第十六話 神の遊戯
ジークたちは怪我の応急処置と疲労の回復で三時間を費やした。
《魂の泉》に太陽はなく、天井に空いた月はずっとそのままだ。
「なんか、感覚がおかしくなりそうになるね。今は夜なのかな、昼かな?」
『さぁ、どうでしょうね』
泉のほとりで星空を眺めるジークたち。
仰向けに寝そべりながら、頭を後ろで組んだルージュが言った。
「分からないなら、好きなのを選べばいいよ。あたしは眠いからお昼だと思う」
「んー。じゃあ僕は夕方で」
「お兄ちゃんずるい。昼と夜だけしか言ってないじゃん」
「ふふん。好きなの選べって言われたからね」
「むぅ」
『何張り合ってるのよ。そういうとこはまだ子供ね、ジーク』
「うるさいな。アンナだって……」
抗議しようと開きかけた口を、閉じる。
透き通った身体をしたアンナを見て、ジークは複雑な胸中で問う、
「……ねぇ、アンナはどうして助けてくれたの? なんでここにいるの?」
『あの人に連れてこられたから』
アンナは透明な腕を持ち上げ、何やら準備をしているナシャフを指さした。
こちらの視線に気づいたのか、彼はひらひらと手を振っている。
(なんか存在自体が胡散臭いな、あの神……)
初対面の良く知らない相手にレッテルを張るのはジークを半魔だと蔑む人間と同じだ。これは良くないと分かっているのだが……まぁあの人は初対面じゃないし、実際に話しているからセーフってことで。そんな事を思ったジークは頭の中からナシャフを追い出した。
「連れてこられたって、どういう事?」
『あんたが《魂の泉》に来る時が必ず来る。だから、その時に手助けしてやってくれないかって頼まれたのよ。この、行き場のない魂たちをまとめる主人核としてね』
「しゅじん、かく……?」
『そう』
アンナはおのれの透明な胸に手を当てた。
『今のあたしは《魂の泉》を漂っていた魂の集合体。旧世界、冥界が役割を放棄した時から何百年も天界に行けず、ここに放置された魂たちの成れの果て。救い求める願いの体現者。かりそめの姿よ。役目が終わったら楽園に消えるわ』
「……」
『そんな顔しないでよ。望んでやってるのよ』
アンナは苦笑した。
『それに……あんたには恩も借りもあったからね。コレでチャラってことで』
「……うん」
おどけたような言葉が自分を気遣ってのものだと分かったから、ジークは口を噤む。アンナは死んだ。リリアと同じように生き返る事は絶対にない。
あの時、何もできなかった無力感は今でも覚えている。
けれど、きっと今ここでそれを言ったら彼女は『調子に乗るな』と怒るだろう。
だからジークは心の中で「ありがとう」と礼を言って、空気を切り替えた。
「あのさ、楽園ってどんなとこ?」
『秘密よ』
アンナは『ふふ』と口元を緩めて、
『あんたが知るのは百二十年早いわ』
「百二十年って、さすがに僕も死んでるんじゃ?」
『そうよ、それぐらい早いの。まだまだ来ちゃだめよ』
「行くつもりもないけどさ……まぁ、アンナが辛くないなら、良いよ」
死んだ人間が冥界を通った後に行くと言われる場所ーー楽園。
神々さえも一部の者しか知らず、知っている神は頑なに口を閉ざす場所。
少なくとも、痛みや苦しみがないなら良いとジークは思う。
「ーーさて、話は終わりかな? そろそろ始めるよ」
ナシャフが声をかけてきた。
いつの間にか背後を取られていて、ジークは飛び退く。
「あの、いきなり後ろに立つのやめてくれませんか。びっくりします」
「はは。悪い悪い。癖みたいなもんでね」
(全然気配がしなかった……僕、割とそういう敏感なんだけど)
「それで、どんな修業をするんですか? お兄ちゃんとあたし、一緒の修業?」
「そんなわけないさ、悪魔くん。君の修業はアンナくんに付いてもらう」
「えぇ……」
不満が顔に出たルージュ。
アンナが『ふん』と鼻で笑った。
『あたしだって嫌なんだから我慢なさい、変な悪魔』
「別に嫌なんて言ってないんですけど? 何、透明なお姉さん、おっぱいだけじゃなくて器量も小さいの?」
『あんたにだけは言われたくないわよ!』
「あたしはまだ育ってないだけだもーん。年が経てば
『悪魔は年を取らないでしょうが。あんたはずっとこっち側よ!』
ルージュが「う」と涙目になって自分の胸を見た。
「きゅ、吸血鬼の力で姿を変えればおっきくなるもん!」
「ーーはいはい。君たちは仲良く向こうでやっておいで」
虚しい言い争いを始めた二人に呆れ顔を見せて、ナシャフが泉の方へ追いやる。
ジークは二人の背中を見ながら首を傾げていた。
(あの二人仲が悪いっていうか、実は似た者同士なんじゃ……?)
「さて、じゃあ君だね。覚悟はいいかい?」
「あ、はい」
「君にやってもらうのは、これだ」
ナシャフは先ほど用意していた場所にジークを手招きする。
そこへ行くと、大量の石礫が並んでいた。数百個以上ある。
「なんですか、これ?」
「俺が作った特殊な石だ。君にはこれを割ってもらう」
「……そんな事?」
「あ、今簡単だって思っただろ? ならやってごらん」
足元の石を手渡され、ジークはしげしげと石を眺める。
一見、何の変哲もない石に見える。
やはりこれくらいなら、剣を使わなくても割れる気がする。
「ーーフっ!」
空気が爆ぜ、雷が走る。
手の中の石が粉々に砕け散る、その感覚がなかった。
「あれ?」
石は焦げ跡一つ付いていない。
ジークは首を傾げ、今度は全力で雷を操る。
だが、
「あれあれ!?」
「ふふ。割れないだろ?」
全く手ごたえがない。なにコレ、本当にただの石コロ?
ナシャフのどや顔にムッとしたジークはアルトノヴァを構えた。
「トニトルス流双剣術迅雷の型五番『滅塵・雷牙』!」
ーー……バシィイイイイイイイイイイイイイイイ!!
雷の牙が石を噛み砕く。
《魂の泉》全体に響き渡るほどの光は、完璧に炸裂した。
それでも、石は傷一つ付かない。
「嘘……」
「ほら、これで分かったろ?」
ナシャフがやれやれと肩を竦める。
「今までのやり方じゃ、これは壊せない」
「……みたいですね。悔しいですけど」
恐らく今のジークでは百回やっても同じ結果だ。
ジークは奥歯を噛みしめ、素直に教えを乞う事にした。
「どうすればいいんですか?」
アシャフは目を見開く。
(へぇ……切り替えが早い。さすがだな)
口元を吊り上げ、
「この修業の目的は、君に足りないものを補う事だ」
「足りないものを、補う……? そんなの、いっぱいあると思うんですけど」
「あるね。経験、筋力、陽力、君のそれは優れたものではあるが、どれをとっても人の領域を出ない。でも、それじゃあ単独で死徒には……神々には勝てない」
「神々って、それはさすがに」
「今後も生きて行くなら神々を想定しておいたほうがいいぜ? エリージアに完敗したんだろ?」
「……」
ジークは目を見開き、ため息をついた。
もはやこの神が何を知っていても驚くまい。
冥界へ入った時から監視していたと言われても、彼ならあり得ると思ってしまう。
「分かりました。それで、その中でも足りないものって?」
「うん。それはーー《魂の力》。本質を捉える力だ」
「本質を、捉える……」
「例えば、一番顕著なのがその魔剣」
アルトノヴァを指して、ナシャフは続ける。
「君はそれをただの武器として扱っているようだけど、それはただの武器じゃあない。剣術は見事なもんだし、その威力の大きさに目が眩まされたんだろうけど、その魔剣の力は、そんなものじゃない。あのイリミアスが神生で一、二を争う出来だと豪語したんだ。君はその魔剣の、本当の力を引き出せてはいない」
「…………」
ジークはイリミアスの言葉を思い出す。
(アルトノヴァはあんたの意思に応える生きた剣。あんたと共に成長し、あんたの望むカタチに姿を変える)
「生きた剣……あれって、言葉通りの意味だったんですか?」
「君は、魔剣の意志を感じ取ろうとした事はあるかい? あるいは、相手の魂をとらえようとしたことは?」
「…………ない、ですね」
名前を呼んで、剣が応えたみたいに震えたことはあった。
けれど、魔剣それ自体に自分と同じような意志があるとは思わなかった。
ーーイリミアス様の言葉を無視していたわけじゃないけど……。
「そこで、これだ」
ナシャフは石を拾って掲げる。
「この中には《魂の泉》にいた魂が込められている。これを砕くには魂を捉え、魂と意思を交わし、石の弱点を見極めなければならない。これを繰り返していけば、本質を捉える力……魂の力が強くなっていく。斬る、砕く、という意思を積み重ね……やがて君の意志が、世界を変えるんだ」
「意志……」
「そう、君たちの言う陽力と加護……そして魂の力が、君を強くする」
「思い込みってことですか?」
「似てるかもね。世界は、数多の意志が連なって出来ている。心が世界を映し、変革していくんだ。集合無意識の海を漂う小さな染みが、ゆっくりと波紋を広げて世界を自分色に染めていくように、君の『斬る』という意志そのものが、意志の連なりに波紋を落とす。君の権能武装『超越者の魔眼』はその極致、反則技とも言える。何せ可能性の海から自分の選びたい未来を選べるんだからね」
ジークは顔をしかめた。
「……難しい話です。頭がこんがらがってきました」
「そうかい? でも、これは誰もが本来持ちうる力なんだよ」
ナシャフは笑った。
「見方によって世界は変わる。思いによって世界は染められていく。君に教えるのはこれを強化した戦い方だ。
葬送官の中でも一部の者しか使えない。人はこれを《魂魄闘法》と呼ぶ」
「グラン・アニマ……」
「魂の力が強ければ強いほど、結果を押し返す事も出来る。本来斬れたはずのものが斬れなかったり、ね。君が戦った死徒──第六死徒キアーデ・ベルクは、この魂の力に特化している。権能と魂魄闘法を合わせられたら、並大抵の業では太刀打ちできないよ」
「じゃあ、これを極めれば勝てるかもですね」
絶対に勝てる、とは断言できない。
でも、リリアを助ける為なら勝ってみせるとジークは決意する。
手渡された石を握り、じぃっと石を見つめた。
「魂の力を強くして……僕の魂に眠っている、第二の加護を目覚めさせるんですね」
「そう、察しがいいじゃないか」
加護は魂に紐づく。一度加護を与えれば神が加護をとりあえず事は出来ない。
そのことを知っていたから、ジークは自然と答えに辿り着いていた。
ただ……。
「どうしたんだい?」
少し黙っていたジークは、首を横に振る。
「……いえ、なんでもありません。早く始めましょう」
「分かった。まずは陽力を石に込めてごらん。それから、陽力の触れた箇所をじっくり知覚するんだ。手が石に触れてその輪郭をなぞるようにね」
「……分かりました」
ジークはおのれの内に眠る陽力をゆっくりと石の中に注いでいく。
目を閉じ、深呼吸した。
(ふぅ……)
血液が心臓から手の先へ巡っていくように、
自分の心臓の鼓動を聞くように、
ーー感じる。
石の感触、見えないナニカ。
ーー聞こえる。
助けて、ここから出して。
ーー心の手を伸ばす。
触れる。暖かい。伝わる感情。
「…………っ」
(見つけた。なんか、弱い所)
一気に力を入れる。
弱いとところを突くように陽力を集中する。
(砕けろ!)
ぐぉん! と世界に波紋を打つ。
竜巻のように巻き起こった陽力の渦が石を中心に渦を巻いたーー!
「ーーぷはぁ……!」
ジークは集中の海から浮かび上がった。
呼吸を忘れていた肺が空気を求めて収縮する。
すー、はー、息を落ち着かせたジークは目を開けた。
「う、ぐ……!」
石は割れていなかった。
いや、皹が入っているように見えなくも……いや入ってないなコレ。
「はぁ~~~~~~~~ダメか~~~~!」
ジークは石を捨て、大の字に転がった。
最初からうまくいくとは思わなかったが、少しだけ手応えを感じていたのだ。
贅沢を言うなら、傷の一つでもついていてほしかったところである。
(しかもコレ、めっちゃ疲れる……)
ジークは痙攣している手のひらを眺めた。
(そういえば、陽力操作の訓練なんてした事なかったな)
テレサに拾われて葬送官になってから、まだ二か月も経っておらず、そんな暇がなかったのが実情だ。陽力を増やす訓練なら修業初期にやっていたが……。
「《魂魄闘法》でしたっけ……やっぱり難しいですね」
ジークは息を吐いた。
リリアを助ける為にも時間は無駄にしていられない。
一度駄目ならもう一度、その次にまた試せばいい。
「よし。やろう」
ジークは起き上がり、もう一度石を拾って集中し始める。
そんな彼の様子を見ながら、ナシャフは彼が捨てた石を拾いつつ、
「最初からうまく行ったら苦労はしないだろうさ。何事も継続だよ」
既に声は聞こえていなかった。
凄まじい集中力だ。さすがはアステシアの子だな、とナシャフは感心する。
そうして拾い上げた石を見て──絶句した。
ジークが捨てた石。
その裏には、わずかに亀裂が走っていたのだ。
背筋に悪寒が走った。
(嘘だろ……俺の魔力を込めたんだぜ……!?)
六柱の大神でこそないが、遊戯の神ナシャフは天界でもトップクラスの実力者だ。
そうでなければ終末戦争の時に冥界の神々に勧誘されたりしていない。
修業のためとはいえ、自分の魔力を込めたものが誰かに砕かれるなどプライドが許さない。
だからこそほぼ全力で魔力を込めた。
それなのに──。
(魂魄闘法……この子の世界を塗り替える意思は、それほど強いものなのか!?)
これが、これこそが。
一なる神ゼレオティールに選ばれ、
叡智の女神アステシアが寵愛を与え、武神ラディンギルが弟子にとり、
頑なに神々の剣を作ろうとしない鍛冶神イリミアスが魔剣を与えた半魔。
神霊とはいえ、ヴェヌリスが負けるわけだ。
この子の潜在能力は、人界の常識を超えている。
(なるほどねぇ……みんなが執着するわけだ。この子に懸けたくなる気持ちも分かる)
エリーゼには負けてしまったようだが、問題ない。
今の時点で神々に勝てる方がおかしいのだ、ゆっくり育てていけばいい。
(ふふ。この子が《魂魄闘法》を使いこなしたら、一体どうなるか……)
なーんて、と。
ナシャフの唇の端が裂けるように吊り上がった。
(まぁ《魂魄闘法》なんて、存在しないんだけどね……♪)
ここに叡智の女神が居れば張り倒されているであろう言葉。
信じて修業するジークを面白そうに眺めながらナシャフは思う。
(今やっているのはただの陽力コントロールだ。まぁ中に入っている魂云々は本当だけど、それ以外は真っ赤なウソ。意思の力? 自分で言っておきながら笑わせるぜ。そんな都合のいい力があったら誰も苦労なんてしないよ。加護が要らなくなるじゃんか)
ジークが第六死徒に負けた理由は単純。
陽力とコントロールの差と、大罪異能の組み合わせだ。
月の女神との戦いで消耗したジークが、魔剣アルトノヴァの力を引き出せなかったこともある。
(俺はただ、場を整えただけ。あまりにも天秤が偏りすぎていたからなぁ。せめて一週間くらい猶予をあげなきゃ。それで死徒に勝てるかどうかは、ジーク。君次第だ。というか、勝ってくれないと困るぜ? まだゲームは始まったばかりなんだからさ)
ジークを投入したゲームは、まだ始まったばかり。
今ここで倒れられては困ると言うもの。
(あぁメルヴィオ。君が予言した運命の子は、こんなにも輝いているよ!)
遊戯の神ナシャフはゲームを好む。
遊戯こそ彼の神核が告げる信念だ。
ーー勝っても負けてもいい。
ーー泣いても笑ってもいい。
一方的であってはならない。
遊戯は互いに全力を出してこそ楽しめる。
愉しむために、この神生の全てを捧げよう。
裏切り者とそしられようと、嘘八百を並べようと。
楽園から魂を連れてくる禁忌を犯そうとも。
「俺は俺の為に全力を尽くす。楽しませてくれよ、ジーク・トニトルス」
ナシャフの呟きは、誰にも聞こえない。
今は、まだ。




