第十八話 神に挑む獣
オズワン・バルボッサは自他ともに認める凡庸な男である。
彼ほど最終決戦の船の乗り込んでいるのが不似合いな者はいないだろう。
アイリスのような特殊な加護もなければオリヴィアのような鍛え上げた加護もない。
メネスやジーク、そしてルージュにも本気でやり合えば敵わない。
オズワンに特別なものといえば、獣人が稀に発現する獣化だろうか。
しかし、それを以て神と戦えるか問われれば答えは否である。
オズワンはまがりなりにもジークと接近戦で渡り合った強者だが、それは彼が日々ジークとの戦いをイメージしていた事に加え、ジークが接近戦で応えたからだ。
神霊ダルカナスとの一戦で彼は苦境に陥った。
闇を自在に操り、人を惑わせ、影の人形を召喚する。
遠距離から相手を近づけさせない攻撃手段がダルカナスにはある。
オズワンとダルカナスの相性は、最悪と言ってもいい。
それでも彼が船に乗っているのは獣王国の王としての責務故だ。
戦争のあと、獣人たちが批判の的にされないように彼はここに立っている。
「ダーッハハハハ! 威勢が良いのは口だけか!? 凡夫!」
「……っ」
戦いが始まってから一分が経ち、オズワンは既に血まみれだった。
影の触手が星空のような空間から無数に伸びてオズワンを襲撃する。
縦横無尽に襲い来る影は蛇のようにしなやかで狡猾だ。
「がはッ……!」
血反吐を吐き、震える膝を叱咤してカウンターの一撃を繰り出す。
間合いに飛び込んた瞬間に闇で視界を塞がれるが、構わず振り抜いた。
手応えあり。しかし、ダルカナスにとっては。
「……っ、ハ、ハハハ! そんなもの、一撃貰ったところで!」
オズワンの背中を影の兵士が切り裂いた。
前へたたらを踏んだオズワンのみぞおちに、ダルカナスは拳を振り抜いた。
ボキ、と肋骨がひび割れる音。肺の中の空気を押し出され、決河のごとく吹き飛ぶ。
「あ、あぁッ!!」
戦いが始まって十分が経ち、オズワンは血反吐を吐いた。
池のようにたまった血だまりが混沌領域を侵し、ぺちゃぺちゃと足元が濡れる。
「ハァ、ハァ……ぉぉおおおお!」
「しつこいぞ、凡夫」
鬱陶しげに宙をなぞったダルカナス。
虚空より現れた剣を握り、彼は飛ぶ斬撃を放った。
オズワンは咄嗟に避けようとした。無駄だ。足を影で縛られている。
「が……!」
ぶしゃぁぁぁあ!と鮮血が噴き出し、オズワンは吹き飛んだ。
船から戦いを見ていたオリヴィアが思わず身を乗り出す、それは致命的な傷だった。
黙って彼を見守っていたルージュも、耐えきれないと言ったように兄を振り返る。
「お兄ちゃん、このままじゃ」
ルージュの言葉は途中で途切れた。
血の涙を流しながら、誰よりも堪えているジークに気付いたから。
今すぐ駆けだしたい。あの神をぶった斬りたい。
燃えたぎる殺意を発するジークに、オリヴィアも呑み込むしかなかった。
そしてーー
戦いが始まってニ十分が経ち、ダルカナスは異変を感じ始めていた。
自分が圧倒的に優勢なのは間違いない。オズワンに負けるビジョンが見えない。
獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。
オズワンはまがりなりにもジークの仲間だ。絶対に油断はしない。
それでも。
「ハァ、ハァ……貴様っ!」
「げほッ、ぜぇ、ぜぇ……」
オズワン・バルボッサは倒れない。
何度も影で刺し貫いても、何度致命的な攻撃を浴びせても。
死の淵から生還し、血まみれになりながら立ち上がってくる。
「何なのだ、貴様、一体、どこにそれほどの力が……!」
「うっせぇよ、小物」
動揺した一瞬の隙に、オズワンは懐に飛び込んでいた。
ありったけの力を溜めた拳を引き、ばね仕掛けのように拳が放たれた。
ーー直撃。
「がは……!?」
この戦いが始まって以来、初めてダルカナスは膝を折った。
肋骨が折れる。肺が破れる。胸が陥没し、口の中に血があふれ出す。
(なぜ、倒れぬ……!?)
オズワン・バルボッサは凡庸な男である。
獣人の中でも身体が弱く、幼少期には虐められてもいた。
腹を殴られ脇をあぶられ胸を蹴られ頭を掴まれ、何度も地面に叩き伏せられた。
そんな彼が唯一持っている武器と言えば、それは。
尋常ならざる肉体強度だ。
幼少期のいじめで何度も身体を殴打されたことで獲得したタフネス。
獣王国を逃亡してからは出会う誰もが強敵であり楽な戦いなど一つもなかった。
魔獣や悪魔と戦い、逃げて、戦い、逃げて、戦い、戦い、戦い、戦い、戦い、勝って。
数千数万を超える戦いの果てに彼の肉体は鍛え上げられた。
さらにはもう一つ。
臆病な性格ゆえに体得した危機感知能力。
おのれの命をチップに戦い、致命傷を避けて来たオズワンには、ダルカナスの攻撃をどう避ければ死なないかよく分かる。だからこそ、ダルカナスが驚愕するほどの打たれ強さを得たのだ。
それは才なきものの修練の果て。
それは持たざるものがそれでも高みを目指した故に獲得した凡庸の極致。
「良いコトを教えてやるよ、クソ野郎」
「……っ」
「鍛え上げた筋肉は、嘘を、つかねぇ!!」
ダルカナスの動揺を見逃すオズワンではない。
拳の一打に怯んだダルカナスへ、オズワンは嵐のような拳打を浴びせる。
「ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ダルカナスの権能『這い寄る闇』は遠距離攻撃が主な攻撃手段だ。
闇を操り、影を触手のようにしならせ、衝撃を緩和し、相手の心の闇を暴き出す。
精神の弱い者なら彼の前に立っただけで全て曝け出してしまうだろう。
逆に言えば、彼はこれまで傷を負うような戦いをしてこなかった。
近接戦闘能力はあるが、そんなものが必要ないほどに彼は強かった。
それゆえに。
(拳が、重い……!)
オズワンの拳は一打が全身を砕くにあまりある破壊砲だ。
ありえない身体強度で攻撃を耐え、隙が生じた瞬間におのれの全てを叩きこむ。
攻撃を喰らえば喰らうほど、血を流せば流すほど、彼の命は輝く!
「舐め、るな。この程度……!」
嵐のような拳を喰らい、ダルカナスの身体はボロボロである。
端正な顔立ちを苛立たしげに歪め、彼はおのれの権能を解き放つ。
影の触手による同時攻撃。全方位から攻める、逃げ場のない一手。
「分かるぜ、テメェの癖が」
だが、その攻撃は何度も喰らっている。
ジークのように未来を視る目がなくとも、鍛え上げた筋肉が囁くのだ。
あの攻撃が来る、今すぐ動けと。
本能の示すまま、オズワンは飛んでいた。
『!?』
未来予測じみた行動に、ダルカナス以外が目を見開く。
彼が宙を飛んだ瞬間、元居た場所を囲むように影が現れたのだ。
そしてダルカナスは失策に気付く。
オズワンの視界を覆うように放たれた影の槍はすなわち、おのれの視界を塞ぐ壁だ。
その壁の外から来た存在に、彼は気付けなかった。
「姉貴直伝。バルボッサ流拳闘術奥義」
「しまっ」
「『滅竜の顎』!!」
「が、ぁああああああああああああああ!」
神を喰らう竜の一撃が炸裂する。
オズワンの拳から立ちのぼる、竜を模した闘気のオーラを誰もが幻視した。
致命傷を喰らっても立ち続けきた落ちこぼれの拳は神をも打ち砕く。
その筈だった。
「だ、ハハハ……! あぁ、認めよう。貴様は凡夫などではない。強者だ。オズワン」
腹に風穴を開けられながらも、ダルカナスは立っていた。
そしてオズワンの腕を掴む。
おのれの身を削る事をいとわぬ、それは神の矜持を捨てた捨て身の攻撃。
「この距離なら、外すま
オズワンは蹴りを繰り出した。
最後まで言葉を聞かぬ、死にかけの獣が放つ最後の悪あがき。
「だが、きかぬ……もはや離さぬぞ。オズワン!」
「……!」
ダルカナスは血反吐を吐きながら立っていた。
拳と足を抑えられ、オズワンは尻尾で身体を支えながら身をくねらせる。
ダルカナスの腕はビクともしなかった。
「この……っ」
「ダハハハ、これで、終い……」
『次元エネルギーの亀裂を確認しました。位相転移を実行しますか?』
「「…………!!」」
機械音声が、拮抗する二人の間を駆け抜けた。
月の船にて戦いを見守っていたオリヴィアはハッと振り返る。
アイリスが操舵席を見て言った。
「ダルカナスの力が弱まったことで、私たちが進める道が現れました。
いまだか細い道ですが……このチャンスを逃すわけにはいきません」
「アイリス殿……私は……」
「行くぞ。異論は許さぬ」
「ちょ、待って。待ってよおじさん、まだあそこにオズが……!」
その声が聞こえた瞬間、だんっ!とオズワンは足を踏み鳴らした。
ここは地面ではない。見えない足場だ。足を根のように下ろしても、踏ん張りにはならない。だがその震脚は、月の船をビリビリと震わせてーー
「行け、ジーク」
「オズ、でもッ」
「こいつはおれが止める! いけぇええええええええええええ!」
「させ、るぁあああああああああああああああああああああ!」
咆哮と咆哮がぶつかり合う。
雄叫びに呼応したダルカナスの魔力が急上昇。
次元の壁に入っていた亀裂がまたたくまに小さくなり、アラート音が鳴り響く。
鮮血が噴き出し、血管が切れ、二人は互いの命を燃やす。
『ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
迷っている暇など、コンマ一秒だってなかった。
「オズ……!」
友への想い。信じたい気持ち。残すことへの不安。
その全てを涙で振り払って、ジークは叫んだ。
「全速前進! 位相転移実行!」
「もうやっている」
メネスの答えと同時に、月の船が光に包まれた。
この場から消える浮遊感を感じながら、ジークは友へと託す。
「オズ! 行ってくる!!」
「おう。またな」
オズワンは振り返り、笑って言った。
無邪気な、年相応の男の子の笑み。
それが、ジークの見た最後のオズワンの姿だった。
 




