第四話 ただ一つの光明
「妹……妹って、あれだよね。血がつながった兄妹の事だよね……?」
「そだよー? 何当たり前の事言ってるの、お兄ちゃん? 妹の可愛さに悶絶して頭おかしくなっちゃった?」
「えーっと。ちょっと待って」
何だか色々強烈すぎて理解が追いつかないジークである。
ナチュラルな毒舌も気になるが、とりあえず確かめねばならないことは一つだ。
「ジーク。妹がいたんですか……?」
「……居ないよ。少なくとも僕は知らない」
そう、ジークに妹は居ない。
ジークが生まれる前に両親が子供をもうけている場合は別だが、この場合は兄か姉だろう。少なくとも自分が生まれて以降、両親は新しい子供を作っていないはず。
「君は一体、誰なんだ?」
「ん~」
ルージュは顎に指を当て、じっとジークを見ていた。
やがて何かに得心したよう顎を引き、
「ごめんお兄ちゃん。まだ早かったみたい」
「は?」
そう言って、何事もなかったかのように歩き出す。
反射的に警戒するジークだが、ルージュは楽しそうな表情で、
「あたし、行くね♪ 近いうちにまた会おうよ」
「ちょ、待って、君は一体……!」
「──赤い花に、気をつけて」
通り過ぎる際、そんなことを言い残した。
振り返ると、まるで幻のように姿が消えていた。
「何だったんだ……ほんと」
赤い花? 妹? 訳が分からない。
身に覚えのない事ばかりで混乱するジークに、リリアは言った。
「……気になりますが、考えても仕方がないのも事実です。たまにあーいう変な人居ますしね」
「……まぁ、それもそうなんだけど」
それでもなぜか気になる。
だって、彼女は──。
「それとも、ジークはあーいうタイプが好みなんですか?」
リリアはぷくぅ、と頬を膨らませる。
「や、別にそういうわけじゃないけど……僕はリリアみたいな優しい人が好きだよ?」
「……っ」
そう告げると、リリアはビクッ、と肩を震わせて腕を絡めてきた。
「も、もう。そんなこと言っておだてようとしても無駄なんですからね。えへへ。今日の夕飯はジークの好きなものにしましょうか」
「ほんと? やった! じゃあ早く帰ろう!」
あの子のことは気になるけど、気にしても仕方がない。
通り魔に会ったと思っておけばいいとジークは思った。
──例え彼女の顔に、母の面立ちを感じたとしても。
◆
慌ただしい時間はあっという間に時間は過ぎていく。
美味しい夕飯を食べ終え、疲れたジークはベッドに横になっていた。
「結局なんだったのかなぁ。あの子」
やはり思い出すのはルージュと名乗った『妹』だ。
決して妹ではないはずだが、無関係とも思えない。
「ゼレオティール様の加護も……聖杖機の事もあるし、訓練もしなきゃ……」
やらなきゃいけないこと、
考えるべきことが山のようにある。
しかも全て早く結果が欲しい事案だ。
焦っても仕方ないと頭で言い聞かせても、心が逸って仕方ない。
「どれから手をつけていったらいいか……って」
突如、意識が猛烈に引っ張られる感覚がジークを襲う。
魂がふわりと身体から浮き上がり、ジークの意識は暗転した。
赤、
白、
点滅。
そして──。
「わッ!?」
気付けば、ジークは見慣れた大理石の床にいた。
周りを見渡す。
さすがに両手の指を超える数来ているだけあって、順応も早くなる。
「ここは、天界……僕を呼んだのは誰ですか?」
「儂じゃ」
厳かな声。
振り返れば、玉座に座ったゼレオティールが居た。
「ゼレオティール様。こんばんは」
「うむ。こんばんは、ジーク」
「僕に何か用でしたか? あ、それとも加護のコツとか教えてくれたり……?」
ゼレオティールは苦笑した。
「それはお主が習熟すべきことじゃ。それと今回用があるのは儂ではなく──」
「あたしよ!」
ゼレオティールの後ろからぴょん、と飛び出す少女に似た女神。
真っ赤な髪を揺らし、鍛冶神イリミアスが現れる。
ジークは顔を歪めた。
「うわぁ出た……」
「何よその不満そうな顔は!?」
「いえ、別に」
「言っとくけど、あたしが居なかったらあんた困るんだからね。そこんとこ分かってる!?」
「分かってるから嫌なんじゃないですか」
ジークはこっそりため息をついた。
聖杖機の損傷を解決する──。
その問題を解決するには、彼女に頼ることが手っ取り早いのは分かっていた。
普通の聖杖機では、ゼレオティールの力に耐えられない。
だが、神が作った武器なら話は違う。
恐らく力をコントロールしなくても聖杖機が壊れることはないはずだ。
だからこそ以前、夢の中で彼女に呼び出されたのだから。
しかし、である。
彼女──鍛冶神イリミアスに聖杖機を作ってもらうには、彼女の加護が必要となるとなるのだ。
ジークにとっては大問題である。
(僕は普通に暮らしたいだけなんだよ! これ以上加護とか貰ったら普通から遠ざかるし!)
既に三つも加護がある時点で手遅れな気がするが、過ぎたことは気にしても仕方ない。それ以上に、四つ目の加護に自分の肉体が耐えられるのか気になった。そんな疑問を察したのか、ゼレオティールが顎髭を撫でて、
「お主の身体なら大丈夫じゃと思うぞ。既に三つも受け入れているし、イリミアスの加護は身体に負担をかけるようなものでもない」
「そういうことよ! 分かった!?」
「うう。分かりました……」
結局受け入れるしかないのか、とジークは項垂れる。
「うふふ! 素直にそう言えばいいのよ! お馬鹿さんね!」
「あなたに言われると何だか納得いかないのは僕だけですか?」
「あんた失礼ね!?」
そんなやり取りをしてから、ジークは気付いた。
「あれ? アステシア様は?」
そう。
いつもなら天界に来た時必ず同席する彼女の姿が、なかったのだ。
疑問を口に出せば、ゼレオティールが苦笑して杖を傾ける。
「アステシアなら、ほれ、そこじゃ」
「え?」
言われて振り返る。
居た。
円形の広場の端っこに、膝を抱えたアステシアが居た。
「ジークが、私のジークが汚されちゃった……まだ早いのに……せめてあと五年……アウロラの子……急にあんな……積極的な行動を……予想外だわ……」
ぶつぶつぶつぶつぶつ……と。
何やら暗い呟きを漏らしている彼女にジークは首をかしげる。
「どうしたんですか? あの人」
「うむ。どうやらお主がアウロラの子と仲良くしているのがショックだったらしい。ほれ、夜に、な」
「え、あ」
言われて、ジークはカッと頬が熱くなった。
昨日の夜。人生で生きてきて最高に幸せだった時間が脳裏に過る。
「あ、あれはえっとなんていうか……って、夜に覗いてたらダメでしょ! 何してるんですか!」
「それは仕方ないわ。私たち神々は暇だから」
「ぷらいばしー? の侵害です!」
「神にプライバシーと言われてもねぇ」
「うむ。ばっちり見ておったぞ。時にジーク。女子というのはもう少し優しく……」
「いや僕も混乱してて夢中で……って何言わせるんですか!?」
分かっていたことだが、神々にジークの生活は筒抜けだ。
別に見られて困るようなことは基本的にしていないのだが、それでも昨日のようにリリアと仲良くしているところを見られたのは思うところがある。そもそも、彼女の肌を他人に見られていたというのが、なぜだか胸がもやもやした。ムカムカする、と言い換えてもいい。
「き、昨日みたいなときは二度と覗かないでください! 絶対ですよ!」
「うむ、分かった。儂から言い聞かせておこう」
「ゼレオティール様もですよ!? もし約束を破ったら嫌いになりますから!」
「分かった分かった。分かったから落ち着け」
がるる、と吠えるジークにゼレオティールはひらひらと手を振る。
軽い言葉が気になるが、約束したからには守ってくれるだろう。
たぶん、きっと。…………大丈夫だよね?
「ハァ、もう……」
「それで、ジーク。あやつを宥めてくれんか? 昨日からずっとあの調子でな……」
「……仕方ないですね」
覗かれたことは許せないが、神々に怒っても仕方がない。
それに日頃お世話になっているアステシアと喋れないのは、調子が狂う。
さっさと元に戻ってもらわないとジークが困るのだ。
「アステシア様」
「うう……ジーク……?」
「アステシア様、元気出してください」
「嫌よ。どうせもう、私は要らない女なんでしょ。地上に戻ってアウロラの子とよろしくやればいいわ」
ふん、とそっぽ向くアステシア。
うわこの人めんどくさぁ……と喉まで出かけた言葉を、かろうじて呑みこむジーク。
「リリアは確かに好きですけど……アステシア様も好きですよ」
「そんなの嘘だわ」
「嘘じゃないです。いつも気にかけてくれて嬉しいです。感謝もしています」
これは本当のことだ。
アステシアが居なければジークはテレサにも会えなかったし、リリアと仲良くもなれなかった。
きっと葬送官にもなっていないし、その辺で野垂れ死んでいたに違いない。
「だから、いつもの可愛い顔見せてください。アステシア様が元気じゃないと……僕、嫌です」
アステシアは膝を抱えながら、上目遣いでこちらを見てきた。
「……ほんと?」
「はい」
面倒くさいのを通り越してだんだんと可愛くなってきた。
ジークはほんのり頬を染めるアステシアの頭を、ゆっくり撫でていく。
「ぁ」
「普段はちゃんとしているのに、こういう事はだらしないんですよね、アステシア様」
「……そんなことないわ。ないはずだわ」
涙目なアステシア。説得力は皆無である。
それでも頭を撫でていると、彼女は安心したようにとジークの腕に触れて、
「……うん、そうね。とりあえずこれでよしとしてあげましょう」
ぱんぱん、と服の裾を払い、立ち上がった彼女は大人の笑みを浮かべる。
「男の子なんだから、仕方ないわね。でもジーク。ちゃんと責任は取るのよ?」
「責任ですか?」
「ちゃんと彼女を守りなさい。そして幸せにしてあげなさい」
「……はい。分かりました」
「よろしい」
なんとか元気は出たようだ。
ゼレオティールの方を見ると、彼はぐっと親指を立てていた。
「アステシアお姉さまのあんな顔、初めて見たわ。どうやったの?」
「黙りなさいイリミアス。あとお姉さまと呼ぶなと何度も言っているのに」
「え~? それでお姉さま、お姉さまは半魔の事をどう思って……」
「今すぐ天界から突き落とすわよ」
「すいませんごめんなさい何でもないです!」
冷たい吹雪のような視線に姿勢をイリミアスは姿勢を正す。
それから彼女はごほんと咳払いし、
「ようやく本題に入れるわね!」
「いや、あなたが自分から脇道にそれていたような」
「とりあえず加護をあげるわ! 歯を噛みしめなさい!」
言うやいなや、彼女は手のひらに槌を顕現させた。
思いっきり振りかぶる。
「いっづ!?」
がん! と頭を殴られ、ジークはよろめく。
思わず頭を押さえるも、痛みはない。
ただ心臓をぎゅっと鷲掴みにされた感覚が背筋に怖気を走らせた。
「び、びっくりした……いきなり殴らないで下さいよ!?」
「無事に『鍛鉄の加護』を受け取れたみたいね。まぁ知ってたけど」
そう言って彼女は頭をさわさわと撫でてくる。
何事かと思っていたら、何だか頭の上から暖かいものが流れてきた。
「ふむふむ……なるほどね。ふーん……」
「えっと、何してるんですか?」
「『力』を流してあなたの陽力を調べてるのよ。しばらくされるがままになっておきなさい」
ぶつぶつ呟くイリミアスの代わりに、アステシアが補足してくれる。
そう言われては何も出来ないので、ジークはそのまま五分ほど待った。
そして、
「うん! おっけー!」
満足顔で手を離したイリミアス。
無邪気な顔に思わず毒気が抜かれて、ジークは問いかけた。
「何か分かりました?」
「うん、あんた、すっごい独特な魂のカタチしてるわ。見たことないくらいよ!」
「それ、褒めてるんです……?」
「当たり前じゃない! 剣の打ち甲斐があるってものよ!」
「そう言うものなんですね」
鍛冶の心得がないジークは頷くしかない。
すると、アステシアが呆れたように補足してくれた。
「イリミアス。普通の聖杖機とあなたの打つ剣は違うんだから、その辺もちゃんと説明なさい」
「あ、そうだったわ!」
「え、違うんですか?」
ジークとしては、ゼレオティールの加護に耐えられる聖杖機を作る、のかと思っていた。
それとは違うと聞かされ、若干の不安が鎌首をもたげる。
「元々お主が手にした聖杖機……あれは手にする者の魂によって形を変える『神鉄』に、通話や録音、録画など様々な機能を付与した人類魔導工学の結晶じゃ。が、その分強度が落ちる。もちろん人間からすれば現存する金属の中で最硬強度なのは変わりないが、儂のような強い力を使うには耐えられんかったようじゃな」
「そこであたしの出番というわけよ! えっへん!」
イリミアスが胸を張り、ジークの額に指を当てる。
「さっきあたしがあんたの魂の調べたわ。あんたの陽力もね。そこに体力、筋肉の付き方、性格、癖、名前、ここ最近ずっと見てたそれらを統合して剣を打つの。あんただけにしか使えない、あんただけが持てる、あんた専用の聖杖機よ。その代わり通話とか録音とか、人間が付与した奴は使えないわ!」
「え、使えないんですか」
「そんな事に容量を使うくらいなら戦闘に特化したほうがいいでしょ? 武器なんだから」
「まぁ、確かに」
正論すぎる正論である。
恐らく人類の技術ではそこまで『神鉄』を加工することが出来ないのだろうが、武器は武器。
強いほうがいいに決まっているし、余計な機能は要らないのだろう。
(……僕もリリアみたいに、聖杖機で写真撮りたかったなぁ。カメラ、貸してもらおうかな)
「他人とは違うものを使うんだから、きっと色々支障が出ると思うわ。逐次対応なさい、ジーク」
「あ、はい」
アステシアに言われて、ジークはこくこくと頷く。
「やっぱりアステシア様は頼もしいですね」
「ふふ。そうでしょう?」
「はい。イリミアス様だけなら絶対に説明してくれませんでした」
「あんたさっきからあたしに失礼過ぎない? あとお姉さまも冷たいような気がする!」
「だからお姉さまと呼ぶなと」
アステシアは頭が痛そうに額を押さえた。
イリミアスは気にした風もなく、
「ま、いいわ。あたしは剣が打てればそれでいい。他人とは違う、ありうべかざる魂……あんたはどんな剣を見せてくれるのかしら!」
イリミアスの瞳がギラリと輝く。
その光の中に狂気じみた偏執を見て、ジークはごくりと息を呑んだ。
(やっぱりこの人も神なんだ……)
今日、ここにはいないラディンギルが武に傾倒しているように。
鍛冶神イリミアスもまた、新たな剣、未知の可能性に期待を隠せていない。
きっと彼女はジークだから助けてくれるわけではなく、半魔で珍しいから助けているだけだ。
(そこは忘れないようにしないと)
「さて、あとなんか説明することは……あー、そうそう。あんたの剣が出来るの、二週間ぐらいかかるから」
「そんなに!?」
「むしろ早い方よ。頑張ればもうちょっと……いや、やっぱ無理。二週間は欲しいわね!」
「そ、そうですか」
結構時間がかかるんだなと頬をひきつらせるジーク。
ゼレオティールがフォローするように言った。
「お主の場合、儂の加護があるから剣がなくても戦えるじゃろ」
「それはそうですけど……加護が制御できないから問題なんじゃないですか」
「精進せい、と言いたいとこじゃが……イリミアス」
「はぁーい。まぁそう言われると思って代わりを用意しておいたよ。普通の聖杖機だけどね」
光の粒がジークの前に集まる。
それはやがて十字架に輪っかがついたものへと変化した。
「聖杖機……これは他の人が使ってるものと同じですか?」
「人類がつけた機能はないけどね」
「ってことは、ゼレオティール様の加護を剣に纏わせたりは出来ないですね」
「そう言うことになるな。じゃが、戦うには充分じゃろ?」
「はい。ありがとうございます」
とりあえずこれで当面は凌げる。
問題は異端討滅機構にどう報告したらいいかだが……まぁなんとかなるだろう。
余分にもらえたら、予備をもらったと思っておこう。
「じゃあ、あたしは早速打ちに行くから! もう待ちきれないから! じゃあね!」
「え、ちょ!?」
イリミアスは言うだけ言って姿を消した。
呆気にとられたジークの代わりに、アステシアがため息をつく。
「ほんっとにあの子は……」
「まぁ奔放なところはあるが、腕前は確かじゃ。楽しみに待っているといい、ジーク」
「ありがとうございます」
とりあえずこれで今回の訪問は終わりだ。
ジークはほっと安堵して目を閉じようとしたのだが、
「あ、いっこだけ聞いていいですか?」
「なんじゃ?」
ふと思いついたことがあって、ゼレオティールを呼び止める。
そして僕は聞いた。
「ルージュという、僕の妹を名乗る子供が来たんですけど……何か知りませんか?」