第八話 面会と異変
オリヴィアに案内されたのは、サンテレーぜの大議事堂だ。
居心地の悪い視線を浴びながら、ジークたちは重厚な石造りの建物の一室に招かれる。
応接室に入ると、オリヴィアは申し訳なさそうに言った。
「すまんが、私はここまでだ。ジーク。失礼のないようにな」
「はい。ありがとうございました」
オリヴィアは「うむ」と口元を緩めて去っていく。
途端に一人になったジークはソファに座り、豪奢な装飾品が飾られた部屋を見渡した。
(なんか、ほんとに場違いな気分……早く帰りたいな)
ミドフォード議員はそれから五分ほどして現れた。
「すまない。待たせたね」
第一印象は、優しげな顔立ちをした老人だ。
顎ひげをたくわえた姿は絵本に登場する魔法使いを思わせる。
ジークが立ち上がると、彼は向かい側に回って手を差し伸べてきた。
「初めまして。儂がアルマン・ミドフォード。ここサンテレーぜで評議会の一員を務めている」
そう言って微笑む彼だが、その瞳は油断なくジークを見ている。
こちらを見定めようとしているような百戦錬磨の権力者に、ジークは居住まいを正した。
「ジーク・トニトルスです。よろしくお願いします」
「うむ。かけたまえ」
言われたとおりに座ると、ミドフォードの視線が和らいだ。
「姫様が言った通り、良い目をしておるな」
「あ、ありがとうございます」
「悪魔との混血と聞いたときは耳を疑ったものじゃが、これなら大丈夫そうじゃ」
「……目を見ただけで分かるんですか?」
ミドフォードは苦笑した。
「これでも、権謀術数が渦巻く政治の世界に五十年以上も身を置いておるでな。その者の目を見れば、腹に一物抱えているかどうかは分かる。お主の目にあるのは警戒と不安、そしてわずかな恐怖。儂らを害するようなものではないじゃろう。少なくとも、儂はそう思った」
「……みんなミドフォードさんみたいだったら、良いんですけど」
目を見ただけで分かると言う彼は極端な例だが、こうして話せる人間がいるのは素直に嬉しい。ちゃんと話して、理解を深めて、その上で共存出来るなら、戦う必要もないからだ。普通の生活が欲しいジークは安堵を隠せなかった。
(これなら早く帰れそう)
そんなことを思ったジークに、ミドフォードは訊ねた。
「君を貶す意図はないのだが、半魔とは人間とどう違うのかね?」
「そうですね……傷の治りはかなり早いです。軽い傷なら寝たら治ります。あとは多少力が強いかも……とは思いますけど、僕、細腕だから人間の方が強い人いそうです。あとは耳が長くて……目が赤いです。暗闇の中で物を見るのも結構得意……かな?」
「ほう。人の肉を求めたりは?」
「一度もありません」
「では、人を襲おうと思ったことは?」
「……嫌なことをされて、仕返しをしたいと思ったことはあります」
「何らかの特異な能力を持っているわけではないと?」
「はい。エルダーみたいな力はないです」
エルダーは小鬼や大鬼、土竜型や魔猿などといった悪魔の上位種。
前世の記憶を保持し、人の姿のまま悪魔となった者達だ。
彼らは加護と似て非なる、異能とでも呼ぶべき力を発現する。
ミドフォードの言いたいとはその事だろうが、ジークにそんな力はない。
「つまり、殆ど人間と変わりないと言うことか」
「そうですね」
「……なるほど」
ミドフォードは何度も頷きながら、ジークから目を離さない。
彼は深く長い息を吐いた。
「……うむ。嘘はついていないようだ」
「嘘をつくのが下手、というのはよく言われます」
「フッ。そのようだ」
どうやら質問攻めは終わったらしい。
それからいくつかの質問を終えて、ミドフォードはソファに背を預けた。
「あい分かった。恐らく君は邪悪な存在ではないのだろう。少なくとも──急進派の言うような者ではない」
「……、じゃあ」
「うむ。儂から議会に調査書を提出しておこう。すぐに騒ぎもおさまるはずだ」
「あ、ありがとうございます!」
「いや、こちらこそわざわざ来てもらってすまなかった」
先ほどまでの空気と打って変わり、ミドフォードは気の良いお爺さんのように笑った。
「儂も姫様の意向を無視してまで君をどうこうしようとは思わなかったのでな。安心したよ」
「僕も、ほっとしました」
「うむ。老婆心ながら言わせてもらえば、そうだな」
蓄えた顎髭を撫でて、彼はつづけた。
「半魔として正式に神殿の庇護に入るのはどうかね? この国でも神々の力は政治に強い影響を与える──それは神殿も同じでな。神殿の庇護に入っているとなれば、急進派の者達も容易に手を出せなくなる。もしくは、国の健康診断を受けるとかね。国の研究者たちに人間と変わりないと断言させれば、君の安全度は跳ね上がるだろう。もちろん、一時は嫌な思いをするかもしれないが」
そういえばリリアやオリヴィアもそんなことを言っていたな、とジークは思い出す。
神殿に追いかけまわされたのはいい思い出ではないが、そろそろ本気で考えた方がいいかもしれない。
「……健康診断はともかく。神殿には行こうと思います」
「そうしたまえ。そうだ、儂から紹介状を書いてやろう。少し待っててくれるかな?」
ミドフォードはそう言い置き、入ってきた扉から出て行った。
慣れない人との会話が終わり、ジークはふぅと安堵の息を吐く。
(話の分かる人で良かった……これで、もう難癖付けられなくて済みそう)
慣れない会話だったが、来てよかった。
中立派と急進派の力関係は分からないが、ミドフォードは古老だと聞く。
彼が周りに睨みをきかせることで普通に暮らせるならこんな苦労は安いものだ。
そんな風に考えを整理したジークは「ん?」と顔を上げた。
「何か、聞こえた」
気のせい、だろうか。
何かが割れるような音と、くぐもった声が聞こえた。
──ミドフォードが消えた扉からだ。
「…………悪魔、じゃないよね」
議事堂は街の中でも厳重な警備体制が敷かれている区画だ。
街に入り込んだ悪魔を葬送官たちが見逃すとは思えない。
だとしたら。
(もしかして、僕を狙って……?)
あり得る、とジークは思った。
いかにミドフォードが古老とはいえ、声明を出す前に手を出せば話はなかったことになる。
人間なら、半魔である自分を貶めるために手段を選ばないだろう。
「……」
ジークは念のために持ってきておいた聖杖機を構え、そぉっと立ち上がる。
まだ敵意は感じないが、血の匂いはどんどん濃くなっていく。
ごくりと唾を呑んだジークは、ミドフォードが消えた扉を押してみた。
ぎぃ、と扉が開く。
ギョッとした。
「──ミドフォードさん!?」
血まみれのミドフォードが倒れていた。
全身に何か所も刺されており、別人のように凄絶な形相になっている。
血の池に倒れ伏す彼の前には今まさに剣を振り下ろそうとしていた黒ローブの姿がある。
「や、め、ろぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
「……ッ!?」
怒号一閃、
ジークはまたたく間に距離を殺し、黒ローブに斬りかかる。
ざくりと骨を断つ嫌な音が響き、黒ローブの手首から血が噴き出した。
瞬間、苦悶の声をあげた黒ローブは身を翻し、割れた窓の向こうへ姿を消す。
「──待てッ!」
ジーク追撃をしようとするが、
「……っ、逃げられた……!」
黒ローブの姿はどこにもなかった。
すると、
「う、ぅ」
「ミドフォードさん!?」
(まだ生きてる!)
苦悶の声をあげたミドフォードへ慌てて駆け寄る。
だが全身の刺し傷は数十にも及び、流れる血は止まることがない。
「……っ、ミドフォードさん、しっかり! 今、応援を呼びますから」
応急処置をする道具がない。早くしなければ彼は死ぬ。
こみあげる焦燥のままに立ちあがったジークは、部屋を駆けだそうとして、
「──失礼します。ミドフォード様。来月の予定についてですが……」
がちゃ、と扉を開けてスーツ姿の女性が入ってきた。
彼女は目を見開いてジークを凝視する。
ジークは視線の意味に気づかず、
「あの、至急治癒術師をお願いします! ミドフォードさんが……」
「きゃぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
「え」
女性が上げた悲鳴に、ジークは固まる。
彼女は両手に持っていた資料を落とし、ジークを指さした。
「人殺し! 化け物、化け物ぉおおおおおおおおおおおおおお!」
(ぁ)
そこでジークは、ようやく自分の状態に気づいた。
黒ローブの返り血、血のついた聖杖機、倒れ伏すミドフォード……。
何も知らない人がこの状態を見れば誰が犯人かすぐに分かるだろう。
そう、ジークが殺したのだと。
「ち、違う! 僕はやってない! ほら、ここに黒ローブの手首が……」
ジークは慌てて床を見る。
そこには先ほど斬った黒ローブの腕が。
「え」
ない。
血だまりの中で足跡すら残さず、黒ローブは姿を消していた。
その瞬間、ジークの脳裏に電撃が走った。
(は、嵌められた……!)
これだ。これこそが急進派の狙いだったのだ。
中立派として声が大きいミドフォードを排除し、ジークを犯人に仕立て上げる。
そうすることでジークを認めた異端討滅機構の信頼を削ぎ、穏健派を黙らせる。
少なくとも世論は傾くだろう。
凶暴な半魔を葬送官として認めた異端討滅機構は、果たして正しいのかと。
「──なんだ!? 何が起こった!?」
「こっち、こっちです! あの半魔がミドフォード様を……!」
ぞろぞろと、議事堂内を駆けまわる声。
またたく間に押し寄せてきた葬送官たちに、ジークは弁明する。
「ち、違います! 僕はやってない! 誰かがミドフォードさんを殺したんだ!」
「黙れ! この状況でどうやって貴様が以外が犯行に及べる!?」
「そ、それは」
「捕らえろ!」
「……っ」
反論は無意味だった。
ジークはミドフォードの遺体と割れた窓を交互に見る。
(……捕まったら、どうなるか分からない)
人間が半魔の言うことを聞かないことはジークが一番良く分かっている。
捕まればひどい拷問や解剖など、実験動物みたいな扱いになるはずだ。
迷いは一瞬、判断は刹那、
「………………っ、ごめんなさい」
バリィン、とジークは黒ローブの後を追うようにガラスを突き破った。
庭先に出ると、議事堂内にけたたましい警報音が響き渡る。
瞬間、議事堂の周りを警備していた葬送官たちが集まってきた。
その数──およそ百人以上。
「多すぎる……! さっきまでこんなに居なかったのに……!」
ハ、とジークは息を呑んだ。
(まさか、急進派の手が、葬送官たちに……!?)
──ありえる。
急進派がちらつかせた権力、あるいは金が、葬送官を動かしたのだ。
そうでなければ、こんなにも用意周到にジークを追い込もうとできるはずがない。
「──居たぞ! 半魔を捕らえろ!」
「油断するな! 奴は先視の加護を持っている。半端な攻撃は避けられるぞ!」
葬送官たちはさまざまな武器をちらつかせて、ジークを囲む。
実に百人以上の葬送官たちを見て、ジークは唇を噛んだ。
(ごめん、リリア、帰りが遅くなるかも)
「最後に言っておきます。僕はやってない。黒ローブの人があの人を殺したんだ!」
「言い分があるなら牢屋で訊く。大人しく捕まえれ!」
「悪いけど、無理です。逃げます」
断言すると、葬送官たちはどっと笑い声をあげた。
「この人数が見えないのかバケモノ。逃げられるわけないだろう!」
「姫様に気に入られて調子に乗っているらしい。自分の力でヴェヌリスを倒したわけじゃないのにな」
「あー気持ち悪。さっさと捕まれ。そんでし、ね……!?」
彼らの声は長く続かなかった。
ジークが全身に纏った雷を見て、全員が顔色を変えた。
「な、なんだ、これ……!」
「『雷光』」
神霊とは言え、煉獄の神ヴェヌリスすら圧倒した光速移動。
制御ができないため、長時間使えば全身の筋肉が断裂してしまうが──。
(一瞬だけなら、逃げられる)
「逃がすな、全員、一斉に──」
「遅いよ」
光が瞬いた。
彼らが聖杖機を構えた時、ジークは既にその場から消えていた。
「…………………………消え、た」
葬送官たちはジークの影すら、捉えることができなかった。
◆
「……うん、美味しくできました」
食欲をそそられる匂いが、食卓に充満している。
スープの味を確かめたリリアは満足げに頬を緩めた。
「これなら、ジークも喜んでくれるはず」
そう呟いて、ふっと彼女の表情に影が落ちる。
「……ジーク、大丈夫かな」
いくら中立派とはいえ、彼が議員と面会するのを喜ぶ気にはなれなかった。
議員などの政治家が彼を気遣うなんて信じられなかったのだ。
(ジークは今まで、充分傷つきました……そして、心の傷に慣れすぎている)
常人なら心を壊しているだろうことも、ジークは平然と受け入れてしまう。
それは彼が半魔として生きてきた十数年の、痛みの蓄積だ。
慣れていることと、傷つかないことはイコールではない。
きっと今も、彼の心は傷つき続けている。
リリアとしては、もっとジークに自分を大事にしてほしい。
(やっぱりわたしも一緒に行っておけば……でも、あんまり一緒だと重いと思われるかもしれませんし……)
心配な気持ちと、女としての不安がせめぎ合っている。
あんまり構いすぎて嫌われたくはない。
けれど、やっぱり心配は心配だ。
「……うん、決めました。帰ってきたらうんと抱きしめてもらいますっ、それくらいいいですよね」
ここで待とう。
彼が帰ってくる場所を守っていよう。
そして彼が帰ってきたとき、おかえり、と言ってあげるのだ。
「そうと決まれば、もう少しおかずを増やして……」
その時だった。
コンコン、とノックの音が響いた。
「……? お姉さま?」
リリアは振り向く。
ジークは帰ってくるときにノックをしたりしない。
この家を訪れる人は殆どいないから、姉のオリヴィアだろう。
(ジークを送ったら一度帰ってくるって言ってましたしね)
「お姉さま、おかえりなさ──」
扉を開け、リリアは硬直する。
「リリア・ローリンズ下一級葬送官だな?」
黒ずくめの男がそこに立っていた。
葬送官ではない。見慣れない男の姿にリリアは眉を顰める。
「……誰ですか、あなたは?」
「ジーク・トニトルスにミドフォード議員殺害の容疑がかかっている。重要参考人としてご同行願おう」
「は?」
頭が真っ白になった。
ようやく理解が追いついた時、黒服の後ろからさらに黒服が現れていた。
リリアは高速で思考する。
(ジークが議員を殺した? 絶対にありえない。この人たちは誰? こんな事をして得があるのは……)
「急進派の手の者……お前たちが、あの人に濡れ衣を着せたんですか!?」
そうだ、そうに違いない。
彼らにとって邪魔なミドフォードを殺し、そしてジークに罪を着せたのだ。
つまりここまで全て、仕組まれていた──。
「聖杖機に血が付着した半魔を大勢の葬送官が目撃している。議員を殺したのは彼で間違いない」
「お前たちが、そう仕向けたのでしょう!?」
「証拠がないことを声高に叫ぶのはやめた方がいい。醜いぞ。リリア・ローリンズ」
「……っ、近づかないでください。近づけば打ちます」
「もう無理だ」
「……っ!?」
がくん、と首筋に衝撃が走った。
いつの間にか近づいてきた黒服が、リリアを襲ったのだ。
(嘘……全く気付かなかった……!?)
「連れていけ」
黒服たちがリリアの両手両足を拘束する。
重要参考人に対する態度とは思えない手荒さに、リリアは呻いた。
「こんな、ことを、して……異端討滅機構が、黙って……」
「全ては半魔を捕らえれば片が付く。それまで大人しくしてもらおうか」
意識を手放す直前、リリアは相棒を強く思った。
(……ジーク。どうか、無事で……)