第七話 大神の加護
朝食は兎肉のステーキとサラダ、そしてスープといった具合だった。
ジークは兎肉の解体しかできなかったが、彼女は充分だと笑った。
テーブルに並んだ食事を見て、ぐぅと腹の虫が鳴る。
「ほら。席に着きな。食べるよ」
「あ、はい」
ジークは慌てて席に座り、
「『哀れな魂に光あれ』ターリル。じゃあ、その、いただまーー」
「お待ち。略式の祈祷なんて野暮な真似してんじゃないよ。こういう時はちゃんと祈りを捧げるのさ」
「……分かりました」
テレサとジークは胸の前で両手を組んだ。
『主よ。我が身に加護を授けし女神よ。この祈りを主へ捧げん。大地に神々の祝福が満ちんことを。世界を創りたもうゼレオティールと天界の神々に感謝を捧げ、この食事をいただきます。ターリル』
朝の祈りを終えると、テレサは言った。
「じゃあ、食べながら聞かせてもらおうかね。あんたの話を」
「……はい」
ジークは両親以外のことをひたすら話した。
人里で迫害を受けたこと、アーロンのこと、奴隷扱いを受けたこと、
両親のことを話さなかったのは、何かを言われることで思い出が穢れるのがいやだったからだ。
テレサはいい人だと思えるが、両親のことについて何も言ってほしくはなかった。
全てを話すころには太陽も中天を過ぎていた。
「ーーそうか」
テレサは頷いた。
そして口を開く。
「それで、あんたはどうしたいんだい?」
哀れみもせず、慰めもせず、ただ問うテレサ。
その気遣いを有難く感じながら、ジークは俯く。
「……普通に、生きたいです」
「……」
「テレサさんが言ってくれたみたいに……僕は、心は人間です。みんなと変わらない……から、だから、普通の人間みたいに……誰かに追われる事もなく……普通に暮らしたい」
「普通、ね。難しいこと言うねぇ」
「……女神さまにも、そう言われました」
ジークは苦笑をこぼす。
難しいことは分かっている。分かっているけれど、ジークの願いはそれなのだ。
両親が生きていたころみたいに、人並みの幸せが欲しかった。
「なるほどね……じゃあ、手段は一つしかないね」
テレサは頷いて、
「ジーク。あんた、葬送官になりな」
「は? そ、葬送官ですか?」
「そう言ってるだろ」
言われた言葉を徐々に理解し、ジークは慌てて首を横に振る。
「むむむむむむ、無理ですよ僕が葬送官なんて! いきなり何を言ってるんですか!?」
「無理でもなんでもやるのさ。それしかあんたが人類に追われない方法はないよ」
酒の入ったグラスをあおり、テレサは口元をぬぐう。
「葬送官になれば神のお墨付きがついたということになる。あんたを追うやつは居なくなる」
「でも……」
「このままずっと逃げ続けるつもりかい?」
ジークは押し黙った。
脳裏にアステシアに告げられた言葉が蘇る。
『ーーあなたの居場所はどこにもない。英雄になるしか、道はないわ』
英雄。そんなの無理だ、とジークは思う。
英雄とは助けを求める全てに手を伸ばす、人類の憧れを一身に集める存在だ。
半魔である自分が人間に受け入れられるなんてあり得ないし、そんな強さもジークにはない。
「……葬送官、ですか」
ジークはひとりごちる。
葬送官。
終末戦争後に結成された国際機関、異端討滅機構の尖兵。
神の加護を受けた悪魔と戦う存在であり、人類の希望となる兵士。
ジークを追い立てた多くの者達と、同じ。
「やっぱり無理ですよ。周りが認めるとは思えません」
「大丈夫さ。アタシが居るからね」
「……テレサさんは、葬送官なんでしたっけ」
「元ね」
朝食の時に、お互いの事情は軽く打ち明けてある。
テレサは元葬送官だったが、怪我と老齢を機に引退した葬送官だ。
目覚めたときに彼女が聖杖機を持っていたのもそのためである。
「それに、あたしは無駄飯ぐらいを家に置くつもりはないからね」
「う」
「別にいつ出て行ってもいいが、残るつもりなら家賃くらい払いな」
「ヤチン……?」
「お金だよ。安全な場所を提供する対価のことさ」
「あぁ」
ジークは納得すると同時に頭を悩ませた。
テレサの言うことはもっともだが、ジークに家賃を払えるような元手はない。
ここに居たければ働け、とテレサは言っているのだ。
「そ、それなら僕、他に何でもしますよ。ゴミ拾いでも、掃除でも……」
「葬送官以外に、あんたを受け入れるような仕事があるわけないだろ」
「うぅ……」
「うだうだ言ってないで、早速行くよ」
「えぇ!?」
「ほら、シャキッとしな!」
テレサに背中を叩かれ、半ば追い立てられるように家を出た。
遠くに見えるのはサンテレーゼ王国王都だ。
見たところかなり遠い。十キロくらい離れているのではないだろうか。
(葬送官なんて……僕がなれるわけないじゃん……)
尻込みしていると、テレサがジークの肩に手を置いた。
「ほら、行くよ」
「え、は、い!?」
歩き出そうとしたジークはぐい、と引っ張られた。
その瞬間、世界がひっくり返る。
「!?」
白、黒、赤、黄、白、赤、
点滅する視界。
頭がぐるぐる回る。
何もかもがめちゃくちゃに、いっしょくたになって、
二つに分かれていく。
そしてーー
「わッ!?」
どん、とジークは地面に着地した。
「いだだ……」
衝撃を受けた尻をさすりながら立つと、周りの光景が見えてくる。
「え?」
がやがや、ひそひそ、がやがや、ひそひそひそ……。
広いロビーだ。周りにはたくさんの人間がいた。
騒がしかった空間が徐々に静かになるように、喧騒の波が引いていく。
嫌悪、侮蔑、怒り、そういった視線が突き刺さる。
ジークは思わずテレサの裾を掴んだ。
「あ、あの、ここって……」
「想像通りだよ」
にやり、とテレサは笑った。
「ようこそ。異端討滅機構サンテレーゼ支部へ」
「え、え、今、さっき僕、街の外に」
「飛んだのさ。それがアタシが授かった加護、ドゥリンナ様の力さね」
「空の神様の……?」
「ーー葬送官支部に直接転移してくるのはやめてくれと、何度も言っているでしょう、テレサ様」
ロビーの奥、受付カウンターの向こうから修道服を着た女性が歩いてくる。
彼女はテレサを見て嘆息し、
「あなたがそんなだと、新人たちに示しがつきません。葬送官支部で加護の使用は禁じられているのですから」
「あぁ、悪い悪い。次から気を付けるよ」
「それ、前回も言ってましたよね?」
女性はじろりとテレサを見る。
だが、それ以上言っても聞かないと判断したのか、彼女は肩を竦めた。
「まぁいいです。それで……」
女性の目がジークを射抜いた。
鋭い瞳に射抜かれ、ジークは身をこわばらせる。
「その子は? 見たところ……」
「あぁ。噂の半魔って奴さ。アイロンとか何とかが連れてたやつ」
「……やはり」
女性は顔を顰めた。
「彼らからは死亡報告を受けていましたが。死んでいなかったのですね」
「そういうこった。んで、アタシが拾ったからアタシが世話をする。何か文句でも?」
「あなたに文句なんて、とても。恐ろしくて出来ませんよ」
女性は真顔でそう言った。
ため息を吐き、
「実はアーロン様が連れていた頃から、議会の方から引き渡し命令が出ていたのですが……まぁ、彼らもあなたに文句を言う度胸はないでしょう。半魔は例外ですが、魔獣を調教して連れている葬送官も珍しくはありませんし」
「ま、魔獣……」
人間扱いされていないことに、ジークは頬をひきつらせる。
魔獣は終末戦争以後に発生した動物の新たな形態だ。
天界のエーテルに汚染された大地の作物を食べることによって、一部の動物たちは適合進化した。そういった獣たちは加護にも似た超常の力を発現し、人を襲う場合はかなり強敵となる。
「調教登録しますので、この書類にサインを頂いていいですか」
女性が受付の向こうから受け取った紙を差し出す。
だが、テレサは首を横に振った。
「いや、登録はしない」
「……? では、引き渡すので?」
「いいや、この子を葬送官にする」
「………………は?」
受付嬢は目を瞬かせた。
周りは静まり返っている。みなが耳を疑っているようだ。
「……葬送官? 正気ですか?」
「アタシは正気だよ。おい、今「ついにボケたかババア」って言った奴、出てきな。ボコボコにしてやる」
「……ッ」
受付嬢は頬をひきつらせた。
とはいえこればかりは流石に聞き流せないのか、ぐっと歯を噛みしめて食い下がる。
「お、恐れながら……いかに哀れな存在とはいえ、半魔は悪魔の一種です。人類の守護者である葬送官になれるとは思えません。それに、悪魔と戦うには神の加護が必要でしょう? 私の記憶が正しければ、その子は神の加護を授かれなかったはずです。いかにテレサ様でも……」
「加護ならあるさ。なぁジーク?」
「え、あ、はい」
呆然と事態を見守っていたジークはこくこくと頷く。
女性は忌々しそうに顔をゆがめ、
「なるほど。それはすごい。聞かせてください。一体どんな変わり者の神なので?」
「え、えっと、アステシア様の加護、ですけど……」
「「「「「「「「「は?」」」」」」」」」」
水を打ったようにあたりが静まり返った。
女性は先ほどよりもさらに驚きを深め、
「アステシア様と言いましたか? あの?」
「はい。叡智の女神アステシアさまです。知ってるんですか」
「知ってるも何も……六柱の大神じゃないですか!?」
喧騒が爆発する。
女性の悲鳴を皮切りに、周りにいた葬送官たちが次々と囁きを交わした。
(聞いたかおい。半魔がアステシア様の加護を持ってるって)
(さすがに嘘だろ。あの方の加護を得るのは冥界に潜るよりキツイって言われてるぜ?)
(伝説の加護だもんな……あの餓鬼が、マジでか?)
そんな周りの様子を見て、ジークは首を傾げた。
六柱の大神であることも初耳だが、実際に対面したジークとしてはそんな風には思えない。あの神殿を見れば、むしろ歴史の彼方に忘れかけられている弱小神と言われたほうが納得するくらいだ。
「あのぅ、テレサさん。アステシアさまってそんなに凄いんですか……?」
「すごいっていうか……変わり者なんだよ」
テレサは肩を竦めた。
「大神の加護を得るのはそんなに難しいことじゃない。力の強さにもよるけどねえ。試練を超えて与えられたり、儀式で得ることもできる。試練を超えて強化したりね。でも、アステシア様だけは別だ。あの方はどんな儀式をしても反応はないし、加護を得る方法も何も分かってないんだよ」
「そうなんですか……」
「異端討滅機構の歴史上、叡智の女神から寵愛を受けたのはお前で三人目さ」
テレサがそう言って、ジークは胸に刻まれた加護の印を見せた。
女性は引きつった笑みを浮かべながら、
「た、確かに神の加護を得ているのであれば、葬送官の資格は充分にありますが。いや、しかし半魔では……」
「なんだい。まだ文句あるってのかい」
「い、いえ……! 決してそういうわけでは。これはさすがに、一介の受付嬢の領分を超えていると言いますか」
「だったらさっさとオルメランの奴を呼んできな。ほら、さっさと行く!」
「は、はいーー支部長、支部長、助けてください、テレサ様が……!」
受付嬢は脱兎のごとく受付の奥に入り、魔導通信具を作動。
浮かび上がった透明な板の向こうに呼び掛けると、
『はぁ? あの鬼クソババアが来た? オレは居ないって言っとけ! 今重要な用事が……』
「聞こえてるよ。オルメラン。久しぶりだねぇ」
『ひッ!?』
テレサが受付の向こうに語り掛けた。
「あの鼻たれ小僧が偉くなったもんじゃないか。えぇ?」
『て、テレサ様ではないですかぁぁああ! これはこれはようこそおいでくださいました! 可憐にして美麗にして偉大なるお方! おいメイシー。あの方が来ているならさっさと言わないか。失礼だろう!? す、すぐに参りますのでお待ちくださいでは!』
ブツ、と声が途切れる。
慌てて階段を下りる音が響いたのは次の瞬間だ。
「ゆ、異端討滅機構サンテレーゼ支部長。オルメラン・ガードナー。ただいま参りました!」
「おう。ご苦労だね」
そして現れたのはがっちりとした体格の男だ。
鍛え上げた肉体に似合わない儀礼服を着た男は、へりくだった笑みを浮かべる。
「へ、へへ。テレサ様のお言葉なら何でも……! 何か御用でしょうか?」
「この子を葬送官にしたい。頼まれてくれるね?」
「はい?」
オルメランの瞳がジークを射抜く。
一瞬で引き締められた彼の表情に、ジークはごくりと息を呑む。
「……テレサ様、正気ですか?」
「正気と書いて大マジだ。神の加護も持ってるしね」
「さっさと上層部に引き渡したほうが穏やかな老後を過ごせるかと思いますが」
「しつこい」
「…………分かりました。では、登録手続きはこちらでやっておきます。説明は任せても?」
「あぁ」
受付から書類を受け取るテレサ。
当の本人と言えば、ジークに関わりたくないとばかりに奥へ引っ込んでいった。
「さて、じゃあ始めるかね」
テレサがロビーの中にあった机一式を借り、ジークは椅子に座る。
遠巻きに見ている周りは意識の外に追い出し、居住まいをただした。
「よろしくお願いします」