第二十七話 降りかかる理不尽
「ごふっ……」
胸から刃を生やしたアンナが血反吐を吐く。
彼女が自分の身体を見下ろした直後、刃がずるりと引き抜かれた。
力なく倒れていくアンナを、ジークたちは呆然と見つめるしかない。
「あん、な……?」
アンナを刺したのは、コキュートスが持っていた戦槌だ。
先端部に突起がついたそれが、禍々しい炎を纏って宙に浮かんでいる。
そして再び、戦槌が大きく振り上げられ──
「──アンナッ!」
そこでようやく、ジークたちは動き出した。
アンナと戦槌の間に飛び出したジークは戦槌を弾き飛ばす。
使い手のいない戦槌は大きく吹き飛んだ。
すかさずリリアが戦槌を凍り付かせ、硬いものが落ちる音が響く。
「アンナ、アンナッ!」
「ひゅー……ひゅー……」
アンナの傷は深かった。
心臓は外れているが、肺を貫かれて呼吸ができていない。
絶え間なく流れる血が地面に水たまりを作っていた。
「……っ、今すぐ運ぶから、だから、しっかり……」
ジークがアンナの背中に手を差し入れようとすると、
「──いい。もう、手遅れ、よ」
アンナは微笑みながら手で制する。
「自分のことは、自分が、いちば……分かる。私は……ここで、死ぬ」
「そんな……せっかく、諦めないでよ。せっかく仲直りできたのに!」
「それより、戦闘に、備えなさい。新手が……まだ、いるわ」
「……いやだ、いやだ!」
ジークは瞳に浮かんだ涙をぬぐって、アンナを持ち上げる。
──こんなところで死なせてたまるか。
──こんな結末があってたまるか。
言いたいことも、教えてほしいこともたくさんある。
十年前の確執を乗り越えて、ようやく彼女と友達になれそうなのに。
「待ってて。今すぐ走って、王都に……」
「ジーク」
走り出そうとしたジークを止めたのはリリアだ。
眦に涙を浮かべた彼女は首を横に振り、
「聞いてあげてください。彼女の……最期の言葉です」
「……っ」
「そう、よ。聞き、なさい。ほんと……あんた、は、そそ、っか、しいんだから」
「アンナ……」
アンナはジークの頬に手を伸ばした。
「ごめんね」
「ぁ」
「あたしが……あの時……あんたを、庇っていれば……」
「もういいから。そんなこといいから、自分のことを……」
「師匠には、謝って、おいて。あの人には、お世話になった……それから……」
「アンナぁ……」
アンナの瞳に涙が浮かぶ。
首を横に振り、彼女は微笑んだ。
「ジーク。しっかり、生きて」
「……っ」
「これからも……あたしみたいな馬鹿が……あんたを、責めるでしょう。でも、負けちゃだめよ。あんたは、強い。すごく強い。あたしが……認めたんだから……だから……」
アンナの身体から力が抜けていく。
ジークは強く、強く身体を抱きしめるけど、失われていく命は戻らない。
「アンナ、アンナッ!」
「あんたなら、やれる……世界を、救っ、て……」
それきり、アンナは喋らなくなった。
身体がまたたく間に冷たくなっていく彼女を、ジークはぎゅっと抱きしめた。
「アンナぁ……」
「ジーク……せめて、人のままで」
狂った世界の歯車は、悲しみに暮れる時間を許さない。
どくん。とアンナの心臓が脈を打つ。
身体が徐々に黒ずみ、彼女の魂が変質しようとしていた。
時間がない。ジークたちは祈祷を
──……轟ッ!
祈祷が、出来なかった。
「……ッ!?」
凄まじい光が、コキュートスの戦槌から天に立ち上った。
衝撃波が走る。
「きゃぁ!?」
「リリア!」
吹き飛ばされそうになるリリアを、咄嗟に支えるジーク。
地面に手をついて身体を保つのが精一杯だった。
だから、そうなった。
「ぁ、ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「……ぁ」
可愛らしい少女はどこにも居なかった。
目の前に、唾液を滴らせてこちらを見る、怪物がいた。
蛇のような肢体に、上半身を露出した女。
ラミアと呼ばれる、中級悪魔だ。
「あ、んな」
「シャァァァァアアアアアアアアアア」
「アンナッ!!」
ジークは剣を振りかぶった。
悪魔と変わった彼女はもう救えない。アンナはもういない。
だから、せめて自分が。
「……………………………………ッ!」
出来なかった。
再会して、嫌味を言われたり馬鹿にされたりしたけれど。
それでもさっきの瞬間、ジークは彼女と『友達』だった。
友達を殺せるわけ、なかったのだ。
「ジーク!?」
途中で剣を止めてしまったジークの身体を、ラミアの尻尾が直撃する。
思いっきり吹っ飛び、起き上がろうとしたところにラミアが馬乗りになってきた。アンナの顔で、牙を剥きだしにして、ジークを食べようと、
「アンナ……目を覚ましてよ……アンナッ!」
「ァアア……!」
ラミアは飢えていた。
今まさに、無防備な獲物を喰らおうと口を開け、
「わたしはもう……間違えないッ!」
──ザンッ!
氷の刃が、ラミアの首を断ち切った。
蒼い血が噴き出し、その身体がゆっくりと倒れていく。
「《哀れな魂に、光あれ》ターリル」
略式祈祷。
アンナの身体は光の粒子となって、天に葬魂された。
リリアが顔を覗き込んでくる。
「……大丈夫ですか?」
心臓がぎゅっと掴まれたようだった。
本当は自分がやらなければいけないことを、リリアにやらせてしまった。
辛そうに顔を歪ませる彼女に、ジークは頭を下げた。
「…………ごめん、リリア。僕、」
「気にしないでください。辛いのは、一緒です」
そっと、壊れ物に触れるように抱きしめられた。
震えるリリアの背中に手を伸ばすと、そのまま胸に顔をうずめたくなってしまう。
「……僕、情けないね」
「最初は、誰だってそんなものです。わたしも殺せませんでした」
「……」
「ジークなんて、被害を出さなかっただけマシですよ。大したものです」
「……うん」
きっとリリアもこんな思いをしてきたのだろう。
無力感と後悔と、やるせなさがこみ上げてきて、胸がかきむしられるようだった。
『…………』
二人とも、しばらく何も言えなかった。
コキュートスを倒した余韻は吹き飛んでいた。
突然降りかかった理不尽。
友になれそうだったアンナの死に、すぐに動けるほどジークの心は乾いていない。
けれど運命は、彼らにさらなる牙を剥く。
パリィン! と甲高い音が響き渡った。
『え』
二人は同時に顔を上げる。
視線の先、凍り付いたはずの戦槌から光の柱が立ち上っていた。
そう──アンナを刺した、戦槌だ。
「……コキュートスは、倒したよね? なのになんであれは動いてるの?」
「確実に倒しました! あの戦槌も、何らかの魔導武器で、残留思念がアンナさんを攻撃したのかと……」
戦槌の形が、歪んでいく。
まるでジークが聖杖機を取った時のように、原石が本人の資質に合わせて変化するような。ぐにゃぐにゃと形を変えた戦槌が、人の形となっていきーー
【キヒヒヒッ! 餓鬼一匹死んだか。うちの眷属を倒すなんてやるじゃねぇか。どこの誰だ、お前ら?】
そしてソレは、現れた。
「……!」
それは、竜を人にしたようなモノだった。
頭に生えた二本の角は逆巻き、腰からは尻尾が揺れている。
【見たところ子供だが……んんん? キヒッ! なんだお前、面白れぇ在り方してんじゃねぇか! おいおい、オルテマギアが言ってた半魔ってのは本当だったのかよ!?】
「お前、は」
声が、脳髄に直接訴えかけているようだ。
魂をゆさぶるその音は、人ならざるものの頂点。次元を超えた逸脱者のもの。
「うそ」
その声を、ジークもリリアも知っている。
それは人類に加護を与え、導き、天界に君臨する彼らと同質のものだからだ。
唖然としているジークたちを見て、『彼』は【あぁ】と得心が言ったように、
【キヒッ! そういえば、人間は第一印象ってのが重要なんだっけ? じゃあ自己紹介しておかなきゃな?】
それは終末戦争の際、大陸を焦土に変え、極東の島々を沈めた地獄の具現。
冥府の神々の尖兵として名を馳せた、恐怖の象徴。
【煉獄の神ヴェヌリス。この戦争を任された軍団長って奴だ。よろしくな?】