第三十話 宿命の戦い
冥界での戦いは児戯だったと、誰かが言っていた。
冥王メネスの恐ろしさはあんなものではないと。
そうだろうなと思う事もあったし、そうではないと反発する事もあった。
あの時、彼も自分も全力でぶつかり合い、そして自分は生き残ったのだ。
あれからたくさんの修羅場を乗り越えて強くなった。
さらに七つの加護を得た今、自分と彼は同格の強さに在るのだと思っていた。
甘かった。
「…………っ、まだ、こんな力がッ」
甲高い金属音を響かせ、二人は互いの位置を入れ替えながら戦っている。
神々ですら目で追いつけない、武神との戦いを彷彿させる速さの極致がそこにある。
だが、武神に勝ったジークをして言える事がある。
ーー今のメネスはラディンギルよりも強いと。
「このッ」
「甘い」
死角から放ったはずの雷撃がメネスのマントに吸収され、倍返しの斬撃となって襲い掛かってくる。黒き斬撃にかすり傷でも喰らえば身体の感覚が鈍重になり、知覚が引き延ばされてしまうだろう。外なる神アゼルクスとの戦いでも使った時の神クロスディアの権能だ。
(どんだけ強いんだよ。この人……!)
希少な加護だけではない。
基礎的な魔力操作能力とあり得ないほどの魔力操作能力に加え、
四つの加護を組み合わせた応用力はジークを遥かに凌駕している。
あのアイリス・クロックノートを驚愕せしめたジークをだ。
(戦うのも嫌になるな……!)
自分と戦ってきた者達もこんな気持ちだったのだろうかとジークは考える。
どれだけ攻撃を放とうと無意味化され、取ったと思った一撃は吸収されて終わる。
雷撃を放てば放つだけメネスの力になるのだから、魔力による攻撃は逆効果だ。
一撃でそれを理解したジークはアルトノヴァの権能を守る事に特化する。
武神と共に培った剣技で対応するジークだが、メネスの剣は早さを超越している。
極め付けはそして時を操る加護だ。
「時よ」
ーー来る。
引き延ばされる思考。
加速の予感。
突きの姿勢をとったメネスにジークは身構えた。
視線、筋肉の動き、あらゆる可能性を先視の加護で補足する。
これまでどんな怪物の動きも捉えてきた魔眼だ。
アゼルクスすら置き去りにした雷と太陽神の加護で絶対に避けてやると決意する。
しかし、時の神とのジークの相性は最悪の一言だった。
「停滞せよ」
「………………っ!!」
(加速じゃ、ないのか……!)
魔眼に映る未来が見えている。見えているのに動けない。
動けと心で命じて身体が動き出すための時間がどうしようもなく遅い。
腕や足、肩、身体の部位ごとにズラされている時間が違うのだ。
これでは加護だけが空回りして、陽力を消費するばかり。
「言ったはずだ。私の前に立ちふさがるなら、貴様であろうと殺すと」
黒き刃がおのれを胸を貫く、その寸前、ジークの身体に岩塊が直撃した。
「…………っ、あぶ、なかったぁ……!」
衝撃に任せて斜め後ろに飛んだジークは呼吸を取り戻す。
回避に失敗する可能性を踏まえ、あらかじめ地母神の加護を使っていたことが幸いした。
もしもあの黒い刃に貫かれていればオルクトヴィアスの加護が発動していたはずだ。
「……さすがは私に並び立つ英雄。そう簡単には行かぬか」
ボロ、とメネスの指がもげた。
剣を持つ力が弱まり、彼はマントをちぎって手指を固定する。
「……お前、身体が」
「……ふん」
外なる神アゼルクス打倒に命を懸けていたのはジークだけではないのだ。
使徒化の同時発動という常識外れの事をしたメネスは既に限界を迎えている。
今の彼は残りカスを全力で絞り出しているのに等しい。
「だがそれは、貴様も同じだろう」
「……っ」
ボロり、とジークは足を動かす。
靴の中でかけてしまった足の小指。踏ん張りが弱まったことをすぐに気付かれた。
(第三の力の反動……メネスと戦うことで身体の崩壊が早くなってる)
アゼルクスに匹敵する怪物と戦っているのだから、ある意味当然だ。
これ以上身体を酷使すれば……いや、酷使しなくても、ジークは死ぬ。
きっとこれは身体が崩壊する前にどちらが早く相手を倒せるかの戦いでーー
だから、ジークは無言で剣を構えた。
身体が崩壊しようともおのれを止める意思表示に、冥王は皮肉げに笑う。
「そこまでして世界を守りたいか。あの世界に守る価値があるのか?」
「あるに決まって……」
「貴様が守りたいと思う者はそうだろう。なら、他の者達は?」
「は?」
「貴様が見知らぬ老若男女全ての者達。その他大勢の為に命を張れるのかと聞いている」
爆発的な速度で踏み込み、メネスはジークの懐に潜り込んでいた。
袈裟切りに応じたジークの剣が、凄まじい衝撃波を生む。
ギリギリと、鍔迫り合いの向こうでメネスの紅瞳がぎらついた。
「よしんば貴様が勝ったとしよう。世界をあるべき姿に戻したとしよう。それでどうなる? 繰り返すだけだ。権力者がのさばり、罪なき者を虐げ、理不尽が繰り返されるだけだ」
ガキンッ!と剣を弾き、メネスは間合いに踏み込んだ。
続けて繰り出される斬撃を捌いていくジークは剣の重さに眉を顰めた。
(重い……!)
少しでも魔力の消耗をおさめるため、神々の加護を使っていない。
にもかかわらず剣の重さは増すばかり。その鋭さには美しさすら感じる。
その剣技の美しさは、彼が愛する人を守るために培った研鑽そのもので。
「思い出せ。貴様は元老院に何をされた!?」
「……っ」
「半魔だからと貴様を蔑んできた者達を忘れるな。心の傷を思い出で塗り固めても、受けた傷が癒えることは決してない! そうだろう、ジーク!」
「だから戦う意味がないって? あなたに抵抗せずに殺されろっていうのか!」
「生まれ変わらせてやろう」
冥王メネスは言葉の刃を以てジークを崩しにかかる。
「貴様と貴様の大切な者達、両親や死んだ全ての者達の魂を探し出し、六千年前に生まれ変わらせる。もしあの時代に生きているなら今世の記憶を思い出させてやる。私が支配する世界だ。迫害もなく、不等に虐げられることもない。これでも戦うのか!?」
ジークは見知らぬ誰かのためにアゼルクスと戦ったわけではない。
ただリリアを救いたくて、自分の大切な人たちを救いたくて戦ったとメネスは知っている。だから、自分たちが助かるなら他の者達はどうでもいいだろうと彼は語り掛けて来る。
右腕がもげた。
「……っ、アルトノヴァっ!!」
喪った右腕の代わりに肩に剣を突き刺し、ジークは反撃する。
だが、先ほどと比べて剣の冴えは数段劣る形だ。メネスの猛攻が激しくなる。
メネスの足がもげた。
「……!」
体勢を崩した瞬間に斬りつけたジークの剣がメネスの胸を真っ向から切り裂いた。
鮮血が噴き出し、喪った足を魔力で補完しながら、彼は叫ぶ。
「貴様は知っているはずだ。この世で真に大事なのは自分だけだと。命の苦難に他者を庇えるのはほんの僅かな人間だけだと。他の大勢は自分が良ければ他者など気にもかけない! 自分のために世界を変革して何が悪い!? 元老院のような権力者共が、自分のためにどれだけの人間を犠牲にしてきたと思っている!?」
「それは……っ」
「正直になれ。おのれの心に従え。貴様が守るべき優しい世界など存在しないのだ!」
「なら、あなたは!」
ぷしゅうっ! と二人の身体から鮮血が噴き出した。
顔を歪めたジーク、そしてメネスは、剣を持つ手に力を込める。
魔力の消耗は身体の崩壊につながる。もはや加護の使用は諸刃の剣だ。
世界の頂点に立った二人は剥き出しのおのれで魂を削り合う。
「なら、あなたは、六千年前の時代を力で支配しようというのか!?心を押し付け、平等を強いて、自分の采配一つで何もかもを切り捨てるというのか!」
「心は尊重しよう。私が許さぬのは、ロクでもない権力者がのさばる事だけだ!」
「……っ、結局は独裁じゃないか。あなたのそれと、アゼルクスのそれの何が違う!?」
外なる神アゼルクスは人々から心を奪い、おのれの信仰の糧とした。
結果的に差別や迫害は無くなるかもしれないが、それは人の生き方ではない。
動いてるだけで、死んでいるのと同じだ。
「アゼルクスのそれとは違う。私の世界は悪が存在しない優しい世界だ」
「違う。全然違うよ。善も悪も正義も不正義も、全部同じなんだ……誰かにとっての悪は誰かにとっての正義なんだ。僕はそれを見てきた」
悪人だと思っていたヤタロウが自分の正義に従っていた。
善人だと思っていたミドフォードは妄執に憑りつかれた復讐者だった。
同胞を守ために行動しているエルダーは人類にとっての悪だ。
確かに世界は理不尽なこともある。許せない事もあるだろう。
「だからこそ、人は人と繋がるんだ。紡いだ絆が美しいと感じるんだ!」
「容易く壊れる絆など、幻想にすぎぬ!」
鮮血にまみれながら、メネスは問いを投げる。
「ならば聞こう。我が甥よ。世界を救わんとする救世主よ! 貴様はその絆とやらで、この世界をどう変えていくつもりだ。あの正しくも歪みきった世界で、何を変えられる!?」
「それは……っ」
「言葉に窮する。それが貴様の限界だ。理想を語りながら何もできない夢想者だ!」
力はあっても理想を形にする知恵がない。
五千年にわたり思索を巡らせたメネスに比べジークの人生などちっぽけでしかない。
ジークはトニトルス小隊と共に死の概念を正すことを目指した。
だが、それ以上のことは考えていなかった。
それでも、目指すことは愚かだろうか?
「確かに僕には知恵がない。理想を現実にするプランもない。あなたのそれに比べれば世界を見てきた時間も僅かだ。そんな風に言われても仕方ないけど……!」
それでも。
「あなたの世界は嫌だ。僕は今、この世界でみんなと暮らしたい!」
「ならばここで死ね。何も出来ぬまま、死んでいけッ!」
ガキンッ!
かたや足がもげたメネスと、かたや右腕がもげたジーク。
手足を失いながらも戦いをやめない二人は剣を弾き合い、地面を蹴った。
「世界はあなたのものじゃないんだ。命を弄ぶなッ! メネェ―――――ス!!」
「力ある者が世界を支配する。それが道理なのだ! ジィ――――――ク!!」
両者がぶつかり合う寸前、メネスが魔力を練り上げた。
正真正銘最後の一撃。その挙動を読んでジークが仕掛ける。
(ここで避けられたら後がない……僕の全てを、この一撃に懸ける!)
ゼレオティールの加護でもなければ世界変革後に得た加護でもない。
ジークが最後に頼るのは、初めて与えられた加護の真骨頂。
アステシアが託してくれた魔眼に、おのれの全てを注ぎ込む。
「権能武装……『超越者の魔眼』!!」
視界が暗転し、数えるほどしかない未来の道を織り上げた。
ジークはそのうちの一つを選び取る。
死に直結する道の全てが消滅し、選んだ未来が現在に索引、反映される。
「………………っ!」
魔剣アルトノヴァの切っ先が、メネスの胸を真っ向から貫いた!
正面から貫かれたメネスは「ゴホッ」と血を吐きながら、魔剣の刃を掴む。
ジークは魔剣に残った陽力の搾りかすを発動させようとして、
「そう来てくれると信じて居たぞ」
「ぁ」
嵌められた。
そうと気付いた時には既に遅かった。
直前にメネスが見せた魔力がなりを潜め、彼は胸を貫かれたまま立っている。
(僕の魔力を消耗させることを、狙って……)
ジークが発動した超越者の魔眼は決して負けない未来を選んだ。
メネスに世界を巻き戻されれば全てが終わる。だから、その選択は正しい。
けれどそれは、彼が決着をつけに来ていたという前提があればこそ。
(魔力を練り上げる所を見せた上で、決め手を誘ったのか……!)
未来を決めたジークに陽力はなく、身体のあちこちが崩れかけている。
対して、メネスは胸の真ん中を貫かれてもまだ立っている状態だ。
恐らく影の神スカージアの加護。影とおのれの身体を同期させて傷を回復している。
「五百年。この長き経験を埋めるには、貴様は若すぎた」
「く、そ」
ジークは剣を動かす。動かない。
尋常ならざる筋肉で剣を止めているのだ。
主の危機にアルトノヴァが鎧を解き、神獣となってメネスに立ち向かった。
「キュォオオオオオオオオオオ!」
「アル、だめだ!」
「魔剣ともども、ここで散れ。ジークっ!!」
神速の突きが、アルトノヴァとジークを真っ向から貫いた。
折り重なるようにして貫かれた二人の胸にメネスの黒刃が突き立てている。
死の神オルクトヴィアスの加護が発動し、二人の身体が凄まじいスピードで崩壊し始めた。
「め、ね、す……!」
「安心しろ。我が甥よ」
全身に皹が入りながらも、ジークは手を伸ばす。
死にかけの甥を見つめながら、冥王は告げる。
「貴様らは六千年前に転生させてやる。無論、全ての力を削いだ上でな」
だから、安心して眠れと。
「さらばだ」
メネスの振りかぶった刃が鮮血を撒き散らし、
「ちく、しょう……!」
パリン、とジークの身体は粉々に砕け散った。
魔剣アルトノヴァが、力なく堕ちていく……。
◆
少年の身体が粉々に砕け散る様をメネスは目に焼き付けていた。
共に過ごした時間はほんの僅かなれど、妹が生んだ子供。
出逢う形が違えばきっと家族として過ごせたであろう甥の命を胸に背負って。
「ぜぇ、ぜぇ……げほッ」
血反吐を吐き、メネスは膝をつく。
陽動に使った魔力は僅かだが、それでも身体の維持が出来るギリギリのラインだ。
あと一歩遅ければジークの刃がこの命を刈り取っていただろう。
「だが、これで」
誰もいなくなった世界の深淵は静寂が満ちており、光の玉だけがひっそりと浮かんでいる。おのれに抵抗できる唯一の存在が消えている事を確認してメネスは息をつく。
「ようやく……また会える。ルナ。愛する妻よ」
毎日が幸せだった、あの満ち足りた日々に舞い戻れるのだ。
この力を見たルナマリアは驚くかもしれないが、神々の力だと気づくはず。
神を信仰する彼女のことだ。
どんな反応をするか分からないが、きっと受け入れてくれるだろう。
メネスはルナマリアの仕方なさそうな笑みを思い浮かべ、口元を緩める。
喪った片足を魔力で補完し、一歩ずつ、踏みしめるように世界の核へ手を伸ばした。
その時だった。
『まだよ』
ありえざる声が、その場に響いた。
ハッとメネスは振り返る。
誰もいない。
けれど、その声は確かにーー
『まだ、終わっていないわ』
「叡智の女神、アステシア……!」
ありえない。
ジークがこの場にいるときならまだしも、世界の深淵は隔絶された次元にある。
例え六柱の神々といえど、声を届かせることも不可能なはずだ。
だが、ジークは女神と魂の深いところまで繋がった異例の七聖将。
彼が使徒化した時に彼女の魔力が魂を通じて彼に流入していてもおかしくはない。
さらに先ほどの『超越者の魔眼』で遺した残留魔力がこの場に漂っている。
(魔力を通じて声を届けているのか。私が悪魔にそうしていたように……!)
だが、
「あいにくだったな。叡智の女神アステシア」
メネスは皮肉げに口元を歪めた。
「貴様が愛する男は既に消滅した。第三の力の反動だ。もはやこの世界のどこにも存在していない」
ゼレオティールの加護の代償だ。
例えアステシアが何を望もうとも、彼が復活することはあり得ないのだ。
勝ち誇るメネスに対し、アステシアは『そうね』と肯定する。
『確かにジークは死んだ。それは私が一番よく分かっている。半身を引き裂かれるような思いだったもの。よくもやってくれたわね』
「六千年前の世界で人界に降りればいい。そうすれば会えるぞ」
メネスはジークに関わる全ての魂を転生させる腹積もりだった。
だからこの戦いで死んでも気にしなかったし、その名だけは胸に刻んでいたのだ。
どうせ全てがなかったことになるのだから、誰が死のうがどうでもいい。
それがセレスへの義理であり、甥を殺した叔父の努めだ。
『あいにくだけど、それはないわ』
「……人間に愛想をつかした女神よ。恋人ごっこは止めたのか?」
本当に愛しているなら会いに行けばいい。そう語るメネスだが。
『いいえ。だって、ジークはまだ消えていないもの』
「……なに?」
『確かに身体は消滅したわ。魂の一片たりとも残っていない。でも、私たちの中には残っている。優しくて意地っ張りで、まっすぐな彼の生き様が』
戯言を、とメネスは鼻を鳴らした。
例え誰の心に残っていようとジークが消滅した事実は変わらない。
嘆き悲しむあまり気でも狂ったかと、そう言おうとして。
(…………いや、待て)
一つの可能性が、頭に過った。
あり得ないとかぶりを振る。だが無駄だ。
一度頭に過ってしまった可能性はメネスの頭にこびりついて離れない。
『ジークは自分に厳しくて他人に優しいように見えるけど、実は自分にも優しい子だった』
ハッ、とメネスは顔を上げる。
アステシアの声は淡々と言葉を紡ぐ。
『辛いことからは出来るだけ逃げたいし、痛い事は嫌い。悲しいことはもっと嫌い。
妹のわがままに困っているように見えて、実は頼られている事が嬉しいと思ってた』
「……なにを」
『……お願い。ジーク。もう一度戦って』
アステシアの祈るような言葉を皮切りに、深淵領域に次々と声が響いていく。
『ジーク殿。この世界の未来を、お願いいたし申す』
『ジーク様。どうか』
『ジーク……リリアが、待ってるよ』
ジーク、ジーク、と。
ヤタロウの声が、カレンの声が。アウロラやエリージアの声が。
『ジークちゃん。帰ったら一緒に機械いじりしようね』
『ジー坊。アタシが打った魔剣持って死んでんじゃないわよ』
『ジっくん。お師匠が見てるよ』
『悪いけど、君だけが頼りなんだ。世界を頼む。ジーク』
『……帰ったら仕事を手伝わせるからな。覚悟しろ、ジーク・トニトルス』
トリスの声が。イリミアスの声が。イズナの声が。
ソルレシアの声が。アレクの声が、ジークが絆を紡いだ全ての人々が声を響かせる。
それは消滅したジークへの想いであり祈りであり、
彼ならば世界を救ってくれると信じる、信仰だ。
「……まずいッ」
どうしようもない悪寒に囚われ、メネスは世界の核に手を伸ばした。
ジークが復活する可能性などあり得ないと理性が囁くも、本能は抗えない。
五百年。五百年待ったのだ。
あの時代に戻るために全てを賭けて来たのに、これ以上邪魔されて溜まるか。
だが。
「………………っ!」
衝撃波が、メネスを真正面から吹き飛ばした。
宙をきりもみ打って回転したメネスは驚愕の表情でそれを見る。
「………………」
ジーク・トニトルスがそこに立っていた。
魔剣を携え、世界の核に触れている。
その身体は透き通っていて、実体はない。
「……ジーク。貴様ッ」
厳密に言えば本人ではない。
ジークは間違いなく、不可逆的に、メネスが殺したのだから。
『ジーク。ごめんね』
アステシアは泣きそうな声で言った。
『世界のために、あなたの願いのためにーー戦って。ジーク』
紅色の眼光が、ギラリと輝く。
「うんーー任せて。アスティ」
メネスは唇をわななかせた。
「身体を喪い、魂が消滅し、他者の思念となってなお、まだ抗うか……!」
此処は世界の深淵。全てが始まり、全てが生まれた場所。
創造神ゼレオティールはおのれの神核を分けて神々を作り出した。
だが、神々がその自我を形成するには人間の信仰、祈りが必要だ。
(生き残った人類の祈りを一つにまとめ、アステシアの魔力を通じてこの場に届けた……!)
アステシアの魂、つまり神核と繋がっていたジークだからこそ出来る芸当である。
彼女と繋がっていたおのれの魂をよすがに、祈りと信仰を以て自我を形成し、疑似的な神へと成りあがった。身体はない。だがその思念、人々の想いを受けた力は確かに。
「そこまでして私を止めたいか……ッ、ジィ―――――――クっ!!」
「言ったはずだ、メネス。お前の野望を打ち砕くと」
メネスの魔力は身体を維持する限界ぎりぎりだ。
しかし、メネスは先ほどサタナーンの加護でジークから魔力を吸い取っていた。
「思念如きが、私を止められると思うな!」
オルクトヴィアスの力を帯びた魔剣がアルトノヴァと打ち合う。
激しい火花を散らせながら唾ぜり合う両者の眼光が煌めき、
「遅い。遅すぎるぞ、ジークッ!」
加速する。
剣を弾いた一瞬の隙に間合いを詰め、メネスはジークの身体を一刀両断。
魔の女神サタナーンの加護で思念体の魔力を吸収しながら、足と両腕を粉みじんにした。
(今度こそ、死ね。ここで倒れろ、ジークッ!!)
六千年前に戻ればメネスもルナマリアもセレスもルプスもジークも幸せに暮らせる。
国も時代も環境も何もかも変わっているけれど、家族として支え合えたならやって行けるはずだ。
そのための五百年だった。全てをやり直すために全てを賭けてきた。
長い年月をかけて研ぎ澄ませた妄執という名の刃は、たがか十年と少ししか生きていないジークに止められるはずがなかった。
ジークの身体が粉々に消えて。
「無駄だ」
全て幻覚だったと気づいた時、ジークはメネスの懐に居た。
時を加速したと思っていたのはメネスの勘違いで、彼の剣は未だジークに届いていない。ただ間合いを詰めて剣を振るっただけだ。
「クロスディアの加護はもう効かない。僕はもう死んでいる」
「……っ!」
そもそも時間というのは人間が作り出した概念である。
旧世界でも議論されていたように、観察者によって時間の感じ方は異なる。
時の神クロスディアは力は他者の時間感覚に介入することで結果的に時間を早めていた。
しかし、そもそも死んでいるジークに時間の感覚などない。
干渉する時間感覚がないのだから、クロスディアの力が効かないのは当然のことだ。
「お前の全ては、僕には通じない」
「思念如きが……!」
メネスは魔界楽土 で魔力干渉を強めた。
思念体として疑似的な神となったジークでもその身体を構成しているのは魔力であり混沌だ。ならば魔を統べるサタナーンの力であれば彼を無に還すことだって出来るはずだった。
「無駄だって言ってるで、しょっ!」
メネスの魔力干渉を、アルトノヴァで切断する。
因果を断ち切った魔剣は、むしろメネスの力を吸収し、雄たけびを上げた。
「キュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
先ほど神獣アルトノヴァはメネスに貫かれた。
しかし、神獣形態が破れても彼の依り代である魔剣本体は無事だ。
メネスから吸い取った魔力を主へ還元し、アルトノヴァの咆哮がメネスを真っ向から呑み込んだ。
「~~~~~~~~~~~~~っ!!」
熱線に呑まれたメネスは影の神スカージアの力で空間転移。
影から本体へ復元しながら、その魔力消費に眉を顰めていた。
世界の核まで残り十メートルもない。けれど、その距離はあまりにも。
「遠い……遠すぎる」
まるで世界の守護者のようにジークは佇んでいる。
その瞳は臆することなくこちらを見据えていて、心の深淵まで覗き込んできそうな目だった。
「お前はもう近づけさせない」
「ごほッ、ごほッ……ハァ、ハァ。まだだ。まだ、私は……!」
既に死んでいる思念に対してオルクトヴィアスの力は意味をなさない。
五百年もの間練り上げてきた時の神、影の神、魔の神の力さえ抑え込まれた。
それでも。
「私は、負けるわけにはいかない。ここでルナに会えなければ、私は……!」
踏み込もうとした瞬間、メネスの片足がもげた。
全ての足を喪ったメネスは影の神の力で黒い足を作り、身体を支える。
もはや時間がないと割り切り、メネスは雄たけびを上げてジークに特攻した。
「何のために五千年も虚無の中で耐え抜いたと思っている……全て、この時の為だ!」
ーーガキンッ!
「…………は?」
メネスは愕然と目を見開いた。
先ほどまでは拮抗していた鍔迫り合い。むしろジークの方が押されていた剣術勝負。
しかし、真っ向から斬りかかったメネスの剣は片手で受け止められている。
(時が経つにつれて加速度的に力が大きくなっている……生き残った人類の想念、その結晶か……!)
もはや世界の守護神といっても過言ではない。
その力はメネスではどうしようもないほど大きくなっていた。
だがメネスが驚いたのはそれだけではない、
彼の目だ。
あれは、まるで自分を哀れんているかのようで。
「悲しかったんだね」
「……黙れ」
思わず、声が漏れた。
ジークは構わず続ける。
「ずっと一緒に居たかったから蘇らせたのに、自分よりも神への信仰を優先されたことが悲しかったんだ。彼女にとって自分がその程度の存在だったみたいに思えて苦しくなったんでしょう。だからあなたは今の世界じゃなく、巻き戻すことを選んだ。自分を受け入れてくれた姫様がいる世界に戻るために」
「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ、黙れぇええええええええ!」
我を忘れ、黒き魔力を噴出させてメネスはジークに切りかかる。
だが、激しくなっていく猛攻とは対照的に、ジークは静かだ。
嵐のような剣戟を受け止めてなお一歩も揺るがない、大樹の如き芯がある。
その瞳に映る、惨めな自分の滑稽な様にメネスの感情が決壊した。
「……あぁ、そうだ、認めるとも。苦しかった、悲しかった。死にたかった!
五千年。ただルナマリアへの想いを胸に虚無の中で生き続けてきた。もう一度、彼女に会うためにだ!」
六千年前、メネスが堕ちたのは数えきれないほどの魂がいる場所。
オルクトヴィアスによって輪廻の環に還る事もなく消滅した魂の掃きだめだ。
あそこには他者と自分との境界がなく、彼らの巨大な感情が絶えず心を侵してくる。その中で自我を保つことは、あのオルクトヴィアスでさえ驚嘆する奇跡である。
その奇跡を起こせたのは、ひとえにルナマリアへの愛があったから。
それなのに彼女から拒絶されて、心が壊れない人間がいるだろうか。
メネスとて元は人間であり男だ。
彼の心は、とうに狂い果てている。
「どうして私を受け入れてくれなかった? 誓い合ったではないか。例え何が我らを阻もうと、永久に添い遂げると、砂漠の泉で誓い合ったではないか! なのにどうして……どうして私は受け入れられなかった!? 私が何をした!? ただ、もう一度会いたかっただけだ。もう一度触れたかっただけだ。それの何が悪かったというのだっ!!」
多くは望まなかった。
もう一度再会して、僅かな時でも共に過ごせたならそれで満足だった。
死を覆すことが一般的に悪と言われることはメネスも知っている。
それでも、そんな些細な願いを彼女と共有出来なかったことが何よりも悲しかった。
「なぜ、貴様だけなんだ」
斬撃を繰り出しながら、メネスは泣きそうな顔で言った。
「なぜ貴様は受け入れられて、私は受け入れられなかったのだ。
教えてくれ、ジーク。我が甥よ。私と貴様に、一体何の違いがある」
「姫様の気持ちは僕にはわからない。彼女の想いは彼女だけのものだから」
でも。
「これだけは分かる……姫様はずっとあなたを愛していた」
「嘘だ……愛していたなら、なぜっ!」
「分からないの? ううん、分からないはずがないよ。気付かない振りをしているんだ」
心を暴くようなジークの言葉にメネスはうろたえる。
その言葉を聞いてはならない。その筈なのに、心は耳を傾けていた。
「おじさん。どうしてオルクトヴィアスは死んで長い時が経っていた姫様を蘇らせることが出来たんだと思う? 身体はミイラになっていたとしても……死後、姫様の魂は楽園に還ったはずだ。生まれ変わっている可能性だってあった。それなのに、なぜ?」
「それ、は」
「姫様は待っていたんだよ。魂の泉で、あなたが来るのをずっと」
「…………っ!!」
決定的な言葉に、メネスの表情が決壊する。
冥王メネスは五千年間、虚無の牢獄の中で自我を保ってきた。
だが、ルナマリアも同じなのだ。
他の魂が旅立っていくなかあえて《魂の泉》に残り、メネスを待ち続けていた。
五千年もの間、気が狂いそうになる中、孤独に待ち続けていた。
何故か。決まっている。
「あなたと一緒に死んで、一緒に生まれ変わりたかったからだ。来世も愛するあなたと一緒に居たいから、姫様は《魂の泉》に残っていたんだ」
「ぁ」
オルクトヴィアスがルナマリアを蘇らせることが出来たのはそのためだ。
そして、彼女がメネスと再会した時に悲しい顔をした理由もまた同じ。
彼女はおのれの死を受け入れていた。
メネスにもそうあってほしいと願っていた。
彼は悲しいまでのすれ違いに気付かず、五百年間敵対していたのだ。
「拒絶されてなお、私は……愛されて、いたのか」
「そうだよ」
一拍の沈黙。
「……そうか」
呟き、メネスの中の覚悟が決まった。
ーー……ブォン!
彼の身体からありったけの魔力が噴出する。
同時に彼の身体がピキピキと音を立ててひび割れ始めた。
肉体を維持する事を放棄した、それは文字通り決死の一撃だ。
「……まだ、やるの」
「彼女に愛されていたことは分かった。彼女の想いを見抜けなかった私の落ち度だ」
それでも。
「もはや後には引けない、例え間違っていると分かっていても、引けぬ道理がある。
私は私の願いを押し通す。我が野望の為に、何者をも犠牲にして世界を巻き戻す!」
「……」
「我が想い、受け切れるものなら受けて見ろ、ジークッ!!」
使徒化の同時発動。
言葉とは裏腹にもはや彼に世界をどうこうする力は残っていない。
それでも、例え死しても彼はジークを否定したかった。
それは彼が目指したおのれとは違う、愛する人と共に歩む未来そのものだから。
「『冥王斬月陣』! これで、終わりだ!!』」
黒き斬撃が世界を呑み込み、空間を滅していく。
四つの加護を合わせた処刑者の魔弾の上位。文字通りメネスの全てを込めた斬撃だ。
例え守護者と成り果てたジークであっても止めることは出来ない。
彼が一人ならば。
「トニトルス流双剣術奥義」
ーーあぁ。
ジークが剣を構えた瞬間、メネスは敗北を悟る。
「『神鳴り』」
雷そのものと化したジークの斬撃が、メネスの最期の一撃を呑み込んだ。
メネスは彼の背後に、彼を形作る全ての人々の顔を見る。
リリアやルージュ、アステシア、オズワン、カレン、セレス、ルプス、ヤタロウ、トニトルス小隊の面々。死した者達の想いまで受け取り、守護神ジーク・トニトルスは奔った。メネスは後ろを振り返る、自分の背後には誰もいない。
「……私は、間違っていたのか」
きっとそれが、彼と自分の違いだ。
愛を貫きながら他者を犠牲にし続けてきたメネスと、
愛を貫きながら全てを拾ってきたジーク。
全てを投げ捨ててきた者が全てを背負った者に勝てるはずもなかった。
「……すまなかったな。ルナマリア」
目もくらむような光に呑まれながら、メネスは涙を流した。
馬鹿な自分を許せと、そう呟いて。
世界を脅かした冥王メネスの身体は蒼き光に飲み込まれていく。
「……輪廻の彼方で、二人が巡り合えますように」
守護神となったジークの呟きだけが、世界の深淵に響いていた……。




