第二十五話 決着の刃
ルプス・トニトルスの強さの本質は野獣とも呼べる性質にある。
それも、野獣だけではないのが厄介なところだ。
本能のままに動いているように見えて理にかなっている。攻撃がどこから来るのか考えても無駄だ。時に正解の『理』を踏み潰して彼は我が道を往く。数多の敵を踏み越えて得た拳闘術は世界の誰にも負けないだろう。そこに馬鹿げた魔力と雷霆神の加護が重なるのだから、厄介なことこの上ない。
ーーならばそこに、外なる神アゼルクスの力を加えたなら?
【カカッ!】
決まっている。
混沌の力を手にした最強に、敵う者などいない。
「……くっ! 『大地隆盛』!」
一歩分の間合いを詰めたルプス。
ジークは地母神の加護を発動させ、体勢を崩すため彼の足元を隆起させた。
瞬間、ルプスは獣じみた動きで身を翻し、空中で回転しながら回し蹴りを放つ。
「!?」
「『破滅の雷霆』!」
足の先から黒き雷が奔った。
恐ろしい衝撃が直撃し、ジークは魔力を吸収しながら宙できりもみを打つ。
吸収しきれない雷が身体を舐めるように蹂躙し、筋肉が悲鳴を上げた。
「づぁ……ッ!」
【そんなもんかよ、おい、クソガキ! もっと本気出せや!】
「私もいることを忘れるな」
ルプスの背後からメネスが斬りかかる。
時の神の加速によって距離の概念を殺した一撃は、すなわち必殺の斬撃。
神々すらも屠るメネスの十八番が炸裂。しかし、ルプスは。
【喰らうかよ、馬鹿がッ!】
「……っ」
空間転移。
アゼルクスによって神々の力を我がものとしたルプスはメネスの背後にいた。
「しまっ」「遅ぇ!」咄嗟に振り返るメネスの頬を、大砲じみた拳が打ち付ける。
ーーボキボキボキィッ!!!
骨が折れる嫌な音を響かせながらメネスが吹き飛んだ。
しかし、メネスとてルプスの同盟者だ。宙を飛びながら、彼は影の神スカージアの加護を発動する。
メネスの影から伸ばされた触手がルプスの足に絡みついた。ニィ、とメネスは嗤う。
「王の散歩に従者も居ないのは忍びない。少し付き合え」
【ハッ!】
触手でルプスを引き寄せた先、ジークが宙に浮かんでいる。
その反対側では、神獣形態となったアルトノヴァが佇んでいた。
双方から光が迸りーー
「『荷電粒子砲・極』!」
「キュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
蒼き雷が、ルプスを挟み撃ちにした。
【そんなものーー】
「避けさせはせんぞ」
メネスの瞳が妖しく煌めく。
「『魔界楽土』。かき乱せ!」
【…………!】
魔の女神サタナーンの加護だ。
アゼルクスほどの強大な存在を支配することは出来ないが、その魔に干渉し、かき乱すことは出来る。空間転移で避けようとしたルプスの魔に干渉し、メネスはルプスの足をオルクトヴィアスの力で殺した。
二重、三重にも張り巡らされた加護の力に、ルプスは対応できない。
蒼き雷撃が世界を染め上げた。
ーー……バシィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!
炸裂する閃光。
世界をとどろかせる爆発音。
宙を回転したジークの足元にアルトノヴァが帰還する。
「きゅー!」
「おつかれさま、アル。これで……」
「そこから先は禁句だぞ、我が甥よ」
メネスは苦虫を噛み潰したように言った。
「最も、口にせずとて奴には届いていないだろうがな」
「……手傷くらい負わせただろうって言いたかったんだ」
「だから、それも同じだ」
ため息をついたメネスの眼前、雷がかき消され、ルプスが現れる。
黒き鎧を身に纏う彼の身体に一切の傷はない。
七つの加護を身に宿すジークとアルトノヴァの挟撃を受けて、なお。
【カカッ! もう一度言ってやろうか、クソガキ。そんなもんかよ?】
ルプス・トニトルスは陰惨に嗤うのだ。
【連携が足りねぇ。練度が足りねぇ。経験が足りねぇ。足りねぇもんばっかりだ。
混沌の力を手にした俺様に、そんな程度でかなうとでも思ってんのか?】
「……これでも世界を手中におさめるだけの力はあると自負していたが」
メネスは苦笑気味につぶやく。
「奴の前では、最強という概念がおかしくなるな」
「ほんとに……」
心の底から同意だった。
自分とメネスで敵わないなら、この世界で敵うものなどいないだろう。
本当の意味で、ジークはルプスに勝ったことなど一度もないのだ。
「おじさん、世界の時間を止めることは」
「無理だ。奴は今や世界そのもの。地上ならいざ知らず、この空間で奴の全てを止めることは不可能だろう」
「そっか……」
使えるならとっくにやっていると言いたげなメネスだ。
ダメ元とはいえ、頼みの綱が一つ減ったことにジークは歯噛みする。
(第三の力を使いたいけど、二人で相手をするのに手一杯だ)
アゼルクスの時と同等、いや、それ以上だ。
今でさえメネスと自分でようやく相手を出来ているのに、自分が欠ければメネスは死ぬ。メネスが死ねば、すぐに自分の番となるだろう。
【思った以上の成果だ。褒めて遣わすぞ、ルプス】
ルプスの額が裂け、口が現れた。
ルプスの鎧となって力を貸しているアゼルクスだ。
【さすがは世界最強を自負するだけはある。そのまま依り代を我が物とせよ】
【言われなくてもやってやんよ。黙って見てろ】
【ふ。我が力の全てを貴様に貸そう。頼んだぞ】
ぶわりと、ルプスから黒いオーラが立ちのぼった。
ジークとメネスは同時に戦慄する。
(嘘だろ……)
(ここからさらに、まだ上があるというのか……!?)
その場の空気が一段と重くなり、膝をついてしまいそうだった。
全身が総毛立ち、がちがちと歯が震えてしまいそうになる。
七つの加護を身に宿すジークをして、獅子に狙われた子兎のような気分だ。
地母神ラークエスタが戦意を喪った意味を、ジークは理解する。
(これが、これこそが、外なる神、混沌の王アゼルクス……!)
生半可な覚悟では、アゼルクスを目にする事すらかなわない。
第三の力さえ使えれば何とかなると思った自分を殴りたい。
彼を討つためには、文字通り全てを懸けねばならないというのに。
「「やるしかない、か」」
ジークとメネスは同時に呟いた。
顔を見合わせ、肩を竦める。作戦を立てる必要なんてなかった。
互いの手の内は、もう話し合っている。
ジークは呼吸を落ち着けながら、愛する婚約者を想う。
(アスティ。聞こえる?)
(……えぇ、ジーク。聞こえるわ。やるのね?)
(うん。こっちは最後の戦いだ。お願い)
魂でつながった契約神が微笑んだように思えた。
地上で戦うアステシアは救護所の中だ。白い靄が全てを呑み込み、戦いは中断されている。アステシアは祈るように手を組み、ジークを想う。
(私の全てをあげる。存分に使って)
(うん。全部ちょうだい)
もはや詠唱など必要ない。絆を結んだ二人の心は見る間に重なっていく。
「『無限世界の超越者』発動」
ーードンッ!!
ジークの身体が光に包まれ、神に適応した肉体に変化する。
アルトノヴァとアステシア、三身一体となったジークはルプスを睨みつけた。
『これでも足りないっていうの?』
【使徒化、ね。まさか混沌領域でもやってみせるとはな】
ルプスは愉しげに笑う。
だが、次にメネスを見たとき、彼の顔色が明らかに変わった。
「契約の名の下に我が元へ集え。オルクトヴィアスが契約者。冥界の王、メネスが命ずる!」
彼の背中から、六対の悪魔のような翼が生えていく。
額からは三本の角が生え、身に纏う魔力が明らかに重みを増した。
「『魔を統べる王権』発動」
【メネス。貴様……!】
世界の全てを看破するアゼルクスは口だけで驚愕を示した。
【使徒化の同時発動……! 複数の神の情報をその身に降ろしたのか!?
いくら死の神と契約した貴様とて、そんな事をすればその肉体がどうなるか……!】
「あと一時間もしないうちに崩壊するだろうな。だがそれでいい。
我が甥が命を賭けているというのに、私だけリスクがないのは不公平だろう」
メネスの額には玉のような汗が浮かんでいる。
冥王と呼ばれた彼も元は人間だ。
太古の神々の情報に彼の魂が堪えきれる時間は僅か。
だが、その僅かな時間があれば、ジークのために時間を作ることは可能となる。
ジークにとっての使徒があるように、メネスも切り札があったのだ。
文字通り最後の賭け。これが通じなければ世界は終わる。
【いいぜ。やろうじゃねぇか。どいつの本気が勝つか。勝負だ!】
転瞬、ジークはルプスの間合いに踏み込んでいた。
『全部、取り戻す!』
アルトノヴァが雷を吐き、超越者の魔眼がルプスの避ける先を限定する。
無数の斬撃を飛ばすジークにルプスは悪態をつきながら対処。
アゼルクスの槍を巧みに操り、雷と斬撃を絡め取っていく。
つまり、その場に釘付けになった状態だ。
その先の未来は、もう決まっている。
『おじさん!』
「『処刑者の魔弾』……!」
メネスの剣が飛ぶ斬撃を放ち、斬撃の刃は無数に枝分かれする。
ルプスの黒き雷は魔弾を撃ち落としていくが、ジークの攻撃と合わせて全て対処するのは無理だ。
【ちぃ……!】
槍を回転させて対処するも、彼の身体は弾丸に穿たれていく。
その瞬間、ルプスの体勢が崩れた。
【!? これは】
『処刑者の魔弾』
それは死の神、影の神、魔の神、時の神、四つの加護を合わせた必中の魔弾である。
命中した対象の死の運命を確定し、魔を支配し、時間感覚を狂わせる。
アゼルクスほどの強者となれば死を確定させることは出来ないが、それでも命を削る事は可能となる。
【舐めるなよ。俺様を誰だと思ってやがる!】
雷撃、魔弾、斬撃、その全てを喰らってなおルプスは拳を振るう。
アゼルクスの魔力に任せ、必要最小限の傷で済ませたのだ。
大きく構えた拳は雷撃を纏う。
問題ない。間合いに踏み込まれる未来はないのだからーー
否、これは。
(……!? ジーク、後ろよ!)
(……!!)
アステシアの悲鳴が響き、ジークは咄嗟にアルトノヴァの尾を振るった。
ガキンッ!と激しい金属音が木霊し、ジークは衝撃に任せて横に飛ぶ。
見れば、ルプスの拳だけが空間を渡り、ジークの背中を打ち付けていた。
『まさか……!』
【カカッ! そのまさかだぜ】
ルプスはその場から一歩も動かない。
拳の先から空間を渡る小さなドアを無数に作り、撃ち放つのみ。
「ジーク! 避けろ!」
【混沌の裁きってやつを、受けて見ろや!】
拳の嵐が巻き起こった。
縦横無尽、全方位から現れるルプスの拳。
国一つを滅ぼして余りある拳打の嵐を叩きこみ、彼は高らかに嗤う。
【避ける未来なんてねぇだろ!? 使徒化破れたりってやつだぜ、クソガキ!】
「……っ、しっかりしろ。そんなものではないだろう、我が甥!」
『うるさい……! そっちこそ!』
【カカッ! 仲間割れか!? いいぜ、二人まとめてぶっ潰してや……】
その瞬間、ルプスの野性じみた勘が違和感をささやいた。
メネスが魔弾を打ち続けている。雷で全ていなしているが、感触が鈍い。
冥王の力はこんなものではーー
その瞬間、眼前の景色が切り替わった。
【……………………!?】
ルプスは目を見開く。
拳に打ち抜かれているはずのジークは遥か後方に佇んでいる。
反面、メネスがルプスの拳に打たれ続けている状態だった。
【入れ替わり……!? いや、それどころじゃねぇ……】
時間感覚がおかしい。ゼロコンマ一秒にも満たない僅かな時がずらされている。
一体どこから? 違う。まさか。
「最初からだ」
ニィ、とメネスは血まみれで嗤った。
「アゼルクスを追い込めば貴様が出て来ることは分かっていた。
だから、私は最初からクロスディアの力を斬撃に込めていたのだ。
一瞬にも満たない僅かなズレが、貴様に身体を譲った時に現れるようにーー」
使徒化という切り札はフェイク。
ルプスが拳だけを空間転移させ始める時、二人は入れ替わっていた。
影の神スカージアの権能『影写し』により、メネスはジークの姿を写し取った。
そして雷の加護だけをコピーし、あたかもジークのように打ち続けていたのだ。
第五死徒キアーデに与えた『完全模倣』の大罪異能はこの加護を元にしている。
「行け。ジーク」
メネスはふらりとよろめき、笑った。
ーーようやく稼いだ、奇跡の十秒。
「天威の加護第三の力、発動」
世界がぐにゃりと歪み、蒼き雷があたりを蹂躙する。
ジークの肉体は雷そのものとなり、雷に触れた全てが消滅する。
それは創造神が世界を創る際、あらゆる混沌を均した絶対消去の権能。
世界を白紙化させる際、アゼルクスが使ったものとは似て非なる、滅びの権化。
七つの加護を一つにし、自らを雷そのものと変える必殺の一撃!
ギンッ! と紅色の眼光が煌めき、
「『世界の終焉』」
終焉が奔る。
蒼き雷は距離の概念を殺し、時を超え、ルプスの間合いに真っ向から踏み込んだ。
過去、現在、未来、あらゆる時空を消滅させ、世界を超える必中の刃。
魔剣に触れた世界が消滅し、黒き流星がアゼルクスに直撃する!
【ぐ、ぉぉおおおおおおおおおおッ】
ルプスが両手を掲げて受け止めようとするが、無駄だ。
この刃は絶対防御領域すら消滅させ、世界ごと外なる神を貫く。
【馬鹿な……どこに、そんな力がッ!】
アゼルクスの戦いでかなりの力を消耗していたジークにそんな力はないはずだ。第三の力の発動を防ぐために戦いに付き合っていたと言っても過言ではない。そう、ジーク一人なら、到底魔力が足りなかった。
「大罪異能『愚者の叛逆』」
力の発動にかかりきりのジークに代わり、メネスが外なる神を嘲笑う。
「我が甥を侮ったな。外なる神アゼルクス」
そう、ジークはメネスの使徒化した魔力を吸収していたのだ。
メネスは切り札をフェイクとしてだけではなく、ジークの補助として使い倒した。冥王と英雄の命を懸けた力は、外なる神の力すら凌駕する。
「これで、終わりだぁああああああああああああああああああああ!」
魔剣アルトノヴァが、ルプスの胸を真っ向から貫いた!
【…………まさか】
ざしゅ、と。
肉を貫く嫌な感触が伝わり、ジークは命の核に届いたことを悟る。
再生も不可能。終焉が彼の身体を奔り、その命を散らすだろう。
【我が、死……ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお】
アゼルクスが断末魔の悲鳴を上げて消えていく。
それはすなわち、彼が依り代としていたルプスの死も意味していてーー
【……ハッ】
ルプスは最期まで不敵に、好戦的に嗤っていた。
(さようなら、父さん)
師の仇であり、因縁の相手の死にジークは固く目を瞑る。
ようやく全てが終わった。そのことを噛みしめた瞬間だった。
『真実の扉を開く時じゃ。ジーク』
「え」
突如、ルナマリアの声が脳裏に響いた。
ルプスの額が光を放ち、刃を通してジークの中に伝わってくる。
『追憶の果てに父を知れ』
その瞬間、ルプスの全てがジークに流れ込んできた。




