第十二話 魂の泉
月の女神の強襲から一時間後。
一行は火山地帯を歩いていた。
「冥界ってのぁどうなってんだ。環境変わりすぎだろ」
「ほんとだね……」
オズワンの言葉に、ジークはしみじみと同意する。
林を抜けたら沼地であったり、沼地から氷原へ変わったり、急に谷になったり。
捉えどころのない環境の変化に頭がおかしくなりそうだった。
(こんなところにどうやって住んでるんだろ……悪魔は居ないみたいだけど……当然、人間もいないよね)
ジークは上機嫌に前を歩くヴェヌリスに問いかける。
「ねぇ、他の神様たちも冥界で暮らしてるんでしょ。どんな暮らししてるの」
「あぁ? 興味あんのかお前」
「何となく」
ヴェヌリスは「キヒッ」と嗤う。
「別に、地上と同じだぜ? それぞれ縄張りみたいなもんがあっからな。そこに城を立てて暮らしてる。眷属とか魔獣もそうだな。神の縄張りによって環境が変わるから、お前たち地上の人間には冥界の環境はキツイだろうなぁ」
「へぇ。お前もお城を持ってるんだ」
「あぁ、あるぜ。飛びっきりイカす奴がな。キヒャヒャッ!」
「悪魔もそこで暮らしてるの?」
ヴェヌリスの笑みが止まった。
「いや、アイツらはいねぇよ」
「そうなんだ」
「奴らがいるのは、暗黒大陸だ。お前も知ってんだろ」
「……うん」
暗黒大陸。
終末戦争時に冥王が現出した場所であり、真っ先に人類が駆逐された大陸。
そこでは『不死の都』と呼ばれている場所があり、悪魔たちはそこで暮らしているという。暗黒大陸以外で新たに意志ある悪魔となった者は、真っ先にそこに向かうのだとか。
「なんで急に聞いてきた」
「……別に。お前には関係ないし」
「あっそ。まぁ興味もねぇけどな」
「じゃあ聞かなくていいじゃん!」
「キヒャヒャヒャ!」
ヴェヌリスが何で笑っているのかジークには全く分からない。
じろりと彼の背中を睨みつけて、不毛だと思ってやめる。
「実際の所、なんで急にそんなこと聞いたの? お兄ちゃん」
ルージュが興味ありげに顔を覗き込んできた。
ジークは小声で返す。
「……もし僕が途中で死んじゃったら、ルージュだけはそこで暮らせないかと思って」
「……」
実際、ジークも今までそんなことは考えたことなかったのだがーー。
先ほどの、月の女神との戦闘は、死後の事を考えさせるほど強烈だった。
自分だけ死んで、もしもルージュが生き残れたら……彼女はどうなってしまうのだろう、と。
地上では悪魔や人類に追われたジークだ。
自分のような半魔や、悪魔の中でも異端のルージュに居場所があるとは思えない。だから、もし冥界に住めるなら……とそう思ったのだ。
(例え僕が死んだとしても、リリアや、ルージュだけは幸せに……)
「そんなのダメだよ」
と、ジークの心を読んだように、ルージュは強い口調で言った。
「あたしはお兄ちゃんと一心同体なんだから。お兄ちゃんが死ぬときは、あたしも死ぬ時だよ」
「でも」
「でもじゃない。それだけは、間違えないで」
いつになく断定的なルージュに、ジークは喉を詰まらせた。
すると、そばで聞いていたオズワンが鼻を鳴らし、
「んなこと考える暇あったら、死なねぇように鍛えたほうがマシだろ、クソが」
「……うん、まぁそうだね」
「言っとくけどな。今はお前に負けてッけどな。おれだってすぐ強くなってやッからな。あっという間にお前を追い抜いて、ぎゃふんって言わせてやっから覚悟しとけや、おぉ!?」
挑戦的に、威圧的に。
けれど未来を見て歩こうとするオズワンに、ジークは元気づけられた。
「ありがとう。オズワンさん」
「オズでいい」
「え?」
「オズで言いっつてんだろ。何度も言わせんなボケ! おれも名前で呼ぶ」
「……そう。じゃあオズ。ありがとう」
「ハッ!」
オズワンは鼻で笑った。
嬉しそうに尻尾が動いているのは気のせいだろうか。
と。そんな話をしているうちに。
「ーーおい、着いたぞ」
ヴェヌリスの一声で、一行は立ち止まる。
「ここが……?」
ジークは首を傾げた。
一行がやって来たのは、火山地帯のど真ん中。
もうもうとした蒸気が噴き出している、穴のほとりだ。
ーーそこに、白い花はない。
「もしかして、だま
「じゃ、行ってこいや」
「え!?」
がん、とルージュの身体が蹴り飛ばされた。
穴の底に落ちていく妹に、ジークは迷わず手を伸ばす。
「ルージュ!」
「お前もな」
「うお!?」
続いてオズワンが落とされる。
白いもやのなか、自由落下を続ける三人の耳にヴェヌリスの哄笑が響いた。
「オレはここまでだ。ジーク・トニトルス」
「ヴェヌリスーー!」
「キヒッ!オレが殺すまで、誰にもやられんじゃねぇぞ?」
声はどんどん遠ざかっていく。
慌てて磁力で身体を浮かせようとするジークだがーー。
「磁力が……!?」
火山地帯の強烈な磁場に当てられたのか、上手く磁力がコントロールできない。
そうしている間にも、どんどん地面に近づいている気がしてーー。
「うわぁ!?」
ーー……ぶわんッ!
穴の底から蒸気が吹きあがってきたのは、次の瞬間だった。
お腹をぐんと突き上げられるような浮力。
頭がぐわんぐわんと揺れて、ジークたちは硬い地面に転がった。
「いっづ……っ。ルージュ、オズ、無事!?」
「な、なんとか」
「あのクソ神。今度会ったらただじゃおかねぇぞ、クソが!」
「ほんとあいつ性格悪いよね……」
同意しながら、ジークは立ち上がる。
「ここ、どこだろう」
落ちてきたのはどこかの洞窟のようだった。
ぽわん、ぽわんと、蒼い光の玉が空中に浮かんでいて、洞窟内を照らしている。
「……すっげー気持ち悪ぃんだが、何だったんだ?」
「たぶん、転移酔いだよ、それ」
ルージュは頭を抑えながら言った。
「さっきの、身体が浮き上がる瞬間、なんかテレサさんと転移するときと同じ感じがした」
「そういえば……そうだったような?」
正直、ジークは落下からどう守るかばかり考えてそれどころではなかった。
だが言われてみれば、さっきの浮遊感は転移酔いに似ていたような気がする。
「でもそれが本当なら……」
言いかけて、ジークは口を閉じる。
「とりあえず進もう。話はそれからだ」
幸いにも洞窟の中に魔獣の気配はない。
魔獣が飛び出てくるような穴もないし、ジークは少しだけ警戒を緩めて歩いた。
そうして十分ほど歩くとーー。
『わぁ……』
ジークとルージュの声が重なる。
我を忘れて見入るほど、その光景は圧倒的だった。
月光が湖を照らしている。
洞窟の天井には満天の星空が広がり、白い花畑が湖畔を覆っていた。
ぽわん、ぽわん、と蒼白い光が漂っている。
湖の中央には島があって、台座の上に一本の花が咲いていた。
「これが……」
「《魂の泉》?」
「すげぇな」
オズワンでさえ、素直に感嘆していた。
ジークは頷きつつ、テレサが場所が分からないといった理由を悟る。
「やっぱり、ここは歪んだ空間にあるんだね。普通に探してたら絶対に見つからなかったかも」
ヴェリヌスに蹴落とされた時はどうしてやろうかと思ったが、あれで正しかったのだ。
《魂の泉》旧世界では冥界の機能の半分を担っていたところだ。
絶対に見つからないように、冥界の中でも歪んだ空間にあってもおかしくはない。
周りを見渡してみると、ここにも魔獣はいないようだった。
ジークはほっと息をついて、おそるおそる《魂の泉》へと近づいていく。
「お兄ちゃん、これ、なんだろう」
ほわん、ほわんと揺れる光の玉を指して、ルージュは言った。
「もしかして……」
「魂、かもね」
今やその役割をはたしていない冥界だが、機能そのものまで失ったわけではない。
リリアのように、葬魂されていない魂や、冥界で命を落とした葬送官の魂が光の正体かもしれない。あんまり触れないようにしよう、と頷きを交わし、三人は空を飛び、泉の中央にある島へ降り立った。
「オズ、たぶん君が探してるの、この花じゃない?」
「まじか。『冥月花』っていう奴らしいんだが……」
「周りにも白い花はあるけど、この花だけ光ってるし、たぶんこれだよ」
「これが……」
オズワンはカバンの中から花瓶を取り出し、魂の泉の水を汲み取る。
慎重に、割れ物を扱うように花を摘み取ってから、花瓶に差し込んだ。
「…………ありがとよ。ジーク。お前がいなきゃ、ここまで……」
「え? なんて?」
「……っ、なんでもねぇよ、クソが!」
「こんな時くらい素直になれないかなぁ。お兄ちゃんもお兄ちゃんだけど」
首を傾げるジークと感極まるオズワンにルージュは呆れ顔だ。
二人の態度は良く分からないが、ジークは突っ込まないことにした。
正直なところ、限界だった。
冷静さをかなぐり捨てて、泉の中に手を突っ込んでしまいたかったのだ。
(早く、リリアに会いたい。そばにいてほしい。声を聞かせてほしい)
目的を間近にして、焦る気持ちが抑えきれない。
早く、早くと、気ばかりが急いてしまう自分をかろうじて押さえつけた。
(落ち着け……ここで失敗したら元も子もないんだ。落ち着け、僕)
ふぅ、と深呼吸。
気持ちを切り替えジークは台座に目を落とす。
台座の上には水の張った盆があった。盆の中はどこまでも続いているように深い。
「確かこの台座に顔を突っ込んで……リリアを呼べばいいんだよね?」
「うん。その時に呼びたい人の血も一緒に注ぐって、テレサさんが言ってたよ」
「だよね」
覚えていたことを確認し、ジークはルージュから瓶を受け取る。
そこには治癒術師コーデルから受け取ったリリアの血が入っていた。
リリアの治療中に抜いたものだから間違いない、と太鼓判を貰っている。
「よし……じゃあ悪いけど、二人とも、背中守っといてくれる?」
「任せて」
「任せろ。何が来ても返り討ちにしてやらぁ」
「さっき神様相手に動けなかった癖に」
「う、うるせぇよクソが、次は絶対勝ってやんよクソが!」
「はいはい」
二人のやり取りを聞きながら、ジークはリリアの血を盆の中に注ぎ込む。
ふわり、ふわりと血が水に溶け込むと、盆の中身が白く光る。
「……っ」
ジークは意を決し、盆の中に勢いよく頭を突っ込んだ。
白く光る水の中は不思議と呼吸が出来て、自分の呼吸音がよく聞こえる。
(リリア……)
ジークの脳裏に、愛する人との思い出が駆け巡った。
笑った顔、優しい顔、泣いてる顔、怒った顔、拗ねてる顔、
彼女の言葉一つ一つを思い出すと、瞼が熱くなった。
「リリア」
もう一度名前を呼んでほしい。
もう一度そばにいてほしい。
たったそれだけで、他には何も要らないから。
だから、
「帰ってきて、リリアーーーーーーーーーー!」
力の限りジークは叫んだ。
視界を埋め尽くす光はますます強くなって、目が開けていられなくなる。
そしてーーーー
目を開けたとき、リリアはどこにも居なかった。
盆の中には無限の闇が広がっている。どこまでも、どこまでも。
「リリ、ア……?」
彼女は、帰ってこなかった。