第九話 英雄の力
『甘受せよ。喝采せよ。冥界は汝らの死を受け入れようーー』
その言葉を最後に、番人の声は聞こえなくなった。
ずん、ずん、と軍靴の音のように、魔獣たちがこちらに狙いを定める。
振り返れば、後ろの林からも同じように魔獣たちが湧いて出ていた。
(囲まれた……!)
「全く……誰かさんのせいで、とんでもない事になったね」
ルージュが諦めたように言った。
さすがにばつが悪いのか、オズワンも「……悪い」と殊勝に返す。
「今は言い争っている場合じゃない。ここからどう切り抜けるかだよ」
「分かってる。……お兄ちゃん、何か手はある?」
「ないことも、ないけど」
ジークの思考によぎった選択肢は二つ。
逃げるか、戦うか。
(ここで逃げたとして、あれから逃げられるかが問題だよね)
魔獣の中には空を飛んでいる個体もいる。
アメミットがどれほどの戦闘力を有しているか不明だし、背中を見せることが得策だとは思えない。
だからと言って、戦闘も同じ理由が付きまとうのだ。
魔剣と《天威の加護》があればかなり数を減らせると思うが……。
あの巨大な化け物に、自分の攻撃がどれだけ効くかは未知数。
(どうしよう。あんまり考えている時間はないし……)
「ーーおい、ここは俺に任せろや。この失態は気合で返す」
「え?」
力強いオズワンの言葉に、ジークは目を瞬かせた。
「でも、あんな数」
「問題ねぇよ。おれを誰だと思ってやがる」
「せっかちで頭が弱くてすぐに暴力で解決しようとするゴリラ馬鹿」
「テメェは黙ってろ吸血女。それだけじゃねぇってところを見せてやるよ」
((それは否定しないんだ……))
内心がシンクロした兄妹をよそに、オズワンは前に出る。
そして、
「ォ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「わ!?」
天に轟く雄たけびを上げた。
思わず耳を塞いだジークは直後、目を疑うような光景を見る。
「あれは……!?」
オズワンの身体が光に包まれたのだ。
手足はより太く、長く、強靭に。
胴体は丸太より遥かに大きく膨れ上がり、口の端から牙が伸びていく。
「地竜……!」
旧世界の蜥蜴がエーテルによって変質、適応進化した存在。
翼なき竜。魔獣の中でも強力な個体が、目の前にいた。
「オズワンなの……?」
「ゴリラが竜になった……」
『ーー』
くい、と顎をしゃくる地竜。
乗れ、と言われた気がして、顔を見合わせた二人はその背中に乗り込んだ。
もしかしてこれで逃げるつもりなのか、と思ったその瞬間だ。
地竜が口を開いた。
世界が赤に染めあがった。
「…………!?」
爆音、轟音、断末魔。
焼けつくような熱風を顔面に浴びながら、ジークは瞠目する。
「もしかして全部薙ぎ払う気!?」
「お兄ちゃん、やっぱり頭ゴリラだよこの人!?」
炎は止まることを知らず、地竜は身体を回転させた。
周囲の被害など知ったことかと、破壊の炎が樹々を舐め尽くす。
そして炎が収まった時には、ざっと千体の死体が転がっていた。
「まじですか……」
あまりの威力に、ジークは唖然とするしかない。
得意げに、地竜が胸を張った。
ジークたちが下りると、地竜は人の姿に戻る。
オズワンは息を荒立てて膝をついた。
「……っ、ハァ、ぜぇ、ぜぇ……どぉだおれの切り札は。いかすだろうが」
「うん、かっこよかったよ」
「ハッ!」
素直な賞賛に、オズワンは鼻を鳴らして応える。
(褒められた、褒められたぜ! これで失態返上じゃね!?)
そんな彼からルージュは「でも」視線を移した。
「さすがにアレはやれなかったみたいだね」
「……」
三つ首の冥獣は無傷だった。
配下の魔獣がやられてもビクともしない。
たてがみが多少焦げ付いている気がするが、それだけだ。
傷一つ、付いていなかった。
「畜生が……! バケモンかよ」
「大丈夫。これだけ減れば、あとは任せて」
呟き、ジークは魔剣を抜いた。
やっと出番か、と言いたげに魔剣が震える。
「ルージュ、背中は任せたよ」
ルージュは目を見開き、花が咲くように笑った。
「にしし。おっけー。存分にやっちゃって」
「……? うん、頑張るよ」
なぜか上機嫌なルージュに首を傾げつつ、ジークはアメミットに近づいていく。
「行こう。アルトノヴァ」
「ーー」
りぃん、と。剣が震えた。
◆
「お、おい。一人で大丈夫なのかよ!?」
「黙って見てなよ」
単身、ジークは三つ首の冥獣に近づいていく。
焦ったようなオズワンの言葉に、しかしルージュは冷静だ。
「お兄ちゃんがあんな奴に負けるわけないでしょ」
「馬鹿野郎! いくらあいつが強いって言ってもおれと同じくらいかそれ以下だろ!? んなもんーー」
雷光が世界を駆け抜けた。
「は?」
ーー……バシィィィイイイイイイイイイ!
天を割るような音が遅れて聞こえる。
瞬きの後には、既にジークはアメミットに斬りかかっていた。
その直前上にいる、数千体の魔獣を倒した上で、だ。
「は、や」
「ーートニトルス流双剣術迅雷の型二番」
ジークはアメミットの頭上で剣を振り上げていた。
魔剣の刀身が巨大な雷が纏う。そして叫んだ。
「破轟!」
雷撃が放たれた。
三つ首の獣が炎を吐く。掻き消し、雷は左の頭部に直撃するーー!
「ーーーーーーーーーーーーッ!」
思わず耳を塞ぎたくなるほどの絶叫。
完全に沈黙した左の頭部を見かねて、残り二つの頭部が吠えた。
「ォ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
中央の頭部が光を放出し右の頭部が毒霧を吐き出す。
光を躱しても毒でやられ、毒を消そうとすれば光に潰される。
逃げ場をなくした攻撃を前に、ジークはアルトノヴァを掲げた。
「アルトノヴァ防御形態」
その瞬間、魔剣がいくつもの剣に分裂し、ジークの身体を球状に包み込んだ。
同時に張り巡らされた電磁場のバリアが霧を焼き払い、
「アルトノヴァ砲撃形態荷電粒子砲スタンバイ」
中央の首が放つ光をいなしながら、ジークは球体の中で剣を突き出す。
切っ先に雷の力を溜め、空気中のプラズマを連鎖増幅させていく。
「三、二、一……撃て」
「ーーーーーーーーーーーーーー─ッ!」
中央の頭部が放つ光を、ジークは真っ向から押し返した。
光線を真っ二つに分かつ荷電粒子の砲撃は、中央の頭部を撃滅する。
「あと一つ」
毒が消滅したのを見て、ジークは砲撃形態を解除。
陽力消費の少ない、鍛え上げた剣術でアメミットに挑むーー。
「んだ、そりゃぁ!?」
その様子を、オズワンが愕然と見ていた。
背筋から嫌な汗が流れて止まらない。全身に鳥肌が立っていた。
「ね? 言ったでしょ」
悪戯っぽく微笑み、ルージュは誇らしげに笑う。
「あたしのお兄ちゃんは、すっごく強いんだから」
言いながら、ルージュは手を振り上げる。
ジークの背中から襲い掛かろうとしている魔獣を、重力で落とす。
吸血鬼の悪魔古来の、血を槍に変えた一撃でとどめを刺し、兄を狙う魔獣を殲滅する。
オズワンは驚愕したまま動けない。
「あんな力を隠してやがったのか……!?」
オズワンは、ジークとの戦いを思い出していた。
ーー何か隠しているとは思っていた。
ーー自分との戦いで、切り札を温存している事も。
だがまさか。
自分ではびくともしなかったあのバケモノを圧倒するなんてーー。
そしてあの剣術。
雷を身体に纏った彼の剣武は、別次元に高められていた。
(いや、それだけじゃねェ……)
雷撃よりも真に恐るべきは、あの反応速度だ。
本来、ただ動きを早くしただけでは身体に頭が追いつかないはず。
なのに彼は、光速に迫る身体の動きに振り回されない。
やるべきこと、倒すべき敵を見定め、鍛え上げた剣術を当てはめている。
例えるなら、全力で走りながら針の穴に糸を通すような精密さ。
いくつの修羅場を超えればあの速度に至るのか、オズワンには想像も出来ない。
他の追随を許さない、圧倒的なまでの反応速度。
脳を解さず脊髄で反射してもまだ足りない絶技がそこにあった。
(姉貴の言ってた……死徒と神霊を倒したって話、マジだったのかよ!?)
それに、この悪魔だ。
ジークもさることながら、遠距離で的確に支援を行う吸血鬼にオズワンは舌を巻く。
(こいつ、兄貴の動きが読めるのか? あいつが不意打ち喰らう前に、もう魔獣を片付けてやがる)
見てからでは間に合わない先読みの動きだ。
兄の動きを観察し、合わせ、脳で戦闘の未来図を描く予知じみた能力。
そしてそれを実現する、目を見張る戦闘力。
(上級どころじゃねぇ……こいつ、特級悪魔かよ?)
そんなオズワンの驚愕をよそに、ルージュの胸は歓喜に震えていた。
(お兄ちゃんと外の世界を旅して……一緒に戦える。まさかこんな日が来るなんて)
脳裏に、兄の言葉がリフレインされる。
『背中は任せたよ』
ルージュは頬のゆるみを止められない。
その言葉を思い出すだけで、腹の底から無限に力が湧いてくるようだった。
ただ守られるだけではない。
その、たった一言が。
自分を必要としてくれたその一言が、こんなにも胸を躍らせる。
彼の為なら、どんなことだってやってあげたいと思わせる。
「ほんっと、お兄ちゃんにはあたしがいないと駄目なんだから」
世間知らずで、ちょっと抜けていて。
それでも飛びぬけて優しくて、とんでもなく強い。
そんな大好きな兄の背中を、絶対に守り抜くとルージュは誓っていた。
例えこの身体がどうなろうとも、絶対に。
その兄妹の戦いを見てーー
オズワンはぎゅっと、拳を握りしめていた。
「意外と、大したことなかったかな……?」
沈黙した三つ首の冥獣の横に降り立ち、ジークは呟いた。
周囲、魔獣の大半は片付くか逃げ出している。
沼地のあちこちが抉れたり隆起したりしているけれど、怒られたりしないだろうか。
「うーん。まぁ、怒られる前に逃げればいいよね……うん、そうしよう」
ゼレオティールの加護もいい調子だ。
このまま実戦を積み重ねれば、死徒と戦った時のような力を常に出せるかもしれない。最も、そうなるためにまだまだ知識を蓄えないといけないのだが。
「門番は居なくなったし……結果オーライってことで」
ジークは振り向き、歩き出す。
ルージュの方もうまくやってくれたようだ。
周囲に魔獣はいない。早いところ《魂の泉》に向かい、リリアを迎えに行こう。
ーーだが、ジークは気付かなかった。
この冥界において、ゼレオティールの力を使うことがどんな意味を持つのか。
終末戦争の折、冥界にまつわる神々が殺された恨みを、誰が抱いているのか。
そしてそれが仇となった。
最初に気づいたのはルージュだ。
「ーーお兄ちゃん、上ッ!」
「え?」
がつんと、衝撃がジークを襲った。
「ぁ、うが……!?」
水切り石のように地面を跳ね、かろうじて受け身を取ったジークは目を剥く。
目の前に矢があった。
「うぉぉぁあああ!?」
咄嗟に双剣を交差させて防御を取る。
ーー……ドンッ!
矢とは思えない、恐ろしく重い一撃だ。
みし、みしと魔剣の強度を揺るがし、防御を貫こうとしていた。
(おも、い……!)
このままではやられる。
本能的に理解したジークは剣に磁力を纏わせ、矢を反発。
「ぁぁあッ!」
やっとの思いで弾いた矢は、沼地にクレーターを作って消滅した。
「ハァ、ハァ……な、なんだあの矢
「ーー私の矢を弾く……やっぱり……本物……」
息つく暇もなく、声が聞こえた。
ハッ、と上を見上げれば、そこには美貌の女が浮かんでいる。
一目見て、『違う』と思った。
ウェーブのかかったプラチナブロンドの髪をなびかせ、黄金色の瞳が光っている。白いワンピースドレスを身に纏う彼女の美しさは、人のそれと次元を画していた。
「あなたは……」
「我が名は……月の女神……エリージア」
「ーーっ!」
神霊、ではない。
ここは冥界。闇の神々がいる敵の本拠地。
つまり目の前にいるのはーー神、そのものだ。
「ゼレオティールの、使徒。忌まわしき……運命の子……冥王には……悪いけど、」
ーー……ゾクッ!
死の悪寒が、ジークの全身を駆け抜けた。
カチカチと歯の根が鳴る。冷や汗で背中がびっしょり濡れていた。
「ここで死になさい」
最後だけやけにはっきりした口調で。
月の女神エリージアは、その豪弓を引き絞った。




