第一話 かけがえのない思い
『どうやったらあたしみたいな至高の武器が作れるかって?
そんなのこっちが聞きたいわ! どれだけ打っても果てが見えないのよ!』
『伝説の鍛冶師ベリィゼの日誌・鍛冶神との謁見』より抜粋。
◆
「ーー本当に行っちゃうんですか?」
寂しさを押し殺しながら、ジークは問いかけた。
眼前、玄関の前に立つテレサは旅支度を整えて立っている。
彼女はジークを見ると、弱ったように苦笑した。
「昨日何度も言ったろ。必要なことなんだよ」
「でも、引退したテレサさんが行くなんて……」
ジークは昨日の話を思い出して唇を噛む。
異端討滅機構から、引退したテレサに招集がかかったのだ。
先日、ジークたちは死に物狂いで大侵攻に抗ったがーー
なんでも、あれはほかの国々でも同時多発的に起こった事態らしい。
北のノーセリア大陸、
南のエルメネス大陸、
そしてジークたちのいる中央大陸。
大陸の各地にある主要国家に、冥王直下の軍勢が押し寄せた。
その事態を重く見た異端討滅機構は、引退したテレサを呼び寄せたのだ。
今までは平和だったからいいものの、元より葬送官は人手不足。
実力のある人間を遊ばせておく理由はない、とのことらしい。
テレサは南のエルメネス大陸にある、冥王軍に占領された東諸島連合の偵察任務に就くことになった。
(まぁそんな大変な事態だからこそ、僕が見逃されたんだろうけど……)
半魔一人に構っている事態ではないのだ。
停滞していた時は動き出し、時代のうねりがすぐそこまで迫っている。
だからといって、
「せっかく、仲良くなれたのに」
「すぐに会えますよ、ジーク。お師匠様には転移能力があるんですから」
「……そう、だけど」
リリアが隣でなだめてくるが、ちっとも気は休まらなかった。
出会ったばかりの頃はいつ殺されるか不安だったのに、テレサと過ごした短い思い出は、ジークの中でこんなにも大きくなっている。胸の中からあふれ出る気持ちが涙になって、視界を濡らした。
テレサは仕方なさそうにジークの頭に手を置く。
「……泣くのはおよし。お前も男だろう?」
「……でも」
「リリアの言うとおり、今生の別れってわけでもないんだ。任務が終わったらすぐに帰ってくるさ」
だから、と不器用にテレサはジークの頭を撫でる。
「それまでに強くなりな。アタシがびっくりするくらいね」
「……はい。僕、頑張ります。だから、必ず帰ってきてくださいね」
ジークはごしごしと涙を拭い、笑って見せた。
僕が泣いても仕方ない。せめて笑顔で送り出してあげないと。
テレサは「うん」と笑い、
「あんたにはまだまだ教えていないことがたくさんあるからね。気にくわないけど、留守の間はあいつに頼んでおいた」
「あいつ……?」
テレサは応えず、リリアに向き直る。
「ジークのこと、しっかり頼むよ。あんたもしっかりやりな」
「は、はいッ。頑張ります」
リリアも先日の功績を認められ、序列を五万位にまで上げていた。
階級もジークより一足先に下一級へ上がっており、今やジークとは正式なバディである。微笑んだテレサは、ジークから見えないほどリリアに近づき、ある物を手渡す。
「あと……大事なことはしっかりやること。後悔しないようにね」
「え、え、お師匠様、これ……」
それは包み紙に包まれた四角い物体だ。
真ん中に輪っかが浮き出ており、表と裏がある。
中身を理解したリリアは沸騰したように顔を赤くした。
「もうっ! だからわたしたちは本当にそんな関係じゃーー!」
「へぇ? じゃあこの子を誰かにとられていいってのかい?」
「それは」
リリアはちらりとジークを見た。
首をかしげる彼と目が合うと、リリアは耳まで真っ赤になって、両手で口元を隠す。
俯いて、ぼそりと呟いた。
「……それは、いやです」
テレサは微笑み、
「あんたも身に染みて分かっているだろうけど、葬送官は本当に、いつ別れがあってもおかしくない。後悔しないようにね」
そう囁いて、テレサはあっさりと背中を向ける。
「じゃあ行ってくる。留守を頼んだよ、二人とも」
『はい!』
そう言って、テレサは加護を発動する。
瞬きのあと、彼女はもうどこにも居なかった。
「……行っちゃったね」
「……はい」
寂しいが、きっと彼女は無事に帰ってくる。
師に宣言した通り、自分はもっともっと強くならなければ、もう誰も失わないために。
改めてそう決意したジークは「ところで」と話を変える。
「リリア、さっき何を貰ったの?」
「……っ!?」
唐突な問いに、リリアが顔色を変えた。
「は、はい!? なんのことですか!?」
「師匠に何か貰ってたよね? それが何かは見えなかったけど、僕には何もくれないんだもん。気になるなー」
(お師匠様~~~~~~~~~~!? なんて爆弾残していくんですか!? なにやってくれてるんですか!?)
こうなったジークがしつこいのをリリアは夜伽の件で知っている。
どう言ったものかと悩んでいると、
「ねぇ、何なの? 何貰ったの? もしかしておやつ? 美味しいやつ?」
「……むです」
「え?」
「だからッ! これは、男性と女性が、その…………もうッ! 何言わせようとしてるんですか! ジークの馬鹿! あんぽんたん!」
「あんぽんたん……?」
リリアはそっぽ向いてジークを無視する。
ジークはこっちの気持ちには鈍感なくせに、こういう時だけぐいぐい来る。
もっと別の時にこんな押しを見せてくれたら、素直になれるのに。
その時、テレサの言葉がリリアの脳裏に響いた。
ーー後悔しないように、か……。
アンナの死は、リリアの心にも棘のように残っている。
少し立っている場所が違えばーー自分が死んでいたかもしれないのだ。
死はいつだって平等に誰かに訪れて、いつ来るかも分からない。
葬送官となって、リリアはそのことを痛感している。
自分もジークも、明日、無事に生きていられる保証なんてないのだ。
伝えたいこと、
心に抱えた想いを寝かせておくなんて余裕は、葬送官にはない。
ーーそう、ですよね。後悔しちゃ、ダメですよね。
日々を精一杯生きる。
やり残しがないように。
万が一が起こった時に、後悔しないように。
伝えられないことが、ないように。
リリアは、すー、はー、と呼吸して「よし」とジークに向き直った。
「ジーク。お話があります」
「え、うん。なんでしょう」
改まった相棒の言葉にジークは居住まいを正す。
すると、彼女は意を決したように言って、
「明日、一緒に出かけませんか?」
と、そう言ったのだった。
◆
ーーそして翌日。
街の噴水広場の前で、ジークはため息をついた。
広場に座る彼には複雑な視線が向けられていて、ジークの周りだけ人がぽっかり空いている。
「先に待ち合わせ場所に行ってほしいって、言われたけど……」
急遽街に出かける約束が出来た昨日。
リリアは様子を見に来たオリヴィアと連れたって、下宿前の家に戻っていた。
ジークは一人で街に入り、愉快ではない視線を受けて待ち合わせ場所に立っている。
その事を居心地悪く感じている自分に気づき、ジークは苦笑した。
「……なんか、贅沢になったな、僕」
こんな視線を向けられることなんて、慣れているはずだ。
ついこの間まで野宿生活だったし、悪ければ肥溜めの中で寝ていたこともあった。食事なんてまともに食べられなかったし、服だってまともなものじゃなかったのに。
「友達もできて、屋根の下で寝られて、ご飯も食べられる……これ以上ないくらい幸せなのに」
もっと、もっと欲しいと思ってしまう。
一度手に入れた温もりを、手放したくなくなってしまう。
「……一緒に街に行きたかったな」
誰かと見る景色は楽しい。
誰かと食べる食事は美味しい。
それが親しい友達なら、なおのことーー。
「ジーク!」
声が、聞こえた。
待ちわびた相棒の声にジークはハッと顔を上げ、
「遅いよリリ、ア……」
愕然と目を見開いた。
ーー天使が、そこにいた。
紺色のワンピースドレスに星粒のような白髪がひらりと舞う。
肩口には刺繍をあしらった穴が空いていて、華奢な肩が見えている。
フリルの付いた胸元は豊かさを目立たせ、腰のリボンが可憐さと美しさを両立させている。
ジークはぽかんと口を開けてリリアを見つめていた。
耳に髪をかきあげた彼女は頬を染め、
「遅れてすいません。待ちました?」
「……」
「ジーク?」
「へ?」
ジークは我に返る。
いつの間にかリリアが目の前にいた。
「あ、ご、ごめん! あんまり綺麗だから見惚れちゃってた。すごい可愛い恰好だね。どうしたの?」
「か、かわ……これは、ジークのために見繕って……」
「え?」
「な、なんでもありません! ほら、早く行きますよ!」
リリアは手を引っ張ってジークを先導する。
見目麗しい彼女には周りも注目しており、男女問わず視線が向けられていた。
自分とは大違いだ。ほんとに一緒に歩いていていいのだろうか。
「あの、ごめん。僕、他の服持ってなくて」
「分かってます。あとで一緒に買いに行きましょう。お給料も入りましたし」
半魔のジークも、先日の姫の一件で葬送官として認められている。
大侵攻後の経済影響を加味して早めに配られた給料である。
「僕、どんなのがいいか分からないからさ、選んでもらってもいい?」
「はい! うんとカッコいいの選びますから、覚悟してくださいね」
「お、お手柔らかに……」
リリアは足を緩めて、ジークと二人並ぶ。
二人の手は繋がれたままだ。
正直歩きにくいが、この温もりがジークには嬉しい。
そんなジークは、リリアの耳が赤い事には気付かなかった。




