第三十三話 エピローグ①
終末歴五二九年、十二月初頭。
王都サンテレーゼを襲った悪魔たちの大侵攻は終わりを迎えた。
被害者総数数千人強。崩壊した建物は数知れず。
いまだ混乱が収まりきらない街を、都市の職人たちが駆けまわっている。
そんな都市の只中を、リリアは歩いていた。
花屋で花を買い、大勢の葬送官が入院している病院へ歩いていく。
すると、巡回中だった葬送官の一人が声をかけてきた。
「ローリンズ。今日も見舞いか?」
「あ、はい。ジェームズさん」
リリアが軽く会釈を返すと、私服姿の彼は苦笑した。
「甲斐甲斐しいな。うらやましい。俺なんてバディから見舞われたことないぞ」
「ま、まぁ、治癒術師の葬送官は優秀ですからね。切断された腕も引っ付けちゃいますし」
「ん。そうだな。あと、あー……」
ジェームズはバツが悪そうに後ろ頭を掻いて、
「あの半魔……あいつにも、オレの分までよろしく言っておいてくれ」
「え?」
「まだあいつのことは受け入れられん。どう扱っていいかもわからん。だが……助けられたのは、事実だからな。少なくとも、邪悪な存在ではないんだろ」
「もちろんです」
「だから…………まぁ、そういうことだ。ではな」
ジェームズは言うだけ言って去っていった。
リリアはその背中を見つめ、やがて「ふぅ」と息を吐いて歩き出す。
(虫の良い話ではありますが……何にせよ、よい方向に転がりだしたと思っていいんでしょうか?)
ジークが都市を救った英雄だと受けられない者は多い。
煉獄の神霊ヴェヌリスにトドメを刺したのは確かにジークだが、それまで消耗させていたのはテレサとオリヴィアだ。
ジークはその手柄を掠めとっただけ……と、あの戦いを見ていない者は言っている。
(むしろ、わたしの方が持ち上げられるなんて……ジークなら、喜ぶかもしれないですけど)
落ちこぼれ、役立たずと蔑まれていたリリアは城壁での戦いで見直されたようだ。先ほどのジェームズも戦いの後「すまなかった」と言って土下座してきたくらいである。
そういった変化は望んでいたものだし、うれしいことは事実。
けれどリリアは、誰より活躍した友達が報われてほしいと、そう思う。
共に頑張ってきた同門弟子として、一緒に喜びを分かち合いたかった。
「だから、早く起きてください。ジーク」
サァ、と吹き抜ける風が清潔なシーツを揺らす。
ベッド脇の花瓶に花束を差しながら、リリアは友の姿を見つめた。
ーーあの戦いから一週間。ジークはずっと眠り続けている。
戦いの後、彼の身体はボロボロだったのだ。
肋骨の複雑骨折、全身の筋肉の断裂、肺の損傷、血液不足による貧血……。
コキュートスとの戦いで肺に穴をあけていたことが大きかった。
一時は心停止までなったと聞いた時、リリアは卒倒しそうになった。
オリヴィア曰く、強すぎる加護の力が身体に負担を与えたのだという話だが。
「あなたが生きていなかったら、わたし……」
安らかな寝息を立てるジークの髪を、リリアはそっと撫でた。
彼の顔を見ているだけで、胸が苦しくなる。もっともっと触れていたくなる。
早く起きてほしい。早く起きて笑ってほしい。
そうしたら、リリアはーー。
「ジーク……」
リリアはそぉっと、ジークの顔に近づけた。
そして二人の距離はゼロになり、唇と唇が触れるーーその寸前だった。
パチ、とジークは目を開けた。
「ぁれ……? りりあ……?」
「ジーク」
「何してるの……? なんか、すごく近いけど」
かぁああ、とリリアは顔を赤らめた。
しゅばばばばばッ! と後ずさり、髪を整えてから咳払い。
「ななな、何でもありません! ジークが起きるのが遅いから起こそうとしただけです!」
「そうなの?」
「そうなんです!」
(うー。わたし、何してるの? こんなのダメよ。ちゃんと順序を踏まなきゃっ)
「リリア、どうしたの? 顔が赤いけど」
「なんでもありません! ジークの馬鹿! あんぽんたん!」
「えぇ……」
起き抜けに馬鹿呼ばわりされたジークは、なんとも言えない表情になった。
リリアは「ふふ」と笑い、胸のつかえが取れたように胸を撫で下ろす。
徐々に口元が緩み、彼女は花が咲いたように微笑んだ。
「おはようございます。ジーク」
ジークは笑った。
「おはよ、リリア」
◆
目が覚めて早々、ジークは治癒術師長のコルデールにこっぴどく怒られた。
大侵攻の際に急いでいたとはいえ、手術室の天井をぶち抜いて光速で外に飛び出したからだ。あの時は無我夢中で、正直記憶がないのだがーー自分がやったとみんなが言えばそうなのだろう。
「あなたが都市を救ったのは事実ですから、今日のところはそれに免じて許してあげますよ」
「えーと、ありがとうございます?」
「礼ならテレサさんに。あの人の加護がなければ、あなた死んでいましたから」
そう言ってコルデールが差したのは、扉の前で息を整えているテレサだ。
彼女はジークを見るとほっと頬を緩め、続いて「ふん」と酒をラッパ飲み。
「……まぁ、せっかく育てたんだ。これくらいでくたばってもらっちゃ困るさ」
「あんなこと言ってましたけど、リリア・ローリンズと同じくらい心配してましたからね。いつ目覚めるのか、大丈夫なのかとうるさいったらありませんでした」
「ぶっ飛ばすよコルデール?」
白衣の医者を睨んでから、テレサはジークの前に立つ。
「師匠」
「……色々言いたいことも聞きたいこともあるけどね。ひとまず」
そうしてテレサは、ジークをそっと抱きしめた。
「え」と戸惑うジークに、彼女はそっと囁く。
「よく生きて戻った。さすがはあたしの弟子だ」
「……はい。ありがとうございます。師匠」
ぎゅぅ、と抱きしめてくる温もりは、在りし日の母を思い起こさせるようで。
心がポカポカと暖かくなったジークはテレサの背中に手を回す。
師と、弟子と。
まるで親子のような暖かな光景に「ごほん」とリリアの咳払いが割り込んだ。
「お師匠様。そろそろ充分でしょう。ジークは病み上がりですし、離れたほうがいいです」
「おや、そうかい?」
なぜかにやにや笑うテレサと、むう、と頬を膨らませるリリア。
二人の様子にジークが首をかしげると、ノックの音が響いた。
「すまない。起きたと聞いてな」
急いだ様子で現れたのはオリヴィアだ。
彼女は申し訳なさそうに病室の中に踏み入り、
「目覚めてよかった、ジーク・トニトルス。改めて礼とーー謝罪を。すまなかった」
ジークの前で、勢いよく頭を下げるオリヴィア。
普段、人を寄せ付けない孤高の女傑の謝罪に、その場の全員が目を丸くした。
「お姉さま……」
「これで許されるとは言わない。だが約束する」
オリヴィアは顔を上げ、
「私は貴様を葬送官と認める。そして誓おう。この恩を絶対に忘れない。受けた恩は百倍にして返す」
「……ありがとうございます。前のことは気にしていないので、大丈夫です」
ジークはオリヴィアの謝罪を素直に受け入れた。
以前のことーー彼女がジークを貶めたことは、実はあまり気にしていないのだ。
悪魔扱いされることは慣れている。
むしろ彼女は他の人間たちのように石を投げてこなかっただけマシと言える。
何よりーー
「ごめんなさい。僕たち、アンナを……」
「……いや」
オリヴィアは首を横に振る。
「あの子は都市を守って死んだ。それは葬送官として、誇り高い死だ。師として感じるところはあるが……それでも、我々は進まねばなるまいよ」
冷たく聞こえるが、オリヴィアの瞼は赤く腫れあがっていた。
答えている間も拳が震えていて、それが何より彼女の心情を物語っている。
「……あとで、お墓参りに行ってもいいですか?」
「もちろん。あの子も喜ぶだろう」
その言葉で室内の雰囲気は和らいだ。
テレサは「それで?」と酒をあおり、
「ひっく。あんたがこの場に来たってことは、謝罪と礼のためってだけじゃないんだろ?」
「あぁ。いやもちろんそれが大半なのだがーーある方の使いでな」
「ある方」
「うむ」
オリヴィアは雰囲気を切り替えるように咳払い。
そして告げた。
「ジーク・トニトルス。共に王城へ来てもらおう。姫様が会いたいと言っているのでな」
「…………はい?」