第二話 つながる想い
「いらっしゃーい! 安いよ! お嬢ちゃんどうだい!?」
「何の! こっちの鯛焼きも美味いよ! おやつにはぴったりだ!」
「おいでおいで!安くしとくよ!」
勢いのある出店の呼び声にジークはたじろいだ。
「……す、すごいね。こんなにお店あったっけ?」
「この辺りは元々飲食店街でしたが……大侵攻で店が潰れたので、出店を出して対応してるんでしょう。お金は議会から支給されているはずですし」
「そうなんだ。たくましいなぁ……あ、これ美味しそう」
くんくん、と匂いに惹かれてジークは方向を変える。
「わ、ジーク!?」
突然方向転換したジークにリリアは悲鳴を上げる。
人ごみにもまれたせいで、手が離れてしまった。
「ぁ」
切なそうに声をあげるリリアだが、
「よっと」
人ごみの向こうから手を伸ばしたジークが、リリアの手を捕まえる。
真正面から向き合う形となり、ジークは微笑んだ。
「大丈夫? ごめんね。誰かと歩くの慣れてなくて」
「い、いえ。大丈夫です」
「うん、じゃあ行こっか」
二人の手は繋がれたままだ。
むしろ先ほどより手が密着していて、指と指が絡まっていた。
(このほうが、あったかくて気持ちいいよね)
リリアの暖かみが伝わってきてジークは満足。
ふと隣を見ると、彼女は耳まで真っ赤になって頬を仰いでいた。
「リリア、どうしたの? 熱でもある?」
「ひゃい!? なんでもありません、もーまんたいです!」
「もーまんたい……?」
良く分からないが、大丈夫ならいいだろう。
ジークは出店の前に立ち、お金を出そうとして固まった。
(ぁ)
出店に立っていたのは、若い女性だ。
彼女はジークを見ると目を丸くしていた。
(そうだ。僕、半魔だから……怖がられてもおかしくない、かも)
先ほどの広場のように、ジークは他者から忌み嫌われる存在だ。
そんな奴が自分の店に来ても店員はありがたいどころか迷惑だろう。
ここはリリアに変わって貰ったほうが、穏便に済むかもしれない……。
「いらっしゃい! 何にする?」
「へ?」
明るい声が耳朶を叩き、ジークは俯きかけた顔を上げた。
女性はニコニコ顔だ。
上っ面ではなく、本当にジークを歓迎しているように見える。
「あの、この、ふらんく、ふると……? を買いたいんですけど」
「あいよ! 二本でいい? それとも……一本を二人で分け合いっこするかい? ん?」
「に、二本で大丈夫ですから!」
リリアが慌てたようお金を出すと、女性は快活に笑った。
ジークの事なんて気にもしていない彼女に、ジークはつい訊ねてしまう。
「あの。僕のこと、怖くないんですか……?」
「ん?」
「僕、その、半魔だから……」
おのれの耳を触るジークを、女性はじっと見つめた。
それから数秒。
「確かにまぁ、最初は怖いと思ってたけどねぇ」
「……っ」
「でも、今は全然かな。むしろ可愛いと思うよ?」
「え?」
ジークは目を丸くする。
女性は「だってさ」と外壁の方を指さして、
「あんたが恐ろしい神霊と必死で戦ってたとこ、アタシら見てたからね」
「ぁ」
大侵攻の際、彼女は年老いた母を抱えて避難できなかったようだった。
「もうだめかと思った。絶対に死ぬと思った。他の葬送官もみんな諦めムードでさ。ほんと、どうしようかってときに……あんたが現れた」
「……」
「あんなカッコいいとこ見たら、怖いなんて気持ち、吹っ飛んじまったよ!」
ぎゅっと、ジークは思わず手を握る。
葬送官として戦ってもジークは自分が誰にも認められないと思っていた。
所詮、半魔は半魔。
受け入れられることなんてないのだと諦めていた。
誰よりも自分が、諦めていたのだ。
怖くて、痛くて、辛くて、何度も諦めかけたけど──
(本当に、師匠の言った通りになった)
「……僕、葬送官になってよかった」
「良かったですね。ジーク」
繋いだ手を握り返し、リリアは微笑んだ。
自分の事のように喜んでくれる彼女に、ジークは頷く。
「ほら、用意できたよ、熱いうちに食べな!」
「わぁ」
赤と白のソースがかかったフランクフルト。
パリ!とした触感とじゅわぁと広がる肉のうまみがたまらない。
「美味しい! これすっごい美味しいよ、リリア!」
「ふふ。ジーク、口の端にソースついてますよ。ほら、取ってあげますから」
ジークの口の端に着いたソースを指でとり、リリアは自分の口につける。
ちろりと覗く舌と、桃色の唇が妖しく濡れていて、ジークは思わずどきりとした。
「あ、ありがと。ん? ぁ、リリアにもついてるじゃん」
「え」
リリアは固まる。
ジークは素早く彼女の唇に付いたソースを指で拭い、自分の唇に含んだ。
さっきよりもおいしい気がするのは気のせいだろうか。
「~~~~~~~っ」
リリアは火が出そうなほど顔を真っ赤にしていた。
こっちも恥ずかしかったんだからお互い様だ、とジークは笑う。
女性店員はなぜかニヤニヤ笑って、
「青春だねぇ。見てるこっちまで恥ずかしくなっちまうよ。またおいで!」
「ごちそうさまでした!」
小腹が満たされ、先ほどよりも景色が明るく見えるジーク。
街の様子を眺めていると、何やらリリアがぶつぶつ言っていた。
「さ、さっきは不意打ちでした。落ち着け、わたし、ちゃんとわたしがリードしないと……」
「……? リリア?」
「ジーク、次はこっちに行きましょう!」
「あ、うん」
ジークはリリアに連れられるままに歩いた。
そうしてやってきたのは街で一番高い時計塔だ。
時計塔の周りにはさまざまな石が浮かんでいて、景色を彩っている。
その中央には二つの石像があった。
地母神ラークエスタが空の神ドゥリンナに求婚した光景を再現した宗教施設だ。
「すごい綺麗だね……あの石、どうやって浮かんでるの?」
「あれ、石に見えるんですけど実際はエーテル物理学を応用した光学伝導装置で……」
ハ、とリリアは首を振る。
「そんな事より、写真を撮りましょう、写真!」
リリアはそう言って、カバンの中から小型の箱を取り出した。
見慣れない物を見てジークは首をかしげる。
「それ、なに?」
「カメラですよ。聖杖機の撮影機能を応用して一般の人にも使えるように改造されたものです」
「へぇええ。なんか、高そう」
「旧世界じゃ一般的だったらしいですけど、今じゃかなり高いですよ。お師匠様の部屋から借りてきました」
てへ、とリリアはおどけてみせる。
(可愛いなぁ、もう)
「これをこうして、ジーク、もっと近くに寄っていいですか?」
「うん、こう?」
「ひゃえ!?」
カメラのレンズを自分たちに向けるリリア。
ジークは言われた通り、息がかかるほどの距離まで近づいた。
リリアは慌てたように、
「ひゃい!? ち、ちちかしゅぎ……い、いえ、これはこれでアリというかなんというか」
「リリア、なんか光ってるけど大丈夫?」
「あ!? と、撮り直し、撮り直しです! こんな恥ずかしい顔……り、リセットを要求します!」
「ふふ。いいよー。なんか今日のリリア、面白いね」
「~~~~~~っ、ほ、ほら、早く撮りますよ。さん、に、いち」
かしゃ、と音がして、撮影完了。
リリアはカメラを大事そうに抱えて呟いた。
「えへへ。やっと二人で写真取れました。嬉しい」
「それ、僕にも貰える?」
「もちろんです!」
春の花のように微笑むリリアに、ジークは心がポカポカした。
(なんかいつもと違う気がするけど……楽しそうだし、いいや)
一人でいるときには得られなかった充足感。
心から信頼できる誰かと居られるのが、こんなにも楽しい。
それは紛れもない、ジークが望んだ普通の生活そのものだ。
(こんな時間が、一生続けばいいのに)
◆
それから二人は街のいたるところを回った。
知恵の神の神殿に近づいた時には神官から追いかけられて大変だった。
神霊を降ろしたアステシアとジークが話すのを見た人がいたのだ。
オリヴィアと遭遇した時は二人で逃げ回って楽しかった。
なぜか顔を真っ赤にして「まだ早い!」と言っていたが何が早いのだろう?
出店を食べ歩きしたり、
ベンチに座ってしゃべった時間は最高に幸せだった。
そんな思い出を反芻しつつ、ジークはベッドでごろりと転がる。
「晩御飯も美味しかった……やっぱりリリアの料理は最高……今日はいっぱいお肉食べたから、久しぶりに魚が食べたいなぁ」
サンテレーゼ王国は内陸部に位置しているため、海産資源は僅かな輸入に頼っている。だが、悪魔が跋扈する地上で、鮮度が重要な海産物は輸入するのが難しく、しかも高価だ。川魚は別だが、この街で魚を食べる機会はあまりないとリリアは言っていた。
「いつか二人で、一緒に……あ、テレサ師匠も」
食べて、
笑って、
遊んで、
買い物をして、
生まれてきてから一番幸せな日だったと、ジークは思う。
これぞ望んでいた日々。
ようやく願いが叶ったのだ。
こんな日々を守るためにも、もっと強くならねば。
「明日からは、修業を再開しようっと……ふぁぁ」
時刻は十時を回っている。かなり眠くなってきた。
ジークは布団にくるまり、目を閉じて眠りにつく──。
……ぎぃ──。
ごそ、ごそごそ……。
「ん?」
そんな物音を、鋭敏な聴覚が捕らえた。
敵意は感じない。誰だろう。もしかしてテレサ師匠が帰ってきたとか?
ジークが振り向こうとすると、
「……ジーク、起きてますか?」
「え、リリア?」
ごそごそ、と布団の中にリリアが入ってきた。
肌が触れ合うほどの距離にいる相棒に、ジークは振り返る。
「どうしたの……?」
「……」
なぜだかリリアの頬は上気している。
街で一緒に歩いた時よりも色っぽさが増していて、心臓が跳ねた。
(と、というかこれってまずいんじゃ)
男と女が一緒の布団に入るのは大人になってから。
そんな母の教えを思い出していると、
「ジーク。その……今日は、一緒に寝ても、いいですか?」
「え」
「……だめ?」
潤んだ上目遣いで見つめられて、拒否できる男は居ない。
女の子の匂いがふわりと香り、頭が痺れたジークはこくこくとうなずいた。
「いい、けど」
「……よかったぁ」
リリアはほっとしたように微笑み、ジークの胸に顔をうずめる。
「ぁ」
(どどどどどど、どうしよう、これ、どうしよう!?)
流石のジークもこれがまずい状況であることは分かる。
手を繋いだり、肩をくっつけたりするのとは状況が違うのだ。
(なんか、変な気分に……すごく、リリアに触りたくなってきて……)
ダメだ、とジークは自分を制した。
──いくら何でも、それはダメだ。
どれだけリリアが自分を受けいれてくれようと、線引きは必要である。
手を握るだけならいざしらず、抱きしめるなんて半魔の自分には許されない。
だからジークは、背中に伸ばした手を力なく下ろした。
「逃げないで」
「え」
その瞬間、手を掴まれた。
囁くような、それでいて強い声。
ジークを見つめるリリアの瞳は熱い感情を孕んでいた。
「逃げちゃ、やだ」
「……でも、僕は半魔だし。僕なんか……」
「『なんか』なんて、言わないでください」
心なしか怒ったように、リリアは言った。
「半魔でも、人間でも、私はあなたがいいんです。あなたに、救われたんです」
「……っ」
「だから……ね?」
リリアの顔が徐々に近づいてくる。
握った手は火傷しそうに熱くて、細い足がジークを絡めとる。
そして二人の距離はゼロになった。
ジークがリリアを押さえたのは、その瞬間だった。
「──やっぱり、ダメだ」
ジークはリリアの唇に手を当てる。
本当はもっと触れたい。このまま優しさに溺れてしまいたい。
けれど、やっぱりダメだった。
これ以上触れたら、何かが壊れてしまう気がした。
「僕、リリアのことは好きだけど、その……やっぱり、ダメだよ。半魔と、こんな……」
「……意気地なし」
リリアはぷくぅと頬を膨らませた。
熱い唇が触れたのは、その直後だった。
「……っ!?」
頭を抱えられ、貪るように口づけられる。
彼女の温度がジークの中に入ってきて、胸がカッと熱くなった。
『ぁ』
どちらからともなく離れ、二人の間に銀色の橋が架かる。
「リリア」
「大好き」
艶めかしく濡れた瞳がジークを射抜いた。
上気した頬、熱く吹きかかる吐息が彼女の熱情を孕んでいる。
「世界で一番、大好きです」
「……っ」
ジークはもう限界だった。
視界に靄がかかる。瞳から流れる涙が頬を伝う。
こんなに可愛くて優しい人から愛を囁かれて、応えないことなどできなかった。
飾り気のない、ありのままの気持ちが、口から漏れていた。
「僕も……リリアが好き。大好きだよ」
二人の唇が再び重なる。
どちらからともなく手を繋ぎ、肌を寄せ、二人の夜は過ぎていく。
初めてのキスは、甘いレモンの味がした。