第五話 叡智の加護
ーー燃えていた。
「ぁあぁあああああああああああああああああ!!」
ーー燃えていた。
「あづいあづいあづいあづいあづいあついぃいいいいいいいい!?」
全身をバーナーであぶられているような感覚。
外見上は何の変化もないのに、身体の中では炎が燃えていた。
神域から帰還した途端に起こった変化。
かれこれ一時間以上、ジークは地面にのたうち回っている。
「めが、目が、目がああああああああああ!!」
眼球の水分が蒸発している。
じゅわ、じゅわ、と沸騰する熱にジークは耐えられない。
これまで数えきれない責め苦を受けたジークが、死んだほうがマシだと確信するほどの痛み。
「いだ、いだい……! ぁあぁあああ!」
胸の中心に紋章が浮かび上がり、光がきらめいた。
身体中の熱が吸収され、真夏の太陽のようにギラギラとかがやく。
そしてーー
「はぁ、はぁ……」
身体の痛みがおさまり、ジークは荒く息をついた。
全身に嫌な汗が流れている。口の中に血の味が広がって気持ち悪かった。
「…………加護をもらうときって、みんなこんな痛い思いしてるの?」
そんな話聞いたこともないが、きっとジークが知らないだけだろう。
何しろ神の力である。ただで得られるほど安いものではあるまい。
「まぁ、父さんと離れてから、ずっとあの人たちに捕まってたしな……」
他の人の情報を得る時間もなく、ジークが持っているのは両親から教わった知識だけだ。そういうこともあるだろう。
ジークはホッと息をつき、アステシアの像を恨めし気に見る。
加護をくれるなら、せめてこんな痛みがあることくらい教えてほしかったのに。
「……」
女神像がにやついて見えるのは気のせいだろうか。
ジークはちょっと意地悪したくなって、女神の像に落ち葉を塗りたくった。
「べー。アステシアさまのばーか」
というかどんな加護をもらったんだろう。
要らないとは言ったものの、いざ貰うとどんなものかは気になって仕方ない。
見たところ変化はないようだけど……
自覚できないと、ますます気になってくる。
ジークは両手を掲げ、
「加護よ、目覚めよ!」
シーン…………。
何も起こらない。
ジークは首を傾げ、
「アステシア様、力を貸して!」
「とー!」
「ふんんぬッ!」
ジークは思いつく限りの方法を試したが、それらしき力は出てこない。
フィックスのように手のひらから炎を出すのは、少し憧れたのだが。
「……残念。まぁいっか。とりあえずお腹すいたし……なんか狩りに行こうっと」
ため息をつき、ジークは歩きだす。
その瞬間だった。
「ーーーーー」
神殿の入り口に、悪魔がいた。
「え」
恐らく人間の気配を感じて来たのだろう。
猿のような見た目をした悪魔ーー魔猿だ。
きょろきょろとあたりを見回したソレは、ジークを見つける。
そして、
「ぉォオオオオオオオオオオオオオ」
「うわぁぁああああああああああああ!?」
獲物を見つけた肉食獣のごとく、小猿が飛びかかってきた。
(は、はやい……!)
完全に不意を突かれたジークは慌てて飛び退ろうとして、
(あ、あれ……?)
魔猿の姿がブレた。
魔猿の振りぬいた腕の延長線上に、もう一本、透明な腕がある。
その腕が徐々にもう一本の腕に重なっていきーー
「へぶ!?」
あっけにとられていたジークは、無様に殴られた。
強烈な衝撃が頬をつらぬき、空中できりもみしながら、ジークは地面に倒れふす。ふらつきながら立ち上がると、魔猿が追撃してきた。
「わ、わっ!?」
ジークは慌てて、頬を抑えながら立ち上がる。
「な、なんだ。今の、まるで、腕がくる場所に腕が来たみたいな……」
再び、ブレていく。
先ほどと同じような現象に、今度はジークも反応した。
腕の延長線上にある、透明な腕の軌道を避けると、
「ぉ、ぉお?」
重なった魔猿の腕を簡単に避けることができた。
次も、そのまた次も、怒り狂った魔猿の追撃を避けていく。
「見える」
『グォオオオオオオオオオオ!』
魔猿は苛立ったように攻撃を仕掛けてくるが、ジークには一撃も当たらない。
一撃、四撃、激しくなっていく攻撃の連打。
だがその全ては、ジークには見えている。
「そうか……アステシアさまの加護って……!」
数秒、いや、もっと短い先の未来を見る加護。
異端討滅機構では『先視の加護』と呼ばれている加護だ。
今まで発動しなかったのは、身体の負担を避けるために無意識に加護を抑えていたからか。
「これなら……!」
ジークはぐっと拳を握り、足を踏み出した。
危険が迫った今、ジークの本能は生きるための最適解を選び出すーー!
「そ、こ、だ!」
ジークは、視界に重なる透明な魔猿の身体に真っ向から腕を振りかぶった。
半魔として生きてきたジークの拳は、狙い打った魔猿を吹き飛ばす。
はずだった。
「あ、れぇえ!?」
現実にはそうならず、ジークの拳は魔猿の体を遠すぎていた。
タイミングが早すぎたのだ。逆に拳が当たって、ジークは再び吹き飛ばされた。
「いっづ……!」
慌てて受け身を取りながら、ジークは血が滲んだ口元をぬぐう。
「タイミング難しいな……そう簡単にうまくはいかないか」
例え加護を得てもそれを使いこなすのは人間だ。
生まれてこの方、加護を得たことも使ったこともないジークにいきなり実戦は早すぎた。せめてもう少し早くこの加護がどういうものか知れていれば……。
『うふふ。そんなもったいないことするわけないじゃない♪』
そんな声が聞こえた気がして、ジークはむっと頬を膨らませる。
「アステシアさま、かわいいのに意地悪なんだよな……」
とはいえ今は戦闘のほうに集中だ。
ジークは足元に落ちていた木の枝を拾い、武器にした。
だがーー
「え?」
だん、だん、と床を蹴る音が響く。
神殿の外からやってきた魔猿の数ーー二十体以上。
「ちょ……! これはさすがにっ」
いくら何でも多勢に無勢だ。
このままだと追い込まれると悟り、ジークはすぐにこの場所を放棄することを決める。
しかしその判断は、少し遅かった。
「いっづっ!?」
神殿の窓枠から外に飛び出そうとしたジークの足を、魔猿が掴んでくる。
すごい力だ。足が軋むのを感じてジークは呻いた。
「こ、の……!」
がんッ!と棒を振りかぶり、ジークは窓から外へ逃走する。
既に逃げ道は塞がれていて、神殿の中と外は魔猿でいっぱいだった。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
うっそうと生い茂る森の中をひた走る。
鋭い枝が肌を裂き、魔猿が投げてくる石で全身が血だらけだ。
そんなジークの血の匂いを嗅ぎつけて、森葬領域に住まう悪魔たちが押し寄せてくる。
「う、うぅ……ッ、なんで僕がこんな目に……!」
泣き言を呟くジークはひたすら走った。
走って、
走って、
走って、
走り続けてーー
「ぜぇ、ぜぇ……ハァ、もう、無理……」
どうにか包囲網を抜けきったジークは、森の外側で倒れこむ。
足が痺れて動かない。口の中は血の味でいっぱいで、頭が割れるように痛かった。
「だれか、たす、け……」
そんな呟きを残し、ジークの意識は闇の中に溶けていく。
「ーーなんだいーーこんなーーに。…………ったく……ねぇ」
そんな声が、聞こえたような気がした。