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ゴッド・スレイヤー  作者: 山夜みい
最終章 世界の終焉
225/231

第二十六話 父の記憶

 

 ーー終末戦争より約四百年後。

 ーー冥界、魂の泉。


「あぁ、やはり、ダメか……」


 今、一柱の神の命が尽きようとしていた。

 五メートルにも及ぶ巨体、砕けた大槌を抱き、彼は嗤う。


「アゼルクスの野郎め……三百年ずっと魂の泉で神核を癒しても傷一つ治らん。これじゃ、華々しく散ったネファケレスが羨ましくならぁな。儂もあの時死んでおけばよかった」


 精悍な顔立ちをした老戦士である。

 彼の身体からは絶えず(いかずち)の火花が散っていた。


「記憶改竄を受けている以上、カリギュオスの力も借りられねぇ……」


 このままでは今にも彼の命は散るだろう。

 だが、何もせず死ぬのは余りにも惜しいと神は呟いた。

 終末戦争からこちら、アゼルクスに一方的にやられているような状態だ。

 せめて一矢報いねば『天界に雷霆神あり』と謳われたおのれの名が廃る。


「ふぅ……最後に、やってやるか」


 神はーー雷霆神エゾルギアは魂の泉を覗き込む。

 泉の中に無数に光っては消えていく、泡沫のような魂の煌めき。

 輪廻の環に還る事を待っている彼らへ向け、(いかずち)の粒子を撒き散らした。


「終末戦争で楽園へ行けなかった哀れな魂たちよ……儂の無念を晴らす礎となってもらおう。なぁ、オルクトヴィアス。我が戦友よ。あとの、ことは……頼んだ、ぞ」

「……任せなさい。夫が認めた戦士のあなた。彼らの魂を、輪廻の環に還しましょう」


 どれくらい生き残るか分からないけどね。

 戦友の死を見届け、オルクトヴィアスは権能を行使する。

 果たして死の神はその結果を見る事もなく、魂の泉を後にした。




 ◆




 雷霆神エゾルギアが加護を与えた魂の数は数億にも及ぶ。

 だが、そのほとんどが輪廻の環に還ることなく消滅することになった。

 ある意味当然である。雷霆神エゾルギアの力の粋が込められた加護だ。


 その力の一端ならまだしも、神の全てを受けて耐えられる魂など存在しない。


 ーーたった一人の例外を除いては。


 その赤子は生まれた時から最強だった。

 母体から生まれ出でた瞬間に加護を発現し、母親は赤子の(いかずち)で感電死した。

 父親は妻の死を嘆き悲しみ、赤子に当たり散らすようにーーならなかった。


 確かに一時は悲しみに暮れたが、すぐに赤子の有用性に気付いた。

 裏社会で不法にカガクの武器を流通させていた父親にとって、至高の武器出来た瞬間なのだ。泣き喚く赤子をあやす過程で片腕を喪ったが、すぐに雷撃を防ぐ装備を整えた。


 未だ一歳にも満たない赤子を戦場のただなかに投入し、多大な成果を上げた。

 本来葬魂が必要な悪魔を、その魔力が尽きるまで焼き尽くす破壊の権化。


 これを利用しない手があろうか。

 いつしか父親は異端討滅機構の統治の裏で暗躍し、裏社会の王と呼ばれるようになった。


 生まれた赤子は『怒れる雷霆(ルプス)』と名付けられた。


 ーーとはいえ、赤子を使った父親の成り上がり劇は長くは続かない。

 人の死が悪魔の誕生へと繋がる時代で彼はあまりにも目立ちすぎた。

 異端討滅機構の追手は日増しに強くなり、父親はルプスに当たり散らした。


 人の目が届かない暗い密室の中、父親は赤子のルプスを殴りつける。


「この役立たずがっ! なんであの葬送官たちを消しておかなかった!?

 貴様が生き残りを残したせいで、俺がこうなってるんだろうがッ、えぇ!?」


 子供のご機嫌取りに邁進していた父親は焦燥し、暴力を振るった。

 殴り、蹴り、投げつけ、危うく力が暴走しそうになれば慌てて笑顔で宥めに掛かる。

 そんな日々が僅かに続きーーそして、ある日ポツリと途切れた。


 葬送官たちが駆けつけた時、現場は神の怒りが下ったような凄惨な有様だったという。

 死の商人と呼ばれた男の、目を逸らしたくなるような死に顔だけが残されていて。

 そして、悪魔たちを震撼させた兵器はどこにも居なかった。


 ルプスが三歳となる、凍えるような冬の事だった。




 ◆




『怪物』が出た。そんな噂が流れた。


 曰く、怪物は年端も行かない幼子である。

 曰く、その(いかずち)は敵味方関係なく焼き尽くす理不尽の権化。

 曰く、眼差し一つで悪魔を殺し、ただの腕力で死徒をひねり潰すならず者(アウトロー)


 噂の真相を知ろうと近づいた者は死んだ。

 異端討滅機構は数人の特級葬送官を派遣したが、帰ってくる者はいなかった。


 本来なら赤子が野に下って生きられるはずもないが、彼には『力』があった。

 雷霆神エゾルギアが死ぬ間際、残る力の全てを込めた唯一の加護が。


 生き血を啜り、獣を喰らい、悪魔を殺し、野生の中でルプスは生き延びた。

 無論、悪魔におびえる人間世界が彼の力を放っておくはずもない。

 誰もがルプスの力を利用しようと近づき、彼はその悉くを滅ぼした。


 一般人を殺し、葬送官を殺し、悪魔を殺し、七聖将を殺し、神霊さえ殺した。

 殺して、奪って、殺して、奪って、殺して、殺して、殺して、殺して、殺戮の限りを尽くした。それはルプスにとって襲い掛かる火の粉を払うようなものであったが、近付いてきた者達から言葉を学び、社会を学び、感情を覚えることが出来た。


 彼の力はあまりにも大きすぎた。

 人界にあってはならない異端者(イレギュラー)

 数億もの魂を犠牲に生み出された、世界の理から外れた逸脱者だった。


 天界はエゾルギアの意を汲んでルプスを放置する事を決定。

 甚大な被害を出した異端討滅機構は箝口令を敷き、ルプスへの接触を禁じた。


 どうあっても制御が出来ない『孤高の暴虐(ベルセルク)』。

 死の恐怖と憎悪が渦巻く理不尽な世界で、五歳にして彼は生きる伝説となった。


 そして少年から青年へ、青年から大人へなった時、運命と出逢った。


 ーーSランク未踏破領域『天我神葬領域ドルゼーア』


 襲い掛かって来た魔獣を屠ったルプスは屍の上で肉を貪っていた。

 竜にも似た巨大な魔獣の頭には拳大の穴があった。

 パチパチと火花を散らす焚火に「ぺッ」と唾を吐き出す。


「クソ不味い。やっぱヌシの肉じゃねぇと不味いな」


 ザ、と足音が響いた。

 顔を上げれば、見知らぬ女が呆れた顔でルプスを見上げている。


「あなたね。エゾルギアが遺した負の暴力装置って言うのは」

「あぁ?」


 それは褐色の肌をした、美しい女の悪魔だった。

 黒真珠のような艶めく長髪からは鋭く尖った耳が覗いている。

真なる悪魔(トゥルー・デーモン)』。この世の美を体現したような絶世の美女。

 大人びた顔立ちの中に隠し切れない幼さを見せる、その美貌にルプスは見惚れーー


「なんだ、オメェ。殺すぞ」


 見惚れることは、なかった。

 幼くして暴力と嫌悪の渦に晒されたルプスに異性への意識などない。

 女はその色香を武器に近付き、騙し、利用しようとしてくる魔性の生き物だ。


 ルプスは魔獣の骨をかみ砕き、女を射殺すように見た。

 拳に力をみなぎらせる。この拳を一振りするだけで女は殺せるはず。

 その筈だった。


「う、うゎあああああああ!」


 突如、女が頭を抑えて奇声をあげた。

 目が点になったルプスの眼前、女は右目を抑えて狂ったようにつぶやく。


「疼く……疼くわ。我が兄、冥王メネスから賜った呪わしき魔眼が疼く……。そこのあなた、今すぐここから離れなさい! 大いなる運命を背負った私が暴走すれば、あなたもどうなるか……!」

「………………は?」

「早く! この封印された右腕があなたを滅ぼす前に……!」

「……いや、眼か腕かハッキリしろよ」


 それによぉ。とルプスは地面を蹴った。


「どこの誰か知らねぇが。俺様に命令すんな。ぶっ殺すぞ」


 女だろうが子供だろうが悪魔だろうが天使だろうが、ルプスは変わらない。

 誰だろうが自分に近付く者は殺す。故にこそ『孤高の暴虐』。

 生きる災害の名を冠する彼の拳は女の顔面を木っ端みじんにするはずだった。


 ーーバシィイイイイイイイイイイイイイイイ!!


 雷撃を纏った拳だ。この世に砕けないものなどなかった。

 神霊でさえ一撃で屠って来たルプスの攻撃をーー


「……ハァ。せっかく私が見逃してあげようと思ったのに。鈍い男ね」

「!?」


 素手、だった。

 散歩で知り合いに会った時に手を挙げたような軽やかな動作。

 それだけで、女はルプスの拳を受け止めたのだ。


「オメェ……」

「だから言ったのに……この呪わしき腕は勝手に動くのよ。いい? 今なら間に合う。早く離れなさい。じゃないと、この黒焔があなたを殺すわ……!」

「焔なんざどこにも出てねぇが」


 面白れぇ。とルプスは獰猛に呟いた。


 見敵必殺。

 どんな相手でも拳一つで殺してきたルプスにとって、彼女は本気を出すに値するかもしれない女だった。おのれの力の限界を試したことは遠き日の彼方だ。今はどれほどの力が出せるのだろう。


「試してみっか。すぐに死ぬなよ、女ぁっ!」


 ルプスはエゾルギアの(いかずち)を熾した。

 もはや使わなくなって久しい力の具現に、(いかずち)は喝采を上げて女に迫る。

 世界を染める蒼き雷光。

 人一人を灰燼せしめるのに充分な威力を持った一撃をーー彼女は。


「どうして男はそう戦いたがるのかしら。海より深き知恵を持つ私には理解できないわ」

「ーー……は?」


 そこには夜があった。

 数えるのも馬鹿馬鹿しくなる星々。彼らを着飾る夜空のヴェール。

 マントの如く夜をはためかせた彼女はルプスの(いかずち)を悉く吸収した。


「『夜の女神』ニクセリス。創世神話においてオルクトヴィアスを生んだとされる神々の母。私に加護を与えた神よ。もう死んでるけど」


 女の眼光が紅く光った。

 夜空のマントが、ばさりとはためく。


「哀れな魂よ。星々の怒りを喰らいなさい」


 夜に煌めく星々が唸りを上げ、流星の如くルプスに襲い掛かる。

 数百、数千、あるいは数万に及ぶ光の軌跡はルプスの身体を滅多うちにした。


 ーーズガガガガガガガガガガガッ!!


 粉塵を巻き上げ、森を破壊し、谷を埋め、辺りが更地と化した。

 未踏破領域を力技で潰す、それは災害としか呼べない力の発露だ。

 そんな現象を引き起こした女は、クレーターの中心でぼそりと呟く。


「……また一人、罪のない命を殺しちゃった」


 怖がるように肩を抱き、手足を震わせ、自己嫌悪に顔を蒼褪めさせる。

 強がりの鎧を脱ぎ去った本音の彼女は声を殺して言うのだ。


「……ねぇ、兄さん。いつまで続けるの……? こんな、無意味なこと」

「そりゃあ、俺様たちが死ぬまでだろうよ」

「!?」


 女は弾かれたように振り返った。

 粉塵を切りさき、衣服を喪った男が悠然と歩いてくる。

 鋼を凌駕する肉体にはかすり傷一つなかった。


「嘘」

「カカッ! 頭が痛くなるような口調はやめたのかよ。女、おい女。

 オメェ、やるじゃねぇかオイ。俺様の攻撃をいなして反撃するなんてよ。あぁっ?

 いや、反撃じゃねぇな。あれは俺様の力だった。反転、反転か? 跳ね返したのか」


 ぶつぶつと繰り返す彼の観察眼に女は戦慄する。

 恐るべき本能。野生の獣が人間になったような男だと彼女は思った。

 ただの一撃で能力を看破し、しかも無傷で受け切るその獣性。


「あなた……何者?」

「殺し合いにそれが必要か? どうせオメェは死ぬんだ。要らねぇだろ」

「死ぬのはあなたの方かもしれないわ」

「ありえねぇな。襲ってきたやつは言うぜ。俺様は世界最強だって」


 呟き、ルプスは地面を蹴った。

 先ほどよりも大きな雷霆をその身に纏っている。


「世界最強ってのは、誰にも負けねぇだろ!?」

「井の中の蛙は大海を知らず……あなたは蛙じゃなくケダモノね」


 女は夜を広げて応えた。

 あらゆる力を内包し、眠らせ、その力を終わらせるために。


「私の名は『蒼き月の調べ(セレス)』。名を聞いてあげるわ。名乗りなさい。ケダモノ」

「名前なんざ知らねぇよ。好きに呼べ。でも、そうだな。記憶に残ってる言葉ならある。

 怒れる雷霆(ルプス)……ルプスだ。それが俺様の名前ってやつなんだろうよ」


 じゃあ、


「殺し合おうか。女ぁっ!」

「だからセレスって言ってるのに……ほんと。男ってバカみたい」


 ーー戦いは、三日三晩続いた。

 世界中に地震を巻き起こし、地形を変え、大地を殺し、海を干上がらせる。

 神が降臨したとしか思えぬ異常事態に世界中の人々が固唾を呑んだという。


「ハァ、ハァ……!」

「ぜぇ、ぜぇ……!」


 だが、どれだけ怪物と呼ばれていようとルプスは人間である。

 戦いの趨勢は徐々に、確実にセレスに傾いていくように思えた。


「ケダモノ呼ばわりしたことは撤回するわ。この私が認める。

 あなたは正真正銘の怪物よ。野性だけでその力量……末恐ろしいわ」


 更地のただなかで、ルプスは立っていた。

 呑まず食わずで三日。全身から血を流しておきながら、その命は尽きていない。

 何の武具もなく、()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。


 第一死徒であるセレスは冥王から様々な魔具を渡されている。その彼女を前に無手で相対するということは、氷原のただなかに裸で立っているに等しい。


「これは……成長すれば、あるいは兄さんに比肩しうるかも……」

「カカ……ッ! うっせぇよ。オメェこそ化け物だろうが」

「否定はしないわ。でも、」


 セレスは彼方を振り返った。

 ルプスとの戦いにおいて致命過ぎる隙。


「残念。時間切れよ」


 あるいは誘いかと野性の勘がささやくルプスの眼前に。


「貴様が我が妹を傷つけたのか?」


 黒衣を纏う、怪物を超える王が立っていた。


「は?」


 一体どこから。そもそも気配があったか?

 いや、違う。全然違う。そんな事よりも、この男の力量は自分の力をも。


「妹を傷つけた大罪。死を以て償え」

「兄さん、やめてッ!」


 セレスの制止は遅い。遅すぎた。

 死の神オルクトヴィアスの加護を宿した拳が炸裂する。

 何者にも避けられない絶対死。凄惨な死にざまを予見したセレスが目を瞑って、


「……カカッ(・・・)!」


 世界最強は、嗤った。


「カカッ! カカカカカッ! カーッカカカカカカカッ!!」


 処刑を命ずる黒き託宣を前に、ルプスの拳が光を放つ。

 死にかけの身体が死を前にむしろ覚醒し、その身体に力が漲った。


 激突する。


「「……!」」


 褐色の兄妹が驚愕する。


 世界をひっくり返した男の魔力はゼレオティールにすら匹敵する。

 妹を傷つけられた兄の恨みは大陸すら蒸発させるはずだ。


 本来ならばありえない。ありえてはならない。

 その怒れる拳に、真っ向からぶつかって競り合うなど!


「貴様……!」

「面白れぇ……面白れぇな。まだ、こんなやつらが居んのかよ」


 拳と拳を競り合わせながら、ルプスは嗤った。

 陰惨に、凄惨にーー

 否。楽しげに、生きがいを見つけた子供のように無邪気に。


「良いじゃねぇか。最高だぜ、オメェら」

「……っ、いかん!」

「もっと戦おうぜ。戦って戦って戦ってーー俺様を、殺して見せろッ!!」


 覚醒する。

 地形を変える今までの戦いが児戯だと思うほど、その拳は鮮烈に輝いていた。

 今までの全ては、力が目覚める前の余波に過ぎなかったのだと兄妹は悟る。


「セレス。退くぞ!」

「……っ!」


 目覚めてはならない獣が目覚め、あり得てはならない力が炸裂する。

 世界が真っ白に染まり、大陸の一部が消し飛んだ。


「……ッチ。逃げたか」


 攻撃が収まった時、ルプスは倒れていた。

 命の散り際にかがやく、無茶すぎる力だったのだ。

 生まれて初めて感じる身体の重さ。力の覚醒に伴い、今まで無理をさせ続けてきた身体に反動が襲っていた。


「ハァ、ハァ……クソ、身体が動かねぇ……あの悪魔どもが……」


 言いながらも、ルプスの口元は緩んでいた。

 生まれて初めておのれの力に耐えられる存在に歓喜していた。

 そんな彼の下へ。


『いやぁ、派手にやったもんじゃのぉ~』

「……あぁ?」


 声が聞こえた瞬間、ルプスは『力』を放っていた。

 雷撃に呑まれてなお声は途切れることなく続き、


『あー、無駄じゃぞ。今の妾は投影映像じゃ。あいにくとカルナックから離れられぬ身である故にな。つーかお主が悪いんじゃぞ? 迎えに行かせた七聖将を殺すから。あれで妾がどれだけ元老院に小言を言われたか……っと。まぁそれはいい。いやよくはないが、お主の存在に比べれば些末なことじゃ』


 ルプスは首だけ動かして振り返り、それを見る。

 透明な身体をした小さな少女が、大人びた笑みを浮かべて立っていた。


「誰だ、オメェ」

『妾はルナマリア。神の意志を代弁する光の巫女。

 雷霆神エゾルギアの力を抱いて生まれた異物、ルプスよ。話をしよう』


 ルナマリアはにっこりと笑って、


『お主、葬送官になる気はないか?』

「興味ねぇ」

『そう言わずに。お主ほどの力があれば英雄にもなれるぞ?』

「えいゆう? 食えんのか、それは」

『食えん。不味いじゃろうな』

「なら要らねぇ。もう喋んな。殺すぞ」

「もう一度、あの兄妹と戦えるとしてもか?」


 ピクリ、とルプスは眉を震わせた。

 射殺すようにルナマリアを睨み、問う。


「あいつらが誰か知ってんのか」

『冥王メネスとその妹、第一死徒セレスを知らぬ者は世界でも少ないじゃろうな。

 世界がこうなった原因でもあり、すべての始まりを知る太古の者達じゃ』


 懐かしむような言葉にルプスはますます視線を鋭くした。

 自分が彼らに興味を抱いた事にも気付かれている。ずっと見ていたのだろう。

 気に喰わねぇ、とルプスは吐き捨てた。


「だが冥王……聞いたことがあるな。悪魔の誰かがほざいていた」

『死徒を殺した事もあるお主じゃ。どこかで聞いてはおろう。それで、どうじゃ。もう一度戦ってみたくはないか? 最も、今のままでは負けるじゃろうが』

「……んだと?」

『お主の力は野性的過ぎる。野性のままではあれらには勝てん。

 理性を身につけるのじゃ。ルプス。理を知り、情を解し、人となれ。ケダモノよ』


 言っている事の半分もルプスには分からなかった。

 野で生き、本能のままに生きながらえてきた彼にとって迂遠な言葉は呪文のようだ。

 だが、それでも。あの兄妹ともう一度戦えるというなら。


「……いいぜ。葬送官だか何だか知らねぇが、なってやるよ。

 その代わり、俺様は誰の指図も受けねぇ。気に入らなかったらすぐにやめるからな」

『よろしい! ならば契約成立じゃ。人の道を歩み始めたケダモノよ。お主に姓を与えよう。(いかずち)を冠した名、トニトルス。ルプス・トニトルス。今日からそれがお主の名じゃ」

「好きに呼べ。俺様はあいつらを殺せればそれでいい」


 おのれの拳を受け切ったあの女を。

 一度として本気を出さなかった舐め腐った女を殴らねば気が済まない。


「セレス、か」


 ーーそれが、出逢い。

 ーーやがて世界の運命を変える、彼らの出会いだった。



 ◆


 葬送官となってからのルプスは『孤高の暴虐』として名を馳せ、セレスと幾度となく衝突した。


 その交戦回数は記憶に残っているだけで百は下らないだろう。

 生まれ、種族、価値観、あらゆる違いをぶつけ合い、すれ違い、殺し合った。

 けれど、彼らは共感もしていた。


 雷霆神エゾルギアによって神々に運命を翻弄されたルプスと、

 六千年前から神々の傲慢さを知り、身近な者達が振り回されたセレス。

 どうしようもなく違うのに、同じところがあると二人は知ったのだ。


 ルプスにしても、自分と対等の強さを持ちながら戦いを憂うセレスの事が気になっていった。それは恋と呼べるほどの淡いものではなく、もっとどうしようもないナニカだ。けれどその想いを無視することは出来ず、ルプスは冥界に赴いてまでセレスを殺しに行った。


 二人が互いに惹かれるようになるまで百年はかかった。

 ルプスは生まれて初めて殺せない相手に出会った。

 ケダモノとして生きてきたルプスが人となった瞬間がそこにあった。


 だが、二人は七聖将第一席と第一死徒だ。

 殺し合いを強要させられる二人が逢瀬を重ねる事が出来る場所は限られている。

 時折街に出る事もあるが、安心して会える場所は世界に一つだけだ。


 ーー冥界。魂の泉。


 白い花々が咲き誇る場所で、ルプスは待ち人の背中を見つけた。

 振り返った褐色の美女が微笑むと、自然と自分の頬も緩んでいた。


「んだよ、セレス。改まって話って。心変わりして俺様を殺そうってか?」

「冗談でもそんな事を言うのはやめて」

「そうかよ」


 めんどくさそうにポリポリと頭を掻き、ルプスは顎をしゃくる。


「んで? 何だ。どうせロクな話じゃねぇんだろ」

「あなたに伝えなきゃいけないことがあるの。この戦争の……真実と裏について」


 そうしてセレスが語ったのは外なる神アゼルクスと神々にまつわる話。

 兄とルナマリアの因縁。二人を引き裂く神の思惑。理不尽な世界の真実だった。


「私は今。時読みの巫女と協力してアゼルクスを信仰し始めた場所を潰している。

 ファウザーも一緒にね。でも、どうしても手が足りない。あなたの力を貸してほしいの、ルプス」

「アゼルクスね……そんな奴ぶっ飛ばせばいいじゃねぇか。俺様とオメェなら……」

「絶対に無理よ。アレは個の力で倒せる存在じゃないの」


 そう言ってセレスは懐から映像媒体を取り出した。

 ブゥン、と映し出された投影映像は終末戦争末期の光景だ。

 大陸を消し飛ばし、地球の環境すら変えた破壊神とアゼルクスのぶつかり合い。

 その隣にいる老戦士が自分に加護を与えたエゾルギアなのだとルプスは知った。


 ーー無理だな。


 世界最強を自負するルプスをして、アゼルクスの力は強大過ぎた。

 自分に出来る事はせいぜい雷霆神の代わりだろう。

 セレスや冥王が居れば拮抗は出来るかもしれないが、決定的な『牙』がない。

 事実を認めざるおえなかったルプスはため息を吐き、同意を告げる。


「……分かった。手伝ってやるよ。どうせ俺様はオメェのもんだからな」

「ありがとう。あなたならそう言ってくれると思っていたわ」

「カカッ! 殊勝な言葉遣いなんてやめろよ。いつものように言ったらどうだ、『傲慢』?」


 からかうような言葉にセレスは目を丸くし、そっと髪を払った。


「そうね。なら、深淵なる叡智を持つこの私が告げるわ。ルプス・トニトルス。封じられし神を殺すため、運命に呪われたその力を貸しなさい。あなたに拒否権はないわ」

「了解だ。そうこなくっちゃオメェじゃねぇ」


 ニィ、とルプスは口元を吊り上げ、


「ところでそれ、言ってて恥ずかしくねぇのか?」

「あなたが言わせたんじゃない! ばか!」


 セレスの顔が真っ赤になった。



 ◆



「--子供が欲しい」


 セレスがそう言いだしたのは、冥王との喧嘩の帰りだった。

 ルプスとセレスの逢瀬に気付いた冥王が口を出してきたのがきっかけで、二人の戦闘は冥界の一角を吹き飛ばした。当然、ルプスの方も無事で済むはずがなく、ルプスは血まみれの身体をセレスに介抱されながら、同盟者である月の女神の領域で治療を受けていた。


「……どうしたんだよ、急に」

「あなたと私が想いを通じ合わせた証が欲しいの。じゃないと、私……」


 そう言って俯くセレスにルプスは何を言っていいのか分からなかった。

 口を開こうとすると、客人として迎えてくれた月の女神が口を挟んでくる。


「あなたたちに……子供は、無理。分かって……いるでしょ。セレス」

「それは、そうなんだけど」


 悪魔は魂を彼岸の向こう側ーーつまり冥界に縛られている。

 故に身体が消し飛ばされても魂を元に肉体が再生し、死ぬことはない。

 だが、それは死んだまま生きているようなものだ。

 ありえざる死者と生者の間に、生誕の理が介入することは不可能。


「それでも、欲しいの」

「そう言われても……ね。無理なものは……無理、よ」

「うん……」


 セレスの落ち込みようにルプスは何とも言えないような気持ちだった。

 彼女には悪いが、安堵していた。

 ルナマリアやセレスと出逢い、人並みに常識と情緒を身につけたルプスは自分の手がどれほど血にまみれているのか知っている。そのことに後悔はないが、この血塗られた手に無垢な子供を抱くようなことが出来ると思えなかったからだ。


 ーーだが、運命は二人が穏やかに暮らすことを許さない。


 いくら隠していても何度も繰り返していれば第一死徒と七聖将第一席の逢瀬は天界に知れ渡る。奇しくも冥王を監視していた天使によって、二人の婚姻は天界でも周知の事実と成り果てた。


 天界に知られることで地上にも知られ、ルプスは周囲から糾弾され、セレスを殺すべきだと主張した輩をぶっ飛ばし、葬送官を辞めた。セレスにも同じようなことがあったようで、二人は揃って放浪生活をすることになった。


 突然のことだったが、二人に不満はなかった。

 終末戦争の名残で雨を凌げる廃墟はいくらでもあったし、Sランクの未踏破領域に住めば誰の追手もかからない。時折、獣人に扮して街を出歩くくらいは出来る。むしろ七聖将や死徒を務めていた時とは思えないほど自由で、幸せな暮らしがそこにあった。


 しかし、天界に回った噂があの女に届かないはずもなく。

 子供が欲しいという母の願いをアゼルクスは見逃さなかった。


「手を貸してあげましょうか?」


 それはルプスとセレスがお忍びで地上の街を散策していた時の事だった。

 占い師に扮していたが、隠し切れない神聖を秘めた女が現れた。


 ざわざわと話し声の絶えない雑踏。

 そこから外れた路地裏に店を構えながら、女は話しかけてくる。


「えっと、何? お姉さん。別に私、手を貸してもらうようなことは……」

「子供が欲しいのでしょう? それも、何らかの難病を患っている」


 セレスは息を呑んだ。

 彼女とて女の正体は分かっているはずだが、それでもその言葉に惹きつけられている。


 殺すか? とルプスは逡巡する。

 この女が何の目的で近づいてきたのかは分からないが、ロクなことではないはずだ。

 自分ならやれる。この女を一瞬で殺すことが出来る。

 ゆっくりと手を挙げたルプスに、しかし、セレスはその手を掴んで。


「……あなたなら、どうにかできるって言うの?」

「おい、セレス」

「可能ですとも。少しばかり、あなたの協力が必要ですが」

「協力……?」

「髪の毛を少々頂きたいのです。私の(まじな)いは少々特殊なので」


 やはり殺すか、とルプスは(いかずち)を迸らせた。

 だが、セレスはおのれが火傷することも構わず、ルプスの手を止め続けるのだ。


「……いいわ。協力する」

「おい、セレス!」

「大丈夫よ、ルプス。私たちなら何があっても大丈夫。そうでしょう?」

「そりゃあ、そうだが……」


 なにせ世界最強とそれに準ずる力を持つ女である。

 例えオルクトヴィアスが相手だろうと生き残れる自信が彼らにはあった。

 そう、それがこの世界の相手ならば、どうとでも出来るのだ。


「……はい、確かに頂きました。では、呪いを」


 占い師の女はセレスの手に触れた。

 虹色の光が彼女の腹に吸い込まれていき、やがて消える。

 占い師は満足げに頷くと、すぅ、と身体を透明になっていく。


「今夜、身体を重ねれば二人の間に子供が出来るでしょう。恐らくは」

「ほんと!?」

「おい、待ちやがれ! オメェ、名は」

「私の名はレフィーネ。どうかその子供が健やか足らんことを祈ります」


 そう言って、女は姿を消した。

 セレスは半信半疑ながらもルプスに迫ってきて、ルプスは頭を掻くしかなかった。

 子供を産みたい彼女の気持ちは分かったが、それにしても怪しすぎる。

 結局、彼女に押し切られる形でその晩は身体を重ね、月日の経過を待った。

 そしてーー


「……出来てる」

「…………」

「出来た。私たち、子供が出来たのよ、ルプス!」

「……あぁ。そうだな」


 お腹のふくれてきた身体をさすり、子供のように喜ぶセレス。

 けれどルプスは素直に喜ぶことが出来なかった。

 エリージアの所に赴き、レフィーネがアゼルクスの端末であることを知らされていたからだ。


「どうして元気がないの? あなた、嬉しくないの?」

「そりゃあ……オメェが喜ぶことならいい……けどよ」


 言葉を濁すルプスにセレスは眉根を下げた。


「分かってる。アレの事でしょ」

「……ん」


 廃墟の寒々しい風が二人の間を通り過ぎていく。

 言わなくてはならない事を告げる、重苦しい空気がその場に満ちていた。


「もしも出てきたのがアレの端末なら」

「言わないで」

「いや、言う。言わなきゃならねぇ。もしもそうなれば……俺様が、ガキを殺す」


 セレスがきつく目を瞑り、唇を引き結んだ。

 出逢った頃と似て非なる、研ぎ澄まされた刃のような殺意。

 妻の害となるならば何者も殺す、凄絶な覚悟がそこにあった。


「……分かったわ。でも、その時はあなただけに手は汚させない。私も一緒に」

「……おう」


 何もない廃墟で二人は身を寄せ合い、互いの温もりを交換する。

 ゴホ、とルプスは咳をした。大丈夫?とセレスは問う。問題ねぇと応えた。

 血に濡れた手のひらを隠しながら、ルプスは不敵な笑みを浮かべたのだった。


 ーーそれから一年後。


 妊娠により戦闘が不可能となったセレス。

 そこを狙うかのように、悪魔たちや葬送官たちの追手が酷くなっていった。

 ルプスだけなら問題ないが、妊娠したセレスを抱えて逃げ回るのは得策ではない。

 安全な場所を確保しなければ母子ともども危ないと二人は判断し、ルプスはルナマリアの下へ身を寄せた。


 実に二日に及ぶお産はセレスに多大な負担をかけたもののーー


「ぎゃぁぁあああ! ぁぁあああああ! ぁああああ!」

「生まれた、生まれたぞ! セレス、よく頑張った、男の子じゃ!」

「……あぁ、この子が……」


 待合室でずっと待っていたルプスは弾かれるように分娩室へ飛び込んだ。

 お産を終えたばかりのセレスが憔悴した様子でベッドに倒れ、ルナマリアが赤子の身体を拭いたまま抱いている。


「セレス」

「あなた、私は無事……この子も、無事よ。抱いてあげて?」

「ほれ、ルプス。お主の子じゃぞ」


 赤子を差し出され、ルプスは硬直する。


 瞼が震える。

 どくんどくんと心臓が早鐘を打つ。

 喉が変な音を立てて声が出せなかった。


 言う事を聞かない身体を叱咤し、ルプスはゆっくりと腕を上げた。

 そっとじゃぞ。というルナマリアの声など耳に入らない。


 おっかなびっくり赤子を抱き、ルプスは目を見開いた。


「ぁぁああああ! ぁああああ!」


 喜びと希望。生への活力に満ちた雄叫びがそこにあった。

 自分とセレスのまじりあった魔力。顔立ちは猿のようにしか思えないけれど。

 血塗られた手に抱いていいとは思えない無邪気の塊で、触れるのは少し怖いけれど。


 その耳にあるのは人と悪魔の血を引いた半魔の証(半端に伸びた耳)

 自分の子なのだと、実感できた。


「なんじゃ。ルプス。泣いてるのか?」

「……泣いてねぇ」


 滲んだ視界。濡れたヴェールの外で、セレスとルナマリアが顔を見合わせている。

 言いたいことは山ほどあるが、今はどうでもいいという気分になった。

 赤子に指を伸ばすと、赤子が力強く指を掴んできた。それだけで胸が満たされた。


「名は、名は決まっておるのか?」

「『煌めく星(ジーク)』よ。姉さま」

「ジーク……ジークか。良い名ではないか。ほれ、ジーク。ルナマリアおばじゃまじゃぞー」

「ぎゃぁあああああ! ぁああああああ!」

「ほほ。元気のいい赤子じゃて。なぁ、そう思うじゃろ。ルプス?」

「……あぁ」


 固い決意が、ルプスの中に芽生えていた。


 ーー守らなければ、ならない。


 この世のあらゆる理不尽から、アゼルクスの魔の手から。

 神々に運命を翻弄されても生き残れるように、守らなければならない。

 ルプスはルナマリアのメイドに子供を渡し、セレスに近付いた。


「よく頑張ったな、セレス」

「うん。ねぇ、あなた。あの子は」

「分かってる。俺様たちの子だ。アレの端末じゃあない」


 セレスはほっとしたように肩の力を抜いた。


「……よかった。本当に、よかった」

「少し外に出る。ちゃんと休んでろよ」

「えぇ」

「ルナ。ちょっと付き合え」


 ルプスはルナマリアを伴って外に出た。

 誰もいない異端討滅機構の隠し通路の中で、ルナマリアは不満を呈する。


「なんじゃルプス。妾、もう少しあの子を見ておきたかったのじゃが。

 お主のむさくるしい顔よりジークの愛くるしい顔を見ておきたかったのじゃが」

「うるせぇな。少しくらいいだろ。大事な話だ」


 ルプスは通路の壁に背を預け、ルナマリアと向かい合う。


「お主が大事な話……あの野獣のようだったお主が子供……感慨深いのう」

「だから黙れっつーの」

「分かった分かった。それで、話とはなんじゃ。住処の提供か? それなら問題ーー」

「俺様はもうすぐ死ぬ」


 その場の空気が凍り付いた。

 ルナマリアの笑みが消え、彼女は怪訝そうに柳眉を寄せた。


「………………死ぬ? お主が?」

「あぁ、そうだ……ごほッ」


 ルプスは咳込み、血にまみれた手のひらを握りこむ。


「まぁ俺様も人間だからな。雷霆神のクソッタレが遺した力を使いすぎた。

 身体が神の力に耐えきれずに崩壊しかけてるらしいぜ。よくもった方なんだとよ。笑えるよな」

「笑えるわけ、ないじゃろうがッ! お主、お主が……世界最強、暴虐無尽のお主が……」

「死ぬ。どうしようもなく絶対的に。俺様は死んで、悪魔になる」


 ハッとルナマリアは顔を上げた。

 そして安心したように微笑み、


「そ、そうか。悪魔になるならいい。いや良くはないのじゃが……。お主なら自我を喪う事もない。真なる悪魔(トゥルーデーモン)間違いなしじゃ。それなら、二人に寂しい思いをさせることは……」

「悪いが、俺様は死んだあと姿を消すつもりだ」

「は?」

「そんで、セレスも長くは持たねぇ……母体に負担をかけすぎた。もって十年だ」


 今度こそ、ルナマリアの顔が凍り付いた。

 聡明な彼女は理解したのだ。ルプスの言っている事が真実であることを。

 本来生まれるはずのない子供を産んだセレスの身体は、とうに。


「……っ」


 神の巫女は泣きそうな顔になった。


「なら、ジークは、あの子は、世界で一人に」

「だから、オメェに頼みがある」


 一拍の沈黙。

 涙を拭い、ルナマリアは取り繕ったような笑みを浮かべた。


「ジークを守る事か? 任せろ。それくらい妾なら」

「バーカ。守る? 俺様とセレスを庇い切れなかったオメェが?無理だろ。そりゃ」

「…………」

「いちいちへこんでんじゃねぇよ。責めたいわけじゃねぇ。

 オメェにジークを任せるのは、十五年後だ。もっと早くなるかもしれねぇが」

「……どういう事じゃ?」


 ルプスはセレスと共に立てたアゼルクスへの対抗策を話した。

 ジークの中には自分たち以外の力を感じる。間違いなく神々が何か仕掛けている。

 おそらくは創造神ゼレオティール。


「俺様はあいつを最強に育て上げる。俺様を超える世界最強にな」

「……っ!」

「オメェは強くなったアイツを受け入れろ。それなら周りも黙るだろ。俺様の時みたいにな」


 だが、ルプスを超える世界最強。そんなもの、もはや人ではない。

 雷霆神エゾルギアの遺産としてケダモノの道を歩み続けたルプスを超えるには。


「お主、実の息子を修羅にでもする気か!?」

あぁ(・・)そうだ(・・・)


 ルナマリアがルプスの胸倉をつかみ上げた。

 体格の小さな彼女の、射殺すような瞳がルプスを見上げる。


「見損なったぞルプス、お主は……!」

「なら、どうすりゃいいってんだ?」


 ルプスはルナマリアを突き放した。

 たたらを踏んだ彼女は、凄絶な覚悟を瞳に宿す友に目を見開いた。


「お主……」

「俺様はもうすぐ死ぬ。世界は、あの神(・・・)はセレスの存在を許さねぇだろう。あいつはじきに一人になる。そうなったとき、誰があいつを守ってやれる? あいつの耳を見ただろ。俺様やセレスでさえ糾弾されたんだ……生まれた時から人と悪魔の子として厄介者扱いされることが決まっているあいつを、クソみてぇな運命を背負ったあいつを、誰が守ってやれるってんだ!?」

「……!」


 吼えるような言葉だった。

 それは子供を守る父の叫びそのものだった。


「決まってる。誰も守っちゃくれねぇ。テメェの身はテメェで守るしかねぇんだ」

「ルプス……」


 この理不尽な世界では弱者に生きる価値などない。

 それはルプスが物心つく前から野で育って固まった価値観の全てだ。

 セレスと出会ってからも変わらない。


 だが、それは。


「並大抵の修練では、不可能じゃ。人としての生活を捨て、生まれた頃から武術に全てを費やすような……そのような修業、子供に耐えきれるはずがない!」

「そうだな。だからどうした」

「父として最低の在り方じゃ! 分かっているのか、それはお主の父がお主にやったことと同じじゃぞ!」

「そんな事は分かってるッ!!」


 物心つく前、まだ言葉も覚えていなかったころ。

 記憶の彼方に残る。父の暴力、言葉、その全ては胸に刻まれている。

 あんな父親には絶対になりたくなかった。今だってなりたくはない。


 だが、それでも。


「例え嫌われようが……俺様がやれることは、一つだけだろ」


 この世界はジークを受け入れない。

 受け入れる事が出来る自分たちは、遠からず死ぬ。


「あいつを受け入れてくれる奴もいつかは現れるだろうな。で、それはいつだ? それまでアイツが無事で居られる保証がどこにある? 誰かに殺されねぇ保証があるか? 死にゆく俺様たちが、父親としてありえねぇ出来の俺様が、息子に何を残せるってんだ!」

「ルプス……」


 何百、何千万の命を奪ってきた血塗られた手だ。

 どれだけこすっても落ちない、罪の塊のような男が自分だ。

 そんな自分が父として子供に遺せるのは。


「強さしか、ねぇだろ」


 この身に刻まれた、生きる術。

 孤高を貫くことが出来る絶対的な力こそが。


「魔獣にも神獣にも人にも悪魔にも天使にも、神々にだって負けねぇくらい鍛えてやる。嫌われるだろう。憎まれるだろう。それでいい。そうでなくちゃ困る。だが、例え忌み嫌われようと強くしてやることだけが、俺様が父親として出来る唯一のことだろうがッ!」

「……っ」


 ルナマリアは涙の堤防を決壊させ、俯いていた。

 野獣として生きた男が人として修羅の決意を固めた瞬間だ。

 その悲しいまでの『父の想い』に、口を挟める資格が誰にある?


「俺様が死んだ後、真なる悪魔(トゥルー・デーモン)になるのは間違いねぇ。俺様だからな。あのクソ神は成長したジークの身体を狙ってくる……だから来たるべき時、()()()()()()()()()()()()()()()()()。あいつの身体は誰にも渡さねぇ」

「……それは、じゃが!」

「そうだ。あいつに俺様を殺させる。俺様に勝てるのは俺様だけだ。()()()()()()()()()()()


 自分を依り代にすれば、アゼルクスが他の肉体に逃げることを防ぐことが出来る。

 例え本気で戦わされる事になろうと、自分すら超える力を身に着ければ。あの神にも。

 そんな悲壮な覚悟に、ルナマリアは。

 終末戦争の凄惨さを知る神の巫女は、力なく肩を落とすのだ。


「……じゃが、お主らの計画をもってしても、あの神には」

「カカッ! それこそ無用な心配って奴だぜ。ルナ」


 話は終わりだと、ルプスは身体を起こした。

 出逢った時と同じ、絶対の自信に満ちた笑みがそこにある。


「舐めんなよ。アイツは俺様のガキだぜ?」


 ルプスは分娩室の扉を見つめ、誇らしげに呟いた。


「俺様の息子は、誰にも負けねぇよ」





明日は二話同時更新。

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