閑話 転落する傲慢者
「──ふざけんなッ!」
鬱蒼と生い茂る森の中、怒声が響き渡った。
だんッ!と硬いものを足蹴にする音。
「なんでこんなに悪魔に遭遇するんだよ、おかしいだろ!?」
「そんなに怒っても状況は改善しませんよ」
あたりに構わず怒鳴り散らすアーロンの言葉に、フィックスはため息を吐いた。
森葬領域アズガルドへの三度目のアタック──半魔を欠いた状態では初めての挑戦だ。
「王都に大侵攻があった後だから、今悪魔の数は半減しているはずだ。なのになぜこんなにも悪魔がいる!?」
彼らが森葬領域へのアタックを始めてから既に一時間が経っている。
その間に出くわした悪魔の数は百体を超えていた。
進み具合に反して異常な数だ。
「アーロン。うるさい。お前の声で悪魔がやってきたらどうする」
盾使いの言葉に、アーロンはぐっと奥歯を噛みしめる。
「意味が、分かんねぇ……どうなってやがる」
押し殺したような声に「そういえば」とフィックスは顔を上げた。
「皆さん聞きましたか? 大侵攻の時に活躍したという半魔の話を」
「……おい、まさかあのクソチビがそうだって言いたいのか」
「他に半魔を見たことがありますか?」
「……っ」
アーロンは愕然と目を見開く。
フィックスは淡々と続けた。
「聞けばその半魔は姫様の覚えもめでたく、葬送官に任じられたそうです。しかも序列を九万位も上昇させて、神霊ヴェリヌスの戦いに大きく貢献したのだとか」
「……流石に嘘だろ。あいつに加護は宿っていなかった」
「実は宿っていたとしたら?」
フィックスは目を光らせる。
「実は力を隠していて、ひそかにその力を使っていたとしたら?」
そうであれば──半魔が抜けたあとの、この惨状も頷ける。
フィックスはそう言った。
──彼の言い分は、半分正しい。
ジークは、奴隷まがいの扱いを受けながらレギオンに加わっていた。
その際はゼレオティールの加護が覚醒していなかったものの、加護自体は彼の中に眠っていたのだ。
さらに言えば、ジークは両親とともに荒野を旅してきた十年の経験がある。
悪魔の生息域、種類、足跡、気配、その他諸々……。
斥候役として最高クラスの危機感知能力を持ち、ひそかにアーロンたちを危地から救っていた。もちろんこれはジーク自身が傷つかないための生存戦略であり、断じて彼らを助けるためではないのだが。
そんな実情もあり、アーロンたちの進行状況が芳しくないのはある意味当然であった。
「糞ッ!」
アーロンは樹の幹に拳をたたきつける。
陽力の籠った樹は音を立ててへし折れたが、彼の拳も傷ついた。
治癒術師が慌てたように立ち上がる。
「アーロン様、お怪我を……」
「うるさいッ! オレに構うな!」
「きゃッ!?」
おのれを気遣う治癒術師を殴り飛ばし、アーロンは毒づく。
「あいつさえ、あいつさえ捨てていなければ、クソ、クソ、クソッ!」
「そんなにご執心なら今からでも取りに行けばいいんじゃねぇの」
盾使いの言葉に、フィックスが嘆息する。
「馬鹿ですか。既に彼は姫様が認めた葬送官となりました。葬送官同士の暴力行為になりますよ?」
「人間じゃねぇのにか」
「少なくとも、姫様はそう思っていないようですね」
「……ケッ」
盾使いが唾を吐く。
アーロンは苦々し気に顔を歪め、この話は終わりになった。
森葬領域のアタックを諦めた一行は近隣の街、バダールへ帰還する。
街へ帰還した彼らは住民たちに快く迎えられた。
──見て。あれがアーロン様よ。
──レギオンランクA。特級葬送官も間近っつー期待の新鋭だ。
──オーラが違うわよ。やっぱり葬送官はああじゃなくっちゃ。
そんな声を聞いて、アーロンは仄暗い虚栄心を満たす。
(そうだ。俺は強い。半魔がなんだ。今日はたまたま調子が悪かっただけだ)
みるみるうちに気分が戻ってくる。
もしかしたら森葬領域の瘴気に当てられたのかもしれない。
帰ったら聖水と祈祷で浄化しておくか。
ついでにこの女と一晩過すごしてやろう。
「きゃ、アーロン様。ひとまえでそんな……」
「いいだろ別に」
おのれの肩を抱くアーロンに治癒術師は頬を染める。
気分屋のリーダーに盾使いはため息を吐き、フィックスは肩を竦めた。
そうして一行は、サンテレーゼ支部バダール屯所へ帰還した。
「おかえりなさいませ。アーロン様。皆様」
「おう。今帰ったぞ」
暖かく迎える受付嬢へ、尊大に返すアーロン。
期待に顔を輝かせる彼女の前に、彼はこぶし大ほどの革袋を置く。
「今日の稼ぎだ。換金頼む」
「はい」
にこにこ、と受付嬢は微笑む。
アーロンは催促した。
「どうした、早くしろよ」
「え?」
受付嬢はきょとん、と瞬きした。
「えっと、すいません、これだけですか?」
「は?」
「いえ、いつもみたいに両手で抱えられないほどあるのかと思っていたのですが」
「今日はこれだけだよ。悪いか、ぁあ?」
「そ、そうですか。はい。もちろん問題はありません」
受付嬢の態度がそっけなくなるのも無理はない。
アーロンたちはこの屯所の有望株。彼らの稼ぎ次第で屯所が大きく潤う。
前回、前々回のアタックで彼らは両手に抱えきれないほどの魔晶石を採掘してきたのだ。
市長は大きく喜び、屯所の事務員にもボーナスが配られたほど。
それなのに、今回彼らが採掘してきたのは前回の十分の一以下。
否、もっと少ない。
下二級葬送官でも頑張ればこれくらい集められるほどの採掘量だ。
(いえ、誰にでも調子が悪い時はあるわ。気のせいよね、きっと)
「では、今回の換金額はこちらとなります」
受付嬢はカウンターから魔晶石の相場に応じた金額を出す。
その額は五千メリル。一般人が一日に働いて得る賃金の半額程度。
「は? これだけか?」
アーロンは受付嬢を睨んだ。
「は、はい。今回は採掘量が少なかったので、こちらとなります」
「ふざけんなッ! 俺らを誰だと思ってんだよ。それくらいそっちで忖度するのが普通だろうが!」
「普通、と申されましても……」
受付嬢の瞳から期待の色が消え、失望の色が広がっていく。
「規則は規則ですので」
「そこをなんとかするんのがお前の仕事だろ!?」
「私の仕事は葬送官への指令伝達、新規受付相談、魔晶石の換金、異常情報の収集となっております。異端討滅機構条例第五十条、事務員は葬送官に対していかなる忖度も禁じる──にのっとり、適切な対応をとっていると自負しております」
「……ッ、お前じゃ話にならねぇ。所長を呼んで来い!」
「お断りいたします。換金額に関するクレームは受け付けません。これも異端討滅機構の条例に記載されております」
「──おい、アーロン。もうよせ。こっちが恥ずかしいわ」
盾使いに制止されてもアーロンは止まらなかった。
「黙れモルガン! 確かに今日は少なかったけどな、元はといえばお前があの半魔を捨てるなんて言い出すからだろうが! そのせいでこんなに調子が悪くなったんだ!」
「お前の調子は半魔一匹がどうこうで変わるもんだったのかよ?」
「あいつはおれの所有物、おれの奴隷だ! 道具の有り無しで調子が変わるのは当たり前だろうが!」
アーロンを見る周囲の目がどんどん冷たくなっていく。
元々彼の素行はよくなかった。それを黙認されていたのは多大な功績ゆえだ。
彼は未踏破領域の主を倒し、悪魔に占領された領域を解放した実績がある。
その実績を認められた上級葬送官になったのが──
無論、これもジークのおかげだ。
危険地帯を避け、安全なルートを死に物狂いで模索し、未踏破領域の主の元までルートを構築。さらにアーロンに強制的に盾にされることで傷を引き受け、初めて見る半魔に戸惑い、油断した主の首を刈り取る。そんな離れ業は、もう二度とできない。
「いい加減にしてください。アーロン。少し頭を冷やしたほうがいい」
「きょ、今日はちょっと瘴気に当てられすぎちゃいましたね~。宿に帰ってゆっくりしましょう?」
フィックスと治癒術師が苦言を呈する。
そこでようやくアーロンは我に返り、周囲の目に気づいた。
──まぁたアイツか。いい加減にしてほしいよな。
──ほんと、上級程度で調子に乗りやがって。王都に行けばあの程度いくらでもいるっての。
──こんな田舎でしか調子に乗れないもんな。猿だよ猿。お山の大将にはお似合いだ。
ロビーにいる殆どの葬送官から向けられる、嘲笑と侮蔑の視線。
数の暴力を前に、アーロンは奥歯を噛み、
「~~~~~~~っ、また来る!」
換金をひったくり、その場を後にする。
「あ、待ってくださいアーロン様~~!」
「はぁ、そろそろこのレギオンも潮時かね……」
盾使いと治癒術師の言葉は彼には届かない。
「クソ、クソ、クソ……あの餓鬼のせいだ。全部、あの餓鬼の……!」
瞳に暗い光を宿し、アーロンはただ歩く。
そんな彼についていく者は、誰もいなかった。




