第二十八話 煉獄の暴虐
「な、なんでこんなところに『神霊』が……」
ヴェヌリスの名乗りを受け、隣にいるリリアが震え出した。
顔が青ざめた彼女の言葉に、ジークはテレサが言っていた言葉を思い出す。
(神霊って……確か……」
『悪魔の強さってのは七段階に分けられる。下二級、下一級、中級、准上級、上級、特級、幻級だ。例外としてはその上に死徒や神霊なんてのもいるが……まず出くわすことはないから気にしなくていい』
それはジークたちが苦労してた倒したコキュートスより上。
特級を飛び越え、冥王の率いる七人の死徒を超えた、超越存在。
「ーーめ、冥王と、同格って、こと?」
その脅威度を理解したジークは震える声で言った。
すると、ヴェヌリスは「キヒッ」と鋭い歯を見せて、
【そう言いたくなる気持ちは分かるがな。さすがにこの状態なら冥王の力よりは劣るぜ? あいつは殆どオレたちと同じような存在になってるからな。だがまぁ、お前たちを小指で捻るくらい余裕だと思ってくれや】
「……ッ」
それが比喩でもなんでもない事は、ジークにも理解できた。
彼の身体からにじみ出る禍々しい魔力が、嫌が応でも実力差を思い知らせてくる。
自分たちが今生きているのは彼の気まぐれ以外のなにものでもない。
彼がその気になれば、一秒で殺される。
【あーそれでさっきの質問だが? まぁこの戦争そのものがオレの統括だったわけよ。で、眷属に任せてたらヤられてるじゃねぇか。オルテマギアを倒した奴ぁどんな奴かって、見にきたわけよ】
饒舌に、軽薄な口調で話すヴェヌリス。
神霊とは本来、冥界や天界にいる神々が地上に意志だけを飛ばす使い魔のようなものだ。そこに己の意識をリンクさせ、あたかも神本人が降臨したように見せるのが神霊である。
終末戦争以来、力を削がれた神々は天界や冥界で本体を休め、加護を与えて人間や悪魔に力を与え、時には神霊という形で現れ、直接力を貸してきた。
だが、こと大侵攻において神霊が出てくるのは稀だ。
神霊を降ろすことはかなり力を使うらしいのである。
神々はこれを避けるために悪魔や人類に力を託して来た。
ぎゅっと、拳を握ったジークは問う。
「……お前が、アンナを殺したのか」
【誰だソレ。あー、確かに現界するための魔力は近くにいた生物から補充したけど? あぁ、そこに倒れてる一匹かな】
「……一匹、だとっ」
【餓鬼の一匹や二匹くらいでせせこましい事言うなや。これだから人間は困るぜ】
カッ、とジークの頭に血がのぼった。
ーーこんな、こんなやつにアンナはやられたというのか。
ーーこんな糞野郎の身勝手な行動が、彼女を殺したと言うのか。
「お前、お前ぇえええええええええええええええええ!!」
「ダメ、ジーク!」
リリアの制止も聞かず、ジークは飛び出していた。
だがそれでも飛び出さずには居られない。アンナの仇を討つのだ。
神霊は特級よりも上。
そんなことは分かっている。
分かっていても、やらずにいられるかーー!
【まぁそんな慌てるなよ。早い男は嫌われるぜ?】
「え」
ーー分かっていなかった。
コキュートスの懐に一瞬で潜り込んだジークの速度は並みの葬送官を大きく上回る。それなのに、加護の発動すら許さぬ速さで、ヴェリヌスはジークの背後に回り込んでいた。友達にするような気安さで肩に手を置いて、
【餓鬼一匹で怒るお前の気持ちは分かった。でもな、お前たちはオレの眷属を殺したんだ。半魔の身体に興味はあるが、眷属の仇をとらにゃあ神義にもとるってもんだ。オレはこの戦争の軍団長って奴なんだからな。……それによぉ。これは私怨なんだが】
恐る恐る、壊れた歯車のような遅々とした動きで振り返る。
ギラり、とヴェヌリスの瞳が赤い光を放った。
【お前、アステシアの加護持ってんだろ。オレ、昔からあいつ嫌いなんだわ。何もかも見透かした態度が気にくわねぇ】
「……ッ」
【つーわけで、冥界の土産話はこれくらいでいいか? じゃ、死ねや】
ヴェヌリスが拳を振り上げた。
「《停滞せよ》《氷原のごとく》『凍華・凝結』!」
蒼い花弁が空を舞う。
ひらりとヴェヌリスに付着した花弁は瞬く間に付着部分を凍り付かせ、神霊の関節を凍らせるーー。
【んだコレ。うぜぇな】
転瞬、ヴェヌリスの身体が燃え上がった。
リリアの花弁は瞬く間に溶かされ、ヴェヌリスの拳は音速を突破する。
ーー……轟ッ!!
ソニックブームを発生させ、絶死の一撃がジークの身体に襲い掛かった。
「…………ぁあッッ!!」
その寸前、ジークは双剣を交差させた。
リリアが稼いだ刹那の隙を逃さない、先視の加護をフル稼働させた防御。
硬いもの同士がぶつかる音が響く。
その衝撃に耐えきれず、ジークの足元が放射状にひび割れた。
(重い……!まるで山が直接ぶつかってるみたいだ……ッ!)
ヴェヌリスの攻撃はあまりにも強くーージークは一秒も耐えられずに弾き飛ばされた。水切り石のように地面を跳ね、無様に地面を転がる。
「ジークッ!」
【テメェはアウロラのところの餓鬼か。オレ、あの無口女も嫌いなんだわ】
「ぁ」
【ってことで、死ね】
「ーーお前の相手は、僕だッ!」
【……ッ!?】
ヴェヌリスとリリアの間に、ジークが割って入った。
双剣を交差させて拳を受け止めるジーク。
先ほどは吹き飛んだ彼は、足を地面にめり込ませて無理やり身体を止めていた。
(……速ぇな。受けきれないとみて足を犠牲にする対応も良い。さすがはオレの眷属を殺しただけのことはある……だが、)
【甘ぇ】
背後から迫った氷柱を、ヴェヌリスは振り返りもせず、尻尾で打ち砕く。
奇襲が失敗して唇を噛むリリアを、煉獄の神は冷めた表情で見た。
【威力が甘ぇ。精度が甘ぇ。覚悟が甘ぇ。お前、もうそんなに力残ってねぇだろ】
当然と言えば当然だ。
先ほど倒した変異種のコキュートスは、特級相当の化け物である。
明らかに格上でありアンナの力を借りて勝つのがやっとの難敵だった。
そんな相手を倒したあと連戦するには、ジークとリリアも未熟すぎた。
「ハァ、ハァ……ぐ、ぅう……ッ」
たった一撃受けただけで、ジークの身体はボロボロだ。
息も絶え絶えで体力もあまり残っていない。このままでは、二人とも死ぬ。
【ーーせめてこの女だけでも、とか思ってんじゃねぇだろうな?】
「……っ!」
ジークは目を見開いた。
ヴェヌリスは舌打ちする。
【ッチ。舐められたもんだぜ、おい。神霊を飛ばしてるだけとはいえ、この煉獄の神ヴェヌリスが、ありんこ二匹潰せないと思われてるなんてなぁッ!】
ドンッ! と地面がはぜた。
凄まじい魔力の圧力に耐えきれず、背後の地面が抉られていく。
ジークは身体が浮いてしまい、
「ぁ……っ」
吹き飛ぼうとした刹那、ヴェヌリスの尾に巻き取られる。
ぎり、ぎりと、身体が真っ二つになるような痛みにジークは悲鳴を上げた。
「ぁ、ぁぁああああッ!!」
「ダメ、やめて、やめてください。ジークッ!」
リリアは何度も全力で加護を行使し、なんとかヴェヌリスをジークから引きはがそうとする。だが、彼女の氷はヴェヌリスの体に触れた途端に蒸発し、なんの意味もなさない。
じたばたと身体をもがくジークに、ヴェヌリスはニヤァと三日月に口を広げた。
拳を引き、
【キヒッ! あばよ、半魔。潔く死ねや】
「やめてぇえええええええええええええええええええええええ!」
ジークの胸を、炎の拳が突き破った。