第十四話 デスマッチ
「ーー行くよ」
「来て、お兄ちゃん。めちゃくちゃにしてあげるよーー!」
ルージュに飛び出す刹那、ジークは高速で思考していた。
(長期戦は不利。先視の加護だけじゃ勝てない)
以前の攻防を思い出す。
完全に未来を読んでいたタイミングで、ルージュはこちらの攻撃を凌いで見せた。
(あれは、こっちの動きを読んでいたと言うよりーー)
恐らく、ジークが遅くなっていたのだ。
重力による、微弱な体重の変化でタイミングをずらし、待っていた罠に嵌める。
相手の動きを誘導した上でのカウンター。
それがルージュの戦法のはず。
現にゼレオティールの加護を使った時もそうだった。
ジークは彼女の速さではなく、したたかさに負けたのだ。
だから、
「ーーフっ!」
早く、
速く、
疾く、
ジークは疾走する。
(罠を仕掛ける暇がない短期決戦で、僕のありったけをーー!)
◆
(とかなんとか、思ってるんだろうなぁ、お兄ちゃん)
真っ向から突っ込んでくる兄を見ながら、ルージュは内心でほくそ笑んでいた。
ルージュはジークにゼレオティールの加護がある事は知らない。
けれど、先視の加護以外に何らかの加護を宿していることは明らかだった。
(雷神系、もしかして大神級の加護かな? ズルいなぁ。あたしにないものみーんな持ってるんだもんなぁ)
かなり強力な加護なのだろう。
恐らくそれを使ってまともに戦えば、負けるのはルージュの方だ。
(けど、たぶん何か制限があるんだよね。だって、二つ目の加護が万全に使えるなら、最初から使ってただろうし)
温存、という選択肢もないわけではない。
ただ以前のあの状況でそんな選択ができるほど彼に余裕があるとは思えなかった。
(それが二つ目の加護の所以なのかどうかは、分からないけど)
ルージュとしては、どちらでも関係がない。
「……『黒の滅塵』発動」
あらかじめ仕掛けておいた、重力による罠を発動する。
「ッ!?」
その瞬間、ジークの身体が浮き上がった。
「重くするだけだと思った? あたし、こんなこともできるんだよ」
「……っ」
浮いたのは一瞬だ。
だが、その一瞬でルージュは懐に潜り込んでいた。
当然、ジークは剣で反応する。
重心が定まらない状況でこの攻撃に反応するのは見事というほかない。
ルージュであれば、一生かけてもジークの剣才に届くことはないだろう。
ーーそれでも。
「!?」
音速を突破した矢が、ジークの背後から襲い掛かった。
無論、これはルージュがあらかじめ仕掛けていた罠だ。
発射寸前の弩矢を、重力の制御を使って弩にとどめておいた。
重力のくびきから解放された矢は、喝采を上げてジークを貫く。
骨が砕ける嫌な音が響き、肉を貫いた鏃から血しぶきが舞い散った。
「言ったよね、お兄ちゃん」
前回と同じだ。
あらゆるパターンを想定し、相手の動きを誘導した上で、さらにその上を行く。
この強かさこそが、数多の実験体の中でルージュが生き残ってきた理由ーー!
「勝敗は、戦う前から決まるものなんだよ?」
そのはずだった。
「ーーそんなこと、分かってるよ」
「え?」
ルージュの笑みが凍り付いた。
ジークの背中を貫くはずの矢が。蒼い電磁場に止められていたのだ。
「矢は、金属でしょ。だったらさっきと同じことが出来る」
「……っ、な、なんで、この短い間にもう一つの加護を制御できるようになったっていうの!?」
違う、制御は出来ていないままだ。
ゼレオティールの加護は強すぎて習熟に時間がかかる。
だからジークは、制御を捨てて、一瞬の発動に全力を込めることにした。
(発動させるのが一瞬だけなら、制御は要らない。思いっきりやれる)
体力の消耗は激しくなるが、この戦いで体力を温存している余裕なんてない。
全てを出し切り、圧倒的に勝つ。
それが、それこそが、彼女たちを救う唯一の手段だと、ジークは信じている。
「だからーーッ!」
ーートニトルス流双剣術、迅雷の型一番。
「『雷光』ッ!」
「……、うっぁあああああああああ!」
流星群のごとき突きが、ルージュを襲う。
万が一の場合に備えていた重力場が次々と雷を弾いた。
だが、これも焼け石に水だ。
(押し返せない……! 嘘でしょ、車もぺちゃんこになる重力場だよ!?)
ルージュも、そしてジークすら気付いていなかった。
ジークは無意識のうちに電子を操り、正面に電磁力場を作っていたのだ。
重力粒子と電子が激突し、互いに弾け、すさまじい衝撃波が嵐を生むーー!
「まだ、まだだよ……まだ、あたしは負けられないんだーー!」
互いに後ろに飛びのき、いち早く態勢を立て直したルージュが仕掛ける。
(こっちも温存なんて言ってる場合じゃない……全力全開で、叩き潰す!)
周囲の重力を自分もろとも倍加させ、身体を重くした上で重力粒子を球形に集める。凝縮した重力粒子は、あらゆるものを削る黒き弾丸となる。
「『黒蝶・散華』ぶっとびなよ、お兄ちゃんーー!」
「……ッ!」
迫りくる死の具現に、ジークは息を呑んだ。
黒い塊が床に触れると、触れた部分が呑みこまれ、削られていく。
(あれに触れたら、やばい……!)
「偉そうなことばっかり言ってたのに、お兄ちゃん、この程度!?」
「……!」
一発、二発、四発、避けるごとに距離が近くなる黒い華。
地面を蹴り、時に培養槽を足蹴にして避けていくジークだが、弾丸はどこまでも追ってくる。
「結局、お兄ちゃんには何も変えられないんだよ。あたしも、あたしたちも、この世界だって!」
「そんな事、ない!」
疾走する。
壁を走り、電磁場で重力の弾丸を相殺しながらジークは叫んだ。
ルージュの懐まで〇.五秒。重力の弾は残り三発。
「諦めたら終わりなんだよ、ルージュ。前に進まなきゃ、未来なんてない!」
「未来なんて最初からないよ! あるのは絶望だけ。どうしようもない苦しみと、抗えない理不尽だけ!」
ーー残り二発。
「変えようがないから、受け入れるしかないじゃん! 変えようと足掻いてもっと痛い思いするなら、受け入れたほうが楽じゃん! 言ったよね、親も友達も恋人も家族も才能も努力も、なにもかも持っているお兄ちゃんに、あたしたちの気持ちなんて分からないって!」
ーー残り、一発。
「分からないよ」
正面から襲い来る重力弾を、ジークは真っ向から切り裂いた。
斬撃が纏う雷が世界を白く染め、研究所全体がグラグラと揺れる。
「ぁ」
「僕には、君の気持ちは分からない。でも、君だって僕の気持ちは分からないでしょ」
一歩、また一歩と近づいてくるジークに、ルージュはたじろいだ。
「ハァ、ハァ……な、なんで……雑魚だったじゃん、弱かったよね!? なんでそんなに強くなってるの!? あたしの攻撃が効かないの!?」
「……強くなるしかないじゃん。僕、君のお兄ちゃんなんだし」
「近づかないで!」
ルージュの顔は蒼白い。息も荒いし、全身から汗が噴き出していた。
(あれだけの力だもん。無尽蔵に使えるわけないよね)
ルージュの力は加護ではなく、悪魔が持つ異能の力だ。
とはいえ、悪魔でさえその力を無制限に使えるわけではない。
半魔であるルージュなら、なおのことだ。
だが、
にやり、とルージュは笑った。
黒い光が放たれた。
ジークは斬った。
「は?」
呆然と、消失する重力弾を見たルージュ。
完全な死角だ。先視の加護も届かない視界外からの一撃。
ジークはそれを、見ることもなく斬り伏せて見せた。
油断したところで隙を突く、必殺の罠をーー。
「君の攻撃はもう慣れた」
「……っ、やっぱり、強いね、お兄ちゃんは……強いよ」
ルージュは肩を震わせ、唇を噛みしめる。
ーー勝てない。
二つ目の加護を解放したジークは、途方もなく強かった。
いや、それだけではない。
力を使うごとにジークは加速度的に強くなっているのだ。
まるで、雷と意思を交わしているかのようにーー。
(さすが、天然の半魔……同じ細胞から生まれても、こんなに違うなんて)
笑いがこみあげてくる。
強くなるため。完成するために一生を捧げてきた自分は、結局作り物に過ぎないのか。
両親に望まれて生まれた子供と、兵器として育てられた自分の、覆せない差。
認めよう、ジークは強い。
自分では絶対に勝てない。
でも、
それでも、
例え勝敗が決していても。
「あたしは、負けるわけにはいかないんだ!!」
短剣を手に、ルージュは飛び掛かった。
彼我の距離を一瞬で殺し、懐に飛び込んだ彼女は『兄』を見る。
彼は、反応していた。
振り上げられた剣先が黄金色に輝き、視界を白く染める。
(ぁ、死んだ)
完全に見切られていた。
剣に仕込んだ力も見抜かれているだろう。
完敗だ。
(あーあ、終わっちゃった……ごめん、ルージュ。あたしはやっぱり、失敗作だった)
ルージュは諦め交じりに瞼を閉じた。
出来れば痛いのは一瞬がいいな。そしたら、あの子に会えるかな。
そんなことを思って、
そして、
フ、とジークが笑った。
彼は、剣を捨てた。
「え?」
ーーザシュ、と音が響いた。
からん、と甲高い音が続く。
ルージュは目を見開いた。
当たり前だ。
だって、
ルージュの短剣が、ジークの肩に刺さっているのだから。
「ーージークッ!?」
戦いを見守っていた、リリアの悲鳴が響く。
自分の身体にもたれかかってくる『兄』の姿に、ルージュは戸惑った。
「な、んで……見えてた、よね。避けられたよね!? なんで剣を捨てたの!?」
「なんでって……ゲホ、ハァ、ハァ……そんなの、決まってるじゃん」
剣の豆だらけの、ごつごつした男の手がルージュの頭を撫でる。
慈しむように優しく、ゆっくりと。
「『妹』に手を上げるのは、お兄ちゃんじゃないでしょ」
「……ばっかじゃないの。血なんて繋がってないのに、あたしが勝手に呼んでただけなのに!」
「……うん、それでも、感じるんだ。君は、君たちは……僕の妹なんだって」
「……っ」
「ずっと泣きそうな顔をしている妹を、放っておけないよ」
ルージュはぎゅっとジークの背中を掴んだ。
戦う前から勝負は決まっている。本当にそうだった。
ジークにとってこの戦いは、妹と恋人を助ける為のものであって、
最初から、ルージュを敵だとみなしていなかったのだ。
人造悪魔創造計画ーーその恐るべき計画を挫くために、彼は戦っていたのだ。
(敵わない、なぁ……)
「ねぇ、お兄ちゃん。どうして、そんなに強いの……?」
「強くなんてないよ」
ふ、とジークは苦笑する。
「ただ強がってるだけ。妹と……リリアの前だからさ」
「……馬鹿だね。こうしている今も、お姫様は水に浸ってるんだよ。あたしがそれをやったんだよ。お兄ちゃんはそれを許せるの?」
「気付かない?」
「え?」
言われて、ルージュは顔を上げる。
ーー聞こえない。
リリアを水没させるために起動した培養槽の、駆動音が聞こえない。
ハッ、と振り返れば、リリアの培養槽は半分まで水で埋まっていた。
でもそれだけだ。
それ以上水は動いていないし、何より、
「ちょっと慣れるのに時間がかかったけど。デンシさんに頑張ってもらった」
ぱきん、と音がして。
拘束が外れたリリアの培養槽が、ウィィイン、と音を立てて降りてくる。
「嘘……まさか、電気信号を操って、培養槽の制御システムにハッキングしたの!?」
「細かいことは分からないけど……何となく」
「一体、いつから……」
「この戦いが始まった時から、かな」
「……!」
そう、ジークはただルージュの重力弾から逃れていたわけではない。
各培養槽に加護で雷を流し込み、リリアのいる場所に届くように細工していたのだ。
無論、そんな超高等技術をジークが意識して使えるわけではない。
ただ、雷を流す意志を込めて先視の加護を発動し、
その結果を見て、リリアに繋がる培養槽を特定しただけだ。
相手の動きを読むだけではない。新たな《先視の加護》の活用を、ジークは編み出していた。
「だから、君が気に病む必要は……あ、ちょっとあるかな。リリアにキスをしたのは謝らないとね。うん、それはちょっと許せないかも。あとでお仕置きだね」
「……あたし、あの人にひどいコトしたよ」
「いいえ」
いつの間にか、リリアが近くに来ていた。
「あなたは私が暴行されているのを見て、これ以上がないように近くにいてくれました。凌辱される危険もあった私にとっては、少なからず助かりました。感謝しています。まぁ……ちょっとやりすぎというか、嫌なことはありましたけど。ていうかキスはやりすぎです!」
「…………お兄ちゃん、お姫様も、みんなお人好しすぎるよ。そんなんだったらすぐに死んじゃうよ?」
「死にませんよ。私たちは一人じゃありませんから」
リリアとジークは優しく見つめ合う。
二人の間にある確かな絆に、ルージュは「はぁあ」と盛大にため息をついた。
「なんか馬鹿らしくなっちゃった。あたし、完全に噛ませ犬じゃん」
「そんなことない。ルージュ、すごい手強かったよ」
「お世辞ばっかり。結局あたし、お兄ちゃんのこと殆ど傷つけらんなかったし。もっと痛がる顔が見たかったのになぁ」
不満そうにぼやくルージュの変態思考にジークは頬をひきつらせる。
出来ればそっちの性癖は治してもらいたいのだけど。
でも、そういうことを除けば。
「いつでも相手になるよ。『妹』には負けらんないからね」
ルージュは目を見開いた。
「……いつでも、って」
「うん。一緒にここを出よう。ここのみんなを連れて、外の世界で暮らそうよ」
ジークは再び、手を差し伸べる。
リリアは仕方なさそうに微笑むが、反対する様子はない。
(……手を取って、いいのかな)
ルージュは、自分の考えが間違っているとは思っていない。
世界はいつだって厳しくて、理不尽なことばっかりで。
どうしようもない事だってたくさんあるし、
変えられないものはあると思っている。
ーーけれど。
(この人なら……お兄ちゃんたちとなら、変えていけるのかな。もう、誰も死なせずに済むのかな)
敗北した時点で自分は失敗作の烙印を押され、処分されることが決まっている。
何より、とっくに心は傾いていた。
「……しょうがないな。お兄ちゃん、そんなにあたしに虐められたいんだ?」
「妹のわがままを聞くのが、兄のドリョウってやつだからね」
「お兄ちゃん、意味分かってないでしょ」
クス、とルージュは微笑む。
(ねぇ、ルージュ。あたし、行くね)
生きたい。この人と。
行きたい。外の世界に。
理不尽を蹴り飛ばし、運命を覆す挑戦を。
この人たちとなら、やっていける気がするから。
だからルージュは手を伸ばしーー
ハッと目を見開いた。
「え?」
ドン、とジークを突き飛ばす。
倒れゆく中、ジークは妹の泣き顔を見た。
ーーごめんね。
「るー」
パァンッ! と鋭い発砲音が響いた。
幼い身体が倒れゆく中、少女の口が動いたのを、ジークは見た。
ーーさようなら。お兄ちゃん。