第十一話 人造悪魔創造計画
「人造悪魔創造計画……?」
不吉がどろりと染み出してくるような、嫌な響きを持った言葉だった。
思わず身を竦めてしまったジークの代わりにオリヴィアが口を開く。
「何だそれは。私たちも聞いたことがないぞ」
「知らないのも無理はありません。これは本来、計画段階で中止されたものですから」
メリアは自嘲気に肩を竦めた。
ジークは動揺から立ち直り、言った。
「そもそも、悪魔って人間が死ねば自動的に生まれますよね? 人間の手でつくる必要があるんですか?」
「あるさ。自然的に生まれた悪魔は死の神の眷属ーーひいては、冥王とその配下に従う怪物だ。けれど人造的に作れば? 死なない兵士の軍団……無敵の軍隊だ。そんなものがあれば、葬送官が戦う必要は無くなる。いや、神すら必要ない。人間が人間の手で、世界を取り戻すことが出来るーー私たちは、そう信じた。そして、私はその責任者をしていた」
「何だと?」
「姫様の反対を押し切り、水面下で進めていたんだよ。急進派の人たちがね」
室内が一気に険悪な空気に包まれた。
オリヴィアの刺すような視線に、メリアは罪を懺悔するように言う。
「悪魔の細胞を培養し、受精卵からエーテル培養することで、冥府の魔力を保ったまま人造的に悪魔を創造する……それが計画の概要です。葬送官の損耗を防ぎ、異端討滅機構だけに頼っている現状から抜け出し、時代の困窮から抜け出す神の一手。私たちは、そう思っていました」
「……」
葬送官の損耗に思うところがあったのか、オリヴィアは黙り込んだ。
少なくともメリアが、私利私欲のために計画に加担したわけではないと理解したのだ。
死なない兵を創り出す……確かにそれが実現できれば、時代は変わる。
だがーー。
「当初、計画は上手くいきませんでした」
悪魔が死ねばその細胞も消滅する……つまり、悪魔を活かしたまま、細胞を培養する必要があった。
しかし、細胞を培養してクローン人間を創り出すのは旧世界の技術だ。
古い文献と貴重な機械類を駆動しても、そこに新世界の魔導を組み込むのは容易ではなかった。
計画は夢のまま終わると思われた。
少なくとも研究者の誰もがこの計画の頓挫を確信していた。
「けれど十五年前、奇跡が起こった。いや、これも神の導きなのかな……悪魔と人の細胞を掛け合わせた実験が、成功した」
「十五年前……まさか」
ジークの呟きに、メリアの瞳が光った。
「君の想像通りだよ、ジーク・トニトルス」
恐ろしい託宣を告げる予言者の如く、彼は現実を突きつける。
「君が生まれたことで、世界の均衡が崩れたんだ」
「……っ」
悪魔の細胞を培養して人工的に悪魔を創り出す計画は失敗した。
だがジークが生まれたことで、悪魔と人の間に子供が生まれる理が出来てしまった。偶然にも、悪魔の力を和らげようと人の細胞を注入した科学者の手によって。
「条件付きではあるが、人工的な半魔が誕生した。計画は大きく進んだ」
「……そんなの……そんなのって、ないですよ」
無限の兵士を生み出せば、多くの葬送官たちは助かるだろう。
だがそうして生まれた兵士たちだって、心はあるはずなのだ。
ジークと同じように生きる意味を考え、苦しむはずだ。
そう思うと、ジークはメリアを殴り飛ばしたくなった。
自分が生まれたせいで同じ苦しみを背負った、
哀れな半魔たちの怒りを、ぶつけたくて仕方なかった。
「あなたたちは、人の命を何だと思って……!」
だが理性がそれを押しとどめた。
話は最後まで聞かなければならない。リリアが危地にある今は。
「……奴らがジークを必要としている以上、計画が完成しているわけではないのだろう?」
「そう、半魔の生産ーーおっと、そう睨まないでくれーーに成功しただけでは、実験は成功ではない。計画の目的は悪魔と戦える死なない兵士の創造だ。計画には様々な壁があった。まず一つは、半魔の短命さ。人工的に生まれた半魔たちはその多くが一年と持たずに死んだ。次に陽力の不安定さ。現世と冥府、どちらにも属さない半魔の陽力は蝋燭のようにかぼそかった。これでは兵士としては使えない。だから彼らは成功例を求める必要があった。天然で十五年以上生き、しかも加護を得て頭角を現した半魔ーーつまり君を欲したんだ」
「……」
怖気が走るような計画の概要に、ジークはごくりと息を呑む。
ーー本当に、瀬戸際だったのだ。
もしもあの時、アーロンではなく、研究者の誰かに拾われていたらーー。
もしもあの時、テレサに拾われていなければーー。
一歩間違えれば、ジークは実験体になっていたかもしれない。
その事が何より怖かった。
「……なんで、あなたは抜けたんですか」
「怖く、なったんだ」
メリアは半分が仮面に覆われた顔に触れる。
「あの子が……実験体の一人である子が『お母さん』と呼んできたとき……私は、己がとんでもない過ちを犯していたことに気づいた」
「……今更ですね」
「そう、今更だ。だがまだ救える命はある。私は計画の中止を訴え、そしてーー殺されかけた」
これはその時の傷だ、と言って、メリアが仮面を外す。
焼き印を押されたような酷い火傷がそこにあった。
「奴らは私を死んだと思っているだろう。だが私は姫に救われた。そして君に会った。これは運命だと私は思う」
「……」
「頼む、ジーク・トニトルス」
メリアはくしゃりと顔を歪めた。
「どうかあの子を救ってくれ」
「……都合がいいですね」
「分かっている。それでも私は、君にしか頼めない」
「……まぁ、今の話を聞いたら見捨てられませんけど」
同じ半魔として、かなり思うところはある。
実験体として生かされている彼らを解放してあげる事に、使命すら感じる。
けれどーー
「その子たちは、長く生きられなかったんですよね。じゃあもう……」
「いや、一人だけ、長生きしている子がいる。それが私に笑いかけた少女だ」
「少女……? それって、もしかして」
「君は既に会っているはずだ」
「ーーッ!」
ジークの脳裏に電撃が走った。
「ルージュ……!?」
「そう、個体名ルージュ。君の妹を名乗ってるんだったか。まぁそれも間違いではない」
何せ、と彼は淡々と続けた。
「我々が培養していた細胞は、君のーー」
「メリア」
淡々としたメリアの口調を、姫が遮った。
「その情報は異端討滅機構の極秘事項です。軽々しく口にしないように」
「……失礼しました」
囁き合う二人のやり取りに、ジークは眉を顰めた。
何かとてつもなく重要なことを聞きかけた気がするが……
(いや、今はリリアだ)
使い捨てにされた命と、今も苦しむ同胞の境遇には心が痛む。
同じ半魔である自分も一歩間違えれば彼らと同じになっていた。
けれど今のジークには最も優先すべきことがある。
「人造悪魔創造計画については……分かりました。納得してないけど、分かりました」
「……うん」
「それで、それが現状を打開することとどう繋がるんです? ぶっちゃけ関係ないですよね?」
現状、ジークが追われているのはミドフォード殺害の容疑がかかっているからだ。例え彼らが倫理にもとる研究を行っていようと、それとこれとは別の話だろう。
そんな考えを話すと、メリアは頷いた。
「最もな話だ。けれど、目下の問題は君を葬送官として容認した姫様が彼らに糾弾されていること。君が半魔であることを理由にね、なら、こっちもやり返せばいい。人造悪魔創造計画を白日の下に晒し、半魔を兵士として使おうとしている事を明らかにすれば、彼らが半魔を理由に姫を引きずり下ろす事は出来なくなる。そうなれば、姫が君を助けやすくなるんだよ」
「そんなに上手くいきますかね……?」
「上手くいくさ。何せ証拠がない」
オリヴィアがニヤリと笑う。
「貴様が寝ている間に、貴様の聖杖機に付着した血を調べさせてもらった。ミドフォード議員の自宅に残されていた髪の毛を採取し、DNA鑑定をした結果ーーその血は、ミドフォード議員のものではないと判明した。貴様が殺していない事は既に証明されている。目撃証言だけでは殺人罪は成立しない」
「でぃーえぬ……え、それで分かったんですか?」
「うむ。我々が恐れていたのは、証拠を晒しても奴らが半魔の危険性を主張して貴様を引き渡さないことだった。「尋問中に自殺した」とか理由をこじつけて、別の死体を用意し、焼死体を「これが貴様だ」と言われても我々には分からんからな。だからーー」
「彼らの計画を晒せば、急進派の主張は無意味になります。それどころか、ミドフォード議員殺害の容疑を彼らに償わせることが出来るのですよ」
「なる、ほど……?」
難しい話になってきてジークは頭が痛くなってきた。
首をひねったジークは、ぽんと手のひらをたたく。
「要するに、悪い奴らがリリアを捕まえてる。だから悪い奴らを懲らしめれば僕たちは助かるってことですね」
「……まぁ、その理解で間違いない」
オリヴィアは苦笑した。フィーネルはおかしそうに笑う。
「物事は単純な方がいい。あなたのその考えは好きですよ、ジーク」
「す……! あ、いや、僕にはリリアという大事な人が居るので……!」
「そういう意味ではありませんが……これが惚気という奴でしょうか?」
「と、とにかく!」
ジークはごほんと咳払いした。
「早くリリアを助けに行きましょう。あの人がどこにいるか分かりますか?」
「その点は喜んでいい。目的地は一緒だ」
「……じゃあ」
「そうだ、ジーク」
オリヴィアは瞳に戦意を滾らせて言った。
「国立悪魔研究所。その地下に、リリアは居る」
◆
「ーーとかなんとか、今頃算段立ててる頃だよねぇ、お兄ちゃんたち」
たん、たん、と軽やかにステップを刻みながら、桃色の唇が笑みを刻む。
幼い少女は髪を振り乱し、恋する乙女のように胸に手を当てた。
「あぁ、まるで王子様じゃない? お姫様のピンチに颯爽と現れる王子様。素敵だよねー」
少女ーールージュは嗜虐的に、興奮で赤く染めた頬に両手を当てた。
「その勇気が絶望に変わる瞬間を見たら、あたし、どうにかなっちゃいそうだよ……♪」
膝をもじもじとすり合わせ、少女は夢を見る。
そして彼女は、囚われた『お姫様』に問いかけるのだ。
「ねぇ、あなたもそう思わない? お兄ちゃんが選んだ女の人……リリア、だっけ?」
「……」
ルージュの視線の先には、鎖で宙ぶらりにされた少女の姿がある。
白雪を思わせる髪は薄汚れていて、身体のいたるところに殴られた後があった。
「どんな気持ち? あなたの為に大好きな人が助けに来るのって」
ルージュはリリアの頬に手を這わせた。
「きっと飛び上がるくらい嬉しいんだろうね……いいなぁ」
「……ジークは、あなたたちの思い通りにはなりません」
「そんな目で見ないでよ。食べたくなっちゃうじゃない」
ちろり、とルージュはほっそりとした首筋に舌を這わせた。
生ぬるい舌の感触に、リリアは「ひッ」と小さく悲鳴を上げた。
ルージュは悦びに目を細めた。
「かわいい声だね。そんなに虐められたいの? お兄ちゃんじゃ満足できないくらい、あたし好みに変えられたいってこと?」
「……っ」
「いいよ。変えたげる。お兄ちゃんの目の前で、あなたをあたしのものにするの♪」
たん、とルージュはステップを刻む。
「早く来ないかなぁ、お兄ちゃん」
そんな少女の姿を見ながら、リリアは目を閉じた。
(……ジーク)
きっと彼は助けに来るだろう。
彼はそういう人だ。リリアは嫌というほど知っている。
だからこそ、
(……絶対に、来ちゃだめです。これは何もかも、仕組まれてる)
叶わない望みと知りながら、少女は己の神に祈る。
(アウロラ様。どうかジークを、お姉さまをお守りください)
神の目が届かない地の底で、少女は目を閉じた。
その言葉を聞くものは、誰も居ない。