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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
第二章 覚醒
51/231

第十五話 ルージュ

 

 赤い液体に満たされた培養槽、

 周りに見えるたくさんの兄妹たち。

 痛みと苦しみに満ちた地獄が、世界の全てだった。


「No.487。来い。お前の番だ」


 毎日、誰かが連れていかれた。

 そして二度と戻ってこなかった。


 それが異常だとは、思わなかった。

 ただ漠然と、彼らはもう帰ってこないことは理解していた。


『お勉強』からの帰り道、動かなくなった身体を運んでいるところを見たからだ。


 そんな日々を、繰り返した。


「No.692.来なさい」


 そして少女の番がやって来た。

 連れてこられたのは、直径十メートルばかりの広い部屋だ。

 反対側には鉄格子があって、カメラや機材が壁に取り付けられている。


 鉄格子が開いた。

 ゆっくりと現れたのは、赤い獅子だった。


「ひッ」


 それが『魔獣』と呼ばれる種であることは、『お勉強』の時間に知っていた。

 旧世界の動物がエーテル粒子を取り込んだことで突然変異した怪物。


 ──怖い。


 少女を、原初的な本能が支配した。


「い、いや、助けて、助けてッ!」


「No.692.死にたくなければ戦いなさい」


 スピーカーから冷たい声が響く。


 あぁ、次は自分の番なのか。

 みんなこれで死んでいたんだ。


 少女はそう理解した。

 咄嗟に逃亡ルートを探す。


 部屋の中に窓はない。空気が通っているのは五センチの穴だけ。

 鉄格子は──無理だ。あんなのこじ開けられるわけがない。


「グ、ルルァ……」


 魔獣は、まるで何日も餌を食べていないように飢えていた。

 鋭い牙から唾液が滴り、獅子の足元に点々と染みを作る。


「グラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」


「い、いやぁああああああああああああ!」


 少女は逃げた。


 とにかく逃げた。

 思いっきり逃げた。


 早く、

 早く、

 早く、


 あいつのいないところに。

 食べられないところに、早く!


「No.692。戦いなさい。『力』を呼び覚ますんだ。お前なら出来る」


 無理だよ、無理に決まっている!

 あれが見えないの?

 あんな怪物に勝てるわけがないじゃない!


 少女は内心で叫んだ。

 生まれてから一番、力の限り走った。


 だが、わずか十メートルの室内で少女が逃げられる場所など限られている。

 ましてや相手は飢えた獣だ。

 少女はすぐに壁際に追い込まれてしまった。


「ぁ、やめ」


 拒絶は、届かなかった。


「ぁあああああああああああああああああああああああああ!」


 まず足を喰われた。

 皮が裂け、肉が抉れ、骨が折れる嫌な音を聞いた。


 ばきぼり、べちゃくちゃ、自分の足が無残に食べられていく。


 ──やはり、今回もダメか。


 ──実験方法を見直すべきではないか? これで三十体目だ。予算も限られている。


 ──いや、少し様子を見よう。各数値は上昇しているんだ。


 スピーカーからの音なんて、少女には聞こえなかった。


『お勉強』の時間に痛みに耐える訓練をされていたせいで、気絶することもできなかった。

 無限の苦しみに溺れながら、少女はあえいでいた。


 次に腹を喰われた。


「~~~~~~~~~~~っ!!」


 腹の中から桃色の臓腑が引きずり出され、ぺちゃりと少女の頬を叩いた。

 ぐちゃ、と小腸から黄色い液体がにじみ出て、獅子はごちそうのようにかぶりつく。


(わたし、死ぬのかな……)


 これまでのみんなと同じように、

 ゴミのように打ち捨てられ、誰に覚えられることもなく死んでいく。

 それがこの実験室で生まれた自分の運命なのだ。仕方ない。


 仕方ない、けれど。


(やだ、よぅ……痛いの、苦しいの、やだよぅ……)


 逃げたかった。

 この狭い世界から、自分を閉じ込める檻から。


 許せなかった。

 自分を痛めつける奴が、何もしてないのに、無邪気に自分を食べる奴が。


 ──みんな、死んでしまえばいいのに。


 どくん、と少女の魂が脈動する。

 半端に長かった耳は鋭く尖り、瞳は血のように赤く染まっていく。


「ぁ、ぁああああああああああああああああああああああああああ!!」


 真っ黒な光が、少女を呑みこんだ。

 天と地がひっくり返ったような衝撃があった。


 ぐるぐると、身体が回転する。

 視界が暗転して何も見えなくなった。


 朦朧とした意識の中、スピーカーから喝采が響いた。


 ──素晴らしい、成功だ! 


 ──No.692。各数値共に『彼女』に匹敵する傑作だ! 


 ──このタイプを量産しよう。まずは彼女を治療しなければ、今すぐ治癒術師を呼ぶんだ。さぁ早く!


 そんな声を、少女はおぼろげに理解して。


(あぁ、助かったんだ……)


 安堵の吐息をつき、少女の意識は暗転する。



 ──ここからが本当の地獄だなんて、知らなかった。



 ◆



 どうやら、自分には『異能』という特別な力が目覚めたらしい。

 白衣の男が興奮しながら話していたのを、少女は朧げに覚えている。


 その日から、少女は培養槽とは違う小部屋に移された。

 少女はトイレを知り、食事を知り、本を読むという事を知った。

 この檻の外に、広大な世界がある事を知った。


 以前とは比べ物にならないほどの良い環境だ。


『お勉強』の時間がなければ少女はそう思っていた。


「いだい、いだいだいだいだいだいだいだい、痛いいいいいいいいいいい!!」


「魔力数値上昇、エーテル適合率四十八パーセント、異能の収束率十パーセントです」


 頭に無数の管がついた機械を取り付けられ、割れるような痛みが少女を襲った。

 手足が痙攣し、じたばたをもがくけれど、痛いのは消えてなくならなかった。


「No.692。落ち着いて、深呼吸して」


「フーッ、フーッ」


「痛いのはすぐに気持ちいいのに変わるからね……さぁ、どうだい」


 腕から何か透明な液体を注射され、少女の頭はボーっとしてきた。

 痛みが麻痺し、頭の奥がカァッ、と熱くなっていく。


「これ、が、気持ち、いい……?」


「そう、そうだ。それが気持ちいいだ。痛いのは気持ちいい。気持ちよくなるには痛くしないといけない。分かるかい?」


「うん」


「ならもっと気持ちよくしてあげよう。そしたら、君の力ももっと高まるはずだ」


「うん、うん。気持ちいい、欲しい……」


 少女は熱に浮かされたまま、痛みを欲した。

 痛みが快感に代わり、狂いそうになる感情の濁流が押し流されていく。


 けれど、気持ちいいが続いたのは『お勉強』が終わるまでだった。


「ぁ、ぁぁあ、ァァアアアッッ!」


 痛い、

 痛い、

 痛い、

 痛い、

 痛い!


 ベッドの上で、狂ったようにのたうち回る。

 痛いのから逃れようと、たまらず『気持ちいい』を求めるけれど、気は休まらない。

 休む間もなく、『お勉強』は続いた。


「さぁ、力を振り絞るんだ。お前の力を見せてみろ」


「ん……ッ」


 少女が目覚めた異能『黒の滅塵』と名付けられたそれを、操作する訓練だ。


 訓練は倒れるまで続いた。

 時に離れた的に当てたり、魔獣と戦わされたり、悪魔と戦わされたり。


 何度も、

 何度も、

 何度も、


 少女は必死で、戦い続けた。




 ──そうしてどれくらい経った時だろう。




『彼女』と、出会った。



「No.692。今日からこの子と暮らすんだ。仲良くするんだぞ」


 緋色の髪をした、明るい女の子だった。

 まあるい瞳に、幸せを絵に書いたように緩んだ口元。


 痛みと苦しみが続く地獄の中で、『彼女』はあまりにも不釣り合いな顔をしていた。

 白衣の男が去ってから、『彼女』は少女に顔を近づけた。


 ふわりと、甘い香りが少女の鼻腔を刺激する。


「初めまして。これからよろしくね?」


「う、うん」


 自分以外の子供と喋るのは初めてだった。

 他の姉妹は何人も見たけど、喋る機会なんてなかったから。

 だから『彼女』が胸に手を当てて問いかけてきたときは、なおさら戸惑った。


「わたし、ルージュ。あなたは?」


「え……?」


「名前よ。被検体の番号なんかじゃなくて、あなたの名前」


「…………なま、え」


「無いの?」


 こくり、と少女は頷く。

 すると『彼女』──ルージュは嬉しそうに微笑んで、


「じゃあ、あたしがつけてあげる!」


「え?」


「うーんとねー……黒い髪でしょ、かわいいお顔でしょ、うーんとねー……」


 ルージュは「うーんとねー」と何度も繰り返し唸って、


「決めた! あなたは、ローズ。薔薇みたいに美しくて可憐で、けど触るとちょっと棘があるの!」


「ローズ……」


「そう、どう、かな?」


 ルージュは不安そうに顔を覗き込んできた。


 ──少女に、名前の良し悪しなど分からない。


 ただ、被検体No.692と呼ばれるよりは、胸がポカポカする気がした。

 少女はゆっくりとうなずく。


「いい、と思う」


 ルージュは、ぱぁ、と花が咲くように笑った。


「良かった! じゃあ、よろしくね、ローズ!」


「うん」


 差し出してきた手を、おずおずと手に取る少女──ローズ。

 痛みと苦しみに満ちた地獄のような世界で──。

 彼女の手は、泣きたくなるほど暖かかった。



 それからの暮らしは、戦いのとき以外、ルージュと一緒に過ごした。

『お勉強』の時間も、寝るときも、トイレの時も、お菓子の時間も。


 ルージュはたくさんの事を話した。

 彼女は自分とは違うベクトルで育てられた子供で、自分たちが『実験体』だと知っていた。


『お勉強』の時間は、肉体強化の薬品とエーテル強化による改造手術だという事も。

 この『檻』の中にはたくさんの研究者が居て、自分たちを観察している事も。


 外の世界には海という大きな水たまりがあって、どこまでも続いている事も──。


 ローズが知らない、たくさんの事をルージュは知っていた。


『お勉強』は気持ちよくて、辛かった。

 魔獣や悪魔と戦うのは痛くて苦しかった。


 けれどそんな時間も全部、ルージュが居たから耐えられた。

 夜、寝る前にお話をしたり、小さなままごとをして遊んだり──。


 二人で居るかけがえのない時間が、ローズを支えていた。

 そのうちたくさん弟妹達がやって来たけれど、彼らはローズたちほど長く生きられなかった。


「ねぇ、知ってる? わたしたちには、お兄ちゃんが居るんだって」


「お兄ちゃん……?」


「そう、同じお母さんから生まれた人。この世界のどこかにいるらしいよ」


「へぇ」


 そんな人がいるなんて知らなかった。

 自分たちがその人をモデルに作られたことも、その時初めて知った。


「お兄ちゃんがいるなら……」


 ローズは膝に顔をうずめて、


「あたしたちを、助けてくれるのかな」


「ローズ……」


「ずるい、なぁ」


 自由に外を歩き回れて羨ましかった。

『お勉強』の時間がないことが妬ましかった。


 きっと彼は幸せに生きているのだろう。

 自分たちのように、閉ざされた場所で生きていく実験体とは違うのだろう。


「ローズには、わたしが一緒にいるよ」


 後ろから、ルージュが抱きしめてきた。


「ルージュ」


「どんなに辛くても、痛くても、わたしだけは一緒に居るから」


「……うん」


「ずーっと、一緒だよ」


 彼女は涙を流しながら、そう言って微笑んだ。


「……?」


 その涙の意味をルージュが知ったのは、それから三日後の事だった。



 その日の『お勉強』は、いつもと違っていた。

 魔獣や異形化した悪魔ではない、エルダーと呼ばれる完全な悪魔との戦いらしかった。


 姿を覚えられないため、黒いローブを被せられた。

 相手も同じローブを被っていた。


 そして戦いが始まった。


「く……ッ」


 ──強敵、だった。


 どんな魔獣も、ローズの重力攻撃にかかれば大抵は無力化できた。

 けれど黒ローブは、光の力を操り、異次元の速さで間合いを詰めてくる。


 戦いの中、ローズは重力による妨害行為を覚えた。

 光の屈折を妨げ、高速移動を封じる方法を覚えた。


 戦いは一時間にも、二時間にも及んだ。


 そして──。


「はぁあああああああああああああああああああ!」


「…………ッ」


 ローズの短剣が、黒ローブに迫った。

 フードの中にいた顔が、微笑んだように見えた。


(え……?)


 その時初めて、ローズは違和感を覚えた。


 そう、知っている。

 自分はこの人を知っている。


 他の誰でもない、かけがえのない親友。


「ルージュ……?」


 思わず降ろしかけたローズの手を──。

 ルージュの手が掴み、自分の胸に刺し入れた。


「え」


「ごふッ」


 ルージュは血を吐いて倒れた。

 ローズの手には血にぬれたナイフがある。


 親友を刺した、ナイフが。


「るー、じゅ……?」


 からん、とナイフを落とし。

 ローズはルージュを揺さぶり起こした。


「ルージュ、ルージュッ、どうして、どうしてこんなところにいるの!? なんであたしたち、戦ってるの!?」


「これが、実験の、最終、段階、だから……よ」


 血を吐いたルージュの身体は、どんどん冷たくなっていった。

 怖くて寒い夜も、痛みを泣いた夜も、自分を抱きしめてくれた親友の手が。


「いや、いや……ルージュ、死なないで……こんなの、やだよ……!」


「……泣かないで」


 ルージュの指が、ローズの涙を優しく拭う。


「仕方がない、ことなの。これが、運命、なのよ……」


「うん、めい」


「どのみち、わたしは、長く、生きられなかった……」


 悲しそうにルージュは微笑んだ。

 ローズは堪えきれず、首を横に振る。


「ずっと、ずっと一緒って言ったじゃない。あたしたち、どんな時も一緒だって……!」


「……えぇ」


「いつか一緒に外に出ようって、海を見に行こうって言ったじゃない!」


「……ごめん、ね」


 ぽろぽろと、ルージュは涙をこぼした。


「もっと、あなたと、一緒に、居たかった…………」


「いや、いや、いやぁああああ!」


「わたしは、ずっと、あなたの中に……いる…………から」


 ルージュの身体から力が抜けて、身体が冷たくなっていく。

 ローズは泣いた。思いっきり泣いた。


 けれど理不尽は、さらに追い打ちをかけてくる。


「え」


 どくん、とルージュの身体が脈打った。

 その身体がどんどん紫色に変わり、手足は強くしなやかになっていく。


 背中からは蝶のような羽が生え、花のように可憐だった顔は美しく毒のある顔に変わっていた。


 モデル『妖精女(ハーピー)』。


 悪魔だ。



「ぁ、」


『被検体No.692。その悪魔を倒したまえ』


 スピーカーから響く、残酷な声。

 まぶたを赤くはらしたルージュは愕然と目を見開いた。


「で、でも、これは、ルージュで」


『違う。それは悪魔だ。ルージュはお前だろう』


「キィァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 妖精女が鋭いかぎづめで斬りつけてきた。

 悲鳴を上げて後ろに吹き飛ばされたローズは、泣きながら『ルージュ』を見る。


「ルージュ、嘘、嘘だよね……? こんなの、嘘だよね?」


「……」


「お願い、嘘って言って。嘘って、言ってよ……」


『被検体No.692βは死んだ。戦え。被検体No.692α.ルージュ』


「ルージュ……あたしが……?」


『そう、お前がルージュだ。お前がルージュになったのだ』


 ルージュは、双子の姉だったのだ。

 そのことに意識が向く暇もなく、妖精女はローズに襲い掛かる。


 鮮血が視界を染め、

 痛みが身体を支配した。


 恐怖と悲しみと苦しみがごちゃまぜになって、

 気付けば、ローズは血だまりの中にいた。


 ピク、ピク、と死にかけの妖精女が、倒れ伏している。

 どこからともなく、白衣の男たちがやって来た。


 彼らは生きたまま、妖精女を解体する。

 死ぬこともできず、再生する魔力もない妖精女はただ白目を剥いていた。


 ローズは呆然と血まみれの手を見ていた。


「ルージュ……あたし……」


「被検体No.692.こちらへ」


 白衣の男たちが、ローズを机に座らせる。


 どん、どん、と白い皿に、桃色の何かが置かれていた。


 いや違う。

 何かではない。


 それは、ルージュだ。

 ルージュだった妖精女の、分解した身体だった。


「ひッ……」


 思わず悲鳴を上げたローズに、白衣の男たちは無情に命ずる。


「食べろ」


「た、たべ、る……?」


 何を、言っているのだろう。


「悪魔の肉体を摂取することで肉体のエーテル適合率を上げる実験だ。お前の弟妹達が実験の正しさを証明してくれたぞ」


 おぞましい事実を、淡々と告げる白衣の男。

 ドクンッ! ドクンッ! とうるさい音を立てる心臓を押さえて、ローズは後ずさった。


「い、嫌……これは、ルージュだよ。ルージュなんだよ。食べるなんて、嫌ッ!」


 ──お前たちの、せいだ。


 ローズは生まれて初めて、憎悪を覚えた。


 ──お前たちが戦わせるからルージュは死んだ。


 ──お前たちが殺し合いをさせるから、ルージュは悪魔になった。


 ──お前たちのせいで、痛くて辛い思いばかりした。


 許さない。

 許さない。

 許さない。


「ころして、やる……」


「……」


「お前たちを、殺して──!?」


 ──ビリビリビリィイイッ!


 異能を発動しようした瞬間、脳髄を走る電撃。

 頭が割れるような痛みに、ローズはたまらずうずくまった。


「いだ、いだぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「我々に盾突こうとするな、馬鹿者め」


「ぁ、あぁ」


「貴様が我々に害意を持って攻撃しようとしたとき、頭の中のそれは発動する。覚えておくんだな」


「う、ぅ」


 脳に直接手を突っ込まれて、頭が真っ二つに割れそうな痛みだった。

 痛みを発する信号を無理やり増幅させ、全身が痺れるように波打った。


 無理だった。

 逆らえなかった。


 ローズはゆっくりと立ち上がり、椅子に座る。

 差し出されたフォークとナイフを、おそるおそる手に取った。


「食べなさい」


「……」


「大丈夫だよ。ルージュ」


 優しく、慈しむように。

 白衣を着た怪物が、ローズに囁く。


「お前が食べることで、この子はお前の中に生き続けるんだ」


「いき、つづける」


「そうだ。言っただろう? 痛いのは気持ちいいんだ。お前は、この子を気持ちよくさせてあげるんだ」


 机の向こうで、今にも息絶えそうな妖精女がローズを見ている。

 その瞳に映る自分は、血の涙を流して笑っていた。


「痛いのは、気持ちいい……そうだよ、そうだよね、ルージュ。仕方ないんだ。これは、運命だから……」


 ぐちゃり、ぐちゃり、と肉を咀嚼する。

 妖精女の肉の、残酷な味がローズの口を蹂躙する。


「うぇえ、げぇ、うええええ」


 生臭い匂いに、思わず吐き出すローズ。


 だがそれも、ローズは食べた。


 ──ルージュ、ごめん。ごめんね。


 ──あたし、忘れないから。絶対にあなたの事を忘れないから。


 ──あたしの中で生きて。一緒に海を見に行こう。そしていつの日か……。



 妖精女は何も言わず、ただ笑うように消えた。



 ──この日、ローズはルージュと一つになった。




 意識が消えゆく中、ローズ──ルージュはあの時の事を思い出す。


 仕方がないことだった。

 他の誰にもどうしようもないことだった。


 だってそれが運命だから。

 逃げられない定めだから。



 でも、

 もしも。



(ねぇ、お兄ちゃん)


 倒れゆく中、ジークの呆然とした顔を見た。


(もしもあの時、あなたみたいに……あたしたちが諦めず抗っていたら……何かが、変わったのかなぁ?)


「るー……じゅ?」


(……あぁ、もうちょっと、生きたかったなぁ)


 そしてルージュの意識は、闇に消えた。




 ◆



「──ルージュッ!」


「──ッチ、外したか。最後の最後で裏切りおったな、出来損ないのゴミが」


 声が、聞こえた

 サ、とリリアは振り返る。


「何者ですか!」


「人質も解放されている。散々な事態だな……まぁいい。充分にデータは取れた。天然モノも手に入ることだし、次はもっとちゃんと作ってやろう」


 培養槽の間から、人影が現れた。

 顎髭をたくあえた老人だ。手には異端討滅機構禁制のライフル銃を持っている。


 見覚えのあるその姿に、ジークは目を見開いた。


「あなた、は……」


 死んだはずの人間。

 ジークがこの苦境に立たされる原因となった人物。


「こんな所まで来るとは予想外だったよ、化け物め」


 サンテレーゼ議会議長、中立派『古老』。


 ──アルマン・ミドフォードが、そこにいた。




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