第二十六話 友の力
「りり、あ。どうして……」
呆然としたジークにリリアは近づきながら肩を竦めた。
「言ったでしょう。必ず戻ってくるって」
「でも……」
「私もいるわよ」
「え」
リリアの後ろからアンナが現れた。
腹に包帯を巻いた彼女は、ジークの前に立つ。
「……アンナ。なんで君まで」
「勘違いしないで。ここでコキュートスを自由にさせたら、さらに被害が出る。それだけよ」
「……」
「それと、その……」
リリアのじと目を受け、アンナはばつが悪そうに視線を彷徨わせて、
「……ごめんなさい。悪かったわ」
「……!」
「あなたは悪くないって、私、分かってたの」
アンナは自嘲げに言った。
「……あなたを自分が生きるための言い訳にしようとした。だから……ごめんなさい」
「もういいよ。僕も……嘘ついてたし」
例えあの時アンナが糾弾していなくても、自分が追放された事実は変わらなかっただろう。この街で再会したのは予想外だったけれど、彼女を恨んだことはない。
だからジークはただ笑い、そして震える手を差し出した。
「僕は半魔だ。それでも、二人とも……一緒に、戦ってくれる?」
リリアとアンナは顔を見合わせ、微笑み合う。
「当たり前じゃないですか。嫌だって言われても残りますよ」
「そうよ。あと言っとくけど、あたしのほうが先輩なんだからね!」
じわり、とジークの視界に涙が浮かぶ。
(あぁ、僕、本当に友達が出来たんだ)
こうして誰かと対等に言葉を交わせる日を、どれほど待ちわびただろう。
ジークは唇を噛みしめ、涙を拭い、そして剣を強く握った。
「分かった。じゃあ一緒に戦おう!」
「はい!」
「えぇ!」
ーーそう。それでいいのよ。
天界に座す女神の声が、ジークの脳裏に響いた。
氷樹が破壊されてコキュートスが現れたのは、その時だった。
『フン……小娘どもが増えたところで結果は変わらん。我が氷の前に砕け散ると知れ』
いくつもの氷の結晶が宙に浮かび上がる。
その一つ一つが、鋭く尖った殺傷力のある弾丸だ。
『喰らうがいい……『氷弾乱舞』!』
弾丸が打ち出された。
飛ぶ矢のごとく放たれたそれに、ジークは微笑んだまま動かない。
未来なんて見なくても分かっている。
友が、必ず防いでくれると信じていた。
しゃらん、と錫杖が鳴った。
「《凍てつく氷よ》《吹雪け》《舞い散る花のごとく》『雪月風華』!」
襲い来る氷の弾に、小さな雪の花弁が接触する。
触れた瞬間、花弁は弾の軌道を変え、コキュートスの弾丸はジークたちに一発も当たらなかった。
『……馬鹿なッ!?』
コキュートスは驚愕する。
『あり得ぬ……! 煉獄の神ヴェリヌスの眷属たる我が氷を、受け流すだと……!? 貴様、何者だ』
「異端討滅機構下二級葬送官リリア・ローリンズ。ジークの友達です」
同じ氷の能力を持つもの同士だ。
先ほど割り込んだ氷樹からしても、力は自分のほうに分があるとコキュートスは踏んでいた。
事実、彼女から感じる陽力は自分の魔力の半分にも満たない小さなもの。
そんな矮小な存在に、自らの攻撃を防がれるなど、彼のプライドが許さない。
『ふざ、けるな……! 砕けろ、砕け散れぇぇええ!』
「あたしもいる事、忘れないでよね!」
『……ッ!』
ーーじゅわああッ!
吹雪が、溶ける。
アンナの生み出した聖杖機の炎が、リリアの守備範囲外をカバーする。
『こ、の……ッ』
「どこ見てるの?」
瞬間、コキュートスは戦慄する。
いつの間にか、背後にジークが迫っていたのだ。
(な、にぃ……!? 今の攻防の一瞬で背後に回り込んだというのか!?)
『だが、それでもーー!』
先ほどと同じだ。
ゼロ距離からの高速攻撃。
行動を予測される前に仕掛ければ、対応は造作もない。
コキュートスは氷を生み出す。逃げ場をなくし、戦槌を振り上げるーー
『ヌッ!?』
腕が、動かなかった。
ぎぎぎ、と関節が軋む。まるで関節が凍り付いているかのように。
ーー待て。
ーー待て、氷、氷だと……!?
『また貴様か……小娘ぇぇぇえええええええ!』
「あなたの関節を凍らせました。すぐに動けるようになるでしょうけど、ジークの攻撃には充分です」
『一体いつの間に……あのときか!』
先ほど氷の弾丸をぶつけた時だ。
あの時、リリアは氷の弾を受け流すと同時に、コキュートスの関節に花弁を潜り込ませていたのである。陽力の塊である花弁はリリアの意思に応じて種子となり、来るべき瞬間に花を咲かせるーー!
「今よ!」「今です、ジーク!」
「トニトルス流双剣術……!」
『しまッ』
「『百花繚乱』!」
斬撃のラッシュ。
双剣の手数を活かし、ジークは反撃を与えない剣撃を繰り出す。
二閃、六閃、十閃、
剣を振る腕が重なって見えるほどの猛攻撃……!
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
『こざか、しぃいいいいいいいいいいいいいいいい!』
刹那、怒号。
斬りつけられる身体をいとわず、コキュートスは無理やり突っ込んできた。
だがその未来は見えている。
「こっちだよ」
背後に移動したジークが、剣閃を繰り出す。
すさまじい攻撃の乱舞に視界がふさがれ、コキュートスは戦慄する。
『………………ッ』
(攻撃が、間に合わない……!)
元よりジークの攻撃はコキュートスを追い詰めるほどの威力があった。
先ほどは不意の一撃と高威力の業によって返り討ちにしたが、今はできない。
ジークの背後、錫杖を持ったリリアが援護をしているからだ。
彼女はコキュートスの関節を鈍らせ、氷の弾を防ぎ、ジークの実力が発揮できる舞台を整えている。
さらにリリアの横にいるアンナ。彼女はリリアを守りながら、コキュートスに炎の弾丸を打ち出していた。
「これでも、喰らいなさいーーーーーーーー!」
『……ッ!』
アンナの持つ炎の加護は本来、遠距離支援型だ。
生来の気質とあわせもつ憎しみから近距離での戦闘を好んだ彼女だが、その加護は遠距離において真価を発揮する。先ほどのように奇襲を受け、一人のところを狙われればひとたまりもないがーー。
今、彼女は一人ではない。
『グォオオオオオオオオオオオオ!?』
爆炎が真っ赤な花を咲かせ、斬撃がコキュートスの身体を切り刻む。
蒼い血を吐き出したコキュートスは、邪魔な支援組を潰すことにした。
『これを、喰らえぇええええええええ! 『氷針地獄』!』
ーー轟ッ!
巨大な氷柱が出現する。
不意の事態に反応できない彼女らは腰から上を貫かれ、氷柱と一体のオブジェと化した。
「リリア、アンナ!?」
思わず悲鳴を上げたジーク。
コキュートスはにやりと嗤い、勝利を確信した。
彼女らの体が、ピシ、と音を立てて砕けるまでは。
『……ッ!?』
ジークは目を見開き、そして背後を見る。
そこには、五体満足のリリアたちが立っていた。
(リリア……君はそんなことまで!?)
リリアは等身大の氷の結晶を作り出し、正反対の位置に立つことで光を反射。
自分たちが立っているように見せかけたのだ。
ジークに視界をふさがれたコキュートスには、砕かれた石像が偽物だと気づかなかった。
(こんなことまで出来るなんて……)
ここにきて、リリアの加護は昇華していた。
元々彼女は葬送官の名門、ブリュンゲル家の令嬢である。
身体に宿す陽力はほかの者達に比べて高く、自信のなさと頭の固さが彼女を弱くしていた。
だが、ジークと出会ったことで、リリアは固定観念を捨てた。
陽力を高め、氷を生み出すだけが加護ではないのだと気づかされた。
そして今。
友を守るという純粋な想いが、彼女の能力を引き上げている!
『馬鹿な、馬鹿な馬鹿な! 同じ氷の力なら、我の出力のほうが……!』
「あなたは勘違いしてします。わたしの加護は氷じゃない。冬の神の加護です」
冬は凍らせるだけではない。
春にかけて雪で地面を覆い、生物を冬眠へと誘い、動きを鈍らせる一面を持つ。
いわば『冰華の加護』は氷の力の上位互換。
あらゆる氷は、彼女の前にひれ伏す。
弱点は実戦不足による攻撃力の低さと、リリア自身の近接戦闘能力の低さ。
だが、ジークという前衛がいれば話は変わってくるーー!
「あとは任せましたよ……ジークッ!」
「特大のをぶち込むわよ、ちゃんと決めなさい!」
「うん!」
偽物の氷像を壊した事で生じた一瞬の隙。
相棒が作ってくれた決着の好機を、ジークは逃さない。
「トニトルス流双剣術打突の型一番……ッ!」
左手の剣を水平に置き、右手の剣で十字を作る。
抜刀の型と違うのは、右の剣が突きの形をとっていること。
『しまッーー』
ギリ、と弩の矢を引くように、剣をすべらせ、反動で威力を増幅。
金属同士が生じる火花を聖杖機の放つエーテル粒子が絡めとり、剣が炎を纏う……!
「『焔剣・絶焼』ッ!」
『ぐぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!』
炎の槍の如く、ジークの剣が火を噴いた。
脳天を貫かれたコキュートスは吹っ飛び、自ら作った氷の壁に打ち付けられる。
続けてーー
「消し炭になりなさいーー『灰塵・流星岩!』」
巨大な隕石が、流星の如くコキュートスに衝突する。
恐ろしい衝撃に耐えかねた壁が、音を立てて崩れた。
もうもうと立ち込める戦塵の中から、コキュートスは動き出す。
『まだ、まだだ……我は、こんなところで……!』
「「「死は生への旅立ち。終わりは新たな始まりとならん」」」
『……!?』
祈祷詠唱。
三人が同時に歌う神の言葉に、コキュートスが苦しむ。
普段ならば余裕で耐えられる神の言葉ーー但し魔力が減った今の彼には致命的だ。
『ぐ、ぉぉおああ』
「「「歌え、天の名を。踊れ、呪わしき命運尽き果てる時まで」」」
一歩、また一歩と歩こうとするコキュートス。
その身体が徐々に崩れ、伸ばした手が虚空をつかむ。
『この、我が、こんな、ところ、で』
「「「血は灰に、肉は土に、在るべき場所へ還るがいい」」」
がくり、と膝をつく。
両手を広げたコキュートスが、天を仰ぐ。
身体の中心から光の脈が走り、
「「「哀れな魂に、光あれ」」」
『こんな、小僧どもににぃいいいいいいいいいいいいいいい!』
「「「ターリル!」」」
ーー爆散する。
粉々に砕け散るコキュートス。
戦槌が地面に落ち、光の粒と化した魂が天へと還っていく。
その場を静寂が満たした。
今この瞬間、悪魔たちの視線はない。周りの音は聞こえない。
若き葬送官たちの息遣いだけが、世界に残る全てだった。
息を整えた三人は顔を見合わせ、笑い合う。
ぱぁん! と、勝利のハイタッチが、戦場に響いた。
「すごい、ほんとに倒しちゃった。倒しちゃったよリリア!?」
「えぇ、これでジークは晴れて葬送官です! ですよね? ね?」
ジークとリリアは揃ってアンナに目を向ける。
視線を向けられた彼女は照れくさそうにそっぽを向いて。
「ま、まぁいいんじゃないかしら。や、約束だし? 特別に認めてあげないこともないわ?」
「……アンナさんって、本当に素直じゃないですよね。そんなんだから養成学校時代も友達が居なかったんですよ」
「にゃ、にゃによ!? そういうあんただって同じじゃない!」
「わたしはブリュンゲル家だからって絡んでくる人たちが嫌だから、進んでボッチになってたんです。言わばボッチマスターです。アンナさんとは違うんですぅ」
「つ、追放されたくせに!」
「うぐ、それは言わない約束でしょう!?」
先ほどまで死闘をしていたとは思えない言葉の応酬。
そんな女子二人の様子を眺めていたジークは微笑ましくなって、
「二人とも、仲良いね」
『良くない!』
二人の声がハモった。
仲いいじゃん。とジークは笑う。
アンナとリリアは顔を見合わせ、仕方なさそうに笑った。
「……ま、色々あったけど、その」
改まった空気は、なんだか照れ臭かくて、ジークは鼻を指でこする。
思わず目を逸らしていると、頬を染めたアンナが手を差し出してきた。
「えぇ。これからもよろしくね、ジー
アンナの言葉は途切れた。
彼女の胸から、刃が飛び出していた。
「…………え?」