第二話 捨て駒
「──なぁ、もう要らねぇんじゃねぇか、こいつ?」
森の中で周囲を警戒しながら、盾使いは言った。
彼の足元には血まみれになって倒れるジークの姿がある。
「なんつーかさ。飽きたんだよ。めんどーじゃん、こいつ連れてくの、さっ」
「が、はっ」
勢いよく身体を蹴られ、ジークはうめいた。
口の中の血があふれ出し、べちゃり、と盾使いの足元を濡らす。
「おいおい、俺のおもちゃにケチつけんのかよ?」
盾使いの対面にいた剣使い、アーロンが不満そうに睨んだ。
──この男がジークを拾ってから既に二年あまりが経っている。
ジークはアーロンに半魔であることに気づかれ、奴隷まがいの扱いで連れられていた。食事は一日に一回。水は水筒一杯。逃げられないように首輪がつけられ、そこから伸びる鎖はアーロンの手にある。
「……お前が連れてるから今まで黙ってたけどさぁ。もういいだろ」
盾使いはジークの顔に唾を吐き捨てる。
「こいつのせいで、明らかに悪魔の襲撃頻度が上がってんだし」
違う、とジークは内心でうめいた。
悪魔の遭遇頻度が上がっているのは未踏破領域にいるからだ。
しかもレギオンの活躍が増えてからどんどん危険な場所に赴いている。
今いるのは『森葬領域アズガルド』。
上級葬送官で構成されたレギオンでさえ苦戦する魔境。
人類の生存圏から何十キロも離れた場所に居れば、悪魔の数が増えるのは当たり前だ。
「あ、ぼ、僕は、何も、してな」
「うっせぇ黙れっつーの」
「う!?」
がんっ! と頭を殴られ、ジークは地面に突っ伏した。
冷たい地面にへたりこんでいると、頭が熱くなり、だんだんと傷が再生を始める。
「あとこれだよ。殴っても殴っても傷が再生してキモイ。絶対こいつが悪魔を引き寄せてる」
「まぁ、この特性のおかげで長く使ってきたんだけどな」
アーロンがけらけら笑う。
「未踏破領域の荒野で倒れてるこいつを拾ったときは儲けもんだったぜ。こいつを悪魔の盾にすれば盾要らずだ。傷も修繕も勝手にやってくれるし、食いもんはネズミの死体とか腐ったもん食わせたらいいしな」
「あ、悪趣味ですぅ……でも、そういうとこも素敵です、アーロンさま……♪」
「あなたの被虐体質もどうかと思いますがね……」
治癒術師がアローンの頬にキスをする。
べったりとしたカップルの様子に、炎使いフィックスが肩を竦めた。
フィックスは地面に倒れたジークに近寄ると、懐から水筒を取り出す。
「ほら。水を飲みなさい。そのままだと気持ち悪いでしょう」
「あ、ありがとうございます……」
ジークは震える口を動かし、水筒に口をつけた。
ごく、ごく、と味もわからない水が腹に染み渡る。
「ふふ。すごい勢いで飲んでますね。そんなに美味しいですか?」
ジークは壊れるくらい首を縦に振った。
こんなに一気の飲めるのは久しぶりだ。美味しくないわけがない──
「それ、馬の小便なんですけどね」
「ぶふッ!?」
ジークは噴き出した。
味を理解した途端、口の中が酸っぱい匂いに満たされ、あまりの臭気に吐き気を催す。
「おえ、おえぇえ……!」
「おいおい汚ねぇなァ。人のせっかくの好意をよ」
盾使いが慌てて後ろに下がりながらため息をついた。
「人のいい顔をして、お前が一番えげつないよ、フィックス。わざわざそんなもん取っておくなんて」
「私は当然のことをしているだけですよ」
「ぐ……!?」
フィックスはジークの耳を踏みつけた。
ぐりぐり、ぐりぐり、と鋭く尖った耳をなぶるように。
「だって気持ち悪いでしょう? 人と悪魔の血を引く子供なんて。いじめずにいられますか?」
「ハハっ! 違いねぇや! お前もアーロンと同類だぜ!」
「半魔を奴隷として連れているアーロンさんと同じにされてもねぇ」
「おいおい、俺が悪者みてえじゃねぇか。やめろよな。俺は哀れな半魔を助けてやってんだぜ?」
アーロンは芝居がかったように手を掲げる。
「俺が拾わなかったらこいつはどうなってた? 悪魔に食い殺されてた。俺が連れなきゃこいつは街に入れたか? 否だ。他の葬送官に殺されていた。俺が食事を与えなきゃどうなってた? 飢え死にしていただろう。俺がこいつを連れてなきゃ誰が荷物を持つ? 誰が料理をする? 誰が悪魔の盾にする? 俺はこの半魔に、人類貢献の手伝いをさせてやってんだ。これも神のご意思に従ってのことさ」
だから、とアローンは盾使いを睨む。
「こいつはこれからも連れていく。奴隷には丁度いいからな」
「……そうかよ。まぁ、いいけどな。お前のおもちゃだし……」
呟きながら、盾使いは目を見開いた。
弾かれたように振り向き、そして体を震わせる。
「お、おい、やばいぞ。今すぐここから離れよう」
「あぁ? どうしたってんだ?」
「やばいのが来る。加護が囁いてる。俺たちじゃ絶対に勝てない敵が──」
その瞬間だった。
キィン、と鈴の音のような軽い音がして、周囲が凍り付いた。
『…………』
その場にいた五人は絶句する。
緑豊かだった森の中は、あっという間に氷の地獄へ姿を変えた。
現れたのは、氷の巨人だ。
「フシュー……フシュー……」
どこからともなく現れたそれが、五人を見下ろす。
呆然とした呟きが、フィックスの口から漏れた。
「上級悪魔、コキュートス……! 存在するだけで冥界の冷気をまき散らす怪物……!」
「悪徒以外で上級入りしてる数少ない化け物の一種だ。フィックスの炎でも敵わねぇぞ」
「ひひひぃいいい! な、なんでこんな怪物がここに!? そんなに深く潜ってたんですかぁ!?」
「ここはまだ浅いほうだよ。だから言ったろ。半魔なんて連れてるもんじゃねぇって!」
三人は恐れおおののき、責めるような視線がジークに向かう。
そんな仲間の様子を、アーロンは鼻で笑った。
「ハ! 何ビビってんだよお前ら。俺の剣ならどんなものでも殺せるさ」
アローンが剣を掲げると、剣に光が集まっていく。
──彼の加護は神の位階の中で上から二番目。上級神の加護である。
例え倒せずとも、逃げる隙くらいは作れるだろうと誰もが確信した。
「手早くぶっ潰して──」
……ひゅぅん!
氷のつぶてが、剣をへし折るまでは。
「…………」
頬から血を流しながら、アーロンは折れた剣を見る。
誰もが剣とコキュートスを見比べ、悲鳴が上がったのは次の瞬間だった。
「──逃げろぉおおおおおおおおおお!!」
全員、一斉に動いた。
フィックスが炎でコキュートスの足を溶かし、盾使いが盾で防ぐ。
一瞬の防御で相手が怯んだ隙に、彼らは一目散に駆けだした。
無論、ジークも同じだ。
こんな怪物にかないっこない。早く逃げなければ死んでしまう。
「い、嫌だ、死ぬのは、嫌……!」
「おい、何ぼさっとしてやがる、半魔野郎!」
「うわ!?」
ジークはアーロンに抱えられた。
どれだけ奴隷扱いしようともアーロンはジークを離さない。
自分の荷物が奪われるのを嫌う彼だ。今回も同じように自分を助けるはず。
そんな打算じみた安堵を覚えた時、アーロンが顔を近づけてきた。
「ボサッとしてないで、さっさと身代わりになれよ」
「ぇ」
身体が宙に浮き、背中に衝撃。
地面に落ちたと気づいたときには、ジークはコキュートスの足元にいた。
遠く、すでに五十メートル離れた場所にアーロンたちは居る。
「あばよ半魔野郎! なかなか使い勝手が良かったがここでおさらばだ! 足止め頑張ってくれや!」
「やっと決意したか。半魔なんてキモイもん捨ててくれて助かったぜ」
「あ、あの子の食事を用意するこっちの身にもなって欲しかったですぅ。あんな奴、アーロン様のおもちゃには相応しくありません。ぜ、ぜひ次は私に鞭打ちプレイを……♪」
「言っている場合ではありません、とにかく逃げますよ! 悪魔がゴミを食べている間に!」
声はどんどん遠ざかっていく。
ゴミ扱いされたジークは身体の痛みで立ち上がれず、ただ涙をこぼす。
「そんな……」
見ようによっては彼らの支配から解放されたと言えるかもしれない。
普段のジークなら泣いて喜び、神に感謝していただろう。
こんな状況でさえ、なければ。
『フシュー……見捨てられたようだな、貴様』
ずしん、と足を鳴らし、コキュートスはジークを見る。
『人と悪魔の混ざりもの……世に奇妙なものよ』
耳朶に届いた言葉に、ジークは目を見開いた。
「コキュートスが、しゃべった……? エルダーでもないのに」
『我は冥府神の眷属ぞ。言の葉を操るなど造作もない。フシュー……それより……』
ギン、とコキュートスの瞳が殺気立つ。
『穢れた血の分際で、我に話しかけるな。クズめ』
「ぇ、ぁ……」
『悪魔の血が混ざっているからといって、同胞として扱ってもらえると思ったか? フシュー……人と交わった悪魔など、裏切り者。闇の神々の期待を裏切った、ロクでもない血め。貴様の存在そのものが、許されざる害悪だ……恥を知れ! フシュー……!』
「……っ」
一気に体温が下がっていく。
凍てつく吹雪がコキュートスから吹きすさび、ジークから体温を奪っているのだ。
「ぁ、ぁ……」
ジークは震えていた。
両手で体を抱きしめる弱者の姿に、コキュートスがにやりと嗤う。
『フシュー……震えて何も出来ぬか。穢れた血め。このまま我が創造主への手土産にしてやろう……』
──死ぬ。
──このままじゃ死んでしまう。
──嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたくない死にたくない死にたくない……!
逃げても追いつかれるのは分かっている。
なら、なら、戦うしかないじゃないか。
「う、うぅ……っ」
ジークは落ちていた落ちていた刃先を拾い、
「わぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」
やけくそ交じりに、コキュートスへ飛び掛かった。
不意の事態。
油断していたコキュートスは氷柱を生成して射出する。
氷柱は音速に近い速度でジークの体を串刺しにした。
(しまった……フシュー……主に対する手土産にするつもりが、殺してしまったか)
そのはずだった。
(なに!?)
ジークは空中で身体をひねり、氷柱をよけていた。
(油断していたとはいえ、完全なる我が防衛機構を避けるだと!? なんだそれは!?)
ありえない事態に動揺し──
コキュートスの胸に、ジークの剣が突き刺さった。
血が滲んだ剣から伝わる、確かな手ごたえ。
その結果は、
『フシュー……想定外はあれど、やはりこの程度。恐るるに足らぬ』
「ぁ」
剣は刺さっていても、ダメージはない。
それも当然だ。ジークは神々の加護を持っていない。
冥府の神々の眷属たる悪魔を倒すには、神の加護が必要不可欠なのだから。
『いつまで我が玉体に触れておるか、穢れた血め……!』
「が、ぁ!?」
魔導列車にぶつかったような衝撃。
勢いよく吹き飛ばされたジークは、地面を何度も跳ね、宙を踊った。
そして──
「ぁ!?」
茂みに隠された崖に飛ばされる。
ジークは完全に落ちる前になんとか勢いを和らげようと、慌てて手を伸ばした。
「…………!」
腕一本で崖からつり下がり、足場のない浮遊感に身体を震わせる。
痛みで力を籠めることもままならない。頭から流れた血が視界をさえぎる。
(大丈夫、大丈夫。落ち着いて、少しずつ身体をあげていけば……)
どすん、
『フシュー……どこへ行った、穢れた血め! 吹き飛ばしすぎたか……!』
「ぁ」
コキュートスがジークを探そうと踏み出した一歩。
巨体が地面を揺らした震動が命取りだった。
「ぁぁあああああああああああああ!?」
深い闇の底へ、ジークは落ちていく。
その手を握る者はいない。
その声に応える者もまた、誰もいなかった。
◆
『フシュー……逃がしたか。しかし、なぜあんなものが……』
自分で突き落としたとも気づかず、ジークを逃したと思い込むコキュートスは呟いた。
「冥府に属する悪魔は人と交わることが出来ぬはず。いかな上位のエルダーといえどそれは変わりない……フシュー……冥王様にご報告しなければ」
(それに、あの反応速度……放置すれば、我らにとって脅威になりうるやも)
氷の巨体が空気に溶け、消えていく。