第十七話 立ちはだかる闇
混沌領域を進む月の船の甲板は沈痛な空気が流れていた。
ルージュが声を殺しながら涙を流し、ジークの胸に頭を押し付けている。
彼女を慰めるように背中をさすっていたジークだが、
「いつまでめそめそしているつもりだ」
ため息を吐いたメネスの声に顔を上げた。
「……少しはそっとしておいてくれないかな。おじさん」
「これからもこうした事は続く。次はおのれの番になるかもしれないのだ。
涙を流している場合か? 為すべきことを為せ。奴らの犠牲を無駄にしたくなければな」
「……っ、この」
「お兄ちゃん、いい」
カッと頭に血がのぼったジークにルージュは首を横に振る。
涙を拭いた彼女の目に迷いはなく、悪魔の妹はメネスに真っ向から向き合う。
「あんたなんかに言われなくても分かってるよ。あたしだって覚悟は出来てる。
それに、あたしの家族はみんな強いんだよ。そう簡単にやられるもんか」
「ふん。どうだかな」
「べーっ! みんなを知らないあんたに言われたくないもんね!」
舌を出してメネスを挑発してからルージュはジークの膝におさまった。
暖かい感触が膝上から伝わり、泣きたくなるような心地に鼻がつんとする。
空元気とは分かっていても、同じ痛みを共有する妹の言葉にジークも救われていた。
たった半年。されど半年。
家族と呼べるほど親しくなった彼らに後を任せるのは、あまりにも辛すぎる。
(でも、ルージュの言う通りだ。死ぬと限ったわけじゃない)
ギルダーンの力はもちろんこと、ロレンツォの危機感知や、
エマの魔弾、ファナの逃げ足、ファーガソン兄弟の力押しなど、彼らの実力は並みの特級葬送官を超えている。
何より自分が叩き込める全てを叩きこんだのだ、彼らを率いる自分が、彼らを信じなくてどうする。
「帰ったら一緒に酒を呑まねぇとな。そうだろ、ジーク」
「……うん。そうだね、オズ」
肩を叩いてきた親友に頷き、ジークは微笑んだ。
そんな彼らを見ながら、離れたところから見守るアイリスが呟く。
「損な役回りですね、メネス」
「……何のことだ」
「あえてあしざまに言う事で彼らの反骨心を刺激したのでしょう。
リリアはもちろん、ヤタロウ・オウカやアステシア様が居ない今、彼の支えになるものは少ないですから」
彼の中で存在が大きかったトニトルス小隊だ。
その精神的主柱が居なくなったのを見て、メネスはあえて悪ぶったのだろう。
無粋に、しかしどこから揶揄うようなアイリスの言葉にメネスはため息を吐いた。
「若さゆえか、我が甥はまだ不安定だからな。最終決戦まで持ってもらわねば困る」
「まるで若き日のあなたじゃない。ねぇ、メネス?」
「……」
アステシアがジークにするように、オルクトヴィアスはメネスの首に手を回した。
だが、彼女の嗤みは親愛のそれではなく、明らかな嘲りが滲んでいる。
「恋人の死を嘆いていた愚かなあなた。家族も友人も仲間も、死は平等に降りかかる。
いつか死ぬというなら、今死んでも同じじゃない。どうして人は悲しむのかしら」
「心を通じ合わせるからだ」
おのれの契約神に、メネスは淡々と言い返す。
「人は一人では生きていけない。他者と自分とを相互に補完し合って生きている。
共感し、理解し、心を通じ合わせた者達は、補完し合うもう一人の自分も同然なのだ。
故に人は喪失を恐れる。他者を喪うことで、通じ合わせた心が傷つくのを恐れる」
「……ふぅん。よく分からないけど」
オルクトヴィアスはつまらなそうに言った。
「あなたが怒らなくなったのは残念だわ。つまんなくなったわね、メネス」
「大人になったということだ」
「ーーアイリス殿。アゼルクスの居場所は分かっているのですか?」
問いかけたのはオリヴィアだ。
リリア救出のために乗船している彼女は船の進む先を見て不安げに眉根を寄せる。
前後左右を見渡しても、永遠と続く星空の世界だ。
実際には宇宙ではないとしても、こうも同じ景色では目的地を見失ってしまう。
「心配ありませんよ、オリヴィア。トリスが混沌観測装置を作ってくれましたから」
アイリスが操舵席を見ながら言った。
「アゼルクスの魔力を数値化して、より力の濃い方に向かっているのです。
そこにアゼルクスが居ると見て間違いないでしょう。だんだんと嫌な気配がしてきましたしね」
「トリス殿はそんなものまで作れるのか……」
感嘆とオリヴィアは息をつく。
七聖将第六席におさまっているとはいえ、一方面から見て彼女は最強だ。
そもそも七聖将に入れる時点で歴史に名を残す逸材であることは変わらないのだが。
「ところで、オズワン。お前はこの船に乗ってよかったのか」
次に敵が来る前に全ての疑問を解消しておきたいオリヴィアだ。
彼が水を向けた竜人の男は、ビシ、と尻尾を床に打ち付けた。
「何が言いてぇ」
「別に。貴様は獣王だろう? 国を放り出して良かったのかと思っただけだ」
「獣王だからだろ」
オズワンは肩を竦め、
「あのな。これは世界を救う戦いってやつだぜ? でもっておれたちは勝つって信じてる。なら、その後の事も考えないとダメだろ。世界を救う戦いに獣王国が参加していなかったら、戦いが終わったあと、人間は獣人のことをどう思うよ?」
「……ん、む。非難するだろうな」
返ってきたまともすぎる回答にオリヴィアはたじろいだ。
この前も思ったが、初めて会った時より彼が数段大人になっている気がする。
王として日々宰相に絞られている彼は、もう戦いの先を見据えているようだ。
「獣王国はラークエスタ様が守ってくれてる。おれの部下たちは姉貴の護衛に残した。
万が一おれがここで倒れても、姉貴が居れば王の血筋は途絶えねぇ。セルも居るしな」
オリヴィアは自分でも分からない感情を抱えたまま、そっと息をついた。
「貴様は……王なのだな」
「あぁっ? んだよ、突然」
「別に」
「あ、もしかしておれに惚れたか?」
「ばっ、こんなときに何を言ってるのが貴様ッ、時と場合を弁えろ! 恥を知れぇ!」
「いつでも惚れていいぞ」
からころと子供のように笑うオズワンにオリヴィアの胸はきゅんと締め付けられた。
責務を全うしながら一人の女を愛する。それはオリヴィアが求める理想の男像だ。
先ほどの大人びた言動とのギャップで、妙にカッコよく見えてしまう。
(べ、別に、惚れてるわけではない。ないったらない!)
誰に言い訳するわけもなく悶絶するオリヴィアであった。
そんな彼らを横目に、メネスは「ふ」と口元を緩める。
「今のうちに休んでおくことだ。休めるときは今しかない」
月の船は自動航行モードに切り替わった。
メネスも操舵を離し、船室の壁に寄りかかって休んでいる。
ジークもルージュを膝に乗せ、アルを頭に乗せて少しでも気を紛らわせようとしていた。「あの、アル。ちょっとこそばゆいんだけど」「きゅおん!」などと遊ぶジークたちである。
異変が起こったのはすぐのことだ。
『ーー警告。警告。接近する個体を発見。第一種戦闘配置』
警告音が船内に響き渡った。
ジークは眉を顰める。
「敵襲……また?」
先のトニトルス小隊が残してからまだ数十分も経っていない。
敵の領域内だから考えてみれば当然ではあるが、げんなりしつつ甲板に出た。
自分が戦う事は出来ないから、また誰かの戦いを見守ることになる。その事が歯がゆいのだ。そして、その相手はーー
「ダーッハハハハ! ようこそ。よく来たな。我が盟友、そして怨敵よ!」
漆黒の衣を身に纏う、端正な顔立ちをした青年である。
メネスを思わせる褐色の肌、黒い髪が揺れている。
「闇の神ダルカナス……!」
「運命の子よ。久しいな」
深淵領域で神霊として現れた男だ。
彼の強大さを身に染みて分かっているルージュやオズワンが射殺すように彼を見た。
「あの時の、気色悪い男……!」
「聞いちゃいたが、本当に裏切っていたとはなぁ……」
闇の神々から離反した裏切者に、オルクトヴィアスは冷めた目で言った。
「言葉をかわすのも穢らわしいクズのあなた。最初からそっち側だったわね?」
「ダハッハハ! 気付いていたのか。オルクトヴィアス?」
「なるほど……アゼルクスの配下としてこちら側の動きを監視する役か」
メネスは唸るように言った。
闇の神ダルカナスは軍団長の立場も任されていた闇の軍勢の大幹部だ。
彼がその気になれば、メネスや他の者たちの情報は筒抜けだっただろう。
「貴様のような小物に相応しい役回りだな」
「ふん。オルクトヴィアスに泣きついた小童は言う事が違うではないか」
「……」
メネスとダルカナスの間で見えない火花が散る。
思いのほか沸点の低い冥王に呆れの視線を送りつつ、
「じゃ、お前の相手はおれだな」
オズワン・バルボッサは前に進み出た。
「オズ!?」と悲鳴をあげるジークを後ろ目に、彼は言う。
「誰か残るとしたらおれだろ。ま、幸い相手は小物だ。
あいつの相手くらいなら、おれでもなんとかなんじゃねぇか?」
「下郎め。メネスならまだしも、貴様のような凡夫に小物呼ばわりされる謂れはないぞ。
我が神霊にこてんぱんにやられたのをもう忘れたか? 獣の王よ」
そう、いくらオズワンが成長したからといってダルカナスは闇の神だ。
神霊ならまだしも、神本体とやりあうには彼我の実力さは隔絶している。
言葉に隠された意味を理解するオズワンは、しかし、憮然と言った。
「小物だよ。テメェなんか。何にも背負ってない、ただのクズだろ」
「ぶふっ」
オルクトヴィアスが噴き出した。
「あはっ、あはははは! 何も背負っていない小物、だって。
いいわね。獣人を背負って立つ男のあなた。クズの本質を突いているわ」
「おいメネス。おれを置いてさっさと行け」
「貴様に言われずともそうしたいところだが……」
メネスはちらりと操舵席を見た。
赤い文字列が並んだ投影映像が警告を示している。
「先には進めそうにないな」
アイリスが頷き、
「行き止まりです。強力な次元エネルギーに阻まれています。
起点は闇の神ダルカナスなので……恐らく、彼を倒さないことにはどうにも」
「なら、話は簡単だ」
オズワンが拳を打ち鳴らした。
「おれがこのクズをのして、道を切り開く」
「オズ……」
ジークは何か言おうとして、やめた。
彼も覚悟の上でここにいる。戦意みなぎる彼に制止の言葉は無粋すぎる。
「オズ。任せた」
「おう。ちょっくらリベンジしてくらぁ」
オズワンが軽く手を掲げた。
その彼の手に、白く冷たい手が触れる。
「あぁ? 何してんだ、神サマ」
「ふふ。今は気分がいいの。特別よ?」
そう言って、オルクトヴィアスは彼の手に紋章を刻んだ。
みなぎる力が拳から身体をつたい、オズワンは目を見開いた。
「これは」
「気持ちよく笑わせてくれたお礼よ。少しの間、死を遠ざけてあげる。これがあればすぐに殺されることはないでしょう。まぁ急所を潰されたら普通に死ぬから、気休め程度だけどね。いってらっしゃい。漢気あふれる獣人のあなた。帰ってきたら眷属にしてあげてもいいわ?」
「はっ! ありがてぇが。おれの番はもう決まってるんでな」
そう言ってオズワンは足の向きを変えた。
彼が唐突に近づいたのはオリヴィアだ。「な、なんだ?」と戸惑うように視線を彷徨わせている彼女の顎にオズワンは手をかけ、そっと口付けた。
「…………!?!?」
突然のことにたじろぐオリヴィア。
ほんの一瞬。触れるだけの甘い接吻。
顔を離したオズワンは「な、な、な」と顔を真っ赤にするオリヴィアに笑った。
「悪いな。悔いがないようにしたかったんだ」
「き、貴様、なに、を……!」
「愛してるぜ。オリヴィア」
「~~~~~~~~~~~~~っ!」
真っ向から愛を囁かれ、オリヴィアの頭はパンクしている。
口をあうあうと動かして何も言えない彼女を後ろ目に、オズワンは船から飛び降りた。
「おれを見ていてくれ」
「……っ」
死を覚悟した男の言葉だと彼女が気づいた時、既に彼は船から離れている。
闇の神ダルカナスは腕を組み、オズワンを嘲弄した。
「死に逝く前に最後の思い出作りか。罪なことだな。獣王」
「あぁ?」
「惚れた女に遺言を残して何とする。それはただの呪いだ。
貴様が楽になりたいからそうしているに過ぎない。違うか、凡夫?」
「……ハッ! 散々言ってくれるがな、おれがテメェに勝つ未来も忘れてもらっちゃ困るぜ、小物」
「……一度ならず二度までも」
ダルカナスは屈辱に顔を歪めた。
「いいだろう。ならば我が直々にその性根を叩き折ってくれる。
何、心配するな。殺しはせん。生きた貴様の前で、あの娘を手籠めにしてやるまでな!」
兎を狩る獅子の如く、闇の神ダルカナスはオズワンを敵と認める。
おのれを侮辱したことを後悔させるため、全力を以て相手にすると決めた。
さぁ。名乗ろうか、と。
「我が名は闇の神ダルカナス! 深淵の主にして暗闇を統べる者。
神を愚弄する不逞の輩よ。その身の矮小さを胸に刻み、絶望の果てで死ぬがいい!」
「ハッ! 誰が絶望するかよ。おれを誰だと思ってやがる」
オズワンは応えた。
獣王国三十万人の命を背負い、世界の命運をかけた戦いに臨む男は拳を構える。
落ちこぼれから王へと成り上がった男の、神に対する敵意を以て。
「おれの名はオズワン・バルボッサ! 最果ての方舟が一人にして第九代獣王! 燃えたぎる漢の拳、受けれるもんなら受けてみやがれ!」
世界の果てで敵意をぶつけ合い、静寂があたりに満ちていく。
落ちこぼれから王へと成り上がった男と、
冥界に君臨しながら地上の美姫を娶り続けた生まれながらの強者。
両者の激突が、始まった。




