第三話 加護の習熟
カン、カンカン、と焼け野原の中に剣戟の音が響き渡っている。
大鬼型悪魔が持つ大剣と、長さの違う双剣がぶつかり合う。
「トニトルス流双剣術迅雷の型……ッ!」
横なぎの大剣を避け、ジークは双剣に力を籠める。
狙うのは心臓の一点。
全身に魔力をみなぎらせる要所の一つ。
「……んんッ!」
バリ、と剣から紫電が迸る。
ジークは顔を歪めながら腹に力を入れる、が──
「ぁ」
紫電は見る間に大きくなり、巨大な雷が現出する。
──雷速の一撃が放たれた。
バリィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!
宙を横一線に走る、巨大な雷撃。
胸を斬りつけるだけの一撃は、大鬼の身体を吹き飛ばしていた。
静寂があたりに満ちていく。
「…………またやっちゃった」
ぎぎぎ、と壊れた歯車のような動きで、悪魔たちがジークを見た。
直後、悲鳴。
まるで化け物に遭遇したと言いたげな恐怖に満ちた叫び。
あっという間に森葬領域へ帰ろうとした悪魔たちだが──。
「『氷華・破城葬』」
彼らの全ては、花のような凍りに包まれ、
「『哀れな魂に光あれ』ターリル」
略式祈祷と共に氷は砕けた。光の粒が天へと昇っていく。
「お疲れさまでした、ジーク」
「うん。リリアもお疲れ」
ジークは振り返って微笑む。
一か月前とは別人のように強くなったリリアは「それで」と憂いを滲ませた。
「やっぱり、まだ慣れませんか?」
「うん……ダメ、全っ然、ダメ! 笑っちゃうよ、もう」
たはは、とジークは頭を掻いた。
現在二人は、大侵攻後、初の哨戒任務の真っ最中だ。
既に二人とも下一級悪魔程度なら問題なく相手に出来る実力がある。
上級程度の悪魔はまだ相手にしていないが、特級を倒した二人なら余裕だろう。
とはいえ、だ。
「ゼレオティール様の加護、強すぎるんだよなぁ」
ジークはついぼやいてしまう。
そう、ジークがやりたかったのはゼレオティールの加護の習熟だ。
大侵攻の際は力をコントロールできなかったせいで五分程度で倒れてしまった。
しかもその後、全身の筋肉が断裂するといった大怪我も負った始末だ。
「今のままじゃ、いざってときに使い物にならないよ……」
「ふふ」
ぼやくジークを笑うリリアに、彼は「むう」と喉を唸らせる。
「笑わなくてもいいじゃん」
「ごめんなさい。おかしくって」
からかうようにリリアはジークの鼻先に指を当てた。
「ジーク。赤ちゃんは言葉を覚えるのに何年もかかるんですよ? ジークは今、加護を覚えたての赤ん坊なんです」
「え」
「普通、加護の習熟って何年もかかるんですよ。だから殆どの葬送官は三年制の養成学校を出ているんです。自分が授かった加護を戦闘に使えるように訓練して、それこそ上級や特級に通じるまで磨くなら、たくさんの経験と時間が必要になります」
だんだんと、ジークはリリアの言いたいことが理解できた。
恥ずかしくなって俯く。
「僕、調子に乗ってたってこと?」
「調子に乗るというか……成長があまりに早すぎるから、勘違いしちゃっただけですよ。わたしが言いたいのは、宿したばかりの加護をまともに使えなくても当たり前で、焦らなくてもいいということです」
「……そっかぁ」
確かにジークはアステシアの加護を短時間で習熟していた。
その成長にはリリアやテレサも驚いていたくらいだ。
だがこれにも理由がある。
『先視の加護』は刹那の未来を見る加護。
そこで重要となるのは反射神経や一瞬の判断力だ。
ジークは両親との旅やアーロンの扱いによってこういったものは磨かれていた。
だから成長が早かったのだが、ゼレオティールの加護は全くの別もの。
例えるなら、家を押し流す濁流を手で堰き止めるようにコントロールするような……。
全く別の技能が必要となる。
「じゃあ早く使いこなせなくて当たり前なんだね……」
「そういうことです。しかもその加護は、異端討滅機構の歴史上、誰も宿したことがない『一なる神』の加護なんでしょう? そんなに早く使いこなせたら苦労しません」
「だね……じゃあますます頑張らないと」
個人の成長を、悪魔は待ってくれない。
理不尽はいつだって唐突に訪れることを、ジークは身をもって知っている。
「リリア、手伝ってくれる?」
「もちろん。二人で一緒に頑張りましょう」
リリアはそう笑ってから、少しためらって、足首を伸ばす。
ちゅ、と濡れた唇が頬に当たる。
驚いて振り返ると、頬を赤くしたリリアが両手を後ろに回して微笑んでいた。
「えへへ」
「もう……誰かに見られたらどうするのさ」
「頬っぺたくらいなら挨拶でする人もいますし。いいんです」
「そういうもんなの?」
「そういうもんです」
そう言いながらも、はにかむリリアは照れくさそうだ。
その笑顔を見ていたら本当か嘘かなんて、どうでもよくなってくる。
ジークは口元を緩ませた。
「じゃあ、もうひと頑張りしよっか」
「はい! あだ、いづ……」
元気よく拳を握ったリリアはお腹を押さえる。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です。ちょっと、その、昨日の、あれで」
「ぁ、えーっと」
二人は昨日の夜の出来事を思い出して目をそむけてしまう。
真っ白な肌に浮かぶ玉のような汗、赤くなった頬、交わる二人の体温……。
「な、何か今日熱いね! 誰かがでっかい焚火でもしてるのかなッ!?」
「そ、そうですね! そうかもしれません。いえ、きっとそうです!」
「だよね! じゃあ行こう! すぐ行こう!」
どうしようもない下手な話題誘導により、ジークは強引にこの話を打ち切る。
そうして歩き出した二人だったが、
ピシッ。
『え?』
不吉な音を聞いて、二人は立ち止まる。
音の発生源は──ジークの聖杖機だ。
双剣に、皹が入っている。
『あ』
ピシ、ピシ、ピシピシピシッ、
皹音はどんどん連鎖し、やがて刃全体に広がり──
「あ、ちょ、ま」
──パリィン……!
ジークが止める間もなく、粉々に砕け散った。
ぱらぱらと、細かい破片が足元に落ちる。
『………………………………』
二人はどちらかともなく顔を見合わせる。
ジークは泣きそうな声で言った。
「…………壊れちゃった。どうしよう」
「……」
どうしようもなかった。
二人は急いで支部に連絡し、哨戒任務を終える──。
◆
「どんな無茶な使い方したんですか……全く」
「すいません、ほんとすいません」
「あ、いえ。責めてるわけじゃなくてですね……」
葬送官支部に帰ったジークたちは早速受付嬢に文句を言われてしまった。
聖杖機は異端討滅機構による魔導工学の全てが詰まった高級品。
葬送官に必須のものとはいえ、かなり高価なのだとか。
「普通は粉々に砕けたりしないんですけど」
「あは、あはは……ヴェヌリスが強かったから、ですかね? あはは」
折れた原因ははっきり分かっている。
ゼレオティールの加護だ。
強すぎる雷撃の力に耐えきれず、聖杖機の方が負けてしまったのだろう。
とはいえ。
ジークがゼレオティールの加護を持っているのは、限られた人間だけの秘密だ。
通常、人間に宿る加護は一つのみ。
ただでさえ半魔であることで悪目立ちしているのに、これ以上余計な注目を浴びたくない。
故に、ジークはゼレオティールの加護の事を異端討滅機構に報告していなかった。といっても、雷を纏ったジークの姿を誰もが見ており、薄々感づいている人間もいるらしいが……。
(実はラディンギル様の加護もあるってことは……リリアにも秘密なんだけど)
別に話してもいいのだが、余計な心配はさせたくない。
秘密にできるならしておきたいというのがジークの考えだ。
「……とりあえず、手続きを取っておきます。対悪魔特約で何とかなるかもしれませんから」
「えっと、お願いします」
手続きが通っても配布には時間がかかるとのことだった。
折れただけならすぐに交換できるらしいが、粉々になるのは前例がないらしい。
お役所仕事は大変だなぁ、とジークは思った。
そんなやり取りを終え、ジークたちは街を歩いていた。
「……ハァ。なんで砕けちゃうかな」
「仕方ないですよ。あれだけの力を使ったんですから」
リリアの苦笑に、ジークは頷く。
正直、こうなるのではないかと思っていた。
大侵攻の夜、神々から忠告は受けていた。だからジークは加護の習熟を焦っていたのだ。
恐らく次に聖杖機を渡されたとしても、また同じ事になるだろう。
(何とかしなきゃなぁ……)
そんなことを考えていたから、だろうか。
ジークは目の前を歩いてくる人影に気づかなかった。
「みーつけた」
いつの間にか、目の前に黒髪の少女がいた。
背丈はジークよりも小さい。年の頃十歳くらいだろうか。
猫のような悪戯っぽい目がジークを覗いていた。
「えへへ。やっと会えたね♪ ずーっと探してたんだよ?」
「いや、えーっと……どちら様ですか?」
「あ、ひっどーい。忘れちゃったの?」
少女は心外、と言わんばかりに頬を膨らませる。
そういわれても、ジークに心当たりはなかった。
本当に、見知らぬ少女だ。
こんなに親し気に接してくれる相手がいれば、絶対に記憶に残っているはずだが。
(あれ……でも、この子、どこかで……)
「忘れちゃったならしょうがないか。じゃあ自己紹介してあげる。一回だけだよ?」
少女は両頬に指を当て、
「あたし、あなたの妹のルージュ。よろしくね、ジークお兄ちゃん♪」
『………………は?』
さらりと、そんなことを口にするのだった。