第十四話 望まぬ再会
「な、なんで……」
「なんで? それは『どれ』に対して言ってんだ?」
アーロンは大仰に手を上げた。
ジークが知っている時のように、芝居がかった様子で。
「なんでここに居るのか? なんでお前の所に現れたのか? なんで悪魔になっているのか?」
「……」
ニヤニヤ笑っていたアーロンが、表情を消す。
粘りつくような悪意がジークの心臓を貫いた。
「お前のせいだ」
「……っ」
「お前が俺たちを壊したんだ。お前が俺をこうしたんだお前が葬送官になるからお前が力を隠してるからお前が生きてるからお前が死ななかったから奴隷のくせに玩具のくせにお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がぁッ!!」
「ひッ」
悪鬼のごとき形相に、思わずジークは怯んだ。
一体、何があったのだろう。
自信家で傲慢で人を顎で使うようなアーロンが悪魔となって醜い感情をさらけ出している。
(……ううん。違う。この人は、元々こうだった)
仲間に対しても自分優先、恋人相手でも自分優先。
世界のなにもかもは自分を中心に回っていると、信じてやまない奴だった。
そんな彼にジークは捕まり、奴隷のように扱われていた。
二年間。鎖につながれ、家畜のように飼われていた。
ジークの脳裏に忌まわしい記憶が蘇る。
口の中にしょっぱい味が広がり、古傷がずきずきと痛み始めーー。
ぐッ、と奥歯を噛みしめ、
「何が、僕のせいだ」
ジークは一歩、足を踏み出す。
そこは辛いことから逃げ出した過去の暗闇じゃない。光の道だ。
テレサに出会い、リリアと育んだ思い出が心を奮い立たせる。
毅然と前を向き、怒りに双眸を燃やすジークにアーロンは眉を顰めた。
「…………なんだと?」
「何があったか知らないけど……死んだのも、悪魔になったのも、お前のせいだ!」
そう、ジークは教わったのだ。
テレサから、リリアから、オリヴィアから、アンナから。
そしてルージュから、オズワンからも。
自分は確かに半魔で、許されない存在かもしれないけど。
気持ち悪くて、忌々しくて、嫌われるような存在かもしれないけど。
ーーそれでも、卑屈になる必要はないのだと。
ーー前を向き、胸を張って生きて行けばいいのだと。
「絶対に、僕のせいじゃない」
「ーー」
「お前が死んだのはお前の責任だ。自分の力のなさを、他人のせいにするなッ!」
アーロンは顔を歪めた。
「お前、お前……半魔の癖にぃいいいッ!」
「半魔だから何だよ」
ジークはぎゅっと拳を握る。
もう怖くない。怒鳴られたって怯むもんか。
「半魔でも、受け入れてくれた人がいた。生きてていいんだって、こんな僕のままでいいんだって、言ってくれた人がいたんだッ!」
だから僕は生きる。
生きて足掻いて突っ走って。
ありふれた小さな日常を。
優しくてかけがえのない普通の生活を、手に入れて見せる!
だから、
「そこを、退けーーッ!」
相手の目的も今更現れた理由も、知ったことじゃない。
ジークはただリリアに会いたいという純粋な想いを燃料に変え、加護を発動する。
紫電が迸った。
「トニトルス流双剣術……
「あれぇ~? そんなことしていいんすか~?」
アーロンの隣にいたフードの人物が口を開いた。
構わない、
耳を貸すな。
「らいこ
「リリアって女、どうなっても知らないっすよ~?」
「ーーーーッ!?」
激震が走った。
ジークは思わず剣を取り落としそうになり、慌てて力を入れる。
聞いた言葉が信じられない。今、あいつはなんて言った?
ニヤァ、とフードの女が笑った気がした。
「もう一度言うっすよ? お前の恋人がどうなってもいいんすか?」
「お前、お前らが、なんで、リリアを、知って」
「そりゃあ、アタシらがその女を預かってるからっしょ」
「ふざけーー」
「《魂の泉》に、その女の魂はいなかったっすよね?」
「…………ッ!」
嘘をつくなと、糾弾しようとしたジークの口が閉じた。
絶対に覆らない事実。彼女に会えなかった事実が女の声に耳を傾けさせた。
「………………お前らが、リリアを……?」
「証拠もあるっすよ~?」
そう言って、女はカメラを取り出した。
カチ、と音がして、立体映像が空中に浮かび上がった。
そこにはーー。
「リリア」
白雪を思わせる髪が泥に汚れ、全身が傷だらけの少女が居る。
両手足を縛られ、猿轡を噛まされたリリアが映っていた。
ぐったりと身体が傾き、瞳を閉じた彼女はびくん、びくんと痙攣する。
カッ、と頭が熱くなった。
「お前、リリアに何をしたッ!?」
「まだ何も? ちょーと動けないようにしてるっすけどね」
フードの女はおどけたように肩を竦める。
「分かったっすよね? あんたが大人しくしないと、こいつがどんな目に遭うか」
「…………ッ」
ジークは奥歯を噛みしめた。
一瞬のうちに様々な思考が泡のように浮かんで、消える。
あの師匠が負けた? リリアの身体があそこに。
《魂の泉》に居なかった。既に持ち去られていた?
僕に見せつけるためにここへ?
アーロンがにやにや笑ってる。こいつの顔は本物だ。
じゃあ、ほんとに…………
「とりあえず、こいつらは敵で確定だよね」
ーー……ぐぉんッ!
身体が浮くような衝撃があった。
アーロンともう一人の上から黒い重力結界が現れていた。
ハ、とジークは隣に佇むルージュを見る。
「ちょ、ルージュ!? あいつらは敵だけど、リリアが……!」
「馬鹿。敵の言うことは信じちゃダメだよ、お兄ちゃん。映像なんていくらでも捏造できるんだし」
ルージュは掲げた手を、ぎゅっと握りしめる。
「大体さ」
重力の結界が一層濃く、禍々しい光を帯びた。
衝撃に耐えきれない地面が放射状にひび割れ、破片が砂粒のように小さくなる。
「あいつらの話が嘘であろうとなかろうと、地上と次元が断絶している冥界から地上に指示を出すのは不可能だよ。ましてやここは《魂の泉》なんだから。それこそ神様が神霊を飛ばさない限り無理。で、今ここに神霊の気配はない。なら、アイツらを縛り上げて本当の事を吐かせたらいいんだよ。大丈夫。痛いのが気持ちよくなる方法は、あたしがいっぱい知ってるから」
「それは、そうかもしれないけど……」
いや、案外そうなのかもしれない。
リリアの事になると頭がカッとなるけれど。
落ち着いて考えれば、ルージュのいう事が正しいんじゃ?
そう、ルージュは正しい。
いつも自分より冷静だし、的確な判断が出来る、頼りになる妹だ。
だが、その理論は一つだけ穴がある。
それは。
自分たちが彼らより強いという前提が必要であること。
「……っ!?」
パリン、と音がした。
ルージュの張っていた重力結界が、音を立てて崩れたのだ。
後には、無傷のアーロンとフードの女が居た。
「な、嘘でしょ!? 殺さないギリギリの力を込めたのに!」
驚愕したルージュに対し、フードの女は怪訝そうに眉を顰めた。
「お前、悪魔っすよね? なんでそいつに味方するんすか? 『跪け』」
「誰があんたなんかに跪くか、べぇー!」
「……っ!」
ルージュは瞼を引っ張り、舌を出してフードの女を挑発する。
フードの女は一瞬の動揺を見せた。
その隙に、
「テメェはまどるっこしいんだよ、吸血女ッ!」
オズワンが飛び出した。
彼我の距離を殺し、泉のほとりへ豪速の蹴りを放つ。
「ふんじまって殴って聞かせりゃ、それで終いだろうがッ、クソがッ!」
ーー……轟ッ!
泉に波紋が広がっていく。
蹴りの衝撃波が放射状に広がり、骨が折れる音が響いた。
それだけだった。
「なッ」
「偉そうなこと言った割に、こんなもんか?」
アーロンは素手でオズワンの蹴りを受け止めていた。
凄まじい蹴りを受けて、彼は微動だにしていない。
「ほら、お返しだッ!」
「…………ッ!」
アーロンの蹴りがオズワンに直撃する。
みしみしと骨が砕ける嫌な音が響き、血を吐いたオズワンは吹き飛ばされた。
「ルージュ」
「うん。あたしがサポートする。全力で行って!」
ルージュがジークの肩に手を振れる。二人の狙いはフード女だ。
アーロンよりも不気味さが段違いな女を、真っ先に排除する。
そう狙いをつけ、ジークは剣を構えた。
左手を前に、弓を射るように、右手を肩のあたりまで引き絞る。
「トニトルス流双剣術打突の型」
紫電一閃。
ルージュの重力操作により、体重を消した雷速の突きがフード女の脳天を貫いた。
そう錯覚したジークは、しかし、すぐに驚愕する。
『なッ!?』
あろうことか、フード女に剣は届いていなかったのだ。
ギリ、ギリ、と。
まるで見えない壁に阻まれているかのように、剣先が震える。
(因果を断つはずのアルトノヴァが、貫けない……!?)
「あはッ、なんでって顔してるっすね? 誰が教えるか、バーカ」
「…………っ」
「おいおい、俺は無視か? 寂しいじゃねぇかよ、なぁジークッ!」
アーロンの拳がジークを襲う。
オズワンの強烈な蹴りを受け止めたアーロンに、ジークは油断しなかった。
(接近戦は、不利……!)
咄嗟に飛び退きつつ、アルトノヴァを六つに分け、雷撃を放つ。
「喰らえ、荷電粒子砲ーーーー!」
冥界の番犬を圧倒したジークの十八番。
音速を突破した必滅の一撃が、アーロンを真っ向から打ち破る。
「《昏き闇より現れし暗黒》《其の名は破壊》《立ちはだかる全てを》《撃ち滅ぼすものなり》」
さらに頭上、空高く飛び上がったルージュの手から、黒き光が放たれた。
「《顕現せよ》『虚無の光』!」
ゼレオティールの力と、ルージュの異能の合わせ技だ。
重力で動きを封じられた彼らに、雷に対抗する術はない。
ーーだが。
ニィ、とアーロンは嗤った。
「『簒奪者の特権』」
全て消えた。
雷も、黒き光も、何もかも。
ぎゅぃぃいいいん、と。まるで見えない穴に吸い込まれたように。
「な、え……?」
流石に、ジークは戸惑いを隠せない。
ーー間違いなく全力で撃った。
得体の知れない女もろとも、消し飛ばすつもりだった。
早くリリアに会いたくて、一刻も早く無事を確かめたかったから、
だからジークは迷わなかった、冥府の番犬を圧倒した一撃を放った。
それなのに。
「ひ、ひひひッ! ひひひひひひ! あぁ、いいぜ、その顔、その絶望! お前のその顔が、ずっっと見たかった!」
がつん、と。みぞおちに衝撃が走った。
「が、は……!」
全身を駆けまわる灼熱、一瞬で戦意を挫く純粋な暴力。
二年前に振るわれたそれを思い出し、ジークはぐっと奥歯を噛みしめた。
「ぁ、あぁああッ!」
吹き飛びそうになる身体をぐっと堪え、反撃に出る。
双剣の斬撃がアーロンの肌に裂傷を刻む。一太刀、二太刀と、とめどなく振るう双剣の業に陰りはない。どころか、戦闘の最中にますます研ぎ澄まされ、ジークの双剣は確実にアーロンを追い込むはずだった。コキュートスですら、その速さについては来れなかった。
「効かねぇなぁ?」
アーロンは嗤って凌いだ。
決して浅くはない傷は見る間に再生しており、現れた時と寸分違わぬいでたちで。
いや、違う。
姿かたちは変わっていない。
けれどその威圧感、内包する魔力は、むしろ膨れ上がっていてーー。
「お前の陽力、美味かったぜ」
「…………!」
喰われたのだ、そうジークが理解した時だった。
タイミングを計っていたルージュの、血の槍がアーロンたちに迫った。
「だから効かないっすよ。学習しない猿っすか?」
全て防がれた。
先ほどと同じように、血の槍は見えない壁に阻まれて届いていない。
「……っ」
完全な不意打ちだった。
せめて手傷くらいはと思っていたルージュは顔を歪めた。
(一歩も動かず、なんの動作も見せずに……! 何なの、あの異能……!)
彼らが悪魔であることは間違いない。
加護のような神聖さはなく、禍々しいオーラがにじみ出ているからだ。
ジークは迫りくるアーロンから飛び退き、ルージュの横に立つ。
最初に吹き飛ばされたオズワンも、血を吐きながら近づいてきた。
「無事?」
「あぁ、なんとかなァ……だが、アイツら」
「うん」
本当に、目の前にいるのはアーロンなのか。
同じ姿形をした偽物なのではないか、そんな疑問が鎌首をもたげる。
全身を苛む苦痛に耐えながら、ジークは問う。
「お前たち……何なんだ」
「あれ。まだ名乗ってなかったすか」
ばさり、と。
フードを取り払った女が顔を露わにした。
「ーーーー」
蛇のような獣人の悪魔だ。
薄緑色の肌、茶色の髪が伸びる、可愛らしい顔だ。
爬虫類じみた赤い瞳を鋭く尖らせ、腰から伸びる尻尾を叩きつける。
「第六死徒『怠惰』キアーデ・ベルク。覚える間もなく、殺してやるっすよ」




