあるが、その大半は彼らの興味あってこそだ。ジークの人生に影響を与えるような、重要な選択に彼らは干渉しない。ジークとしては、それがありがたくもあり、少し寂しくもあるのだが……。
(ねだるな。勝ち取れ。そうだよね、アステシア様……父さん)
ジークは心の中で叡智の女神と亡き父を思い、目を瞑る。
次に目を開けたとき、もはや焦りは消えていた。
「僕、もうちょっと頑張ってみます」
ナシャフは目を見開き、
「……そうかい。君は強いね」
「……? 弱いから修業をしてるんですよ?」
「ふふ。君がそう思うならそうなんだろうさ」
「ナシャフ様は、なんだか胡散臭いですね」
「失礼だな君は!?」
神々に頼ってばかりでは居られない。
自分の道は自分で見つける。それが僕の物語になるから。
ジークはそう決意して、限界まで頑張ることにした。
ーーその日の夜。
「ん、ぁ……こしょばいよ、アル……リリア、おかわり……んん…………ん?」
《魂の泉》のほとりで寝転がっていたジークは不意に目が覚めた。
ざわざわと背筋が粟立つ感覚、幾度も感じてきた悪魔襲撃の予兆。
「ん……と」
途端にi意識が覚醒し、ぱちりと目を開けて跳ね起きる。
かけられていた毛布を退けると、腹の上のアルトノヴァが抗議の声を上げた。
「あ、ごめん。アル、ちょっと剣になって」
「きゅ……?」
アルトノヴァがジークの意思に従い、神獣形態を解く。
ジークは双剣を腰に差しながら、隣で寝息を立てるルージュに毛布を掛けた。
「ん……お兄ちゃん、ちゅー、ちゅーして……」
「どんな夢見てるのさ……もう」
妹の寝言にジークは苦笑を漏らす。
ルージュの胸は上下していて、安らかな寝息を立てている。
ふと顔を上げれば、周りは静かで彼女の寝息以外は何も聞こえなかった。
「アンナは……」
姿は見えない。
《魂の泉》にさまよう魂たちの主人核である彼女は、ジークたちが寝ている間《魂の泉》に還っている。
どうやらあの姿で顕現している間は魔力を消耗しており、少しでも補充しておきたいとのことだった。
(ナシャフ様も居ない……まぁあの人はどうでもいいか)
少し目を離せば消えているような神だ。
気にするだけ損だろうとジークは思う。
視界の端に揺らめく何かを捉えたのはその時だった。
「え?」
ジークは振り向き、愕然と目を見開いた。
幻を疑い、目をこする。それでも『彼』はそこにいた。
「ぁ……」
それは獅子のような男だった。
ぶわりと漆黒の長髪が風に揺れ、外套を優しく撫でる。
月のような黄金の瞳がジークを捉えていた。
「……とう、さん……?」
死んだはずの父が、そこにいた。