第六話 遥かな高みへ
「権能武装……?」
オリヴィアの言い放った言葉に、ジークは首を傾げた。
聞いたことがあるような、ないような言葉だ。
どこで聞いたのか、と思い返し、大侵攻の日を思い出す。
「ぁ、確かヴェヌリスを倒すときにオリヴィアさんが使っていた……?」
「そう、その権能武装だ。これを使えることが序列百番台に入れる条件といっても過言ではない」
「へぇぇえ……」
見るからにかっこよさそうな言葉である。
ヴェヌリスと戦っている時からして、彼女のそれは相当強力そうだったが。
長話になりそうそうだったので、ジークはとりあえず家に入ってもらうことにした。すかさずリリアがお茶を入れてくれて、ことりとテーブルに茶器が並べられる。
「でも、お姉さま。権能武装なんて、そう簡単に習得出来るものなんですか?」
「無理に決まっているだろう」
「えぇ~……」
きっぱりと言い切ったオリヴィアにジークは微妙な顔になる。
無理だと思うならなぜ来たんだ。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、彼女は「普通はな」とつけ加える。
「通常、権能武装は葬送官が十年かけて届くか届かないかの領域だ。聖杖機を一つ上の次元に高め、神の力の半分を振るう絶対の力。特級以下の悪魔なら瞬殺できる力を持つ」
「ひえ」
「まぁ最も、神霊などには効かない場合もあるし、相性は絶対にあるのだが……さておき、普通は今のお前たちに覚えられるようなものではない」
だが、と彼女は言葉を続けて、
「ジーク。お前なら話が別かもしれない。その身に二つの加護を宿すお前なら」
「……」
二つ、と言われてジークは微妙な顔になった。
本当は四つあるなんて口が裂けても言えない。
オリヴィアは眉を下げて、
「リリアは……すまんが、まだ無理だろう」
「分かっています。そこまで己惚れるほど馬鹿じゃありませんから」
リリアは淡々と事実を受け止めて頷いた。
以前の彼女ならジークと自分を比べて卑下していただろうから、これはいい傾向だ。
(ふふん。リリアがすごいのは僕が誰より知ってるからね)
「それで、お姉さま。加護を二つ持っていると何か権能武装に有利なんですか?」
「うん。簡単に言えば、権能武装は神の力を聖杖機に降ろし、聖杖機を別次元に昇華させる業なのだ。一種の降霊術のようなものだな。そして神の力を引き出すにあたっては、まず神々と絆を深めなければならん。通常、これが何より困難で難しい。何せ神々は加護を与えるだけで人間一人に構ったりしないからだ。夢の中で呼び出したり、地上に声を届けたり、神霊と戦うために自らも神霊を下ろしたりなどもっての他。会うどころか声も聴けない。神の声を聴き、姿を拝謁するまで五年……長ければ十年かかる。これが普通なのだ」
「えーっと」
リリアとオリヴィアからじと目で見られるジークである。
なぜだろう。なぜか居心地が悪い。
「たぶん、アステシア様もゼレオティール様も今呼びかけたら応えてくれると思いますけど」
「それが異常なのだ。気づけ、馬鹿者」
「あ、はい」
怒られてしまった。
おかしい。僕が悪いわけじゃないのに。たぶん。
しょぼん、と肩を落とすジークにオリヴィアは苦笑した。
「責めているわけじゃない。むしろ褒めている。稀に見る逸材だ。テレサ殿が気に入るのも分かる」
で、と本題に戻るオリヴィア。
「加護が元々神の力である以上、力の昇華に神との絆が必要なのは理解してくれた思う。修業の第一段階であり最も高い壁を越えているからこそ、ジークは権能武装を習得出来る可能性が高い。……と、こんな感じだ。分かってもらえたか?」
「何となくは」
とにかくジークは、権能武装を習得しやすい状況にあるのだ。
自分の力とは言えないため思うところはあるが、強くなりたい現状、楽できるのはありがたい。
「というわけで、早速やろうか」
「今からですか!?」
「当たり前だろう。お前たちは葬送官だ。国や街を守るために己の技量を上げることは仕事と同義。哨戒任務がない時は訓練、もしくは未踏破領域の探索。ちゃんと異端討滅機構に届け出ていないと、厳罰を受けるぞ? 今まではテレサ殿が訓練のために申請していたようだが」
「あー……」
そういう仕事はちゃんとやっていたんだ、とジークは思わず笑みをこぼした。
酒呑みでぶっきらぼうな割に、テレサはちゃんと自分たちを見てくれている。
離れてからどれだけ支えてもらっていたのかを実感して、ジークは心の中でお礼を言った。
「全く……ジークはともかく、リリアも忘れていたのか?」
「あはは」
リリアは頬を掻いてそっぽ向いている。
可愛い。
そんなやり取りを終えて、三人は納屋にある訓練場に移動した。
「──それで、どうやって神様の力を聖杖機に降ろすんですか?」
「そうだな──まず、やろうか」
「へ?」
言った直後、オリヴィアはジークの眼前にいた。
「……ッ!」
迷うことなく胸を狙った渾身の突きを、ジークは身をひねって回避する。
いかに油断していたとしても、加護を発動せずに避けられたのは修練の賜物だ。
オリヴィアも心なしか目を見開いていて──好戦的に口の端を上げる。
「さすがだ。ならばこれはどうだ!?」
「ちょ!?」
まるで逆再生でも見ているかのようだ。
避けたと思ったオリヴィアの突きが、生き物のように戻ってくる。
重なった未来の腕を捉えることすら困難な攻撃の連打。
これが『戦姫』の実力……!
「ジーク! 言い忘れてましたけどお姉さまはかなり戦闘好きです! あと手加減が嫌いなのでどちらかが倒れるまでやめません! 頑張ってください!」
「それを早く言ってよぉ!?」
リリアに応じながら、ジークはオリヴィアのレイピアをなんとか避けていく。
否、避けるだけではない。
「こ、のぉ……!」
「っ!?」
突きの連打をかいくぐり、身を低くしたジークは距離を殺してオリヴィアに迫る。絶妙な足運びを見せた横薙ぎの一撃は、オリヴィアの脇腹を斬りつけ──。
「惜しい」
その寸前、ジークの頬に衝撃が走った。
「うぐ!?」
水切り石のように床を転がったジークは頬を押さえて顔を上げる。
その鼻先に、レイピアが迫った。
「うっそ!?」
慌てて床を転がり、横に飛び上がったジークはレイピアを払いのける。
硬いもの同士が響く金属音が連鎖した。
「権能武装の習得をするんじゃなかったんですか!?」
「まさに今やっているだろう」
「殺されかけているようにしか見えないんですけど!」
「極限状態でこそ人の真価は試される。敵が権能武装を発動するのを待ってくれると思うな。そんなものは一部の馬鹿か恐れ知らずだけだ。戦いの中で神の声を聴き、神の姿を思い浮かべ、そして聖杖機に加護の力を注ぎこめ! お前の持つ加護はなんだ!?」
「僕の、加護は……」
先視の加護。未来を見る魔眼。
今まさに、〇.八秒先の未来を見てジークは攻撃を避けている。
これを聖杖機に注ぎ込む? 一体どうやって?
(アステシア様、どうせ見てるんでしょう! 助けてくださいよ!)
ジークが心の中で呼びかけると、声が返ってきた。
(うふふ。ちゃんと見ているわよ。なんだか面白いことになっているじゃない♪)
(面白がってないで助けてください!?)
(えぇー……もう、しょうがないわね。本当にあなたは私がいないとどうしようもないんだから)
アステシアはわざとらしくため息を吐いた。
その声色はどこか得意げだ。良かった。なんとか助けてもらえる。
(でも、嫌よ)
(え!?)
ジークは目を見開いた。
驚きのあまり動揺し、レイピアの切っ先が肩先をえぐる。
(……っ、なんで!? 僕、いま権能武装を習得しようと……)
(だからよ。だから、私は手を貸さないの。そんなの面白くないじゃない)
(な、な、)
(ヴェヌリスの時に言ったでしょう? 私が直接手を貸すのは一度だけって)
当たり前のことを告げるように、アステシアは言い切った。
正論すぎる正論を言った彼女の言葉に、ジークは内心で頭を抱える。
──そうだった、アステシア様は、こういう人だった……!
最近、やけに好意的だったり距離が近かったりしたから忘れていた。
叡智の女神アステシアは誰よりも未知を好む。
自分が手を貸して当たり前のように権能武装を習得するジークなど、見たいわけがない。
足掻き、悩み、苦しみ、迷い、時に逃げ出し、
その果てにジークが掴み取るものこそ、彼女が見たい物語なのだ。
「……ッ」
がつんと、頭を殴られたみたいだった。
ジークは奥歯を噛みしめ、自分を罵倒した。
──僕は、いつの間に、こんなに他人を頼るようになったんだ!?
両親を亡くしてから、ずっと一人で生きてきたつもりだった。
たくさん酷い目にあって来たけれど、人に頼ることはできず一人で困難を乗り越えてきた。
テレサと出会い、リリアと出会い、葬送官となって。
ジークはいつの間にか甘えていたのだ。
誰かに頼ることが、当たり前になっていたのだ。
困ったときは神様が助けてくれるなどと、思っていたのだ。
それこそ、神々が最も嫌うものだというのに──。
(そう、願うくらいなら掴み取りなさい。それがあなたの生き様でしょう?)
(……ごめんなさい。僕、甘えていました)
──ザシュッ!
オリヴィアの神速の突きを、ジークは掌に貫通させて受け止めた。
血しぶきが舞う。鋭い痛みが頭蓋を震わせる。だが、
「な」「ジーク!?」
「捕まえた」
ギラリ、と赤い眼光がオリヴィアを貫く。
ジークの身体から立ち上るオーラが、爆発的な力を現出させる。
「もう甘えません。あなたが力を貸さないなら……無理やり引きずり出してやる」
(ふふ。出来るものならやってみなさい)
──……ゾクッ!
雰囲気が一変したジークの威容に、『戦姫』は呑まれていた。
(何だ、この少年、突然力が……ッ!?)
掌からレイピアを引き抜こうとするオリヴィア。
だが、異常なまでの筋肉の収縮がそれをさせなかった。
「馬鹿な、抜けない……!?」
「いきます」
ジークは右手で剣を構えた。
未だ神の力を降ろす方法も知らないジークが、我流で次なる領域に足を踏み入れる。
(行けるはずだ……僕はそれを、一度見ているのだから)
忘れもしない大侵攻の時、アステシアが貸してくれた力。
あれが権能武装だ。
あれこそが、先視の魔眼の到達点なのだ。
もし違うなら、もう一度試せばいい。
何度失敗しても、出来るまで試せばいい。
分からないことを嘆く暇なんてない。
そうだろう、僕。
甘えるな。
強くなるんだ。
──もう誰も、喪わないために!
「ふ、ぅ」
コンマ一秒にも満たない刹那、陽力を剣に集中させる。
同時に加護を駆動。加護を動かすための陽力を無理やり引っ張り上げる。
見ろ。
見ろ。
見ろ。
この先を、ありえざる未来を。
〇.八秒を超えた、さらなる次元の高みへ──!
『……ッ!』
ぐぉん! と溢れるオーラが衝撃波となって、室内を駆け抜ける。
恐るべき陽力が双剣を太陽の如く輝かせ、まばゆい光が目を焼く。
そして──。
「権能武装、発動」
「!?」
「其は識る叡智の記憶。標せ、『超越者の魔眼』!」
ジークは叫んだ。
オリヴィアとリリアは固唾を呑んで見守る。
が…………。
「あれ?」
シ────ン……………………。
何も、起こらなかった。
依然として剣は輝いている。
だがそれだけだ。
未来が分岐して見えたりしないし、〇.八秒先の未来も見えない。
「あれ……?」
首をかしげるジークに毒気を抜かれたのか、オリヴィアはレイピアを抜き、構えを解いた。
「まぁ、そう簡単にはいかないか」
「オリヴィアさん」
「今日はここまでにしよう」
そう言って聖杖機をしまうオリヴィア。
戦意が消えうせた彼女に倣って、ジークも陽力を霧散させた。
そして地面に倒れこむ。
「はぁ~~~~~~~。もうちょっとだと思ったんだけどなぁーーー」
「ジーク、お姉さま!」
ハラハラと、訓練場の端で見守っていたリリアが駆け寄ってくる。
起き上がると、彼女はどこか怒ったように、
「もうっ! なんで訓練なのにこんな怪我するんですか!?」
「え、いや、これは……」
「お姉さまもお姉さまです! 寸止めするとか方法はいろいろあったでしょう!」
「だがリリア。訓練と言えど本気でやらねば……」
「言い訳は要りません! 二人とも、そこに正座してください!」
『あ、はい』
二人はリリアの前で揃って正座した。
リリアは掌に穴が開いたジークに応急処置をしながら、
「権能武装の習得が大事なのは分かりますが、二人とも急ぎすぎです。一朝一夕で出来るものじゃないって分かってたはずですよね? なのにこんな怪我をして、もし今、悪魔が襲ってきたらどうするんですか? そのせいで命を落としちゃったら後悔してもしきれないと思いませんか?」
「えっと、はい。おっしゃる通りで」
「大体、訓練と言えど激しすぎるんです。お師匠様はそのあたり上手く加減していましたし、掌に穴が開くような怪我なんてさせませんでした。ジーク。あなたもあんな力を解き放ったらこの家がどうなるか考えなかったんですか? お姉さま、ヴェヌリスを倒したジークの力を侮りすぎではないですか?」
『はい。すいません』
「二人とも、形だけ謝っておけばいいと思ってません? 頭では分かっても納得してませんよね?」
ぎくッ。
リリアが透明な笑みを見せた。目が全く笑っていない。
こめかみに青筋を浮かべながら、彼女の説教は一時間ほど続いた。
普段温厚なほど怒らせたら怖いという母の教えを思い出すジークである。
もうリリアを怒らせないようにしよう、と密かに決意した。
──一方、オリヴィアはじっと横目でジークを見ていた。
(先ほど見せたあの威容、そしてあのオーラ……間違いない。届きかけている)
オリヴィアは疑問に思う。
いくら本気で斬りかかったとはいえ……。
たった一度の修業、殺し合いで、その高みに至れるものなのか?
(否だ。不可能に決まってる。今日は私が圧勝するつもりだったのだ)
現に、戦闘不能に追い込める場面はいくらでもあった。
加護を使えばさらに有利に立ち回れただろう。だがそれでは修業にならない。
(神の力を聖杖機に降ろす為には、神の力に頼りながら、己の力で神の力を再現するという矛盾した発想が必要となる。神に寄りかかるだけではダメなのだ。あくまで運命を切り開くのは自分自身……まさかこの少年は、何の教えもなくその境地に辿り着いたというのか?)
葬送官にとって、加護をくれた神は崇めるべき絶対的な存在だ。
それゆえに。
普段から神の加護で悪魔と戦えている彼らは、神が助けてくれるのを当たり前に感じている節がある。葬送官は神なしでは悪魔を倒せないからだ。
その甘えを捨て、己の力で運命と立ち向かうのは、簡単なことではない。
第一段階で神と対話しているが故に、なおさらその難度は高まる。
その矛盾を超えるために、どれだけの葬送官が挫折しているか。
この子はちゃんと知っているのだろうか。
(……これが、半魔の為せる業なのか? それとも……ジーク。お前は一体……)
十年、いや、長い悪魔との戦いの中で一度も現れなかった逸材。
もしも彼が権能武装の高みに届いたならば、一体どうなるのか──。
(ふふ。年甲斐もなくワクワクする……この子を育てたい……もっと強くしてやりたい……!)
オリヴィアはぎゅっと拳を握りこむ。
心臓が歓声をあげて踊り、思わず口の端が吊りあがる。
「──お姉さま、聞いていますか!?」
「あぁ、聞いてる。つまりこの子を世界一強くすればいいのだろう?」
「全く聞いていませんよね!?」
頭を抱えるリリアにオリヴィアは声をあげて笑った。
今は怒っているように見えても、リリアの表情は生き生きとしている。
実家にいた時や、一人で活動している時とは大違いだ。
それは間違いなくジークのおかげだろう。
「……ありがとう、ジーク・トニトルス」
「え? なんのことですか?」
「ふふッ、いや、なんでもない」
そう言って、オリヴィアは柔らかく微笑むのだった。