第三十四話 エピローグ②
「リリア。コレ、息苦しいんだけど……」
「すぐに慣れます。カッコいいですよ。ジーク」
「う、うん……ありがと」
豪奢な廊下を、ジークたちは兵士に連れられて歩いていた。
慣れない騎士服は襟首がきつく、締め付けられるようでジークは好きではない。
とはいえ、これから会う人物と対面するには正装しなければならなかったのだ。
「でも、どうして姫様が僕に……?」
「さぁ……おそらくジークの身の上に関わっている事なんでしょうけど。お姉さまは教えてくれませんでしたね」
「一時間以内に来いって、言うだけ言ってどっか行ったしねぇ」
「お姉さまも忙しい身ですから……ともあれ、身体は本当に大丈夫なんですか、ジーク?」
「ちょっときついけど、大丈夫だよ」
ヴェヌリスとの戦いで負った傷は既に癒えている。
というかーー神霊戦での傷のほとんどは、ジークの自傷によるものだ。
(ゼレオティールさまの加護……上手く使うには時間がかかるかも)
ヴェヌリスの時は全力で加護を使っていたがーー。
そのせいで継続戦闘時間は大きく削られ、全身の筋肉が断裂することになった。
一回きりの戦闘ならそれでいいかもしれないが、対悪魔戦では継続戦闘能力も求められる。
加護を使うたびに倒れていてはすぐに死ぬだろう。
今後もゼレオティールの加護を使うなら、今よりもっと肉体を強くしなければならない。
(それに、ゼレオティールさまは三つの力って言ってたし。もしかしてまだ二つ力があるってこと?)
それがどのような力なのか自覚は出来ないが、あの雷より強いなら負担も相当なはずだ。これが終わったら修業しよう、と心に決めてジークは前を向く。
そうして、二人分は大広間に至った。
「……残念ですけど、わたしはここまでです。ジーク、気を付けて」
「ありがとう。リリアも気を付けて帰ってね」
「はい。ジークの大好きなオムレツ作って待ってます」
にこり、と微笑んで、リリアは去っていく。
不安ではあるが、ここまで付いてきてくれたでもありがたい。
ジークは深呼吸し、そばにいる兵士に目を向ける。
兵士は頷いて、
「くれぐれも、姫様に失礼のないように」
「はい」
重い音を立てて扉が開いていく。
大理石の床に赤い絨毯が引かれた大広間の中には、数多くの見慣れない人たちが並んでいた。そしてその最奥にーー。
「ようやく会えましたね。ジーク・トニトルス。運命の子」
銀鈴の声音が、色の薄い唇から響いた。
儚げな空気を纏い、翡翠色の髪をした少女が玉座に座っている。
「えっと、あなたが、姫さま?」
「はい。サンテレーゼ王国第五代女王、フィーネル・デ・フォン・ウル・サンテレーゼです」
毅然と名乗りを上げ、少女はふわりと微笑む。
前へ来るように促されたジークは恐る恐る歩き、玉座に座る姫に膝をつく。
「立ちなさい。そして顔をよく見せて」
言われたとおりにすると、フィーネルは微笑んだ。
「あぁ、聞いていた通り。良い顔をしていますね。葬送官の顔をしています」
ざわ、と周囲がどよめいた。
「……?」
ジークは首をかしげるが、周囲の反応も当然だ。
大侵攻で活躍したとはいえ、今だ半魔に対する反感や嫌悪感を抱く者は多い。
今の発言は、実質的な最高権力者であるフィーネル姫が、ジークを認めたと同義なのだ。
横にいた者が口を開く前に、姫は立ち上がった。
「私、フィーネル・デ・フォン・ウル・サンテレーゼの名において発令します」
ジークを除く、大広間に居た全員が膝をついた。
フィーネル姫は朗々とした声で続ける。
「異端討滅機構から与えられた私の権限を以て、彼、ジーク・トニトルスを葬送官として認め、彼に対する一切の暴力行為、人権を侵害する行為を禁じます。これはサンテレーゼ王国のみならず異端討滅機構全体で発令されるものであり、議会が介入する権限はありません。違反が発覚した場合は異端討滅機構条例第三十二項にのっとり、葬送官同士の闘争行為とみなします。以後、心にとどめなさい」
『はッ!』
「よろしい。では叙勲を。フレイ。ここに」
「はい」
フィーネルがジークの前に降りてきた。
「ジーク。あなたは今回の大侵攻において比類なき活躍を見せました」
彼女はメイドが持ってきた板から、十字の銀証を持ち上げ、ジークの胸に着ける。
「聖銀勲章。多大な功績を立てた葬送官に与えられる称号です。さらに報償として、あなたの序列を最下位から一〇二四三位まで引き上げます。最下位からの上昇ですから、およそ九万位の上昇ですね。歴代でも最速最高の記録です」
「……えっと、ありがとうございます。あんまり実感沸きませんけど」
玉座に戻り、フィーネルは苦笑した。
「あなたの功績を考えればもっと上げてもいいと思うのですが……まぁ、あなたならすぐに登り詰めるでしょう」
ジークとしては勲章よりも食べ物が欲しかったのだが、この場では黙っておく。
姫の前で余計な口は利かない、とリリアと約束したのだ。
そう決めていたのだがーー
「さすれば、あなたは知る。この世界の真実を。あなたがルプス・トニトルスとセレスの子として生まれた意味を」
「え?」
ささやくようなフィーネルの言葉に、ジークは思わず声を上げてしまう。
「真実……? いえ、そんな事より、どうしてあなたが父さんと母さんを知っているんですか!?」
「言えません。あなたには知る権利がない。ジーク・トニトルス下二級葬送官」
「……っ」
玉座から放たれた冷たい声音に、ジークは息を呑んだ。
先ほど微笑んだ少女とは別人のような対応ーーそれは一国を背負う女王の顔だ。
「どうしても知りたければ、強くなりなさい。ジーク・トニトルス」
「強く……?」
「階級を上げ、序列の階段を駆け上がりなさい。そして世界の守護者を担う、序列一桁台に入るのです。それは筆舌にしがたいほど、辛く厳しい道のりでしょう。途中で死ぬかもしれません。けれどその先に、あなたが魂を賭けて向き合わなければならないものがある。それこそがーー半魔である、あなたの使命です」
フィーネルは疲れたように背を預けた。
ごほ、ごほ、とせき込む女王は、気遣うメイドにうなずいて言う。
「叙勲式はこれまでとします。また会いましょう、ジーク。ごきげんよう」
ジークは口を開きかけたが、何も言わず口を閉じる。
きっと彼女は問い詰めても何も答えてくれないし、病弱の少女を問い詰めるべきでもないだろう。
(僕が生まれた意味、か……)
多くの謎を抱えながら、ジークは大広間を後にする。
振り返ると、軋んだ音を立てて扉が閉じていくところだった。
玉座に座る、少女の口が動く。
ーー頑張って。小さな英雄さん。
◆
穏やかな風が吹き抜けていく。
サンテレーゼの街並みを見渡せる小高い丘の上には無数の石碑が並んでいた。
「汝の魂に光あれ。輝ける楽園で健やかに過ごさんことを」
石碑の一つの前に立ち、ジークはオリヴィアの祈祷を聞いている。
胸に手を当てたリリアにならい、ジークは俯いていた。
「古き神々の庇護あれ。次なる生への導きが汝にあらんことを……ターリル」
そう呟いて、オリヴィアは祈祷を終えた。
花束をささげた彼女に続いて、ジークも花を捧げる。
「……アンナは、素直ないい弟子だった」
オリヴィアは呟く。
「養成学校で最優秀の成績を収めていてな……その能力の高さを鼻にかけていたから、一度叩きのめしたんだ。そうしたら、すぐに己の間違いを認め、性格を治そうと努力していた。またたく間に上級葬送官になった時は、師匠として、鼻が高かったものだ」
「……優秀だったんですね」
「あぁ。優秀で、そして未来を担う人材だった」
オリヴィアの目は赤く腫れあがっていた。
拳は震えていて、視線は石碑から離れようとしない。
「それでも……どんなに優秀でも、死ぬ時は一瞬だ。我々葬送官に別れはつきものだが……何度経験しても、きついものがあるな」
「……お姉さま」
リリアが気づかわしげに姉に手を伸ばす。
その手を取って、オリヴィアは祈りを捧げるように持ち上げた。
「リリア。ジーク。お前たちはどうか……生きろ。勝たなくてもいい。ただ生きてくれ。あの子の分まで」
「……はい」
オリヴィアは弱々しく微笑み、お花を摘みに去っていった。
リリアも気を使ったのか、姉に続いてその場を後にする。
「……そんなに気を使われても、何を話せばいいのか分からないや、アンナ」
ジークは石碑に向かって苦笑した。
アンナとの再会して、話せた時間はほんの少しだ。
もっと早く和解出来ていたらと、そう思わずにはいられない。
けれど、きっとこれが生きるという事なのだろう。
人は死ぬ。
いつか死ぬ。
絶対に死ぬ。
母と父を目の前で殺されたジークは、誰よりもそのことを知っている。
どんなに強くても、どんなに良い人でも、死は平等に訪れる。
歪んだ死から解放され、楽園へ旅立てたことは、アンナにとって幸せだろうか。
「……君がどんな思いで、あんなこと言ったのか分からないけど……」
世界を救う。
そんなことが自分にできるとは思わないけれど。
「僕、出来るかぎり足掻いてみるよ。もう、誰も失わないために」
サァ、と風が吹き抜けた。
樹々がざわめき、花弁がジークの身体を通り過ぎていく。
言葉を終えると、見計らったようにオリヴィアたちが戻ってきた。
ジークたちは並んで戦死者の丘を後にする。
「お姉さま、今夜ジークの回復を祝って外食するんですけど、よかったら一緒にどうですか?」
オリヴィアはたじろいだ。
「いや……私は……いいのだろうか。私がそんな場に」
「ジークが許しているからいいんですよ。お姉さま。わたしも嬉しいです」
「リリア」
「久しぶりにお姉さまと過ごせますし……実家では会えませんから」
「……お前は自らの有能さを証明した。私は薦めないが、お前が望むなら……実家に戻ることも掛け合うぞ」
「いいえ」
リリアは首を横に振って、ちらりとジークを見て微笑んだ。
「わたしは残ります。ジークやお師匠様が居る今の暮らしは……割と気に入ってるんです」
「……そうか。それならいい。ブリュンゲルの家などロクなものでもないし……いや待て」
オリヴィアはぴたりと固まり、強張った声音で訊いた。
「一緒に暮らしているだと?」
「あ、はい。お師匠様の家に、私とジークが下宿していて……」
「と、年頃の男女が同じ屋根の下だと!? ふ、不潔だぞリリア! 今すぐ家を変えるべきだ!」
「え? 大丈夫ですよ。部屋は違いますし……」
「全然大丈夫じゃない! いいか、男というのはケダモノなんだ。汗で透けた肌着を見るなり興奮し、隙あらば女に襲い掛かろうとする本能の生き物だ。いくらこの少年が善良だと言っても、やっていいことと悪いことがあるぞ!」
「むしろそれならわたしも苦労はしなかったんですけど……」
頬に手を当ててため息を吐くリリアに、ジークは首を傾げた。
「どうしたの?」
リリアはぷくぅと頬を膨らませた。
「……馬鹿。ちょっとは察してくれてもいいじゃないですか」
「? 良く分からないけど僕、お腹が空いてきたかも。早く帰ろう! おっにく、おっにく~♪」
「はぁ……」
寒空の中、リリアのため息が大きく響くのだった。
◆
「ふぅ。美味しかった……」
人生で最高の食事だったと、ベットの中でジークは息をつく。
食べ過ぎてお腹がぱんぱんに膨れている。少し食べすぎたかもしれない。
「こんな日が、ずぅっと続けばいいのに……」
信頼できる人と食べる食事は一人よりも味わい深くて、楽しい。
お腹だけじゃなく胸がポカポカするし、ずっと浸っていたくなる心地よさだ。
ここにアンナが居れば、もっと楽しかっただろうにとジークは思う。
(あの子の分まで、精一杯生きなきゃ)
「明日も、そのまた明日も……こんな、普通の生活に……」
すぴー、とジークの意識はまどろんでいく。
身体が浮き上がり、意識が暗転。
その直後だった。
「わ!?」
だん、と身体を地面に打ち付けて、ジークは目を覚ました。
目を白黒させたジークが見たのは見渡す限りの大空ーー神の仮庭だ。
「あ、ここって……」
「いらっしゃいジーク。さすがに慣れてきたわね」
「アステシアさま!」
民族衣装を着た女性が本を片手に顔を覗き込んできた。
加護を受けた女神の微笑みに、ジークは慌てて立ち上がる。
「あの、この前はありがとうございました。助けてくれて……」
「いいのよ。私が勝手にやったことだから。さすがに神霊は早すぎたし」
「そうですか。あれ? じゃあどうして僕をここに……」
「オレがここに呼んだのだ! 弟子よ!」
雲の上に乗って両手を組む男神が言った。
「あ、ラディンギル師匠もいたんですね」
「反応が違いすぎないか!?」
「なんでもいいですけど、なんで毎回雲の上に乗ってるんですか? なにか意味があるんですか?」
「そのほうがカッコいいだろう!」
「そうかなぁ……?」
ジークは首をかしげる。
自分には良く分からないセンスだ。
どうせ降りるのだから最初から登らなきゃいいのに。
「まぁいいです。それで、今回はどうしたんですか? 今日はさすがに修業はお休みしたいかなって……」
「いや、今回用があるのはオレではない」
「え? じゃあ誰が……」
「あたしが、呼び出したのよ!」
突如、空から少女が降ってきた。
燃えるような赤髪を揺らし、大きな槌を持った彼女は顔の横にピースサイン。
「喜びなさい、半魔! この私、鍛冶神イリミアスがあなたの剣を鍛えてあげるわ! あなたの聖杖機、そろそろーーってあれ?」
ジークは一目散に逃げだした。
果てのない大空をぐんぐん走っていくと、
「こらー! なんで逃げるの! この私が剣を打ってあげようって言ってるでしょー! 逃げるな!」
「嫌です! どうせ加護を与えるとかそんなこと言い出すんでしょう!?」
「当たり前じゃないの!加護がないと天界から剣を渡せないんだからーー」
「断固としてお断りします! 僕は普通に暮らしたいんです! これ以上加護は要りません!」
「なんですって~~~~~!? それこそお断りよ! あたしは剣を打つって決めたの! 大人しく打たれなさいーー!」
イリミアスが追いかけてくる。ジークは傍観する女神に叫んだ。
「アステシア様、助けてください!?」
「その子を諦めさせるの、ゼレオティールさまでも無理だから……諦めなさい、ジーク」
「そんな~~~!?」
どこまでも広がる大空に、神々の笑い声が響いていく。
神と人の戯れを、上位位階からゼレオティールが眺めていた。
「やれやれ……世話のやける男じゃわい。どれ、少し手を貸してやろうかのーー」
ゼレオティールは重い腰を上げ、ジークを助けようと手を掲げる。
世界に光が瞬き、やがて真っ白に染まっていく。
「ありがとうございますゼレオティールさま! じゃあそういうことで……またね、皆さん!」
「あ、こら、にげるなーーーー!?」
ーーこれは、とある少年の物語。
時に喜び、時に笑い、時に苦しみ、時に悲しみ、時に足掻き、
泥だらけになりながら運命に抗う、とある男の物語。
ーーやがて世界を変える、半魔の英雄譚だ。
第一章 胎動 完
次章 覚醒
一章作者あとがき。
これにて一章完結です!ここまでお読みいただきありがとうございます。
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