第二話 大陸の南端
人の子よ。それは破滅の道だ。
この世の何を信じても、奴だけは信じるな。
『神々のお告げ第三章より抜粋』
◆
「ーー本当に、行ってしまうのですね」
王城の大広間で、ジークは姫に謁見をしていた。
他の葬送官は王都の復興に尽力しているため、ここに居るのはオリヴィアとテレサ、メイドだけだ。
ジークは寂しそうなフィーネル姫に苦笑をこぼす。
「すいません。色々便宜を図ってもらって」
「いえ。こちらも混乱していますから。まだ大丈夫ですよ」
今回の報告を受け、異端討滅機構はサンテレーゼ王国の政治に介入することになった。
ミドフォードのような死徒と通じる者が現れないためと、復興支援のためだ。
そのためサンレテーゼには多くの葬送官が動員されておりーー。
「それが終わったら、恐らくあなたは最前線に異動になるでしょう。異端討滅機構本部にも召集される。だから……」
「それまでに、リリアを助けに行きます」
「……えぇ。頑張ってくださいね」
冥界に行くーーそう言った時、フィーネルは意外にも反対しなかった。
「愛する者を救いに冥界に行くーーまるで『春の乙女と紅の英雄』みたいな話ですね』
「えーっと……? それってどんな話なんですか?」
身を乗り出して目を輝かせる姫にジークは少し引き気味に問う。
彼女は「知らないんですか?」と指を一本立て、
「『春の乙女と紅の英雄』ーー闇の神ダルカナスに見初められた乙女を助けようと、恋人である男、ファウザーが冥界へ向かう話です。ファウザーは行く先々でたくさんの困難に見舞われるんですけど、それでもなんとか恋人を助け出しました。ところが、乙女を渡したくない闇の神は意地悪な呪いをかけ、恋人が冥界でしか暮らせないようになってしまいます。ファウザーはこれに激怒し、ダルカナスに戦いを挑みました。幾日にも及ぶ両者の戦いは引き分けに終わり、闇の神はファウザーの勇気をたたえ、乙女を返して力を与えました。ファウザーは英雄として地上で名を馳せるようになるんです」
「へぇーー……そんな話があるんですね」
「はい。もちろん、冥界で神々や魔獣と遭遇しないのが一番ですけどーーそれでも私はあなたを信じています。あなたなら恋人を取り返せると」
そうそう、とフィーネルは続けて、
「今回の功績であなたの序列は、一万五千位から七〇五位まで上昇しました。前代未聞の偉業ですよ。もちろん、給金は十倍近く上がりますから、楽しみにしていてくださいね。……まぁ正直、実力的には序列十桁に居てもおかしくないんですが……」
「あ、そういうのあんまり気にしないので大丈夫です」
別に目立ちたいわけではない。
ここ最近、どうにも厄介ごとに巻き込まれているが、ジークは普通に暮らしたいだけなのだ。
「それより、両親の話が知りたいんですけど」
以前の大侵攻の後のことである。
フィーネルはジークの両親を知っているような口ぶりを話していた。
そしてその話を知るには、葬送官の序列を駆け上がるしかないのだと。
七〇五位がどれほどのものか知らないが、今なら、とジークは期待を抱く。
だが、フィーネルは首を横に振った。
「以前にも言った通り、それは権限レベル十……序列一桁の高みに昇らならなければいけません」
「一桁」
「階級も特級以上が必要ですしね。序列は上がっても、あなたの階級は下二級のままですから」
「むぅ。ついでに上げてくれたらいいのに」
「階級を上げるにはいくつか条件があるんですよ。一定期間葬送官を努めるーーとか、継続的に任務で成果を上げるとか。上層部の信頼も必要ですし。それでいえば、リリア・ローリンズ葬送官は今回の戦功で上級になります。序列は千番台です」
「……なんか置いて行かれた気分です」
葬送官において序列は実力を示し、階級は信用度を示す。
序列が上でも階級が下であれば、それはそのまま異端討滅機構の信頼がないことを意味する。
本来は素行不良の葬送官などがこれに当たるが、ジークの場合は別だ。
(半魔の階級を上げたくないって気持ちも分かるけどね。信頼できないだろうし)
まぁいいか、とジークは嘆息する。
既に両親は死んだのだ。彼らの事は知りたいが、死に物狂いで知りたいわけでもない。
(思い出は、僕の中にあるから)
そうだ、とジークは思いつく。
「あのぅ……ルージュの事なんですけど」
「……話はオリヴィアから聞いています」
フィーネルから笑みが消えた。
「人造悪魔創造計画によって半魔として生まれた実験体の悪魔化。一度は消失したはずの自我の復活。正直、特異性がありすぎて判断が付きません。もしも上層部に報告をすれば真っ先に処分されるでしょうね」
「それは……!」
「ですが、その悪魔はあなたたちが葬魂したはずですよね?」
「え?」
フィーネルがじっとジークを見てくる。
困惑したジークがテレサに助けを求めると、彼女は意味ありげにうなずいた。
(ぁ、聞かなかったことにしてくれるってこと?)
もしも聞いてしまえば、彼女は使命感から異端討滅機構に報告せざるをえない。
だからフィーネルは言っているのだ。
ルージュを守りたければ、何が何でも隠し通せと。
(ーー意外にお人好しなんだね。本物のお姫様)
頭の中にそんな声が響く。
ジークは頷いて、
「そうでした……僕、何言ってるんだろ」
「これは忠告ですが、あなたが今から行く街ではフードやニット帽をかぶったほうがいいかもしれません。あそこはこの街以上に悪魔の出現に敏感ですから。特に昼間は」
(あたしが街を歩くときも同じようにしろ。特に昼間は気をつけろってことかな)
(たぶん、そうだと思う)
(えへへ。じゃあお兄ちゃんとずっと一緒だね。お風呂の時もトイレの時も、布団の中でもーー)
(な、なに言ってんの!? トイレは流石にダメでしょ!? それに布団の中って!?)
(あれ? あたしは添い寝で甘えたいなぁって思っただけなんだけど、お兄ちゃん、ナニを想像したの? あれあれ?)
(!?!?)
(お兄ちゃんのエッチ。妹に欲情しちゃうなんて。変態さんだねぇ)
(違うから! 断じて違うから!)
小声で返事をしていると、フィーネルが首を傾げた。
「どうかしましたか、ジーク? なぜ顔が赤くなっているんですか?」
「にゃ、にゃんでもないです!」
「……? そうですか。とにかく気を付けてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
そろそろ出発の時間だ。
姫との挨拶を終えると、オリヴィアが進み出てきた。
彼女は迷うように目を伏せ、
「ジーク……反対をしていた私が、こんなことを頼める義理ではないが……」
オリヴィアは涙を堪え、ジークの肩に手を置いた。
「頼む。妹を……リリアを、救ってくれ……!」
「もちろんです」
彼女が反対をしていたのは自分を思ってのことだ。
オリヴィアが誰よりも妹を愛していることも、
本当は行きたい気持ちを抑えて自分に託してくれていることも、
ジークはよく分かっている。
だから、
「必ず元気なリリアを連れて帰ります。待っててくださいね」
「……あぁ。頼んだ」
オリヴィアは薄く微笑んだ。
テレサがジークの肩に手を置いた。
「じゃあ行こうかね。姫、働きすぎには気をつけな」
「はい。テレサ。ありがとうございます」
「行ってきます!」
「いってらっしゃい」
そしてジークたちの姿は、大広間から消えた。
恐らくその影に潜んでいたのであろう、妹の悪魔を連れて。
「……行ってしまいましたね」
フィーネルは軽く息をつき、メイドが問う。
「……よろしかったのですか? あの情報、彼に伝えなくて」
「よいのです。これは彼が乗り越えるべきこと。いずれ来たる試練の為です。例えそれが彼にとって残酷なことであるとしても……私は信じています」
フィーネルは断言した。
「きっと彼なら、過酷な運命を覆すことが出来るのだと」
◆
「うぅ、くらくらします……」
ジークは頭を抑えていた。
腹の底から強烈な吐き気がこみあげてきて、思わずうずくまる。
「情けない……と言いたいところだけど、まぁしょうがないね」
テレサはあっけからんとした様子だ。
「あんたが経験したことのない超長距離転移だ。ここは中央大陸の南端。大陸の出口だから」
「うぅ……」
ジークたちが居たサンテレーゼ王国は中央大陸でも北方に位置している。
そこからここまで何千キロも離れていると言うのだから、テレサの能力のすさまじさが伺えた。
「大陸の端、ですか……」
転移酔いが収まってきたジークは周りを見渡す。
一見してみると、何もない丘陵地帯だ。
見渡す限りどこまでも草原が広がっていて、街道に魔導装甲車が走っているのが見えた。
慌ててフードで頭を隠しつつ、ジークは問う。
「ここに冥界の入り口があるんですか?」
「いや、まずは街に向かう。冥界に向かうには準備が居るからね」
「準備……?」
「うん。まずは街に向かうよ。妹も出していい」
「あ、はい。じゃあルージュ」
「はーい」
ぬ、と影の中からルージュが現れた。
彼女はテレサに一礼したあと、物珍しげに周りを見る。
「これが、外の世界……街の外以外の。景色なんだ」
「あ、そっか。ルージュは街から出たことなかったんだっけ?」
「それどころか、研究所から出たことも数少ないよ。そっか。これが……」
ルージュの胸の中に、暖かい風が吹き抜けていく。
(ルージュ。見てる? あたし……来たよ。お兄ちゃんと一緒に、外の世界に……)
「何だ、そんなに珍しいかい? なら、これを見たらもっと驚くかもね」
「へ?」
テレサがニヤ、と笑い、くい、と親指を丘に向けた。
あそこに何かがあるのだろうーー。
そう察したジークたちは顔を見合わせ、二人で駆けだした。
荒い息をつきながら、丘陵地帯を登る。
そしてーー。
丘の頂上に登った二人は、同時に感嘆の息をついた。
『わぁ……』
それは、白い街だった。
丘の中腹から海岸線へ、段々状に広がる家々の連なり。
青く塗られた屋根が陽光を反射して輝き、街の上空をたくさんの飛竜が飛んでいる。
「おおおお、お兄ちゃん、な、なんか飛んでるよ!? 大丈夫? 撃ち落とす!?」
「ま、待ってルージュ。落ちて付いて行こう。えっとまずは聖杖機を構えて
「あんたが落ち着け馬鹿兄妹」
「ふげ」
拳骨を喰らったジークは頭を抑えた。
見れば、隣のルージュも同じような格好をしている。
「なんであたしまでぇ」
「あんたが一番物騒だからだよ。全く」
テレサはため息をついて。
「あれは赤燐竜だ。飼いならされた魔獣さ。宅配便とか戦闘にも使われてるんだよ。温暖な気候を好むからサンテレーゼには中々いないけど」
「へぇー……」
「あの、でっかい水たまりって、もしかして……?」
ルージュが震える声で言った。
テレサは頷く。
「あぁ、これが『海』だよ」
ルージュは言葉を失った。
どこまでも。
どこまでも無窮に広がる大海原。
寄せては返す波の上を、大きな塊が浮いている。
恐らくアレが『船』なのだろう。海の中に大きくそり立つ石柱は、終末戦争の名残りだ。
海神デオウルスを象った像が、岩の壁に掘られていた。
「……っ」
つぅ、と一筋の涙が零れ落ちていく。
光に煌めくそれは、ルージュのものなのか、ローズのものなのか、彼女には分からない。
ただ感動で心が震えて。
胸の中が暖かいものでいっぱいになって。
何も言えずにいると、ジークがそっと肩を抱き寄せてくれた。
「……良かったね」
「うん」
「大袈裟だね。こんなもん、これからいくらでも見ればいいのさ」
テレサは二人の前に進み出て、
「ともあれ、ここが目的地だ。世界の中でも冥界の入り口がある数少ない街。中央大陸の台所、貿易の要」
一拍置いて、テレサはニィ、と笑った。
「『黄昏の街』エル=セレスタへようこそ。二人とも」