第二十九話 絶望の音
「ごふッ……」
胸を貫かれ、ジークは言葉なく倒れていく。
一瞬で倒された相棒を見て、リリアは咄嗟に加護を発動させた。
「凍って……ッ!!』
イメージを強化する詠唱を捨て、ただ己の願いを加護に込める。
リリアが触れると、ピシっ! とジークの全身が凍り付いた。
出血多量による死を免れるのがリリアの狙いだ。
とはいえーー。
(傷が深すぎる……! 今すぐ治療しないとすぐに死んじゃう……!)
ジークを凍結できたのは、アンナの死を経て学んだ決死の応急処置だ。
とはいえジークの傷は治っていないし、何より今、すぐそこに死が迫っている。
アンナと同じようにーー。
自分を救ってくれた相棒すら、奪われてしまう。
【キヒッ! 泣けるねぇ。テメェの男を守るために力を使うたぁな。でも分かってんのか?】
煉獄の神ヴェヌリスは、身体に炎を纏わせる。
触れた地面が溶けてマグマとなるほどの高温。
じゅわぁ、という蒸発音が聞こえてくる。
【俺が近づくだけでーーそいつ、死ぬぜ?】
「そんなこと、絶対にさせない」
ぎゅっと、錫杖を握りしめ、リリアはジークを守るように立ち上がる。
震えて動けなくなる自分を叱咤し、対峙すべき『敵』を見据えた。
「お前なんかに、この人は殺させない。この人は、わたしの英雄だからッ!」
【キヒッ、キヒヒヒヒヒッ! あぁそうかよ。いいぜ、いいよお前。そうだよなぁ、例えどれだけ勝ち目がなくても、相棒のためなら神霊にすら立ち向かう。それが仁義ってもんだよなぁッ!】
ヴェヌリスは嗤った。
心の底から愉しそうに。
【だからオレもそれに応えよう! お前を殺し、その半魔を殺し、この王都を滅ぼし尽くそう! それがオレの神義ってやつだッ!】
「……っ」
リリアは無言で加護を発動させ、ヴェヌリスを封じようと氷を形成。
だが、リリアの氷は無力だ。神霊に触れる前に溶かされてしまう。
それでもーー戦わなければ。
ここで食い止めねばジークが死ぬ。
ここでコイツを自由にさせたら王都が滅ぶ。
(震えるな。怖がるな。戦うんだ、ジークみたいに、立ち向かうんだ)
奥歯を噛み、己を叱咤し、リリアは氷の道を背後に作る。
氷の蔓を無言で操作し、ジークのみを逃がす。
それが今、リリアにできる最善策。
どんッ! とヴェヌリスが踏み込んだ。
神速の打撃が繰り出され、リリアの眼前、拳が襲い来る。
「ぁ、ぁあああああああああ!」
リリアは氷の壁を作って防御するも、盾は一瞬も止められずに焼失する。
そして炎の拳は、彼女の腹を突き破った。
その寸前だった。
「『かざあみの陣』」
ピタリ、とヴェヌリスの動きが止まった。
『ぁ?』
ぎりぎり、と見えない鎖に縛られているようなヴェヌリス。
神霊は忌まわしそうに舌打ちし、ブチッ! と見えない鎖を引きちぎって拳を振りぬいた。
ガァン!
衝撃に耐えるリリア。
痛みを覚悟して目を閉じた彼女の耳にーー
「……全く。だから葬送官などやめてしまえと言ったのだ」
「え」
声が、聞こえた。
おそるおそる目を開ける。
美しい金髪が揺れた。頼もしい背中がリリアの前にある。
「おねえ、さま」
『戦姫』オリヴィア・ブリュンゲル。
序列百七十五位の女傑が、いま戦場に舞い降りた。
「このような危険な戦いに……お前のような優しい者が、入るべきではない。リリア」
「……おねえさま、わたし……ッ」
優しい声音は、彼女が良く知る姉のものだ。
実家を追放される前の、在りし日の姉妹のように、彼女たちは言葉を交わす。
「私はお前に、安全なところで暮らしてほしかった。ブリュンゲル家などという忌まわしい家から去り、普通の暮らしをしていたほうが幸せだと思った。悲しみと怒りの連鎖が続く葬送官になるよりも……せめて妹には、幸せでいてほしかった」
じわり、とリリアの瞼に涙が浮かぶ。
辛く当たっていた姉の真意を知り、胸が熱くなったリリアは首を横に振った。
「お姉さま……ごめんなさい。私たちのせいで、アンナさんが……ッ」
オリヴィアは目を見開いた。
背後、どこにもアンナの姿が見えないことを確認し「……そうか」と奥歯を噛みしめる。怒りを噛み殺したような声で、彼女は言った。
「……今は、こいつを倒すほうが先だ。我々は葬送官なのだから」
ギラり、とオリヴィアは煉獄の神を睨みつける。
「神霊とお見受けする」
【おう。話は終わったか?】
律儀に姉妹の話を放置した彼は後ろに下がり、【キヒッ】と嗤った。
【煉獄の神ヴェヌリスだ。よろしくな。小娘三号】
「異端討滅機構序列百七五位、特級葬送官オリヴィア・ブリュンゲルだ。話を待って貰ったことには礼を言う。だが」
周囲の大気がざわめいた。
まるでオリヴィアの怒りに呼応するかのように、風が吹きすさぶ。
「我が弟子を手にかけたこと……そして我が妹に手を出したこと、その命尽きるまで後悔させてやるぞ、下郎ッ!」
対峙する両者を見て、リリアは焦った。
姉と和解できたことは確かに嬉しい。戦いにおいてもこれ以上ない増援だ。
けれど後ろにいる相棒が一刻を争う状態なのは変わりなく。
「お姉さま……! あの、ジーク、ジークが……! お願いします、ジークを……」
「あぁ。分かっている。コキュートスを倒したことはこちらでも確認した。安心しろ。そろそろ来る」
「ーー人を顎で使うなんて偉くなったもんだねぇ、頑固娘?」
聞きなれた声に、ハッとリリアは振り向いた。
こんな時でも酒瓶を担いだテレサが、ジークの身体に触れている。
「お師匠様ッ!」
「リリア、よくやったね。ジークも、こんなになって……」
テレサはジークの身体を触診して眉を顰めた。
リリアの加護によって凍らせて死を遠ざけているが、生きているのが不思議なほどの重傷だ。
「あたしはすぐに飛ぶ。リリア、お前も来い」
「でもお姉さまが」
「私なら大丈夫だ。お前の姉を信じろ。……テレサ殿。頼む」
「あぁ、分かってる」
【キヒ、キヒヒヒッ! 随分舐めた真似してくれんじゃねか。オレのこと忘れてんじゃねぇだろうなぁ!】
痺れを切らしたヴェヌリスが、波のような炎を生み出した。
新手もろとも葬り去る一撃に、オリヴィアは手をかざして対応する。
「《逆巻け》、《嵐のごとく》、《消し去れ》『風の戦槌』!」
ヒュォォオオオオオオオ……!
瞬間、オリヴィアの周りに竜巻が現出する。
触れるものすべてを巻き上げる嵐を操り、彼女は炎を巻き上げた。
そしてそれをーーヴェヌリスに向けて解き放つ。
「自らの炎に焼かれるがいい……!」
【キヒッ! キヒヒヒ! あぁいいぜお前、戦争、開始だぁ!】
ヴェヌリスは応じた。
竜巻と炎がぶつかり合い、乱気流によって吹き飛ばされそうな風がリリアを襲う。
「きゃ……!」
「リリア、飛ぶよ!」
転瞬、リリアの襟首をつかんだテレサが叫んだ。
その直後、ぐにゃりと周りの空間が歪曲し、テレサたちはその場から消える。
そして彼女らが現れたのは、大勢の人々が行き交う病院のロビーだった。
「きゃ!?」
「よっと」
上手く着地出来なかったリリアは悲鳴を上げて尻もちをつく。
「こ、これがお師匠様の『空渡り』……空間転移ですか。うぷ、気持ち悪い……」
ジークを抱えたテレサは慣れた様子で病院の奥へと進んでいく。
突然現れた彼女たちに、周りの者達が騒いでいた。
だが、テレサの名前が知れ渡っていることもあり、パニックと呼ぶようなものではない。
リリアはほっとして、ジークを抱えたテレサの後に続く。
「コルデール! コルデールは居るかい!? おい、そこの看護婦、コルデールを呼んできな!」
「て、テレサ・シンケライザ様!? す、少しお待ちください。すぐに呼んでまいります!」
看護婦は慌てて病院の奥へ。
すると、五秒も待たないうちに診察室から白衣を着た女性がやってきた。
「テレサさん。何ですかこの忙しい時に。愚痴なら後にして欲しいのですが」
診察室から手袋を脱いで現れたのは、黒髪の女性だ。
彼女はジークを見た瞬間に事情を察し、「こちらへ」と素早く指示を出す。
アンナは安置室に置かれ、ジークは診察室の手術台に置かれた。
すぐに服を脱がされ、人工呼吸器をつけられるジーク。
女医は手早く触診する。
「この状態でまだ生きている……? 氷で仮死状態に……なるほど」
ちらりとリリアに視線を送り、女医は納得したようにうなずいた。
すぐに彼女はジークに視線を戻し、手を当てる。
「『神の雫』発動……っ」
その瞬間、まばゆい光がジークを包み込む。
じわり、じわりと細かな傷が再生していくなか、リリアはたまらず問いかけた。
「あ、あのッ、ジークは、ジークは助かるんでしょうか!?」
「リリア。少しお待ち」
「でも……あの、お願いします。わたしにできることなら何でもします。だから、どうかジークを……ッ」
「医術に携わる者として、全力は尽くします」
コルデールは端的に言った。「ですが」と付け加え、
「保証はできません。肺が一つ潰されています。あなたの処置がなければ既に死んでいる」
「……っ」
「助かる確率は相当低いでしょう。そこだけは覚悟しておいてください」
リリアは泣き出したくなるのを必死でこらえた。
ジークは自分を守って飛び出したのだ。
彼が守ってくれなければ、死んでいたのは自分のはずなのに。
(またわたしは、あなたに守られて……ジーク、わたしは……ッ)
「リリア。安心おし」
不意に、テレサがリリアの肩に手を置いた。
今にも泣きだしそうな顔のリリアに、彼女は優しく告げる。
「このコルデールはこの街で最高の医者だ。治癒神カリギュオスのお気に入りさね。ジークは絶対に治るさ」
「お師匠さま……」
信頼を寄せる師の言葉に、リリアは唇を引き結んだ。
そう、そうだ。
これ以上自分がここにいても何も出来ることはない。
むしろ手術の邪魔になるだけだ。
ジークは治る。絶対に生き返る。
相棒であり友である自分だけは、そう信じなくては。
リリアは鼻をすすり、ごしごしと瞼をぬぐった。
「……っ、はい。もう大丈夫です。騒いでごめんなさい」
「うん。いい子だ」
テレサとリリアは共に診察室を出た。
「アタシはこれから戦場に出る。あんたは……」
「わたしも出ます」
決然としたリリアの言葉に、テレサは目を見開いた。
「あんた。見た目は何ともないけど陽力を消耗しているだろう。負傷もあるはずだ。そんな状態で……」
「ジークが寝込んでいる時に、じっとなんてしていられません!」
「……っ」
そう、今自分にできることはジークの回復を祈ることだけじゃない。
彼を信じ、彼が回復した時のために、都市を守ることだ。
もしも都市が落とされれば、治療を受けているジークも殺されてしまうのだから。
「……ふ。強くなったね、あんたも」
テレサは口元を緩めて呟く。続けて表情を引き締めた。
「なら師として命じる。リリア・ローリンズ下二級葬送官。一時間、身体を休めることに専念しな。そして戦場に出るときは近接戦を避け、遠距離攻撃のみに専念すること。外壁からの高台がいいだろう。砲台となって葬送官の援護をするんだ。返事は?」
「はいっ!」
「よし。じゃあアタシは行ってくる。お互い、生きて帰ろう」
再び空間がゆがみ、テレサは戦場へと姿を消した。
途端に周りの喧騒が押し寄せ、リリアはふらついた足取りで壁際にもたれかかる。
「ふ、ぅ……」
テレサの言った通り、思ったより疲労しているようだ。
病院のロビーの邪魔にならないところで休ませてもらおう。
リリアは膝を抱え、身体を丸めて両手を組んだ。
「アウロラ様……カリギュオス様……アステシア様。どうかお願いします。ジークを……助けてください」
祈りの言葉を口にするリリア。
彼女と同じように仲間を負傷した葬送官たちも、神に祈りをささげる。
だがーー敬虔な少女の祈りを、運命が聞き入れるとは限らない。
「エーテル再生薬微量注入! 心肺蘇生プロトコル開始! 心臓マッサージ用意! いち、に、よしそのまま五秒待機!」
診察室では怒号が響き渡っていた。
モニタに映る心電図を、コーデルはじっと睨みつける。
ピ、ピ……ピ。
(脈が弱い……傷は再生してきてるのに……!)
治癒神の加護によって肺の代替臓器を用意しつつ本人の傷を癒した。
既に代替臓器も摘出しているし、肺の大部分は再生している。
失われた血は輸血で補充したし、身体を活性させる薬剤も注入し終えた。
それなのに、彼の身体は弱る一方だ。
(このままじゃ……!)
「起きなさい、ジーク・トニトルス! あなたを待っている女がいるんです! あなたには生きる義務がある!」
ジークは目覚めない。
だんだんと間隔が長くなっていく心電図の音に、診察室は嵐のように動き始める。
そして。
ピ、ピピ…………ピ、……ピ。
…………ピ、ピ、ピーーーーーーーーーーーーーー─。




