第三話 黄昏の街
『黄昏の街』エル=セレスタは異端討滅機構の直轄区域に当たる重要な要所だ。
国という体を取っておらず、領事館が街を運営し、複数の有力な商会が力を持っているという。南のエルメネス大陸からの輸入品が入ってくる唯一の場所で、貿易にも力が入っているようだ。
「でも、そんな貿易のヨウショ? 冥界の入り口になんてあって大丈夫なんですか?」
「仕方ないんだよ」
テレサは葉巻をふかしながらため息をつく。
聞けばこの街は元々、旧世界の街並みを残している希少な場所だったらしい。
そこで異端討滅機構はこの街を貿易の要として利用していたのだが、
「街が発展した後で冥界の入り口が見つかったんだ。どうしようもないだろ」
それにより、この街は軍事港としての側面も持つようになった。
有事の際は南方大陸と合流して冥界を叩けるし、船で避難民を移動することもできる。
それほど悪い話ではないのだとか。
「最も、冥界の神々が本気を出してきたら終わりだろうがね」
「……そうですね。けど、」
「あぁ。元よりこの世界に、絶対に安全な場所なんてない。リスク込みでやり合っていくしかないのさ」
当然ながら、悪魔の侵入を警戒して街の周囲は外壁で覆われていた。
一行は警戒しつつ、厳重な門の所に行くーー。
と思ったら。
「じゃ、もっかい飛ぶよ」
「ふぇ?」
テレサが指を鳴らし、ジークたちは再び空間転移する。
目を開けると、白い壁が目の前にあった。
雑踏の音が聞こえてくる。
どうやら街に入ったらしいが、
「え、無断で入っちゃって大丈夫なんですか?」
「あんた、葬送官の役目を放り出してること忘れてないかい? 公然と街に入れるわけないだろ」
ルージュがきょとんと目を丸くした。
「え? じゃあなんで直接街に入らなかったの?」
「そりゃあ……」
テレサは言いよどむ。ジークは察して、
「ルージュ、テレサ師匠は僕たちにあの景色を見せようとしてくれたんだよ。野暮なこと言わず、黙って察しなきゃ。師匠はぶっきらぼうに見えて、優しいんだ。ルージュは悪魔だから態度が厳しく見えるかもしれないけど、本当は
「余計な事言うんじゃないよ」
「あだぁ!?」
殴られた。おかしい間違ったことは言ってないのに。
「痛いです!」と抗議するがテレサは無視。二人のフードを引っ張って、
「この街の奴らは半魔の存在なんて知らないから転移したんだ。面倒くさいから絶対にフードをとっちゃだめだからね。それと、冥界に行く前によるところがあるから、そこにもいくよ」
「さっき言ってた準備って奴ですね」
「そうだ。ほら、あんたは隠れてな。悪魔の気配に敏感な奴がいたら面倒だ」
「はーい」
ルージュが影に潜んだのを見て、二人は歩き出す。
石灰が塗られた白い街並みは、中に入っても美しかった。
ゴミはほとんど落ちていないし、旧世界の廃墟ビルもない。
冥界の入り口とあって葬送官たちの姿が多い。ひっきりなしに歩いている。
「サンテレーゼとは大違いですね」
「あんたは知らないだろうが、ぶっちゃけあそこは田舎だよ。だからこそアタシも隠居していたんだが」
「そうなんですね……っと、あれ?」
きょろきょろと周りを見回していたジークは、あるものに目が留まった。
いや、ものではない。
人だ。
「あれって……」
身体に石を生えている人がいた。
周りの人間とは違う特徴だ。一人、二人ではない。
通りを歩いていると、いたるところに身体的な特徴を持った人たちがいた。
頭に角が生えている人であったり、
腕が二股に分かれていたり、
犬猫のように、耳や尻尾が獣耳になっている人もいた。
そんな彼らを、街の人たちは避けるように歩いている。
「……見たのは初めてかい?」
「……いえ、初めてではないです。サンテレーゼでは見なかったから、ここにはいるんだと思って」
ジークが首を振ると、影の中からきょとんとした声が響いた。
(どうしたの、お兄ちゃん? なんか珍しいものでもあった?)
(え?あー、うん。獣人がいた)
(獣人……?)
(うん)
獣人。
それは未踏破領域や悪魔が放つ瘴気に当てられ、身体に異常をきたした者達だ。
身体のどこかに動物的な特徴を持っていたり、腕や足に石や、斑点があったり……ひとくちに獣人と言っても、さまざまな特徴を持つ。
(あー、うちにも居たよ。死んじゃってたけど……そっか。そういう理由だったんだ。獣人って言うんだね)
人造悪魔創造計画で実験を受けていたルージュだ。
どうやら人工的に瘴気を身体に注入され、無理やり獣人にさせられた人がいたらしい。ジークが気になったのは彼らではなく、周りの反応だった。まるで穢れたものを見るような、蔑みの視線。
(あの人たちに罪はないし、別に空気でうつるわけじゃないんだから、避けなくてもいいのにね)
瘴気が蝕むのはあくまでその人自身であり、その人の魂だ。
悪魔の被害を受けた人や、無許可で未踏破領域に入った人間がこの症状を引き起こす。この症状は性行為などで移ることはないが……一度発症すると治ることはなく、子孫に遺伝する。先天的な獣人と後天的に獣人になる者がいるのも問題が深刻化している原因である。
葬送官は神の加護で瘴気に耐性を持っているため、問題ないがーー。
「大昔は、獣人になるのが嫌で神の加護を得ようとした奴らもいたらしいよ。けど、神の加護を持っている人間は基本的に葬送官になることを義務付けられる。つまり戦わないといけないから、すぐに暴動みたいなのは無くなったけどね」
加護を得るための試練や、神との中継ぎを管理している異端討滅機構だ。
この症状を防ぐ目的で神の加護を得るのは不可能に近いだろう。
テレサの述懐に、ジークは頷いた。
獣人になってどんな特徴が出るかは魂の本質によると言われているが、定かではない。重要なのは、獣人を差別したり、呪われた人ーー『呪人』と揶揄したりする人たちだ。
「……どの街に行っても、こういうのはあるんだね」
ジークは獣人に対する差別や偏見はない。
それどころか、人間から忌み嫌われた彼らに共感すら抱いていた。
南方のエルメネス大陸では獣人の国があるらしいから、そこに行ってみたいと思ったこともある。
とはいえ、彼らも半魔は受け入れられないらしく、石を投げられたことでその想いは霧散したが。
それを思い出し、ジークは苦笑する。
リリアやテレサ、オリヴィアといった存在がいかに貴重なことか。
「……行きましょう。早くリリアを助けなきゃ」
「ん。じゃあこっちだ。目的地は今の話と無関係じゃない」
「どういうことですか?」
「この街の近くには未踏破領域がない。なのになぜこんなに獣人がいると思う?」
問い返され、ジークは「ぁ」と思い付いた。
「冥界の、瘴気?」
「そ。例え葬送官といえど、冥界の瘴気に無策で挑むのは危険だからね」
だからその準備をしなければならない、という話だった。
「その準備って具体的にはどうするんですか?」
「まずは禊を受ける。身体や精神の汚れを祓って邪なものを寄せ付けないようにするためだね。それから神に報告する。これは加護を貰う儀式にも似てるんだけど別のものだよ。天界と冥界は敵対しているから、裏切ったって思われないように報告しなきゃいけないのさ」
「あー……なるほど。それで、そのミソギを受ける場所って」
「あんたには少し嫌な場所かもしれないが」
テレサは顔を歪めて指を差す。
大きな神殿がそこにあった。
何本もの柱が立ち並ぶ、荘厳な神殿だ。
たくさんの人々が行き交い、火の紋章を付けた葬送官が神殿を警備している。
「神殿、ですか。まぁ大丈夫ですよ。僕、頑張りますから」
「違う、そっちじゃない」
「へ?」
言われて、ジークはテレサの視線を辿る。
彼女は神殿の隣にある、小さな家を見ていた。
「あんたは、あっち」
「…………もしかして、あれってアステシア様の神殿ですか?」
「そ。基本は加護を受けた神殿で受けるから。言ったろ。普通の葬送官は神殿の後ろ盾があるって」
「それはそうですけど」
そういう問題ではなく、見た目が貧相なのだ。
隣の神殿に比べ、かなり小さい。みすぼらしいと言ってもいい。
「変わり者の神様だからね……滅多に人に干渉しない分、恩恵もないのさ」
加護を持っている奴自体が稀少だからね、とテレサは付け足した。
「ぁー……」
残念な理由ではあるが、ジークは納得するしかない。
既知のものに興味を示さない彼女は、他の神々とは少し毛色が違っている。
加護を貰えないという事は葬送官たちの信仰も得られないという事でありーー。
(大勢の人たちの寄付金や異端討滅機構からの支援も少なくなる、ってことだね)
それが答えだった。
つくづく、彼女が六柱の大神になっていることが不思議でならないジークである。
「一応フォローすると、一部の研究者や学術マニアには人気なんだよ。神としての位階も高いし」
「……まぁ、アステシア様のことは置いておきましょう。自業自得です」
ジークはため息をついて、神殿に見えない家に歩き出す。
周りの人たちから奇異の視線を向けられていた。
(ママ―、あの人、あすてしあさまのとこ行ってるよ)
(見ちゃダメ。よっぽど奇特な方なのよ。加護も貰えないのにね)
(馬鹿な奴だ。炎神インティグラ様の方が何倍も俺たちに尽くしてくださるのに)
ーーなんか、やな感じだ。
別に加護が貰えなくても、アステシアはジークにとって既に友達だ。
確かに彼女は殆ど人類に興味がないし、意地悪な一面もあるが……
友達を馬鹿にされているとなれば、思うところもあった。
(なんか、言い返してやろうかな)
そう思って一瞬立ち止まり、ジークはすぐに我に返った。
「だめだ。今は急いでるんだ。とにかく、冥界に行くための準備を終えて出発を
「ーーあいや待たれよ、そこの御仁!」
「へ?」
突如、声をかけられた。
振り返れば、丸眼鏡をかけた神官がジークを見ている。
目が合った神官は「やはり」と頷いて、
「後姿をお見掛けしてまさかと思ったのだ。ジーク・トニトルス殿とお見受けするが、間違いないでござるか?」
「そう、ですけど」
ジークは魔眼を駆動させ、警戒交じりに頷きを返す。
隣のテレサは「なんだこいつ」と怪訝そうな目で見ていた。
「ジーク、知り合いかい?」
「いえ、別に……」
神官はプルプルと肩を震わせていた。
直後、爆発する。
「ジィーーク殿ぉおおおおおおおおお! このヤタロウ・オウカ! お会いしたくてたまりませんでしたぞぉおお!!」
「ひ!?」
「あぶ!?」
飛び掛かってきた神官をジークは避けた。
危ない。加護を使ってなかったらぶつかってた。
地面に激突した神官ーーヤタロウはめげずに起き上がる。
「どうして避けるでござるか!? 感動の出会いなのに!」
「え、気持ち悪いから?」
「おうふ……!」
ヤタロウは攻撃を受けた人のように胸を抑えた。
「い、今のは効きましたぞ……ぶっちゃけ割ときつかった」
「あ、そう、ですか?」
本当に何なのだろうこの人は。
いきなり素に返ったみたいな話し方になったけど。
「あのー、僕のことを知ってるんですか?」
すぐにヤタロウは調子を取り戻し、丸メガネをくい、と上げる。
「当然でござる! 叡智の神を信仰する者の中で、あなたを知らない者は居りませぬ!」
「え、あ」
よく見ればヤタロウは本を持っていた。
胸についたペンダントは本と羽根ペンを象ったものーー
アステシアの紋章だ。
「これを見てくだされ!」
ヤタロウは携帯端末を掲げた。
ジークの写真と、記事が書いてある。
「彗星の如く現れ、北のサンテレーゼを救った『雷速の双剣士』、『魔眼使い』、『半魔の英雄』! 虐げられた逆境を乗り越え、煉獄の神ヴェヌリスを撃退し、さらには第六死徒オルガ・クウェンまで打ち破った期待の英雄! あなた様の活躍はこのエル=セレスタにまで聞き及んでおりますぞ! このヤタロウ。ジーク殿の活躍は全て記録媒体に保存しております。サンテレーゼにいる同志から生の情報も仕入れておりますとも!」
「サンテレーゼの神官……ぁ!」
ジークの脳裏に電撃が走った。
以前にリリアと街に出かけたとき、アステシアを信仰する神官に追いかけられたことを思いだしたのだ。
「無論、エル=セレスタにもあなた様の活躍は轟いております!」
ヤタロウは再び手元の携帯端末を操作し、電影板を浮かび上がらせる。
異端討滅機構の速報だった。ジークの顔写真がでかでかと映っている。
「うっそ」
「……ッチ。思ったより動きが早い。異端討滅機構の奴ら、本格的にジークを英雄に祀り上げるつもりだ」
テレサの言葉をジークはどこか呆然と聞いていた。
どこかで甘く見ていたのかもしれない。
大侵攻を乗り越えたことも、第六死徒を倒したこと。
ジークにとって、それらは周りの力を借りただけでしかない。
けれど、その情報をどう解釈するかは自由なのだ。
異端討滅機構からすれば、膠着した戦況を打開するための広告塔。
半魔の存在を周知するデメリットより、英雄にしてしまうメリットを取ったのだ。
思わず硬直したジークの耳に、周囲の人々の声が届く。
ヤタロウの大きな声が、人々の関心を寄せてしまった。
ーーほんとだ。あの赤い目。今朝のニュースの人じゃない?
ーー嘘、あの子が? どうりでアステシア様の神殿に行こうとするわけね。
ーー半魔って気持ち悪いと思ってたけど、全然そんなことないわね。ちょっと好みかも……♪
ーー英雄……本物だったらすげぇな。サイン貰おうかな。
ジークはさっと顔色を変えた。
ここに居ると身動きできなくなりそうだ。
「ととと、とにかくっ! 話は中でしましょう、中で、ね!」
「了解でござる! あ、しばし待たれよ。どうか拙者と一緒にツーショットを」
「後で!!」
ジークはヤタロウの背中を押して神殿に入っていく。
テレサは呆れたようにため息を吐き、ルージュは、
(にしし。めちゃくちゃ人気者だね、お兄ちゃん?)
(全然嬉しくないよ!)
ジークは内心で頭を抱えた。
(僕は普通に暮らしたいだけなのに、なんでこうなっちゃうのかな!?)