第十九話 神殺しの竜
ざしゅ、と。
引き抜かれた腕が支えを失い、二人はたたらを踏んだ。
息を荒立てた神と人が見据えるのは、もはや満身創痍の互いの姿。
オルクトヴィアスの与えた祝福がなければ、オズワンはとっくに死んでいる。
「だ、ははは……よもや、我が守りを、突破されようとはな……。
それも、このような……凡夫と侮辱した男に……ふふ。滑稽だ」
「おれは強ぇからな。当然だろ」
「ハハッ! うむ、見た目だけではなく、中身も良い男か。
気に入ったぞ、オズワン。貴様、我が元へ来い。共に睦み合おうぞ」
男色の気もあるダルカナスにオズワンはげんなり顔だ。
「俺には心に決めたやつがいるから、無理」
「そうか」
「大体、なんでテメェは……混沌の神なんぞについていったんだ」
「女神を思うようにして良いと言われたのでな……我が宮殿に全ての女神を侍らせたかったのだ」
ただそれだけ。たったそれだけの理由で世界を裏切る。
だが、男の欲望に従ってこそ自分だとダルカナスは胸を張る。
「しかしここを突破された……もはや、致し方なし」
ダルカナスの魔力が急上昇する。
黒いもやが彼の身体を渦巻き、震えるほどの威圧感がオズワンを襲う。
「我が誇りに懸けて、貴様を殺そう。オズワン・バルボッサ」
呟き、彼は手を掲げた。
「神核武装『暗黒の煌めき』
その瞬間、彼を渦巻いていた靄が背後へ移動し、形を取った。
闇のヴェールを脱ぎ去って現れたのは、数千を超える闇の弓兵だった。
ダルカナスの神核武装は他の神々のように何かを具現化することはない。
これは彼が元々持っていた能力で、その権能の真髄は精神干渉。
攻撃に触れた全ての者の精神を闇で塗りつぶし、凌辱する。
「闇に堕ちるがいい。オズワン」
数千もの弓弦が連鎖する。
オズワンの本能が囁く。これを避けるのは無理だと。
どれだけ致命傷を回避しようとしても、この命はここで散ると。
「ハッ! 誰が堕ちるか、クソ野郎」
それでもオズワンは、不敵に笑うのだ。
「おれはオズワン・バルボッサ! 漢の魂は誰にも止められねぇ!
おれを堕とす? やれるものならやってみろ! テメェが火傷しねぇうちになぁ!」
死に際に高笑いし、オズワンは前に出た。
背中を刺されて死ぬなどお笑い草だ。どうせなら、前へ。
心に想う彼女に恥じない、相応しい最期になるようにーー
「《風よ逆巻け》、《嵐のごとく》、《消し去れ》『風の戦槌』!」
風が、数千本の死を巻き上げた。
『!?』
驚愕する両者。
二人の間に割って入ったのは、金髪を翻す女傑だった。
「な、なんで、テメェがここに」
ジークたちと共に先へ行ったはずの女ーーオリヴィアだ。
柳眉をあげて怒りを示す彼女に、オズワンが動揺する。
「なんで残った! テメェが残ったら、おれは何のために……!」
オリヴィアは大きく肺を膨らませ、
「この、馬鹿者!!」
一喝。
そして急にしどろもどろになって、
「私に、き、き、キスまでしておいて……勝手に死ぬ気か!?
ふざけるな! 責任を取れ! 私は初めてだったのだぞ!?」
「え、いや、でも」
生きて帰れるか分からない。生死を賭した危機的状況。
けれど、自分が男の帰りを黙って待つような大人しい女だろうか?
否だ。リリアと同じように、そんな状況になれば自分は共に戦うだろう。
だからこそ、彼女はレイピアを掲げて告げるのだ。
「決闘だ。オズワン。あの雑兵、どちらが多く打ち倒せるか!」
オズワンは目を見開いた。
言いたいことは山ほどあった。言わなきゃいけない事もきっとあった。
それでも、彼女に会えたことが嬉しくて。その言葉に応えなければ、自分は。
「ハッ! 後悔すんじゃねぇぞ、オリヴィア」
オズワンはオリヴィアに背中を預け、不敵に笑う。
「おれが圧倒的に勝つからな。番になる準備しとけよ」
「ふん。寝言は寝て言え。私が勝つのだからな」
「ーー美しき愛だ。しかし、雑兵が増えたところで……!」
ダルカナスが弓兵に再び攻撃を命じる。
しかしダルカナスは間違えた。
オリヴィア・ブリュンゲルがこの場に残った意味を。
リリアを救うためとは言え、彼女が船に乗ることを許された意味を。
「権能武装、発動」
『戦姫』オリヴィア・ブリュンゲルは、集団を相手にこそ真価を発揮する。
「舞い狂え、『無空剣』」
七聖将第一席に鍛えられた加護は、並の特級葬送官を遥かに凌駕する。
空間に溶けたレイピアの剣身が無数に枝分かれし、真空の道を作った。
ダルカナスを守るように前へ出た弓兵たちを、真っ向から撃滅する!
「は?」
ダルカナスの前に居た全ての弓兵が、粉々に押しつぶされた!
ダルカナスは間の抜けた声を出す。
遅まきながら失策に気付き、そして戦慄する。
(この女……! 混沌領域でこれほど加護を使いこなすとは……!)
陽力量は凡人の息を出ない。序列百位以下の葬送官と変わらないだろう。
だが、加護の理解と深度。そして権能武装を使いこなすさまは、あるいは、七聖将に迫るほどのーー
「ハっ! さすがは俺の惚れた女だ。惚れ直したぜ、オリヴィアッ!」
戦慄するダルカナスの眼前、オズワンが迫っている。
オリヴィアが弓兵を片付けると、彼だけは信じていたのだ。
一点突破。
「ぶっ飛べ、この野郎ッ!」
「が……!」
致命傷の上にさらに殴打を喰らったダルカナスは吹き飛び、
だが、神の矜持が彼を立たせた。
「人間、獣人……! 舐めるなよ。我は、神。闇の神ダルカナスなり!」
再び闇を纏い、彼は一万体以上の兵士を生み出した。
数の暴力で押しつぶそうとする相手に、周りを囲まれたオズワン、オリヴィア。
しかし、彼らは笑みすら交わして言った。
「これで千体だ。どうした、私の勝ちか? ん?」
「ハッ! なわけねぇだろ。勝負はこっからだよ」
言いながら、オズワンは影の兵士を蹴り潰した。
死にかけの身体とは思えぬ技の冴え。なけなしの命を振り絞っている。
しかし、オズワンが一体を潰す間にオリヴィアは千体を薙ぎ払っている。
まともにやればこの決闘に勝ち目はない。だから、
「なぁ。雑魚と神が同じ一体じゃ釣り合わねぇよな?あのクソ神を倒したら百万体分カウントってのはどうだ」
「……ふんっ、いいだろう。やれるものならやって見せろ」
オリヴィアはどこか嬉しそうに口元を緩めて、
「兵士の生成スピードが上がっている。恐らく奴の身体はもう限界だ」
「分かってる」
オズワン同様、ダルカナスもダメージを蓄積しすぎた。
兵士たちを前に出してこちらに近付いて来ないのが良い証拠だ。
死にかけの身体を酷使するリスクを減らそうと、限界まで前に出ない腹積もりか。
「私が道を切り開いてやる。貴様は前に出ろ」
「了解だ。さすがおれの番」
「ばッ、ま、まだそうなったわけじゃない! 決闘の決着がついてからだ! ばかものめっ」
まんざらでもないオリヴィアである。
彼が神の元へ辿り着くことを信じて疑わない言葉だった。
とはいえ、オズワンも負けてはいられない。
「ぶっ飛べオラァ!」
影の兵士を掴み、一気に数十体の兵士を薙ぎ倒す。
「これで、二十五!」
「三六〇二!」
「まだまだぁ!」
圧倒的な物量差にひるまず、オズワンとオリヴィアは背中を預け合う。
倒した敵をカウントしながらも、互いの死角を襲う兵士を薙ぎ倒していく。
持たざる者同士が持つ、おそるべき連携だった。
『ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
「よもや、これほどとは」
ダルカナスは感嘆の息をこぼす。
才なき者が辿り着く、人が人でありながら到達しうる限界点がそこにあった。
数多の男女を囲ってきたダルカナスですら嫉妬する。彼らの絆は美しい。
それでも。
「人間は、超えられぬ、貴様らの負けだ」
「ぐ……!?」
「オリヴィアっ!」
オリヴィアは影の兵士に肩を貫かれた。
咄嗟に身を翻したオズワンが、周囲にいる兵士を薙ぎ倒す。
振り返った。オリヴィアのレイピアが元に戻っている。
「ぜぇ、ぜぇ……くそ、こんな時に……!」
権能武装の発動限界だ。
かつてサンテレーゼで権能武装を連続で打ったオリヴィアだが、今の習熟度は以前とは桁が違う。一度の発動で全ての陽力を使い切る。そうしなければ神の魔に抗しきれなかった。
けれどまだ、数万体の兵士が残っている。
周りを取り囲まれたオズワンは目を瞑り、腹をくくった。
わざとらしく口元を歪ませ、あしざまに告げる。
「ハッ! ざまぁねぇな。巨乳女。テメェはそんなもんかよ?」
「な、に……?」
「その程度の実力でおれに勝てるつもりだったのか?
あーあ。心底がっかりだぜ。あんまり失望させんなよ。足手まといがよ」
「な、ぁ」
心を抉る言葉にオリヴィアは絶句する。
以前なら激昂していたであろう言葉。だが、彼の性格を知った今では。
「オズワン……貴様、何を、しようと」
「そこで寝てろよ、足手まとい。邪魔だ」
「オズワン!」
なおも自分を呼び止める声。
オズワンはがしがしと頭を掻いて。
「……最後までカッコつけさせろっての」
振り返り、彼は仕方なさそうに笑った。
「お別れだ。オリヴィア」
「な」
「お前と出会えてよかった。ありがとよ」
別れの言葉に反応する間もなく、彼は足を広げた。
天に吼えるように両手を広げ、彼の身体が光に包まれる。
「ぉ、ぉおお、ぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
声は人のそれから獣のそれに。手足は長く、強靭に。
四本足で巨大な身体を支える、それは人ならざる異形の姿。
「グルル……!」
地竜化。持たざる者であるオズワンが唯一持つ獣人の特権。
本来なら竜となって殲滅力をあげる武器の一つだ。
しかし、ただの地竜化で神に勝てると思うほど、オズワンは馬鹿ではない。
(出来れば使いたくなかったんだがなぁ)
一族に伝わる伝説の秘儀。母から絶対に使うなと教えられた代物。
だが仕方ない。愛する女を守るためなら、喜んで使ってやろう。
(これで本当に、さようならだ。オリヴィア)
例えその代償が、取り返しのつかないものであってもーー
「地竜……ふん。だが、そこの女が戦闘不能になった以上、ただ的がデカく……」
めき、めきめき。
弓兵に射撃を命じたダルカナスの言葉は途切れた。
オズワンの背中が異様な音を立て、ばさりと、翼が現れたのだ。
地を這うだけだった竜は空を知り、おのれの力で空に飛び立つ。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
飛竜化。
おのれの全てを使い敵を撃ち破る、バルボッサ氏族の秘技である。
驚愕するダルカナス、目を見開くオリヴィアの目の前で、紅き竜は口を開いた。
「------------------------っ!」
火焔一閃。
竜の口から放たれた一条の光は、影の兵士を消し飛ばした。
ぐるりと回転し、オリヴィアを囲う兵士を全て倒した飛竜が、蒼玉の眼光を煌めかせる。
「オズ、ワン……?」
オリヴィアの声は届かない。獣が見据えるのは敵手ただ一人。
飛竜の眼光に居竦められたダルカナスは狂ったように叫んだ。
「そいつを殺せぇえええええええええええええええええええ!」
影の兵士が宙に浮かび、飛竜に取りつこうとする。
だが、影は飛竜に触れた瞬間に燃え上がり、光の粒となって消えた。
「な、」
燃えたぎる漢の魂に、触れられる闇などありはしない。
飛竜の羽ばたきは襲い来る闇を巻き上げ、その爪はあらゆるものを切り裂く。
ダルカナスはおのれに残るほぼ全ての魔力を玉と変え、解き放つ。
「死に体の身が……! 喰らえぇええええええええええ!」
絶対に受けきれぬ巨大な魔力の塊に、飛竜は真っ向から突っ込んだ。
翼が焼き切れる。足が折れる。腕がもげ、内臓が消し飛び、角は折れた。
それでも飛竜は落ちなかった。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
命を引き換えに女を守る漢の牙が、ダルカナスを真っ向から喰い破った!
右半身を食われたダルカナスは「見事なり」と言い残して命を散らす。
光の粒となって消えた神の残滓を踏みつけながら、飛竜はその場に横たわった。
ずがん、と。
静寂が立ち込め、一切の敵が消えた戦場でオリヴィアは呟く。
「オズ、ワン……?」
よろよろと、立つのもやっとな身体を動かして。
自分を叱りつけるように、オリヴィアは引きつった笑みを浮かべた。
「は、はは。すごいな。お前は。あの数を、一人で倒すなんて……」
「……」
「決闘は、私の負けだな? し、仕方ない。そんなに私が欲しいならくれてやらんでもないぞ」
飛竜のそばに膝をつく。
閉じられた瞼は震えることなく、四肢を喪った身体は動かない。
両手足を飛ばされた竜の姿は、誰が見ても残酷で凄惨な有様。それなのに、
「なんで、笑ってるんだよ……」
飛竜の口元はほころんでいるように見えた。
まるで、やるべきことをやり終えたかのように。
オリヴィアは飛竜のーーオズワンの顔に触れて、額をくっつける。
吐息が吹きかかるほどの距離にいるのに彼はピクリとも動かない。
「なぁ、お前の、勝ちだぞ……」
「……」
「なんとか言ったらどうなんだ。ようやく、私を娶ったのだぞ。
ほら、私はここに居るぞ。感じるか? む、胸も、貴様の好きにしていいのだぞ」
「……」
どくんっ、どくんっ、どくんっ、と伝わる心臓の音。
彼の身体からは何の反応もないのに、自分の鼓動だけが一方的に伝わって。
オリヴィアは涙を浮かべながら、悲しい怒りを露わにした。
「つ、妻を残して逝くとは何事だ! 貴様は、もう私の夫なのだぞ?
夫なら夫らしく、妻が寂しくないよう手でも握って見せたらどうなんだ!」
「なぁ、なんとか言ってくれ……」
「オズワン……オズ、オズ、オズぅ……」
縋りつくように泣いても、オズワンは応えない。
竜となった彼の身体がだんだんと冷たくなっていく。
尻尾の先が徐々に透明になっていき、オリヴィアは慌てて彼の身体にだきついた。
「い、いやだ、やだ。やだよぉ……私を、置いていくなよぉ……!」
やがて……
「う、うぅ……うわぁああ、ぁああああああああ、ぁああああああ!」
白いもやのなかに、オリヴィアは溺れていく。
物言わぬ彼の身体を繋ぎとめるように手を伸ばして、何も、掴めない。
声をあげて泣く彼女を慰める者はどにもおらずーーその声は、混沌の海に呑まれて消えた。




