第十二話 戦姫の叫び
悪魔の研究をしている国家機関は、各国で必ずと言っていいほど存在している。
対悪魔用の魔導兵器を開発するために悪魔の研究は必要不可欠だからだ。
サンテレーゼ王国では、魔導技術開発局の中に悪魔研究の部門があった。
王都の北部、サンテレーゼ城の影に隠れて研究所はある。
四角い形をした、白塗りの建物だ。
広い庭先には軍用車が通れるほどの広さがあり、大勢の警備員が巡回している。
王都の中でも北側は政治地区とも呼ばれていて、人通りは少ない。
にもかかわらず、そこには中央通りにいる人間と遜色ない人が詰めていた。
見たところ五百人以上。
猫一匹通さない厳戒態勢を潜り抜け、ジークたちはリリアを助けなければならない。
警備員たちもまた、何かを探すように忙しなく周囲に目を向けていた。
だがジークたちは、ここにはいない。
「あんなところを正面突破するなんて、馬鹿のやることだ!」
薄暗い地下道を、ジークたちは進んでいた。
否、正確にはーー掘り進んでいた。
「葬送官本部にリリアが運ばれたという情報はない、恐らく私が邪魔しに来ると予想したのだろう! 同様に、急進派の貴族の邸宅に誰かが運ばれたという情報もない! これは当然だ。急進派がリリアを家に運び込んだら、「自分が犯人です」と言っているようなものだ! つまりリリアは研究所に拉致されたと考えられる。だがその姿を誰も見ていない……空間操作系の加護で移動した? 国民データにそのような加護はテレサ殿以外に確認できない。ならば地下だ!」
「それは分かるんですけど! こうして地下を掘り進む意味は? かなり痛いんですけど!」
「我慢しろ! その地下道の存在を我々は知らないのだから、下水道に降りて、まっすぐ研究所まで掘り進むしかなかろう!」
「上が崩落したりしません!?」
「だから掘った土をわざわざ埋めてるんだろう。空気穴は開けているから心配するな。問題はこの辺りの土が死ぬだけだ!」
「……まぁ、痛いのは慣れてますから、いいですけどね!」
ズガガガガガガガガガガガガガ、と耳が潰れそうな音が響いている。
風を収束させたドリルでオリヴィアが地面を掘り進んでいるためだ。
器用なことに、掘った土は後続のジークが進むと空気穴開けて埋められている。
まるで土がひとりでに移動しているみたいだ。
研究所の最寄りの地下道から土を掘り起こしてから、五分ほど。
あっという間に目的地に到着する。
「……ここからは慎重に行く。ん? なんだ、貴様、泥だらけじゃないか。葬送官たるもの、身だしなみは整えろ」
「オリヴィアさんが土をぶっかけてたんですけどね……」
釈然としないながらもジークは土を払う。
細かな泥が顔について気持ち悪いから、早く水で洗いたかった。
「……ラッキーだな。倉庫だ」
オリヴィアは壁に穴をあけて床に降りる。
ジークも後に続き、ふぅ、と深呼吸。
「敵地ですね」
「そうだ」
「ここにリリアがいる」
「あぁ」
「……なら、容赦は要りませんね」
カチ、とジークは頭のスイッチを切り替えた。
懐に差していた剣を抜き、剣と己の境界をなくしていく。
ーー相手は人間。でも敵だ。邪魔するなら、斬る。
「絶対に助け出す」
張りつめた空気を纏ったジークに、オリヴィアは瞠目した。
(見事な切り換えだ。芸術的ですらある。これほどとはな)
「貴様、ルージュとやらに負けたと言ったな?」
「はい」
「次は勝てるか?」
「勝ちます」
小気味よいほどの即答に、戦姫は満足げに頬を緩めた。
「ならば良い」
パチン、とオリヴィアは指を鳴らす。
その瞬間、ジークの身体に不可視の風がまとわりついた。
「……これは?」
「気安めだが、周りの空気を歪めた。姿が捉えにくくなる」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。行くぞ」
ジークたちは倉庫の入り口に忍び寄り、そっと覗き窓から外を見る。
予想通り、そこには研究者らしき者達が行き交っていた。
書類に目を落とす彼らの横を、ジークたちは風のように通り過ぎていく。
「……?」
空気を歪められた彼らは、何が通ったかと振り返っただろう。
しかしその時、ジークたちは既に彼らの視界から消えていた。
(ふぅ……)
汗ばんだ手を服で拭い、ジークは息を顰める。
悪魔を相手に何度もやったことだ。気配を消し、周りと同化する。
獲物を狩る狩人のように、敵意は心の底に沈めた。
だが、そうやって進めるのは同じ階層の、何の障壁もないエリアまでだ。
「……オリヴィアさん、行き止まりです。ドアノブの代わりに、なんか機械が付いてます」
「カードキーか。問題ない。メリアが持っていたものをそのまま使える。表向きには休職状態になっているからな」
現在、ジークたちが居るのは地下五階だ。
エレベーターの中には地下十階まで記されているが、
「階層表示にない、地下の最下層で人造悪魔の研究は行われている。倫理にもとる生体実験は異端討滅機構で禁じられているからな」
向こうからすればメリアは死んだと思っているはずだ。
メリアを殺したのは非公式で、行方不明故に休職扱いになっている。
彼女が情報提供者だとは思ってもいないだろう。
「最下層へ繋がるエレベーターは中央のものだけだ。が……」
中央のエレベーターには二人の警備兵が居た。
すぐ正面には研究室があり、研究者たちがせわしなく行き交っている。
だからジークたちは、降りてきた研究者がエレベーターからいなくなった所を見計らい、警備兵を気絶させた。
「……っ!?」
「悪く思うなよ」
気付かれない間に、二人はエレベーターに乗り込む。
オリヴィアがカードキーを差すと、階層表示は『極秘』に変わった。
ブゥン、と二人を乗せた箱が動き出す。
「……こんな箱が動くなんて、魔導工学ってすごいですね」
「旧世界の技術だがな。箱の上についた滑車で箱を動かしてるんだ」
「……なるほど。とりあえず、ここまで戦闘にならなくてよかったです」
あとは最下層に降りて、リリアを救出するだけだ。
警戒は怠れないが、素早く事を済ませればなんとかなるはずーー。
ーーあはっ。そんなに上手くいくと思ったら大間違いだよ、お兄ちゃん♪
「……ッ!?」
異変が起こった。
ジークたちを乗せたエレベーターが、突如停止したのだ。
「と、止まった!?」
「馬鹿な! カードキーは上手く作動していたはず……!」
エレベーターのボタンを押しても何の反応もない。
扉が、ゆっくりと開かれていく。
『…………』
照明のない不気味な暗闇があった。
ジークたちは顔を見合わせ、そぉっと足を踏み出す。
一寸先も見えない闇は、いつ敵が襲ってくるか分からない怖さがあった。
周りの気配を探りつつ、二人は慎重に足を進めていく。
肌にまとわりつく闇を払うように、そぉーっと歩いて……。
だん、と照明が周囲を照らし出した。
そこにはーー。
「………………!」
五百人を超える、死神の服を着た葬送官たち。
地上に居るはずの彼らが、戦意をたぎらせてジークたちを待ち受けていた。
「な……!」
「オリヴィア・ブリュンゲル、それとジーク・トニトルス……だな」
葬送官の一人が、ジークたちの前に出る。
「特級葬送官『轟震』ダーモンド・クルス……! 貴様まで、奴らに加担するか!」
「半魔に与する者に言われたくはない。いくら姫様の命であっても、半魔を助けるなど言語道断……!」
他の葬送官たちが、同意するように足踏みした。
「殺人および不法侵入、国家安全特措法違反、その他の容疑で貴様らを逮捕する」
「……っ」
ジークは奥歯を噛みしめた。
速さを武器とするジークは逃げ場のない狭い室内で不利だ。
密集陣形で迫られたら、物量で押し切られる。
(ゼレオティール様の加護を使ったら……いやでも、すぐにガス欠になる。リリアを助ける分が……)
逡巡するジークだが、オリヴィアの判断は一瞬だった。
「ジーク。ここは私に任せて、お前は先に行け」
「で、でも、さすがにオリヴィアさんもこの人数は……!」
「戦姫を舐めるな。この程度の修羅場、いくらでも超えてきた」
「……」
ジークはきつく目を瞑った。
「最優先すべきはリリアの救出だ。
己の役目を全うしろ、ジーク・トニトルス!」
「……っ、分かりました!」
「逃がすかーー!」
背後に回っていた葬送官たちが殺到する。
ジークは一瞬だけゼレオティールの加護を解放。
ジリ、と紫電が爆ぜる。
パァンッ!
ーー音速を突破する衝撃音が、響いた。
「なッ!?」
前方にいた葬送官を全て倒し、ジークはエレベーターの扉を突き破った。
「速すぎる……っ、だが!」
エレベーターは動かない。
何度ボタンを押しても反応すらしなかった。
「ぐ……」
「無駄だ! 既にこの階層の電力は止めてある! 袋の鼠になっただけだ!」
エレベーターは袋小路だ。
入り口には十人の葬送官が迫ってきた。
ジークは焦った。
やばい。早く、どこか、なんとかしないと、
葬送官がエレベーターに足を
『ーー旧世界の技術だがな。箱の上についた滑車で箱を動かしてるんだ』
瞬間、脳裏に電撃が走った。
「……ぁああっ!」
ジークはエレベーターの天井を突き破り、上に出た。
直後、剣を振り上げる。
「まずい、止めろーーーーーー!」
「もう遅い!」
ぐん、と身体にかかる、重力。
エレベーターに足を入れていた葬送官は慌てて身を引く。
呆気にとられた葬送官たちの顔が、一瞬で消えた。
「オリヴィアさん、死なないでくださいね……!」
◆
ケーブルを切断したことでエレベーターは地の底に落下した。
凄まじい破砕音が響き渡り、葬送官たちは騒然となる。
普通なら死んでいる状況だ。
けれどオリヴィアは信じている。彼がこんなところで死ぬはずがない。
そして自分もまた、死ぬ気はない。
「……ここで負けたらあの世でアンナに笑われるからな」
「オリヴィア・ブリュンゲル。貴様、国に盾付いてタダで済むと思っているのか!?」
「先に姫様に盾付いたのは貴様らの方だ。この恥知らずめ、どの口が言っている」
どっと、葬送官たちが笑った。
「もうすぐこの国に姫は居なくなる。そうなれば貴様は逆賊。ブリュンゲルの家も終わりだ!」
「ブリュンゲルなど、心底どうでもいい」
「何……?」
水を打ったように、葬送官たちが静まり返った。
オリヴィアはレイピアを構え、周囲を取り囲む葬送官たちを睨みつける。
ーー胸が軽かった。
「私を誰だと思っている」
家名も、立場も、責任も。
全てを放り捨て、ただ妹のために戦える喜びが、オリヴィアを高揚させていた。
ーーお前のおかげだ。ジーク。
誇りと感謝を胸に、戦姫は高らかに名乗りを上げる。
「私はオリヴィア。ただのオリヴィア。リリアの姉にして、アンナ・ハークレイとジーク・トニトルスの師! 我が妹に手を出す不届き者共。この名を胸に刻め!」