第十話 反撃の狼煙
街灯の光すら届かない暗闇に男はいた。
闇の中に潜む彼の隣には、影に溶け込むように、黒ローブの男がいた。
「ーー万事、首尾よく運んでいるのだろうな?」
「計画は完璧です。今や街中の人間が半魔を目の敵にしていますよ」
返ってきた声に、男は厳かにうなずいた。
「当たり前だ。あのような穢れた存在がこの街に潜んでいること自体、異常だったのだ」
「これで反対派の小娘たちも身動きが取れません。閣下の邪魔をする者は誰もいない」
「つまり?」
「もうすぐお望みのものが手に入ります。もう少々お待ちください」
「……子飼いの猫は、任務を失敗したようだが?」
「それも全て計画の内でしょう。より効果的な方法を選んだのです」
「……ならばいい。万事任せる。だが、しくじれば貴様との同盟も終わりだ。心しておけ」
「ご安心ください。閣下」
黒ローブの男は、ニヤァと粘ついた笑みを浮かべた。
「あの半魔には、もはや何も出来ませんよ。この私がいる限り、ね」
◆
「ーーッ」
強烈な悪寒が背筋を走り、ジークは目覚めた。
がばっ、と跳ね起きる。冷や汗で服がびしょ濡れになっていた。
へばりつく服の、気持ち悪い感触を感じながらジークは呟く。
「僕は、どうなって」
頭を押さえ、直前までの記憶を思い出す。
そう、ミドフォード議員に面会をして、そしたら冤罪で街中から追われて。
妹と名乗るルージュと戦い、そしてーー。
「う、腕……!」
自分の腕が斬られた瞬間を思い出し、ハッと腕を見るジーク。
醜い傷跡は残っているものの、腕は綺麗にくっついていた。
どうやら助けてくれた誰かが治してくれたらしい。
ホ、とジークは安堵の息をつく。
落ち着いて周りを見渡すと、そこは見たことがない部屋だった。
豪奢な天井、調和の取れた調度品や風景画。
まるで貴族の邸宅みたいだ。議事堂で見た応接室よりは落ち着くが。
「ーー起きたようですね」
「ふぇ?」
その時、ありえない声がした。
下からだ。
ジークの被っていた布団から、あどけない少女が這い出していた。
「なかなか起きなかったので心配したのです。もう大丈夫ですか?」
「な、な、な……!?」
翡翠色の髪、儚げな色を孕んだ空色の瞳と目が合う。
ネグリンジェに身を包む彼女の、華奢な肩が露出していた。
「ひ、姫様!?」
サンテレーゼ王国王女。
フィーネル・デ・フォン・ウル・サンテレーゼが、そこにいた。
「おはようございます、ジーク。また会いましたね」
「あ、はい。おはようございます。じゃなくて!?」
ジークは悲鳴を上げて飛びのいた。
「なんで姫様がここにいるんですかというか僕はなんで寝て!?」
混乱のあまりおかしくなってしまいそうだった。
フィーネルの年はジークと変わらないか、少し年下だろう。
そんな女性と同衾していたなんて知られたら、リリアがなんていうか。
(え、ちょっとこれ、僕やばい? 浮気? これ浮気になるの?)
内心で冷や汗を垂らしたジークに、姫はクスクスと笑いをこぼした。
「そう慌てなくても、別に何もしていませんよ。ただ、寝かせる場所がそこしかなかったのです」
「それは、どういう」
「ーー失礼します」
その時、唐突にドアが開いた。
そこから入ってきたのは神官服に身を包んだ顔見知りの女性だ。
「オリヴィアさん……?」
「ジーク。目が覚めてよかった。心配したぞ」
「あ、はい。というか……ぁ」
ジークは気絶する直前の事を思い出す。
「オリヴィアさんが助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
「いや、私は当然のことをしたまでだ」
「そうじゃなくて……」
「?」
彼女が助けてくれたのは嬉しい。
だがそれよりも重要なのは。
「助けてくれたってことは、信じてくれたってことですよね?」
そう、それが何よりうれしいのだ。
半魔である自分を、無条件に信じてくれる人の存在が。
そんな人、リリアやテレサ以外に居ないとジークは思っていたから。
皆が半魔であるジークを拒み、疎み、悪意を向けてくる。
街中から追われているジークにとって、信じてくれる人の存在は何物にも代えがたいのだ。
そう胸の内を語ったジークに、オリヴィアは苦笑をこぼした。
「貴様はリリアが選んだ男だ。私がお前を信じるのは当然だろう。それに……」
「あなたには、ミドフォード議員を殺害する動機がありません」
いつの間にか正装に着替えた姫が、ベッドの横に立つ。
彼女の後ろにメイド服を着た女性が立っている。
「あなたが犯人だと信じているのは半魔を疎む者と、あなたに接したことがない者です。大侵攻で溜まり溜まった議会への不満と不信が、あなたに向けられている。行き場のない怒りをぶつけて清々しているだけなのですよ。そんな冤罪、私たちが信じるに値しません。まぁ、私たちも無傷とはいきませんが」
「……? どういうことです?」
フィーネルの嘆きに、オリヴィアが補足する。
「半魔を承認した責任を追及しろと、今、議会は王家取り潰しを要求している。つまり、実質的な権力を全て手放し、象徴としての王族の役割すら放棄しろと言っているのだ。無論、姫様はそれを受け入れるわけにはいかない。だが世論が世論だ。姫様が議会を納得させるには、この要求が理不尽であることーーつまり貴様の冤罪を証明しなければならない。一蓮托生というやつだ」
「別に私は、王女の座に執着はないのですし、異端討滅機構での立場が変わるわけではないんですけどね」
「それでも、国の運営に支障が出る事は確実でしょう」
「そうですね」
肩を竦めるフィーネルに、オリヴィアが仕方なさそうにため息をついた。
「事件を知った姫様はすぐさま私にお前の救出を命じた。今、他の葬送官達は血眼になってお前を探している。今やお前が安全に眠れる場所は、ここ以外にない」
最も、とオリヴィアは付け加える。
「同衾までする必要があったのかは、甚だ疑問ですが」
「ベッドが一つしかなかったのです。怪我人を床に寝かせるわけにもいかないでしょう?」
「……それはそうですが」
オリヴィアは再び、深く長い溜息をついた。
「全く。リリアが聞いたら何ていうか……」
リリアと聞いて、ジークはハッと顔を上げた。
「そうだ。リリアは? リリアは無事なんですか!?」
「……」
オリヴィアは痛ましげに目を伏せる。
姫は首を横に振っていた。
「私が迎えに行った時には、テレサ殿の家はもぬけの殻だった」
「そ、そんな……」
心臓がきゅっと締め付けられるようだった。
リリアが居ない。つまり『何か』あったのだ。
今の状況で、ジークを迎えに行くために街に出たと考えられるほど、ジークは楽天家ではない。
「い、今すぐ探さないと」
「ジーク。落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!? リリアが……あなたの妹が傷つけられているかもしれないんですよ!? もしかしたら、僕を探してどこかを彷徨っているのかもしれない。奴らは僕を狙ってるんだ。僕を嵌めるためにリリアを傷つけないなんて保証がどこに」
「落ち着けと言っているッ!」
叩きつけるような怒声。
思わず身が竦んだジークに、オリヴィアは柳眉を逆立てた。
「貴様が慌てたところで状況は変わらない。こうしている時間が無駄だと分からないのか?」
「で、でも、リリアが……」
「安心しろ。リリアは無事だ」
「え?」
どうして分かるのだ、
そう言おうとしたジークの鼻先に、オリヴィアは一枚の紙を突きつけた。
「貴様の家に残されていた」
汚い字で書きなぐられている。
『リリア・ローリンズは預かった。返してほしくば葬送官本部へ出頭しろ』
一度握りつぶして掠れた文字に、ジークははらわたが煮えくり返るような思いに駆られた。
「リリアを、人質に……!?」
狙いは自分なのに、無関係の女の子まで巻き込むのか。
リリアは何の罪もない、かわいい女の子なのにーー。
「あいつら……!」
「皮肉なことに、この紙の存在がリリアの安全を保障している」
「……どういうことです?」
「彼女が人質として機能する為には、彼女は無事でなければならないからです」
フィーネルが落ち着いた声音で言った。
「それに、彼女は追放されたとはいえブリュンゲル家の末裔。いざとなれば特級葬送官を脅せる恰好の材料を、奴らが手放すはずがありません」
「最も、人質としての価値がイコール傷つけない理由とはならない。即刻助け出さなければなるまい」
「……っ」
オリヴィアの腕が震えているのを見て、ジークは取り乱した己を恥じた。
妹を人質にとられて何より辛いのは彼女であるはずだ。
なのに彼女はジークを責めない。むしろ問題を解決しようと努力してくれている。
「……ごめんなさい、オリヴィアさん」
「気にするな。事情を理解したならそれでいい」
「はい。今は未来を見据えることが何より肝要です」
湯気を立てた茶器を机に置き、姫はジークを見た。
「私はすぐ、議会に呼び出されるでしょう。その前に話しておきたいことがあります」
「……なんです?」
ジークが問い返すと、姫はメイドに目配せした。
メイドは一礼し、奥の扉に歩み寄り、一人の女性を案内する。
「やぁ、初めまして。君がジーク・トニトルスだね」
「そうですけど……?」
右の顔面を仮面で覆った、白衣の女性だ。
彼女は姫の前で膝をついて挨拶をすると、ジークの前に近づいてくる。
「紹介しましょう、ジーク。彼女はメリア・ジェーン。元国立悪魔研究所所長です」
「悪魔研究所……」
不穏な響きに、思わず身構えた。
もしもこのまま自分が捕まれば、連れていかれるのは恐らく研究所だ。
死ぬまで解剖され、中身を観察され、あらゆる苦痛を与えるような地獄……
そんなイメージを、ジークは研究所に抱いている。
「ぼ、僕、食べてもおいしくないですよ?」
メリアは苦笑して首を横に振った。
「私に君をどうこうする気はないよ。興味深い存在ではあるがね」
「それが問題なのでは」
「いや、今問題なのは私より、奴らが君を狙っている理由の方だ。それが君の大切な人を救う助けになる」
「む」
確かにそうだ。
無駄話をしている場合ではない。
こうしてる間にもリリアが危ないかもしれない。
「……分かりました。話してください」
「君を狙っているのは、私の元職場だ」
「……研究所が?」
「そう。彼らは一つの研究にとり憑かれている」
意味ありげに、メリアは目を細めた。
片目を仮面で隠した彼女の口元が、三日月に歪む。
「人造悪魔創造計画、その名を、聞いたことはないかい?」