第十六話 最終戦争
ーー聖なる地カルナック。
ーー異端討滅機構本部跡地、本部前広場。
「ほえー……」
間抜けな声が響いていく。
ジークが見上げた先には、三日月を地上に持ってきたような船があった。
銀色の塗装には細かな術式が刻まれ、船の穂先は鋭く尖っている。
「次元潜航艦『月の船』。全ての建材に我が魔力を使った、太陽を堕とす船だ」
ジークの横にいるメネスが解説する。
「どうだ、我が甥よ。壮観なものだろう」
「名前にルナが入ってるのって、姫様の事思ってたの?」
「無論だ。私の心にルナマリアが居ない日などない」
まさかメネスに惚気られる日が来るとは思わなかったジークである。
とはいえ船の方は大したもので、以前トリスに竣工してもらったものより小さいが、その分、迎撃設備が整い、より戦いに特化しているようだった。
「あれはウチの趣味で作ってたやつだから~。ウチの技術が負けたわけじゃないからね~?」
トリスが不満げにそう唸る。
そうは言ってもこの船の仕上げを任されたのはトリスなのだ。
表面に刻まれている細かな術式には、トリスの陽力を感じる。
「地上は任せましたよ、トリスさん。アレクさん」
「フン。無論だ。貴様は貴様の為すべきことを果たせばいい」
眼鏡をくい、と上げたアレクがそう言った。
噴水が撤去された円形の広場には作戦に参加する全ての者が集まっている。
大神たちはアレクの指示の下、葬送官たちを率いることになっており、冥王が率いていた悪魔たちはサタナーンが指揮する。
彼女に指揮など任せていいもなのかとジークは疑問に思う。
「安心しろ。奴はやるときはやる女だ。やる時が極端に少ないが」
「それダメ女っていうんじゃないの?」
「だが、他に適任も居まい」
「まぁそりゃそうだけど」
「ジーク……大丈夫。私も……残るから……不本意だけど」
「ん。姉さまは私が支える。安心安全」
二人の会話を聞いていたエリージアとアウロラがそう言った。
果たしてこの無口な姉妹神に軍を率いる事が出来るのかと不安になるが、口には出さない事にした。頼りになる事は間違いないのだ。
「任せました。エリージアさん、アウロラ様」
「「ん」」
最終確認を済ませたジークとメネスは船に乗り込んだ。
ルージュ含むトニトルス小隊、アイリス、ファウザー、オズワン、オリヴィアが甲板に乗り込んでいる。
今ここにいる者達以外が地上の防衛に残り、ジークたちを送り出す役目だ。
本音を言うならもっと神々にも同乗してもらいところだが、アゼルクスの領域に入れば彼らの支配がどう及ぶのか分からない。アゼルクスに支配されて敵になれば最悪だ。
そのため、特別に力の強いオルクトヴィアス以外の神々はここに残るという事になった。
「……」
甲板から下を見ろしたジークはアステシアと目があった。
無言で微笑む女神にジークは微笑み返す。二人の別れは昨日済ませてある。
彼らの間に言葉はなかった。
「みんな、別れは済ませた?」
振り返って問いかけると、無言の頷きが返ってくる。
愚問だった。不死の都に攻める時、彼らは既に覚悟を決めている。
ならば、自分からいう事は一つだ。
「行こう。ムカつく野郎をぶっ飛ばしに!」
『応ッ!!』
次元潜航艦を支える発射台が傾き、異端討滅機構本部跡地に向けられる。
同時、地面が円状に光を放ち、複雑怪奇な術式が世界を照らし始めた。
「魔導エンジン点火。次元潜航エネルギー充填開始」
「自動迎撃システムスタンバイ、エーテルプラズマ発射!」
人類最高の鍛冶師と天界随一の職人の共同作業だ。
トリスとイリミアスの声が朗々と響きわたり、船の先端から光の線が放たれた。
異端討滅機構本部跡地に直撃した光は、空間にまあるい穴を開ける。
「次元貫通成功! 来るわよ!」
イリミアスの声に応じたかのように、穴の中から黒い波が現れる。
それは夥しい数の神々や天使の軍勢だ。黒く染まった混沌の軍団が次元の向こうから現れた。その数、およそ100万を超えている。
「多すぎる……! 天界にはこんなに天使たちがいましたの!?」
「いいえ、カレン。こんな数はいないわ。あのクソ神。この戦争で死んだ人間を天使にしたのよ……!」
世界の白紙化に専念するアゼルクスは、ジークたちが攻めて来ることも呼んでいたのだ。昨日ラファエルが言ったとおりである。おのれに対抗する唯一の切り札に対策しないほど、外なる神は甘くない。
だが、人魔連合軍もアゼルクスの強大さなど百も承知。
波状攻撃を仕掛けてくる天使たちに対し、アレクが叫びをあげた。
「彼らの露払いが我らの役目だ。気を引き締めろ!」
『応ッ!』
葬送官が遠距離攻撃を準備。大神たちは役目に殉じる。
「さて。僕らの為すべきことを為そうか。デオウルス」
「五百年ぶりの共闘だな、兄者!」
太陽神が数千条もの光を走らせた。
天使たちはそれを避けようとするが、彼らの動きは固定されている。
海神デオウルスが空気中の水分に魔力を通し、彼らの動きを阻害したのだ。
ーードゴォンっ!!
真っ赤に咲く紅蓮の花火。
大爆発に乗じた葬送官たちの遠距離攻撃が炸裂し、天使たちの軍勢に穴が空いた。
「アウロラ、今」
「はい。お姉さま」
瞬間、穴の周囲が凍り付いた。
穴を塞ごうとした天使たちの翼を、容赦のない神弓が貫いていく。
ジグザグに動いて回避しようとするアゼルクスの配下だが、
「あなたたちの未来は決まっているわ。大人しく堕ちなさい」
アステシアの目が妖しく輝き、彼女の望む未来を確定する。
それは葬送官たちやエリージアの攻撃が直撃する未来。
彼女の愛する恋人が、無傷で出発できる未来だ。
「今よ!」
「おじさんッ!!」
「分かっている」
戦艦の操舵を握るメネスは頷き、鼓膜が破れそうなエンジン音が木霊する。
ぐぅん、と浮き始めた船は、力を溜めるように鳴動した。
「総員、衝撃に備えろ!」
掛け声に、戦士たちが手近なものに掴まり始める。
がし、と掴まれたジークは慌てて、
「ルージュ、どこに掴まってんの!?」
「どこって、それを妹に言わせていいの?」
「やっぱりやめて!?」
そんな兄の悲鳴はエンジン音にかき消されーー
「出航!」
ーー轟ッ!!
魔導エンジンが唸りを上げ、月の船が次元の裂け目に突き進む。
これに対し、天使たちの軍勢は危機感を抱いたのか、大神や葬送官の攻撃を無視し、一塊となって立ち塞がった。
だが忘れてはならない。月の船には迎撃システムがある。
「邪魔だ。どけ」
艦橋に設置された五門の五十ミリ主砲が火を吹いた。
オルクトヴィアスの術式が刻まれた砲弾は、天使たちの盾に風穴を開ける。
爆炎の中を突っ切り、月の船は混沌領域へ突入する!
「~~~~~~~~~~~~~~~~!」
目も開けて居られないほどの光が視界を覆い、足元がぐらぐらと揺れる。
何かに掴まっていなければ甲板から放り出されてしまいそうな衝撃だった。
やがて衝撃が収まり、視界が開けていく。
「ここが……」
月の船の残る誰もが思わず感嘆の息をこぼした。
無限の広がる、宇宙のような場所だ。
数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの星々が世界を照らし出し、真っ暗闇を彩っている。
息が出来る事から本物の宇宙というわけではないようだが、それは地球から見上げる星の海そのものだった。そんな壮大な景色に目を奪われていられるのも、束の間。
「ーーやっぱり、そう上手くはいかないか」
ジークは諦め交じりの苦笑をこぼした。
混沌領域へ突入した月の船の前に、天使たちが立ちふさがっている。
先ほどのように馬鹿げた数ではない。その数、およそ五十人。
その全員が熾天使だ。
先ほどが数による波状攻撃とするなら、今のは精鋭による突貫攻撃というべきか。
だが、今さら熾天使が現れたところでジークたちの前には雑魚同然である。
ジークは魔剣を振り上げ、敵を殲滅しようとした。
「待てよ、大将。あんたは力を使っちゃダメだろ」
「……っ」
ギルダーンが厳しい声でジークを止める。
振り返れば、トニトルス小隊の面々が仕方なさそうな顔をしていた。
「ちっとは俺たちも頼れよな。何のために乗船したと思ってんだ」
「そうそう。修業は厳しい癖に、実戦だと甘やかしすぎなんだよな、うちの大将」
「そこがいいんだけどね。でも、今日はだめよ。最後の戦いなんだし」
「みんな……」
甲板に居るトニトルス小隊は熾天使を迎撃するため配置につく。
ギルダーンが振り返り、言った。
「あんたはそこで見てろ。ここは俺たちの仕事だ」
「ジーク」
肩に手を置かれた。アイリスだ。
ゆるゆると首を横に振る彼女にジークは歯噛みする。
ーーこの先のアゼルクスとの戦いの為に、ジークの力の温存は不可欠だ。
ジークを無傷で、殆ど魔力を使わせずにアゼルクスの元まで送り届ける。
それが今回の作戦の要であり、今、ジークが戦えば作戦は破綻する。
他の面子にしてもそうだ。待ち受けているであろう神々や使徒と戦うために、彼らも力を温存しなければならない。熾天使ごときに僅かな力も割いている場合ではないのだ。彼らが熾天使にも打ち勝ってくれると、ジークは信じるしかない……。
「行くぞオラァ!」「行くぜゴラァッ!」
そして戦いが始まる。
ファーガソン兄弟の怒声と共に、熾天使たちが動き出した。
槍を突き出すように飛び出した熾天使たち。その身体にエマ率いる遠距離部隊が迎撃する。『月の船』の持つ五十門の主砲が火を吹き、熾天使たちは煙に包まれた。
煙のヴェールを脱ぎ去り、熾天使が現れる。
熾天使は翼で身体を守るようにして突っ込んでいて、その身体までは止められなかった。だが問題ない。翼の消失で平衡感覚を喪った天使なら、トニトルス小隊に止めることは容易ーー。
「ハハッ! こりゃあよゆ
ーードンッ!!
『!?』
男性隊員が火に包まれた。
熾天使が自らの身体を爆発させたのだ。
甲板に衝撃が走り、ジークたちはその凶行に目を剥いた。
「自爆!?」
「生体爆弾……! 急造の熾天使でまともな戦力を作る事を諦め、使い捨てに切り換えた……!?」
アイリスの分析をよそに、爆発音は続く。
甲板に少なくないダメージが走り、一人、また一人と小隊員たちが落ちていく。
「みんなぁッ!!」
思わず剣を抜きかけたジーク。その肩を。
「やめろ、我が甥」
操舵席を離れたメネスが鋭い声で止めた。
「離せ! このままじゃみんなが……!」
「貴様は奴らの覚悟を無駄にする気か?」
「……っ」
メネスは嘆息し、
「臣下の忠心を受け止めるのも王の努め。これが最終戦争ならば尚の事。奴らは貴様を送り届けるために戦っているのだ。その覚悟を無駄にするのは許されんぞ」
かつて世界をひっくり返した死者の王は、トニトルス小隊の献身を認める。
「貴様が鍛えただけはある。いい部隊ではないか」
彼の視線の先には、自爆する熾天使たちにすぐさま対応する小隊員が居た。
怒声と悲鳴が響き渡り、仲間の死を悲しみながらも、彼らは止まる事はない。
「熾天使を近づけさせるなッ! 堕とせ、堕とせ!」
「おいギル! この場所、なんか降りられるみたいだぞ!」
「よし来たぁ!」
星空のような空間だが、足場のようなものはあるらしい。
降りられることに希望を見出したギルダーンは、真っ先に飛び降りた。
「「ギルダーン!?」」
「ギルに続けぇええ!」「天使どもを惹きつけろ!」「うひょー! 俺、飛んでるみてぇじゃん!」
ジークやルージュの悲鳴をよそに、興奮したように騒ぎ出すトニトルス小隊。
「これは捗りますぅ!」とファナの喜ぶ声に、ルージュが堪えきれない様子で叫んだ。
「ファナ……やめて、やめてよぉ!」
「あたしたちは死にませんよ、ルージュちゃん」
にこり、とファナは笑う。
「帰ったらいっぱい、お話しましょうね」
「この場は俺たちに任せて、先に行け!」
ロレンツォが意気揚々と叫んだ。
彼の膝も拳も肩も、ガクガクと震えている。
「ちくしょー! 怖え。怖えけど、一回言ってみたかったんだよな、これ!」
「分かる」「いつも大将にいいとこ取られてたからな」「役得ってやつだよね」
冥王メネスはトニトルス小隊の献身に応えた。
「貴様らの名、未来永劫忘れぬ」
月の船が猛スピードで動き出し、熾天使たちの塞いでいた道に突っ込んでいく。
「させません」と無機質な声で止める天使たちを、トニトルス小隊が止めていく。
「行け、大将! ちゃんと姐御を助けろよ!」
「帰ったら酒を奢れよなー!」
「一番高い奴な!」「五百年もののワイン頼んだぜ!」
「みんな……っ」
叫びだしたくなるような衝動がジークの中に渦巻いていた。
今すぐ飛び出して彼らを助けたい。だが、それは彼らを侮辱しているのと同じだ。
自分のために、世界のために、この場に残ってくれた者達に、自分に出来るのは。
「……あぁ、任せろ」
ただ不敵に、微笑む事しかできない。
血が出るほど拳を握りしめながら、ジークは応えた。
「ここは任せたぞ、トニトルス小隊!」
『応ッ!』
月の船が熾天使の守りを突破し、空間の裂け目を超えて消えていく。
ルージュの泣き叫ぶ声が見えない場所から聞こえてくるようだった。
「あーあ……行っちまった」
ロレンツォ・ストラウドは泣きそうな声で言った。
「これでもう逃げる事も出来ねぇよ……あークソ!」
「お前は真っ先に逃げると思ったんだがな、ロレンツォ」
ギルダーンがからかうように言った。
一塊となったトニトルス小隊は熾天使たちと相対しながら、
「分かる。作戦当日に逃げ出すと思ってた」
「意外だったよね」
「うるせぇえ!! 俺だってなぁ、逃げたくて溜まんねぇんだよ! クソが!」
やけくそ交じりのロレンツォである。
「じゃあなんで逃げなかったんだよ?」
心底不思議そうにギルダーンは言った。
「あぁ? んなの決まってんだろ馬鹿が。言わせんなよ恥ずかしい」
ロレンツォは目を逸らす。
トニトルス小隊の者達の生暖かい目が彼に集まっていた。
分かっているよ、と彼らの目が語る。ロレンツォは「けッ」と唾を吐いて、
「まぁいい。やってやろうじゃねぇか、なぁ!」
「やれやれ。また帰ったらルージュちゃんを宥めないといけないかねぇ」
「ふふふ。ルージュちゃん、わがままな妹が出来たみたいで捗りました♪」
戦場の真っただ中とは思えないバカ騒ぎをするトニトルス小隊。
そんな彼らを、無粋な天使の声が引き裂いた。
「愚かな」
熾天使たちを率いる長だ。
「七聖将や神々ならまだしも、貴様ら程度の凡俗が我らに敵うはずもない。
すぐに殲滅し、アゼルクス様の脅威となるあの者達を追いかけてくれよう」
そう、いくらトニトルス小隊といっても、ギルダーンたちは普通の人間である。
元特級葬送官も居るとはいえ、彼らの実力は人間の範疇を出ない。
熾天使たちが束になれば、彼らの命はすぐに消えるだろう。
だが、
「ハッ! 馬鹿じゃねぇのか。熾天使。俺たちを誰だと思ってやがる!」
ギルダーン・マイヤーは鼻で笑う。
「勝てなくても、負けねぇことは出来るだろ、おい」
「だな。俺たちはあのジーク・トニトルスに認められた仲間だぜ?」
「そっちこそ観念しろですぅ!」
「ほんとね。あたしらの生き汚さを舐めんじゃないよって話だよ」
熾天使を挑発するトニトルス小隊。
一瞬の静寂があたりを満たし、両者の激突が始まる。
『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
戦いの結末は決まっていた。
それでも、彼らは誰一人として諦めることはなかった。




