第七話 襲撃者
「ーーお兄ちゃんッ!」
ルージュが叫んだ。
重力弾が獣人を襲い、尻尾で背後から攻撃しようとしていた獣人は後ろに飛び退く。
「なんだぁ……? 兄妹? 悪魔に家族なんか居んのかよ、クソが」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「うん」
ジークは頷きつつ、獣人を見る。
いきなり襲ってきた理由は知らないが、恐らく向こうはジークを悪魔だと思っている。
まずはその誤解を解かねば。
「あの、僕は悪魔じゃありません。葬送官です。服も葬送官のものでしょう?」
「あぁ? 葬送官……?」
獣人は眉を顰め、
「ハッ! 悪魔が服を奪いやがったのか。んなもんにおれが騙されてると思ってのか、あぁ!?」
「え、いや、だから」
「テメェが葬送官なら、その横に悪魔を連れてるのはなんでだ。言ってみろや、ぉお?」
「それは……」
ジークは言葉に詰まってしまった。
ジークにとってルージュは妹だが、他人から見れば悪魔とつるむ裏切り者でしかないのだ。
普通の葬送官はそんなことはしない。
だからジークは悪魔だ。そう言われても仕方がない材料が揃ってる。
「何も言えねぇのか。このド腐れ畜生が」
「……何度でも言います。僕はあなたの敵じゃない」
「ハッ。口では何とでも言えるんだよ」
獣人は構えた。
やるしかないか、とジークは覚悟を決める。
(……お兄ちゃん、加勢しようか?)
(いや、僕一人で大丈夫)
二人では過剰戦力だとジークは判断する。
ルージュの力は強力だ。
この獣人がどれだけ強いか知らないが、二人がかりなら負けないという確信があった。
だからこそ、一人で戦わなければ。
(どんな理由であれ、ルージュに人間と戦ってほしくないから)
だからこれは、ジークのわがままだ。
「ルージュは下がってて」
「……分かった、気を付けてね」
「うん」
「遺言は残したかよ?」
目の前に獣人がいた。
弧を描いた蹴りが容赦なくジークの頭を粉砕する。
だがその未来は、既に見ていた。
「遅い」
「……!」
難なく蹴りを避け、懐に潜り込んだジークは剣を振るう。
胴を一閃する斬撃を、しかし、獣人は皮一枚で避けて見せた。
ステップを刻みながら後ろに飛び下がり、一瞬で警戒を引き上げる。
(……こいつ、なよなよした顔してやがんのに、存外にやりやがる)
『妹』だとのたまう悪魔が後ろに下がった瞬間、全身から血の気が引いた。
それこそ一撃で仕留めねば命の危険を感じるほど、この悪魔は得体が知れない。
「……ふぅ」
奇しくも、ジークもまた同じ感想を抱いていた。
(油断してたらやられるかも。この人、結構強い)
オリヴィアと同等、あるいは、獣人の膂力を含めれば彼女より上かもしれない。
魔眼で未来を見ていなければ、蹴り砕かれていたのはジークの方だ。
「オイ、悪魔野郎。てめぇ名前は」
「え?」
「あんだろ。名前ぐれぇ。いくら悪魔でもよ」
「ジーク。ジーク・トニトルス、だけど」
「そうか。覚えておく」
獣人は足を下げた。
殺気が膨れ上がり、ジークの全員の産毛が総毛立つ。
「おれの名はオズワン・バルボッサ。冥土の土産にこの名、覚えて死ね」
フ、とオズワンの姿が消えた。
(きえ……いや、後ろ!)
ーーガキンッ!
硬いもの同士がぶつかる火花が散る。
おのれの拳を鈍器のように振り回し、オズワンは魔剣の切れ味と真っ向から対抗した。
闘争心をたぎらせる瞳に、ジークはごくりと息を呑む。
「うっそでしょ。痛くないの!?」
「拳は漢のド根性。気合さえあれば火の中水の中ってなァ!」
「……っ!」
烈風のごとく振りぬかれた拳に、ジークは弾き飛ばされる。
だが、背後へ飛び出そうとしたその身体に、太い尻尾が巻き付いた。
「ぐ……!」
「貰ったぜ、クソがぁ!」
砲弾のような拳が、ジークの腹に直撃する。
めりめり、と肋骨にひびが入り、衝撃の余波が身体中を暴れまわる。
(これ、は……!)
「痛ぇだろ、痛ぇよな? これが竜人殺法『波壊拳』って奴だぜ」
「なにその、頭の悪そうな名前……」
ルージュが戦慄したようにつぶやいた。
オズワンは気にした様子もなく、
「オラ、オラオラオラオラオラオラオラ、これでも喰らっとけッ!」
ーーダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
拳撃の連打
岩をも砕く攻撃を連続で食らい、ジークの身体は鞠のように弾けた。
「……頭悪そうな言葉遣いなのに、結構強いね」
落ち着いて、ルージュは呟いた。
ーー獣人には、陽力がない。
正確には、身体を犯す瘴気と戦うため、常に陽力が打ち消されている。
だから獣人は神々から加護を貰うことが出来ないし、葬送官にもなれない。
これが獣人が『呪われた人々』と呼ばれる遠因となっているのだが……。
それはさておき。
「……っ」
獣人が加護の代わりに発現する力……それが、悪魔と同じ異能だ。
この攻撃がオズワンの異能かどうかはさておき、彼の膂力は、並みの葬送官を大きく上回る……!
でも、とルージュは思う。
「ハッ、他愛もねぇ。コレで終わり
「ーーねぇ、うちのお兄ちゃんを舐めすぎじゃない?」
オズワンは目を剥いた。
殴り倒したはずの悪魔の身体が、どこにもなかった。
それどころか、殴ったはずの感触さえーー
「ここだよ」
「……っ!」
咄嗟に振り向いた時だった。
ジリ、と紫電が迸った。
ーー……斬ッ!
オズワンの身体が、袈裟斬りに裂けた。
「…………な、ぁ!?」
そう、ジークが喰らったのは最初の一発だけだったのだ。
後の攻撃は全て彼が見ていた残像。
本物のジークは、既にオズワンを斬った後である。
ジークは首を傾げた。
「コレで終わり?」
「……ッ、上等だこらぁあああッ!!」
「ーーフっ!」
拳と剣が激突する。
男と男は雄たけびを上げ、互いの意地をぶつけあう。
互いの位置を入れ替えながら、ジークは思考を回す。
(あんまり時間をかけていられない……リリアを助けなきゃいけないんだ)
残された時間は少ないのだ。
テレサとて、無制限にリリアの身体を空間に閉じ込められるわけではないだろう。
そう考えれば、今すぐオズワンと決着をつけたい。
(でも、この後何があるか分かんないから、出来るだけ温存したいんだけどな)
ジークはまだ、ゼレオティールの加護を使いこなせていなかった。
第七死徒オルガ・クウェンとの戦いでは集中できたが……
(今同じことしろって言われても、いきなりは難しいし)
火事場の馬鹿力というやつである。
あの時、あの瞬間だからこそあそこまで加護を使いこなせたのだ。
同じように力を使うには、まだ少し時間がかかる。
(じゃあやっぱり、方法は一つだよね)
一瞬の全力を、出すしかない。
オズワンの攻撃を避けた時と同じだ。それなら問題ないはず。
零からの超加速。それだけなら既にマスターしている。
ジークは覚悟を決め、『天威の加護』を駆動させた。
ジリ、と紫電が迸った。
その時だった。
ーー……サァァッ!
「!?」
ジークの魔眼が、オズワンの背後から忍び寄る影を捉える。
未来の影はオズワンを貫いていた。
「……っ、危ない!」
「あぁ!?」
ジークは咄嗟にオズワンを突き飛ばし、黒い影を斬り飛ばした。
影の正体は、枝だ。
林の中に存在する、樹に擬態する魔物が襲い掛かってきたのだ。
「トニトルス流双剣術打突の型」
ジークは剣を引き、
「『絶影』」
撃滅する。
踏み込みと同時に突き抜かれた剣は、樹に擬態した魔獣を真っ向から貫いた。
たん、と静かに着地し、ジークは息を吐く。
すると、
「……オイ、テメェ、なんで助けた」
「え?」
唸るように、オズワンは近づいてきた。
「え? じゃねぇよボケが! オレと戦ってただろうがよ。助ける必要ねぇだろクソが!」
「そう言われても……」
確かにオズワンはジークには邪魔でしかない。
そう言われてみれば、助けなかった方がよかったか。
いや、でも。
「放っておけなかったから?」
「……っ」
「あなたが怪我をして悪魔に殺されたら寝覚めが悪いし……悪魔になったあなたを葬魂するのも面倒だし」
指折り理由を上げたジークに、オズワンの表情がひび割れた。
何かを噛みしめるように俯き、ギリッ、と奥歯を噛みしめた彼は「ぁー!」と叫びだす。
「わぁーったよ! おれの負けだ、負け! クソが! お前の勝ちだこの馬鹿が!」
「この人、クソと馬鹿しか語彙がないの? 脳みそ筋肉なの?」
戦いの決着を見たルージュが近づいてきた。
彼女はふてくされたようなオズワンから目を逸らし、
「お兄ちゃん。魔剣、使わなかったんだね」
「……さすがにね」
ジークはこの戦いで魔剣の力を使わないと決めていた。
魔剣は悪魔や魔獣と戦うために使いたいし、魔剣を使えば自分が強いと錯覚してしまうからだ。
すぐに自分に甘くしてしまうジークとしては、魔剣は切り札であり毒だ。
(魔剣の強さに溺れないようにしないと、ね)
恐らく、オズワンもそれに気づいているだろう。
彼は不満そうにジークを睨んでいる。
(とはいえ、向こうも何か隠してるっぽかったけど)
オズワンが口を開いた。
「オイ、殺すなら殺せ。漢の戦いに負けたんだ。覚悟は出来てる」
「いや、だから殺さないって。それに僕、悪魔じゃないし」
「……あぁ?」
「半魔だよ。聞いたことない? 悪魔と人間の混血児」
「…………………………………………言われてみりゃ。姉貴がそんな事言ってたような」
硬直したオズワンは、まじまじとジークを見つめる。
やがて納得してくれたのだろう。彼は目を見開き、
「…………お前、マジで悪魔じゃないのか」
「そうだよ。あ、ルージュは悪魔だけど」
オズワンは立ち上がった。
構えようとしたルージュだけど、敵意は感じないから遠慮してもらう。
そして、
「ーー悪かったッ!」
「え!?」
ダンッ! とオズワンの頭が地面にめり込んだ。
あぐらをかいて地面に両手をつき、頭を思いっきり下げた状況。
確か、ドゲザとかいう技だ。
「完ッ璧に忘れてた! 良くみれみりゃ耳もそこまで長くねぇし肌も白い。おれの勘違いだ!」
「ぁ、ようやく分かってくれたんだ」
「おれを殴れ! 一発殴ってもらわなきゃ気が済まねぇ!」
「いや、別に殴りたくないんだけど」
「それじゃ済むかよボケが! 漢だろうがさっさとしろアホが!」
「なんで僕が怒られてるの!?」
オズワンは顔を上げる。覚悟を決めた漢の表情がそこにあった。
だが、その内心はーー
(やべぇええええええええ!! ジーク、ジーク・トニトルスっつったか、こいつ!?)
内心で汗をだらだらと流しているオズワンである。
(ジークと言えば今話題の英雄じゃねぇかオイ! ヴェヌリスをぶっ倒して第七死徒を殺したっつーあの! やべえ本物かよ、サイン欲しい……クソ! おれぁなんて態度を取っちまったんだ……!)
「もう一度言う。おれを殴れ! 殴ってくれ!」
(じゃねえとおれの気が済まねぇっつーんだよクソが! 兄貴と呼ばせてもらっていいですか!?)
「ふーん。じゃあ遠慮なく」
「!?」
ーー……が、こんッ!
遠慮のない拳が、オズワンの頬に直撃する。
綺麗な放物線を描いて宙を飛んだオズワンは、地面に激突してガバッと身を起こした。
「なにしやがるテメェ!」
「いや、殴れって言ったじゃん」
ルージュはこともなげに言った。
「おれが殴れって言ったのはそこの半魔であってテメェじゃねぇぞクソ悪魔が!」
「何言ってんの? お兄ちゃんのものはあたしのもの。あたしのものはお兄ちゃんのものだよ?」
(いや、君が何言ってんの?)
「つまり、お兄ちゃんとした約束はあたしとの約束になるわけ。分かった?」
「全ッ然分かんねェ!」
うん、僕も分かんない。
「ま、まぁ。僕の代わりにルージュが殴ったってことで。これで終わりでいいよね?」
この時間がもったいないよ、とジークは告げる。
遠慮のない言葉に、オズワンは深く長い溜息をついて頷くのだった。
◆
「じゃぁ、テメェらはそのリリアって奴を迎えに来たってェわけか」
「うん、まぁ、そういう事」
冥界の林を歩きながら、ジークは頷いた。
詳しい話は明かせないが、オズワンに大雑把な事情を話したのだ。
「オズワンさんは?」
「俺ぁ冥界にある花を取りに来た。そいつがちっと入用でな」
「そうなんだ……花、花?」
ジークは首を傾げる。
冥界に咲く花。何か聞いたことがあったような。
(ぁ)
そう、あれはテレサがジークに言づけた言葉だ。
『あんたたちが向かうのは、冥界にある『魂の泉』って場所だ。その泉のほとりには白い花が咲いてる』
『北東へ向かいな、ジーク。白い花が咲いてる泉が、あんたの目的地だ』
ジークはテレサの言葉を思い出し、
「……オズワンさんが探してるのって、白い花だったりする?」
「ぉ、ぉお? なんだテメェ、知ってんのか!?」
「う、うん。あとちょっと近い」
「どこだ、どこにある!? その白い花ってのは!」
オズワンが鼻先が触れ合うぐらいの距離で言った。
ジークは慌てて押し返しながら、
「ここから北東にあるって話だよ。師匠の話が正しければね」
「北東、北東か。分かった! ありがとよ!」
そう言って、オズワンはいきなり走り出した。
ジークは一瞬だけ迷って、
「あの、そっちは西だけど……」
「なにぃ!?」
「お兄ちゃん、やっぱりこの人馬鹿だよ。頭が筋肉で出来てるんだよ」
「んだとコラぁ!?」
何かとあたりがきついルージュ。
そんな彼女に噛みつくオズワンも、まだルージュの事を測りかねているようだが。
「うーん。じゃあ、一緒に行きますか……?」
「は?」
「ちょ、お兄ちゃん本気!?」
「うん。だって、僕たち冥界は初めてなんだし。戦力は多い方がいいかなって」
「そりゃぁそうだけど……」
ジークは納得していなさそうだったが、オズワンは乗り気であった。
(やばい。英雄と一緒に冥界潜りとか、やばい。俺の心臓がやばい)
「ぁ……」
握手してくれ、と言いそうになり、オズワンは慌てて首を振る。
「ぁー。わぁった。ちぃっと世話になる」
「うん、こちらこそ」
「言っておくけど。お兄ちゃんに何かしたらもぎ取るからね」
「ハッ! そっちこそ、寝首を掻いてきたら返り討ちにしてやるよ。性悪悪魔が」
(なんで兄貴がこんなやつを連れてやがんだクソが! あぁん!?)
ルージュとオズワンは視線で火花を散らす。
仲良くはないようだが、目的地までは我慢してもらおう。
これもリリアを助ける為だし、とジークは自分を納得させる。
「よし、じゃあ行こう!」
オズワンを仲間に加え、ジークたちは冥界に潜っていくーー。




