最終話 世界の終焉
「これで、終わりか……」
誰もいなくなった世界の深淵で呟きながら、ジークは後ろを振り返った。
もはやアステシア達の声も聞こえない。けれどその想念が自分を形作っているのが分かる。神となる感覚はこういうものなのかとジークは唸った。
「まぁ、僕はもう死んでいるんだけども」
言いながら、ジークは世界の核に手を伸ばす。
ぴた、と光の玉に触れて、彼は呼びかけた。
「ねぇ。聞いているんでしょう。ゼレオティール様」
その瞬間、光の玉から白髪の老人が出てきた。
がん、と杖を突いた老人ーー創造神ゼレオティールは頬を緩める。
「気付いていたのか、ジーク」
「アゼルクスが死んだ時点であなたは復活していた。
それでも出てこなかったのは、僕とメネスの戦いを見届けるためーーでしょう?」
「さよう」
「メネスが六千年前に戻そうとして居たら、どうしていたんですか?」
「その時は、彼の選択を受け入れたじゃろう。それが人の子を弄んだ儂に出来る唯一の贖いじゃ」
「そうですか」
ジークは淡々と頷いた。
怒る気は沸かなかった。ゼレオティールはそう言うだろうと思ったから。
「あなたが復活した時点で、もう世界の白紙化は止まってるんですよね?」
「あぁ。そうじゃな。お主のおかげじゃ。お主と、お主を支えた全ての者達のな」
「僕は、どうなるんですか?」
人々の願いという信仰が今のジークを形作っているとはいえ、それは世界の守護者であるが故だ。世界の白紙化が止まった以上、もはや世界を守る必要はどこにもない。アゼルクスは死に、冥王メネスは輪廻の彼方に旅立った。いま、世界を脅かす者はどこにも居ないのだ。
おのれの透き通った身体を見通すジークに対し、ゼレオティールは穏やかな顔で微笑んだ。
「それはお主が決める事じゃ。ジーク」
ジークは目を見開いた。
「……まだ、間に合うんですか?」
「お主が気付いている事が正解ならば」
「なら、間に合いますね」
「確信があるのかの?」
「はい。だって、この命は両親と、みんながくれたものだから」
透明な胸に手を当てるジークにアルトノヴァがすり寄ってくる。
相棒の頭を撫でながら「それに」とジークは顔を見上げた。
「あなたを信じているからです。ゼレオティール様」
「ほう。人類を神々の糧にしようとした儂をか?」
「はい。正確に言えば、あなたの力を。あなたは創造神だから」
ニコ、と微笑む。
「天威の加護第三の力『世界の終焉』。あれはこの世界の全てを終わらせる力を持っている。でも、世界を創ったゼレオティール様の力が、ただ終わらせるだけのものな筈がない」
エリージアも言っていたことだ。
外なる神アゼルクスは世界を白紙化して自分の世界を創ろうとした。
創造の後には破壊があり、破壊の後には創造がある。
「僕は僕の身体を、創り直せる」
にぃ、とゼレオティールは口元を吊り上げた。
「その通り。世界は今、お主の手のひらの上じゃ」
「じゃあ」
「英雄になれ。ジーク・トニトルス」
だん、とゼレオティールは杖を突いた。
その瞬間、白一色だった世界の深淵がまたたくまに宇宙へと変わり、無限の星々が息づき始める。
「戦い続ける人生は終わりを告げ、今、お主の幸せを掴む時が来たのじゃ」
ゼレオティールは手を掲げた。その手に光の玉が弾けては消える。
「そのために力を与えた。あらゆる敵を滅ぼし、襲い来る厄災を退け、大切な誰かを守る、我が天威の加護を。お主は力を得た。儂が分割した神々の力を」
世界を創った老爺は穏やかな顔で告げるのだ。
「お主はやり遂げた。迫害に負けず暴力の海に呑まれる事もなく、外なる神を退けた。だからこそ資格がある。嫌いなものを排除し、お主だけの理想郷を作り上げ、穏やかな世界を創る資格が」
だから、さぁ。
「英雄になれ。悪を排除し、正義を示す男となれ。ジーク」
「ごめんなさい」
創造神は「ほう」と眉を顰めた。
まさか断られるとは思わなかったのだろう。
「なぜだ。理想郷が欲しくはないのか?」
「欲しくない言えば嘘になりますけど……要りません」
「お主だけの世界を創れるのじゃ。神となり、あらゆるものを意のままに出来るのじゃぞ?」
「だってそんなの、つまらないじゃないですか」
ジークは耳に手を当てる。
その耳は鋭く尖っていた。瞳は血のように赤い。
ルプスとセレスの生まれた証を確かめ、ジークは穏やかに微笑んだ。
「思い通りにならないから、上手くいかないから僕たち人間は努力をする。
時にはみんなと協力して苦しい事をやり遂げる。その過程があるから楽しいんです」
「嫌いな者がいてもいいのか? お主を化け物呼ばわりする輩が現れるやもしれぬ」
「それも人間です。悪い人がいない世界なんて、気持ち悪いだけだ」
最近になるまで、ジークは人間が嫌いだった。
自分を蔑み、石を投げ、騙し、自分の事しか考えない人間が大嫌いだった。
「でも、それだけじゃないって知ってしまったから」
みすぼらしい姿の自分を、暖かな心で受け入れてくれたテレサが居た。
ひとりぼっちなジークを、半魔として受け入れてくれたリリアが居た。
最初は敵対していたけど後に助け合うようになったオリヴィアが居た。
オズワンやヤタロウやカレン、トニトルス小隊のみんなや、ルージュが自分を支えてくれた。
「嫌いな人が居てもいい。僕が育んだ絆は、その人たちが居なければ生まれなかった」
ずっと普通の暮らしがしたかった。
今も、そうしたい。
けれど、それは誰かを排除して得られるようなものじゃないと思うのだ。
ありのままの自分を受け入れてくれる誰かが居れば、きっとどんな理不尽も乗り越えられるから。
「ならばどうする? お主は神として、この世界をどうしたい?」
「この世界に神なんて要らない」
超常的な存在も絶対者も必要ない。
世界は、人の願いが作っていくものだから。
「全ての命があるべきまま、世界を生まれ変わらせます」
「それで世界が良くなるのか? 嫌なことが続くばかりかもしれぬ」
ジークは微笑んだ。
両手を広げて、自分の後ろを支える、数多の人々を指し示す。
「嫌なことがあっても、みんなが居れば乗り越えていけるから!」
ニィ、とゼレオティールは笑った。
カッ、と杖を打ち鳴らし、託宣を告げる。
「よくぞそこに辿り着いた。ジーク・トニトルス!」
世界の核が七色の光を放ち、ジークは一歩踏み出した。
ゼレオティールはジークへの道を開けながら未来を往く人に祝福を与える。
「艱難辛苦を乗り越えた人の子よ。神の問いによくぞ打ち勝った!」
世界の核に触れると、この世のあらゆる情報がジークの中に流れ込んでくる。
光が氾濫し、世界があらゆる色に染まり、始まりの樹の大樹が根を伸ばす。
「お主は答えを得た。人が生きる道の一つをその身で示した。
往くがいい。おのれの望む世界に。そして持っていけ。我が力の全てを!」
世界の深淵が扉を開き、今、世界が創造の時を迎えるーー。
◆
世界は混沌に満ちていた。
あらゆる生命が混沌に還り、魂が一体化した世界。
人も獣も植物も大地も何もかもが呑み込まれた無の世界だった。
(ここは……)
自分はどうなったのだろうと、あらゆる魂が疑問を抱いた。
それに応じるように、ひたりと、静かな足音が響いた。
その途端、世界に大地が生まれ、あらゆる魂は光の粒となって浮かんでいた。
【みんな、ありがとう】
声だ。声が聞こえた。
そして涙が落ちて来る。波紋は世界の全てに広がり、海となった。
【……ここはちょっと、狭いね】
その瞬間、世界に空が現れ、宇宙が出来た。
声が聞こえる。
あらゆる魂のうち三つが明滅し、一つは輪廻の彼方へ飛んでいく。
そしてそのうちの二つが宙を見上げ、そこに守護神を見た。
「ぁ」
魂は産声を上げ、人の形を取り戻す。
やがてあらゆる魂が守護神を見て人の形を思い出し、大地に人々が生まれ始めた。
風が流れ始め、晴天が人々を包み込む。
聖なる地カルナックがそこにあった。
「これは……世界が、元に……?」
呟き、女はーーアステシアはおのれの身体を確かめて目を見開く。
身体の内から湧き上がってきていた神核の囁きが消えている。権能もまた。
その耳は鋭く伸びていた。身の内にある魔力はそのままだが、どうしようもなく違っている。
「ジークと同じ……これっ」
アステシアは顔を上げ、困惑する神々をーー神々だったものを見る。
エリージアやアウロラが顔を見合わせ、そして、アステシアは一人の人間を見た。
「リリアっ!」
「アステシア様……アウロラ様!」
白髪を揺らすリリア・ローリンズが笑顔で駆け寄ってきた。
再会を喜ぶ彼女らを知ってか知らずか、声は続いた。
【人の子よ】
アステシアは顔を上げた。白き竜の背中に乗る、愛しい婚約者がそこにいた。
ジーク。とリリアとアステシアは同時に呟き、周りの者達も彼に気付く。
彼らだけではない。世界中のあちこちでジークが姿を現し、世界に語り掛けていた。
【世界は生まれ変わり、神々の時代は終わりを告げた】
権能が消えている。神々を構成していた神核もまた。
アステシアは悟る。彼は神々の自我を魂の形に閉じ込め、創り直したのだと。
【人の子よ】
ジークは再び呼びかける。
この世ならざる神の御姿。最後の神は穏やかな声で告げるのだ。
【人の子よ。生きよ】
その瞬間、アステシアの前に船が生まれた。
彼女だけではなく、神々や天使、悪魔であった者達も同じようにだ。
「これは……!」
【魔を由来する者達。付いておいで。残りたい者は残ればいい】
アステシアやリリアは迷わず船に乗り込んだ。
けれど誰もが彼女らのように従ったわけではない。
悪魔の一人は人間の家族の下で肩を寄せ合った。
戦場を生きる悪魔は困惑げに周りを見渡し、孤独を選んだ。
神々の一人がおのれを信仰していた人々の下へ。
少なくない数の者が大地に残った。ジークは頬を緩めた。
【それが君たちの選択ならば、尊重しよう】
でも、と。ジークが手を掲げる。
その瞬間、大地に残った悪魔や神々や天使や獣人ーー
魔を由来とする者達の手元に石が生まれた。
七色の石だ。その中には守護神の権能が込められている。
【忘れないで。あなたは一人じゃない。どうしても耐えられなくなればその石を使いなさい。きっと誰かが駆けつけてくれる。その時こそ、私はあなたを最果ての地に導こう】
世界中の人々に語り掛ける言葉に誰もが耳を傾けていた。
誰もが分かっていたのだ。
きっとこれは、世界創世の言葉であると。
【さぁ、共に行こう】
アステシアやリリアが顔を見合わせ、微笑み、彼女らを乗せた船がジークの下へ飛んでいく。ヤタロウやカレンはその場に残り、互いの肩を抱き寄せながらジークを見上げていた。きっと共には行けない。けれど目が合った。また会えると彼らは信じている。
【人と魔が交わるのは、まだ早い】
地上から浮かび上がった幾万の船が星々の如く煌めき、空を飛ぶ。
まるで空を奔る流星群だ。
大地を生きる人々は空を奔る光に祈りを捧げ、願いを託す。
それはさながら、空に生まれた金色の野原のようで。
「『白き翼をしたがえ、金色の野を原初の使徒がかけゆく……』」
アステシアはアルトノヴァに乗るジークの背中を見つめながら、涙を流した。
「あぁ。メルヴィオ。あなたはこの未来を視た? 破滅と救済を同時にもたらす、あの子の姿を……」
このまま人と魔が共に生きる事は出来ない。
戦争の禍根が残る今、間違いなく世界の主導権を賭けた戦いになるだろう。
人も悪魔も獣人の天使も神々も。全てを救うため、ジークは彼らを導くのだ。
それは人々を楽園の地へ導く、最果ての方舟。
【人と魔が共に暮らせる、その時に。いつか、またーー】
星々のきらめきは、彼方へ去って行くーー。
次回、エピローグ。




