第十七話 死徒、現る
「我が名は第七死徒『傲慢』オルガ・クウェン。以後、お見知りおきを」
『死徒……!?』
ジークは目を見開いた。
ありえない、という言葉をかろうじて呑みこむ。
死徒。
それは冥王が率いる七人の強大なエルダーを指す名だ。
数多の都市を滅ぼし、恐ろしい軍団を率いる強者。
彼らは悪魔の異能だけではなく、冥界の神々から加護を得ていると聞く。
そんな強大な存在が、この国にいるなんて──。
「クッフフ。不思議に思っている様子ですね? 私のような強者が、なぜここにいるのか?」
「……」
クウェンと名乗った死徒が、禍々しいオーラを纏う。
威圧するように、彼は続けた。
「簡単なことです。冥王様から国を滅ぼせと命じられたのですよ。ただ、わざわざ正面から戦って人類を滅ぼすなんて、面倒くさいでしょう? だから潜入することにしました。欲深そうな人間に取り入って暗黒大陸の耳障りがいい情報を流しつつ、国の内部から自滅するように仕立て上げたのです……まぁ、最後の仕上げは私が手を加えましたがね」
「お前が……人造悪魔創造計画なんてものを吹き込んだのか?」
「いいえ? 私が来た時には既に始まっていましたよ。それは人類の業です」
「……」
ジークはぎゅっと剣を握りしめた。
(どうする……こいつの強さは未知数だ。勝てる保証はない)
リリアを救出した今、ジークの目的はこの計画を白日の下に晒すことだ。
そうしなければジークと姫は濡れ衣を着せられたまま社会的に死ぬ。
(馬鹿だな……僕)
今更になって、頭に血が登っていたことをジークは反省した。
ミドフォードが死んだことで、計画を証言できる有力者が居なくなってしまった。
結果的に死徒が殺したが、ジークが殺したとしても同じことになっていただろう。
(目的をはき違えちゃだめだ……みんなが殺された今、僕がやるべきことは)
「しかし、あなたには興味があったのですよ。ジーク・トニトルス」
「僕はお前に興味なんてない」
「本来生まれるはずのない半魔──ゼレオティールが何か仕掛けたのでしょうが、あなたのような存在が生まれる事は、我が『不死の都』にとっても想定外でねぇ……煉獄の神ヴェヌリスが敗れたと言うから、今、『不死の都』はあなたの話題でもちきりですよ。人造の半魔はデータで見ましたが、やはりあなたは格が違う」
粘ついた視線がジークに突き刺さる。
その時、警戒を崩さないリリアが囁いた。
(ジーク、ここは引きましょう)
(リリア。でも)
(いくらジークでも、消耗した状態で死徒の相手をするのは無理です。ただでさえ相手は格上ですから、ここは他の葬送官と合流した方が得策です)
確かに、とジークは思う。
ここで自分たちがやられればこの死徒はやりたい放題なのだ。
ルージュ戦で加護の力を消耗しているし、剣の限界がいつ来るかも分からない。
それならオリヴィアと合流して死徒を相手にした方が得策か。
「分かった。僕が注意を──」
だが、その決断は少し遅かった。
「うん、決めました。やはりあなたは持ち帰りましょう」
「……ッ!?」
クウェンが目の前にいた。
(はや……!? 全く見えなかった!?)
まるで神霊ヴェヌリスを相手にしているかのようだ。
咄嗟に反応できたのは、日頃の修練の賜物だろう。
「~~~~~~~~っ!?」
「ジーク!?」
ぐわん、と巨大化したような影の手が、ジークを襲う。
その手が身体に触れる寸前、ジークは身を捻って回避し、剣で手を受け流す。
「ぁ、ぁああッ!」
その姿勢のまま横薙ぎに一閃する。
防がれる未来を見て、ジークは背後に飛んだ。
「ッ!?」
雷を纏った斬撃を放った。
視界が真っ白に染まる。地面がめくれ上がる、津波のような衝撃波が走った。
神霊ヴェヌリスですら直撃を避けた攻撃だ。
いかに死徒と言えど無傷では済まないはず。
当たれば、の話だが。
「せっかく良い『眼』を持っているのに、自ら視界を塞ぐのは感心しませんねぇ?」
「な……!?」
背後から聞こえた声に、ジークは戦慄する。
咄嗟に振り向こうとした瞬間、がッ、と首を掴まれた。
クウェンの顔が目の前にあった。
(まただ……気配すら感じられない。何なんだ、こいつはッ)
「いつの、間に……」
「クッフフ。これが私の力、というわけですよ」
「──ジークから離れなさい、下郎ッ!」
その瞬間、クウェンが凍り付いた。
ピキ、とひび割れた体が、一瞬で粉々に砕け散る。
「ゲホ、ゲホ……ッ」
「ジーク、大丈夫ですか?」
「大丈夫、だけど」
「おやおや。忘れていましたよ。そういえば居ましたね、あなた」
ぬぅう、と地面の中からクウェンが現れる。
何もない場所から現れた無傷の死徒を見て、ジークは眉を顰めた。
「確かにリリアの攻撃は当たったはず……」
「影ですか」
リリアの厳しい顔に、死徒はパチパチと手を叩く。
「ご名答。良く分かりましたね」
「攻撃の瞬間に死徒の影と魔力の糸が結ばれてました。恐らくこいつは、本体が攻撃を受けても影が無事なら再生するんです」
冥府の神々に属する、影の神スカージアの加護だとリリアは看破する。
自分に聞かせるように声を上げた彼女を、ジークはじっと見つめた。
(リリア……やっぱり疲れてる)
当然だ。長時間捕まっていた疲労に加え、彼女には聖杖機がない。
葬送官は聖杖機がなくても加護を使えるが、陽力伝導率を大幅に引き上げる聖杖機がなければ、体力の消耗は激しくなる。
「……僕が、決着をつけないと」
今、リリアを守れるのは自分だけだ。
生半可な攻撃は通じない。本体を再生しても影が無事なら再生する──。
なら。
「影ごと倒せば、お前は消滅する」
「……それが分かったところで、あなたに何が出来ますか?」
「こうする」
「!」
──力を。
ジークは身体に雷を纏い、自分を中心に磁界を発生させる。
こうして影の侵入を防いだ上で、剣に力を集中させた。
──こいつを倒す、力を!
「行くぞ」
クウェンの顔色が変わった。
「『影人形の舞踏』!」
どこからともなく現れた影の兵士が、ジークに殺到する。
威嚇するように瓦礫を裂いた兵士の剣は、相当の切れ味だ。
当たればタダでは済まない。だから、
「トニトルス流双剣術迅雷の型・一番」
ジークは双剣を構え、
「『雷光』」
襲い来る全てを、真っ向から撃滅する。
「は?」
光の奔流が全てを呑みこんだ。
影の存在を許さない光の波がクウェンを呑みこむ。
死徒が呆気にとられた一瞬の隙に、ジークは懐に潜り込んでいた。
「は、や……!」
左から逆袈裟に斬り上げ、腰から肩を一刀両断。
蒼い鮮血が噴き出し、死徒はたまらずと言った様子で後ろに飛び下がった。
そう見えた。
「ぁ」
ぱきん、ジークの聖杖機がひび割れた。
(こんな、時に……!)
影は消滅した。残すは死徒だけだ。
けれどその一撃が──足りなかった。
双剣が粉々に砕け散った。
「《凍り付け》《茨の如く》!」
リリアが氷の鞭を操り、ジークを手繰り寄せる。
同時に、勝機を見た死徒に氷の雨を浴びせたが、死徒には効かない。
「クッフフ。えぇ、えぇ! そうでしょうとも! その力──創造神のものでしょう? そんな力に人類が作った聖杖機が耐えられるわけがない! それに──」
「ハァ、ハァ、ぜぇッ……」
「どうやら、制御できていない様子」
ジークは奥歯を噛みしめた。
(身体が、重い……!)
ゼレオティールの加護を全力で二発──僅かに残っていた体力はそれで全て吹き飛んだ。
元よりルージュとの戦闘で消耗していたのに、ここに来て死徒の相手は無謀。
分かっていたことだが──
「強い、ですね」
そう、クウェンは今のところ、傷一つ負って居ないのだ。
今のままでは敗北は必定。
ジークが判断するより、リリアの決断が早かった。
「『氷霧の幻影』……!」
空気中の水分を凍らせ、目に見えないほど細かい氷の粒を造る。
光を乱反射する氷の粒は霧のようにあたりに立ち込め、ジークたちの姿がブレ始めた。
「今のうちです、ジーク。行けますか!?」
「うん……!」
「──残念、少し遅かったようですね」
どくん、と。
心臓の鼓動が、霧を払い飛ばした。
「え?」
呆然と振り返るジークたちは、クウェンの横で脈動する肉塊を見る。
それは次第に大きくなり、高さ五メートルまで成長した。
「彼に渡した《賢者の石》は、多くの悪魔を吸収したとある魔獣の根源を封じてありました」
まるで、喜劇の舞台でも観ているようなワクワクした表情だ。
両手を掲げ、芝居がかった仕草で道化は踊る。
「それを人間が取り込めばどうなるか──当然、自我は破壊され、原型はとどめないでしょう。そこで人造悪魔創造計画です。彼の身体を卵として利用するため、薬で改造を施し、魔獣の根源に眠る多くの魂を分解、再構築し、己の子供として生むように調整しました……♪ 今や彼の身体は、人工生命を生む父となったのです……!」
「お前……お前、まさかこのために……!」
「不死の身体が目当ての俗物に近づいて、人造悪魔創造計画を影から操りました。彼らは知らないでしょうねぇ。国家を守るために不死の兵士を生む計画が、国家を滅ぼすために使われるなんて……!」
「……っ、最低、ですね」
リリアは見たことないような冷たい目をしていた。
その気持ちは、ジークにも分かる。
欲望を利用し、己の計画に組み込み、とことんまで人を踏みにじる──。
コイツはまさしく、人の形をした悪魔だ。
「ようやく完成しました──あなた達はこれと遊んでもらえますか」
「なに……?」
「国を滅ぼした後で、ゆっくりとあなたを捕獲するとしましょう」
ピキ、ピキ、と卵がひび割れる音がして。
『ピィィィイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
ミドフォードだった肉塊が、甲高い産声をあげた。
それは漆黒の怪鳥だった。
夜の闇より黒い体躯、全身に走る赤い線は血管のよう。
全てを燃やす炎を眼窩に宿し、怪鳥は羽ばたく。
「人造特級悪魔変異種『死喰鳥』、と言ったところでしょうか。クッフフ。楽しんでくださいね?」
怪鳥の背に乗った死徒が嗤う。
怪鳥はジークたちを見つけると、くちばしを大きく開いた。
その中心が、禍々しく光る──。
「──ッ、リリア、合わせてッ!」
「はいッ!」
黒い光が放たれた。
ジークは咄嗟にリリアの前に出て、両手で磁力の障壁を発生させる。
だがその衝撃は凄まじく──リリアが張った氷の防御ごと、二人は吹き飛ばされた。
放射状にひび割れた壁の下に、ジークは崩れ落ちる。
「う、ぁ」
「ジーク、しっかりしてください、ジーク!」
身体を起こすと、目の前にリリアが居た。
頭が割れるように痛くて、視界が赤く染まっている。
「リリア……大丈夫?」
「わたしは、ジークが庇ってくれたから……でも」
リリアは天井を見上げた。
つられて目を向けると、空が見える巨大な穴が天井に開いていた。
「もしかして」
「はい。奴はあそこから王都に向かいました」
「……そっか。じゃあ、行かないとね」
よっこいしょ、と立ち上がったジークを、リリアが慌てて制止する。
「ま、待ってください! まさかその状態で向かうつもりですか!?」
「うん」
「無茶です! せめて治癒術師の治療を受けてください!」
「そんな暇ないよ」
「ジーク!」
「ごめん。でも、許せないんだ」
ハッ、とリリアは目を見開いた。
ジークは拳を握り、
「だって……ルージュが、他の妹達が受けてきた苦痛は、あいつが、自分の為にやったってことでしょ」
「それは、そうですが」
「じゃあ、あいつはルージュの……たくさんの妹たちの仇だ」
ミドフォードが利用されていたことはとうでもいい。
彼は自分の欲に動かされて破滅しただけだから。
でも、ルージュたちは別だ。
理不尽な理由で虐げられ、実験動物のように飼われ、外の世界を見ることなく死んだ。
勝手だとは分かっている。
助けられなかった自分が言える事じゃないかもしれない。
それでも。
「あいつだけは、絶対に僕が倒す」
「……ですが、聖杖機が」
「聖杖機がなくても、加護が使えるよ」
消耗した体力を回復している時間はない。
今こうしている間にも、クウェンは王都を滅ぼそうとしているから。
「……言っても、無駄みたいですね」
「……うん。ごめん」
「謝らないでください。本当は休んでほしいですけど……でも」
リリアはジークの隣に立ち、力強く手を握りしめた。
「あなた一人を行かせはしません。一緒にあいつを止めましょう」
無限の信頼を宿した瞳に、ジークは頬を緩めた。
「うん。行こう、二人で!」
雷光が、天に突き立った。




