エピローグ
奇怪な鳴き声が聞こえる山の中を女は歩いていた。
急な斜面が続く山肌は人が踏み入っていないため草木が生い茂っている。
鍛えていない者ではすぐに息が上がってしまいそうだが、その女はあろうことか重厚な甲冑を身につけていた。人魔教団がほこる聖堂騎士の証を背負いながら、女の足取りに迷いはない。
「ここか……!?」
次の瞬間、天を揺るがすような地震が起こった。
違う。地震ではない。これは巨大な足音だ。
どすん、どすん、と足元を揺らされた女は身体を伏せて周囲を確認する。
魔獣や幻獣の気配はない。だとすれば、近い。
「……」
ぎゅっと、女はレイピアの柄を握りしめて立ち上がる。
再び彼女が歩き出した先は地震の発生源だ。
急な斜面をのぼりきり、視界を遮る枝葉をかきわけ、森の広場に出る。
「グルル……」
ばさり、と死の羽音がした。
ばさり、ばさりと、その音を聞くたびに背筋が凍る。
巨大な体躯、爬虫類じみた双眸がぴたりと女を見据える。
それは紅蓮の竜だった。
「女、女か」
もし翼の主がこの身を焼き殺そうと思えば、息もつかぬ間にやられるだろう。
歴戦の戦士である女にそう思わせるほど、その紅き竜は威容を誇っている。
だが、いま女の心を支配していたのは別の感動だった。
「ぁ」
「良い顔をしているな。女。わが首を討ち取りに来たか」
声が震える。
喉がカラカラに乾いていますぐ駆け出したくなる。
叫び出したくなるような衝動を抑えながら、女は言った。
「紅き竜よ。そなたはいかなる理由でここに居るのか」
「知れたこと。喰らうためよ。貴様のような美味そうな匂いを纏う女をな」
グルル、と紅き竜は唾液の滴る牙を見せてくる。
獣臭い息を吐き出しながら顔を近づけた竜に、しかし、女は動じない。
「女なら誰でも良いのか。誇り高き竜とは思えぬ愚劣なやつだ」
「あぁっ? 馬鹿言え。おれには心に決めたやつが……」
ハっ、と竜は顔を顰めた。
ばつが悪そうに目を逸らす竜に、女の表情が崩れる。
「……ずっと、探していた」
竜は顔を顰め、背を向けた。そっけなく告げる。
「竜違いだろう。帰れ」
「違うっ!」
女は竜に詰め寄った。
「私をみくびるな。例えひと時でも愛した亭主の顔を見間違える女と思うかっ!」
「貴様は竜と契りを結ぶというのか。我は人ならざる身ぞ」
「そうだ。私が愛した漢は竜のように勇ましく、真っ直ぐで、勇敢で……誇るべき戦士だった」
竜は苦しそうに唸った。
「……だが、今は人ではない。人にもなれない。それも、何年も姿を消した男だ。お前は人の幸せを歩むべきだろう、オリヴィア」
「それでもっ!」
オリヴィアは竜の身体に抱きついた。
これ以上どこにも行かせぬと、その腕に一層の力を込めて。
「例えどんな姿に成り果てようと、私は貴様が好きだ!」
「……っ」
「会いたかった。ずっと言いたかった」
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で、オリヴィアは叫んだ。
「私と番になれ、オズワン・バルボッサっ!」
竜はーーオズワンは項垂れ、そしてゆっくりとオリヴィアに顔を近づけた。
「……こんなおれで、いいのか? おれは、人の姿に戻れない」
「貴様がいい。貴様じゃなきゃダメなんだ」
「自分がどうしてここに居るのかもわからないのに?」
「そんなのどうでもいい」
オリヴィアは笑った。
「貴様がそばに居てくれるなら、些細なことだ」
◆
ーー中央大陸、某所。
「なぁコイツ、未踏破領域に捨てて行っちまおうぜ」
薄暗い路地裏で小さな子供が泣いていた。
周りを囲んでいるのは同じ学校に通う、十歳前後の子供たちだ。
泣いている子供の肌は蒼白く、その腰からは長い尻尾が生えている。
「やめて、やめてよぉ……なんで、こんなことするの……?」
「未踏破領域じゃなくて、ダンジョンだろ。何年前の話してんだよ。この世に踏破されてねぇ場所なんてねぇぞ」
泣いている子供の言葉を一切無視して「でもまぁ」と悪童は口元を歪める。
「捨てるのはいい案だ。こいつ、気持ち悪いし」
「分かる―。見てて薄気味悪いよね。尻尾も生えてるしさぁ」
「『英雄の祈り』の聖堂騎士が駆けつけてきても面倒だ。さっさと済ませちまおうぜ」
じりじりと包囲を狭める悪童たちに、子供は「ひッ」と悲鳴を上げた。
壁際に追い詰められた子供に逃げ場はない。
彼らによってたかって詰められれば命はないだろう。
子供は涙を鼻水で顔を濡らしながら、懐から七色の石を取り出した。
悪童の一人が目を見開く。
「お前、それっ」
それは子供が父と母に託されたものだった。
二人とも死んで『英雄の祈り』に引き取られる前にもらった遺品だ。
『もしもの時はこれを使いなさい。きっとあの方が助けに来てくれるから』
「もうやだ。助けて。誰でもいいから、助けて……!」
「ま……っ!」
悪童が止める間もなく、七色の石が光を放つ。
子供の願いに応えた魔力が氾濫し、雷が空から降ってきた。
目も眩むような光。雷鳴を響かせて、男が地上に降り立つ。
「助けを求めてきたのは君か?」
背の高い青年だ。その手には水晶色の剣を持っている。
穏やかな眼差しをした男は周りを一瞥し「なるほど」と一瞬で状況を把握。
「どうやら君で間違いなさそうだね」
「ぁ、ぁ……!」
泣いていた子供は涙を引っ込め、彼を見る。
それは御伽噺に出てきた英雄を目の当たりにするような憧れの目だ。
対して、悪童の一人は彼の穏やかな物腰に威勢を取り戻したようで。
「ハっ! 派手な登場の割には優男が出来たもんだぜ。
これがお前の切り札ってか? こんな間抜けそうな男に何ができるってんだ!」
悪童がバッドを振りかざし、
「何年経っても君たちのような人間は現れるもんだね」
「が……っ!?」
その瞬間、悪童は路地裏から百メートル離れた場所に吹き飛んでいた。
無造作に裏拳を振るった男の目は泣いていた子供に向けられている。
「ねぇ、君もそう思わない?」
「あ、ぁ、僕は……っ」
子供が口を開いては閉じて、何かを言おうとする。
仲間をやられて黙っていられなかった悪童が飛びかかろうとして、
「やめろ馬鹿っ! あいつに、あの人に手ぇ出してんじゃねぇよ!!」
「おいジョン、なんで止め……お前、震えてんのか?」
リーダー格の悪童は震え上がっていた。
顔を青褪めさせ、血の気が引いた顔で彼は首を縦に振る。
「震えもするだろ……お前、あれの顔を見たことがねぇのか!?
両親は何を教えてやがった! それでも貴族か!? 歴史の教科書に出てきただろ!」
「ぇ、あ」
理解を得た悪童たちを横目に、リーダー格の子供は一歩後ずさった。
「黒髪に赤い瞳、半端に尖った耳……!あいつは世界の救済者、森の隣人のさらに上に立つ、上古の人々と盟約を結び、魔族の王族とも繋がり、影ながら世界を牛耳る、あらゆる魔の守護者……!」
指差した子供は震えながらに叫んだ。
「『覇王』ジーク・トニトルスだ!! どんな化け物でも敵わねぇよッ!」
「に、逃げろ!」
「うわぁああああああああああああ!ま、待って、置いて行かないでぇええ!!」
悪童たちは悲鳴を上げて去って行く。
その背中を見送ったジークは肩を竦め、振り返った。
蒼白い鱗に尻尾、頭から耳も生えている。悪魔と獣人の間に生まれた子供だろう。
「さて。君には選択肢がある」
「ぇ」
ジークは指を二つ立てた。
「一つはこの場所から離れて遠い最果ての地で暮らす事。君みたいな悪魔……魔族や獣人のハーフも居るし、天使、じゃない。エルフや魔族のハーフもいる。色んな人たちがいる、新しい場所で、新しい人生をスタートさせる道だ。望むなら、僕は君を導こう」
そして二つ目は。
「この場所で、まだ抗うという道。君を受け入れてくれる人は少ない。困難も多い。
それでも、抗う事で手に入れられる者もあると思う。君は、どうしたい?」
「僕は」
少年は口を開いて、閉じて。
そしてジークをまっすぐに見つめて問いかけるのだ。
「僕は、あなたみたいになりたい。弱い人を助けられるような、ヒーローに」
「……それで?」
「だから、あなたの手は取りません。まだ怖いけど……本当に怖いけど。でも、もうちょっとだけ……勇気を出してみようと思います。孤児院に、家族もいるから」
「そっか」
微笑み、ジークは空に浮かび上がった。
「それが君の選択なら受け入れよう。少年。もしもまた耐えきれなくなったら、聖堂騎士を頼りなさい。きっと助けてくれるはずだから」
「あのっ」
どんどん離れていくジークに、少年は叫んだ。
「僕も、あなたみたいになれますか!?」
「なれるよ」
ジークは即答する。
「諦めずに抗い続ければ、いつか、きっと」
そしてジークは姿を消した。
雷を共に消える彼はまるで砂漠の蜃気楼のようだ。
少年は涙を拭き、前を見る。
泣き叫んでいた姿はどこにもなく、その足取りは力強かった。
◆
稲妻が宙を奔り、ジークは森の奥地に着地する。
森の樹々がそよぐ涼やかな音に心を癒されながら、うーん、と伸びをした。
「久しぶりに呼ばれたなぁ。中央大陸はだいぶ落ち着いてるみたいだ」
と、そんなジークの下へ。
「キュォオオオオオオオオオオオオオオ」
「ん? あ、アル!」
ジークを待っていたのか、空から白き竜が飛んできた。
どすん、と着地したアルトノヴァは大きな頭を近づけて来る。
「ただいま。珍しいね。こんな所に来るなんて」
「きゅぉん」
「いやまぁ僕も忙しかったし最近は『奴ら』の動きも少ないから会えなかったけど……。君はもう僕の剣じゃない。竜なんだから、好きに生きていいんだよ」
「キュォ!」
「ん。ありがとね。それで今日は……」
アルトノヴァの羽毛の中から小さな竜が出てきた。
彼によく似た白い翼。黄金色の瞳がジークを見つめる。
「え、もしかしてアルの子供!?」
「キュォオ!」
「そっか。子供を見せに来てくれたんだ」
アルトノヴァは首を振り、ふんす。と鼻を鳴らす。
まだ用があるのか、彼はその場で尻尾を振ってジークを待っている。
「……もしかして、名前を付けてほしいの?」
「キュオ!」
「そっか……うーん。でも、まだ思いつかないや。考えとく。また明日来てもらっていい?」
アルトノヴァは了解した、と言いたげに首を振り、子供と共に去って行く。
最果ての地に住まう守護竜が飛ぶ姿を、ジークは見送った。
「アルが子供か……ほんと、時間が経つのはあっという間だ」
呟き、ジークは森の奥地へ歩き始める。
川を踏み越えた先は森の隣人たちが暮らす、渓谷の都だ。
大きな滝が国の真ん中を流れるこの場所には数千人のエルフが暮らしている。
その隣には元は悪魔だった魔族の住まう地区もあり、森の中は賑わいを見せていた。
「あ、はおーさまだ!」
「はおーさま! こんにちは!」
「こんにちは。あと覇王は止めようね……なんでこんな所にまで広まってるんだか」
エルフの子供に苦笑をこぼしたジーク。
すると、エルフの大人が颯爽と駆けつけ、恐縮そうに頭を下げながら子供を引っ張っていった。入れ替わるように、長衣をまとった赤髪の男が進み出て来る。
「おかえりなさいませ。『覇王』ジーク様。お待ちしておりました」
「ふざけた口調は止めませんか、ソルレシアさん。ていうか覇王って呼び名広めたの貴方でしょ?」
元太陽神であり上古の人々の一人、ソルレシアは悪戯っぽく微笑んだ。
「バレたか。でもカッコよくてよくない? 人間たちも良いセンスしてるよね」
「で、本音は?」
「王様って呼ばせたら頼み事は君に行ってこっちの仕事が減るかと思って」
「そんな事だろうと思った」
頭を抱えたジークは苦笑し、
「何のために最長老がいるんですか。あの人のところに行ってくださいよ」
「ゼレオティール様なら『バカンスに行ってくる』って言って出かけたよ? うちの妻やアウロラも『じいじについていく』って言って行っちゃった。放置された僕の気持ち分かる?」
「あのじじい……」
ジークは拳を握った。
奴が帰ってきたら本棚の裏に隠している秘蔵の酒を取り上げねばと決意した。
「まぁそんな事よりさ。サタナーンが呼んでたから、後で行ってやってよ。
『私にエリージアの代役をやらせるなんて何を考えてるのかしら! かしら!』って悲鳴を上げてたよ」
「いつもの事なので行きません。ソルレシアさんがサポートしてください。魔族の女王の夫でしょう?」
「んー。身体が足りないんだよなぁ……デオウルスがいてくれたらよかったんだけど」
ソルレシアの寂しげな呟きに、ジークは眉を下げた。
「死んでしまったんだから仕方ありません。あれから十年経ったんです。なんとかしてください」
「ん。分かってるよ。テュールに手伝ってもらうかぁ」
「あと最長老には帰ったらお仕置きだと伝えてください」
「それ僕が言うの!?」
悲鳴を上げるソルレシアを横目にジークはさらに街の奥へ歩いて行く。
渓谷に建設された都市の家は石造りであったり巨樹のなかを掘られていたりと様々だ。川のせせらぎが心地よく響き、太陽の光が人々を照らし出している。
待ちゆく人々はジークを見た途端に頭を下げ、会釈をしていた。
いつもの事なので頷きながら家路につき、渓谷の奥地にある小さな家に帰還する。
庭先には色とりどりの花々が咲き誇っており、バタン!と玄関が開かれた。
「とーたま! おかーり!」
飛び出してきたのは一人の少女だ。
星のような銀髪を揺らす彼女はジークの胸に飛び込んだ。
「おっとと」とジークは少女を受け止めながら、
「ただいま、アンナ。いい子にしてた?」
「うん! あのね、あのね、きょーはもりでひみつきちつくってたの!」
「ひみつきち……? とーさんにも秘密なの?」
「えっとね」
アンナはジークの耳元に口を寄せ、小声でささやく。
「かあたまにアスちゃんにもないしょなんだけどね。とーたまなら、いいよ」
えへへ。とアンナは笑う。
その愛らしい顔に胸の中がポカポカして、ジークは娘の身体を持ち上げた。
「わー! とーたま! たかいたかい!」
「アンナはいい子だなー! ほんともう最高に可愛い! 僕の娘最高!」
「きゃはははは! たかいたかーい!」
じゃれ合う父娘の様子に、家の中から再び女が出てきた。
白百合のような髪を揺らす、優しげな顔立ちをした女性だ。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま。リリア」
ちゅ、と二人は軽い口づけを交わした。
アンナを降ろしたジークにリリアが微笑み、
「中央大陸の様子はどうでした?」
「ん。まぁまぁかな。いつも通りな感じ」
「そうですか」
「かあさま! アンナ、おなかすいた!」
「はいはい。もうすぐご飯が出来ますからね。今日はアスティの料理ですよ」
「えっ」
言われてみれば家の中から美味しそうな匂いが漂ってくる。
けれどアンナは表情を曇らせ、お腹をさすりながらジークの後ろに隠れた。
「あのね、アンナ。やっぱりおなかすいてないの」
「あはは……アンナ。気持ちは分かりますが……」
「ちょっとリリア、気持ちは分かるってどういうことっ?」
がたん、と音がして、駆け寄ってきたのはお玉を持った黒髪の女性だ。
エプロン姿の似合う女性は柳眉を吊り上げている。
「私だって練習したんだから。今度は大丈夫よ!」
「アスちゃん、このまえもそういってたよ?」
「こ、この前はこの前だもの。大丈夫……よね?」
「大丈夫だよ」
不安そうにちらちらとこちらを見る女性ーーアステシアにジークは頬を緩める。
ただいま。おかえり。と口づけを交わして、ジークは言った。
「アスティの手料理ならどんなゲテモノでも美味しいよ」
「ジーク……」
ぽ、と頬を赤く染めるアステシアだが、
「あの、アスティ。それ、褒められてませんよ?」
「ジーク!?」
「あはは。冗談だよ」
「アスちゃんかおまっか! げきおこだー!」
三人が顔を見合わせて笑うと、アステシアはぷりぷりと怒って、
「もうっ! いじわるなジークにはピーマンをたっぷり乗せてあげるんだからっ!」
「それはやめて!?」
「そんな事よりジーク。今夜の会議忘れてませんよね? 大事な集まりなんですから行かなきゃだめですよ」
「あ、うん。分かってる……ねぇアスティ。考え直さない?」
「いやですー。私、もう怒っちゃんだんだから」
「とーたま。アンナもぴーまん食べれるよ? 一緒に食べよ?」
「何を言ってるの僕も食べられるに決まってるじゃないかあはは……ハァ」
ジークは肩を落とした。
娘の前ではカッコつけずにはいられない父であった。
夫の姿に留飲を下げたアステシアがお腹をさすりながら微笑む。
「この子のためにも、しっかりしてね。ジーク」
「……ん。分かってる」
「とーたま、なんのはなし? アンナにもおしえて?」
「君に弟妹が出来るかもしれないって話だよ」
「ほんと!? わーーーい!」
アンナは飛び上がって喜び、
「なまえ! なまえはきまってるの?」
「うん」
ジークは二人の妻と顔を見合わせ、笑った。
「男の子なら、ルプス。女の子ならティアだよ」
◆
ーー中央大陸西部。人魔連合首都ルナエテラ。
ーー旧異端討滅機構跡地、会議室。
ぎぃ、と立て付けの悪いドアを開け、ジークはアステシアと共に部屋の中へ入った。
円卓が置かれたそこには、見知った者達が居並んでいる。
「遅いぞ。ジーク・トニトルス」
眼鏡をかけた隻眼の智将が苦言を呈した。
時計を見た彼はため息を吐き、
「五分の遅刻だ。私がどれだけ忙しいと思っている」
「すいません。アンナが中々寝付かなくて。これでも急いできたんです。
それに、アレクさんが忙しい分、事務のお仕事手伝ってあげてるじゃないですか」
(まぁ、全部ソルレシアさんに回してるけど)
隻眼の智将ーーアレクサンダー・カルベローニはため息を重ねる。
彼は今、生き残った人類を率いる総帥という立場にいる。
人と魔の間で起こる様々ないさかいに頭を痛めているようでよく相談を受けていた。
と、いつものやり取りを交わす二人の傍らーー
「ジィ―――ク殿ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「うぉ」
がた、と席を立った着流しの武人が飛び出してきた。
勢いよく飛びついてきたむさくるしい男の抱擁を、ジークは苦笑しながら受け止める。
「ヤタロウ。久しぶりだね。なんか老けた?」
「開口一番それでござるか!?」
がーんとヤタロウはショックを受け、
「上古の人々と同質の存在であるジーク殿はそれ以上年を取らないかもしれませんが、拙者は普通の人間なので普通に年は取りますぞ! あれから十年も経ったのですから」
「あれから十年も経ったのですから、少しは落ち着いてほしいものですわ」
やんわりとお小言を呈したのは見目麗しい竜人の女性だ。
蒼い髪をふわりと揺らし、彼女はハァ、と首を横に振って、
「仮にも人魔保護団体『英雄の祈り』を束ねる教皇。叡智の都をおさめる長でもあるのですから。いい年した男が若い男に抱き着くのは止めてくださいませ。ファナが『色々とはかどりますぅ!』とはしゃぎますわよ」
「ううむ。別に拙者はそういうつもりではないのでござるが……」
「あなたにそのつもりはなくても周りはそうは思いません。しっかりなさい。大体あなたは……」
尻尾を振り振りと動かして怒りを表明するカレン。
しゅんと肩を落とすヤタロウの右腕は義腕だ。あの戦争で右腕を落としたらしい。
そんな彼を支えるべく、カレンはヤタロウの右腕としてその辣腕を振るっている。
「アレクサンダー。あの二人は?」
ジークの後ろから入って来たアステシアの問いに、アレクは首を振った。
「いや、今年もまだだ」
「まだですか……」
((早く子供作っちゃえばいいのに……))
全く同じ事を思うジークとアステシアは顔を見合わせる。
頷き合う二人は今度何か企画して二人の背中を押してやろうと目で会話した。
ジークはヤタロウから視線を外し、会議室を見る。
「うーん。今日も空席が目立つ……獣王国は?」
「ラークエスタ殿は投影通信で参加するそうだ。『中央大陸は遠いです』と言っていた」
「……まぁ参加するなら良いです」
そうだ、とジークはヤタロウを見て、
「獣王国と言えば、オリヴィアさんはどんな感じ? ちゃんと元気にしてるの?」
「『英雄の祈り』の聖堂騎士として活躍しておられますよ。相変わらず、各地を転々としてござるが」
英雄の祈りはかつてジークが潰した悪魔教団を母体とした組織だ。
あの戦争のあとヤタロウが教皇となり、大陸に残った魔を由来とする者たちの保護と支援を目的としている。ジークもかつての自分と似た境遇の者を助けるべく、積極的に顔を出している組織である。
「……彼は、見つかりそうなの?」
「それは何とも。赤き竜の目撃情報は無数にありますし、どんな姿かもわかりませんから」
「……そっか」
こればかりはジークが口を出すことは出来ない。
目撃情報があれば提供はしているが……。
万が一『彼』が居たとして、最初に再会するのは彼女の役目だと思うから。
「で、トリスさんとイリミアスさんは?」
「いつものあれだ」
「いつものあれですか……しょうがないですね」
世界に名だたる鍛冶師として名を馳せている二人である。
その実体はただの鍛冶馬鹿だが、今も『至高の武具』を求めて研鑽を重ねているらしい。ともあれ、あの二人の発明は人魔問わず暮らしを豊かにしているので何も言えない。
「あ、ちなみにリリアはアンナを見てるので欠席です」
「見れば分かる。健やかに育っているようで何よりだ」
ジークとアステシアは七つの席のうち二つに座る。
他の面々も席に着いた上で、ジークは問いを投げた。
「人類の様子はどうですか? 僕が見た限りいつも通りな感じでしたが」
「戦争の傷跡からは徐々に回復しつつあるな。人口が増えているのも要因だろう。
まぁその分トラブルは絶えないし、ファナ・フリントの妙な春画が流行っているが……概ねいつも通りだ」
トニトルス小隊で唯一生き残ったのがファナだった。
彼女は今、小隊員たちの生きざまを描く小説を書いて生活している。
その傍ら、男同士のあれこれを描く作家として界隈では有名になりつつあるのだとか。
「イズナさんは?」
「相変わらずアイドルとやらに夢中だ。もう異端討滅機構の指示もない。好きなようにやっているぞ」
「そうですか」
それで、とアレクが眼鏡をはずした。
本題に入る前の動作だ。鋭い目をした彼がジークを見据える。
「貴様の方はどうなのだ。それがこの会議の主題だろう」
「ん。最近は落ち着いてきましたね。少なくともアゼルクスのような奴は居ないです」
「ならいいが」
ほっと、その場の空気が弛緩した。
無理もない、とジークは思った。
あの戦争の直後、混沌の王アゼルクスの後釜を狙おうと外なる神々が慌ただしく動いていた。この世界をつけ狙う侵略者はアゼルクスだけではなかったのだ。
むしろ彼が周りを抑えていたらしく、抑えが居なくなった途端に外なる神々が活発化した。
「何とかなったから良いですけどね」
この世界にとって不幸だったのは外世界の神々の存在を知らなかったこと。
この世界にとって幸いだったのは混沌の王が外なる神の中でも強大だったことだ。
アゼルクスを退けたジークにとって外なる神々を相手にするのは随分楽だった。
この会議の目的は外世界の神々に対してどう対処するか、そして外なる神々がどういう動きをしているか話し合う定例会だが、今は各自の状況を報告する飲み会のようになっている。
「最も、僕が力を発揮できるのは外なる神々や世界の危機に対してだけです。そういう風に僕は自分の身体を創り直した。だから、内部からの攪乱者には弱いので……」
「逐次監視を続ける……と。分かっている。それが貴様に守護者の任を課している我らの役目だ」
レフィーネのような存在が入ってこないとも限らない。
ジークの方で外世界の動向は監視しているが、四六時中見ているわけではないのだ。
今日のように呼び出される事もある。
新世界となってからも割とせわしなく働いているジークであった。
「まぁ最近は戦っているばかりじゃないですし、同盟者も出来たんですよ。外世界の神々には話の分かる奴もいて……まぁ、好戦的な奴もいるんですけど」
「ジーク殿なら問題ないでしょう?」
「めんどくさいのが多いけどね」
ヤタロウの言葉に肩を竦めると。カレンがくすりと笑みをこぼす。
「そう言いつつも、楽しそうですよ、ジーク様?」
「そうかな……そうかも。悪魔やメネスを相手にするよりすごい気楽だしね」
それに、最愛の妻たちと娘のいる生活だ。
毎日が飛ぶ鳥のような速さで過ぎていく。
ジークは続けて、
「もう半ば始まってるけど、会議を始めましょうか。獣王国を呼び出してください。
今回の議題はこの前発生した中央大陸における種族間の抗争について……」
こんこん、とノックの音が響いた。
その場の誰もが振り返る。見れば、会議室の入り口にエルフの女性が立っていた。
ソルレシアの所で仕えている女性だ。
「お話中失礼します。覇王様。最果ての地であなたを訪ねている者がおりまして……」
「覇王は止めて。悪いけど、後にしてくれる? 今、大事な会議の最中で……」
「それが、ソルレシア様の方でも手に負えないくらい力を持った少女でして。
『早く来てよ、ジーク。君の身内だろ』と我が主がぼやいております。いかがいたしましょう?」
「身内……?」
脳裏に電撃が走った。
がたん、と椅子を蹴倒して立ち上がったジークは震える声で問いかける。
「あの、ちなみにその子の名前は」
「『ローズ』と名乗っております。『ダーリンに会わせないなら暴れてやる』と息巻いて……ちょ、覇王様!?」
話の途中でジークは駆けだした。アレクが慌てて、
「ジーク、どこに行く! 会議はどうするのだ!?」
「悪いけど、今日は欠席で! アスティ。あとはよろしく!」
全てを察したアステシアは微笑んだ。
「えぇ。安心していってらっしゃい。みんなで待ってるから」
「ジーク殿、戻ってきたら是非紹介を! 宴会の手配はしておきます!」
「うん、よろしくヤタロウ!」
駆けだしたジークは振り返り、
「またね、みんな!」
あっという間に飛び出したジークに周りの面々は仕方なさそうに顔を見合わせる。
アレクも既に察したのか、眼鏡をくい、と上げて立ち上がった。
「奴がいないなら私も失礼する。既に情報共有は済んだからな」
それに、と彼は呟き、
「どうせまた騒がしくなるのだろう。スケジュールを調整せねば」
「悪いけどお願いね、アレク」
「いえ。ローリンズ殿とお子様によろしくお伝えください。アステシア殿」
では。とアレクは退室していった。
残ったのはヤタロウやアステシア、カレンといったジークにとって身近な者達だ。
カレンは分かり切ったことを確かめるように、
「ローズと名乗ったという事は、そういう事でいいのですか?」
「恐らくは。ローズだけならまだしも……ダーリンとまで言っていたらね」
「ですわよねっ! ふふ。彼女らしい言葉遣いです」
カレンが声を弾ませて笑った。
ヤタロウも嬉しそうに頷き、
「彼女が現れたという事は……彼も、見つかるかもしれませんね」
ヤタロウは彼女の帰還と同時に希望を見出したカレンを横目に見る。
顔に隠しきれない思いが滲んでいる彼女を見ていると、自分も嬉しい。
「確証がなかったからジークも言わなかったけど、実は人語を話す竜が見つかっているわ。いまオリヴィアが向かってる。後は彼女次第ね……もしかしたら、近いうちに連絡があるかもよ?」
「そうですか……いや、大変良かった。めでとうござるな」
ヤタロウは丸眼鏡を外し、そっと涙を拭った。
「ファナ殿も喜ぶでしょう。ジーク殿はただでさえ外なる神に対処しているというのに、さらに忙しくなりそうです」
「えぇ。そういえばヤタロウ。あなた、ジークが外なる神の同盟者から何て呼ばれてるのか聞いた?」
「聞きました。これも因果の導きでしょうか。もはやこの世界にそれは居ないというのに」
アステシアとヤタロウのやり取りにカレンが首を傾げた。
「わたくしは聞いていませんわよ。どう呼ばれていますの?」
「言っておりませんでしたか。なに、カレン殿も知っている名でござるよ」
曰く、それは神々の天敵にして雷霆を纏う絶対者。
曰く、それは混沌の王を打倒した世界の守護者である。
ヤタロウは口元を緩め、ゆっくりと口を開いた。
「その名はーー」
『完』
ご愛読ありがとうございました。
ここまで続けられたのは読者さんたちのおかげです。
よく完結させた、頑張ったな! と思う方は、評価お願いします!!!




