第十五話 友に別れを
ーー聖なる地カルナック。
ーー異端討滅機構本部跡地。回廊。
「お兄ちゃん、今日は一緒に寝ていい?」
「うん。アスティも一緒に寝るけど……いい?」
「んむー。まぁ、いいよ。しょうがない」
ルージュは不満顔ながらも頷いた。
アステシアに話を振ると、彼女は「もちろんいいわ」と喜ぶ。
「妹と寝るのは初めてだもの。どんな感じなのか知りたいわ」
「あたしはまだアステシア様をお姉ちゃんと認めたわけじゃないんだからっ」
「うふふ。そうね、今はね」
「む~~~~~~っ」
アステシアとルージュの間で見えない火花が散っている。
仲がよさそうで何よりである。ベッドの上では大人しくしてほしいものだが。
そんな事を思っていると、横合いから声がかけられた。
「ジーク。ここに居たのか」
「あ、オリヴィアさん」
リリアの姉であり、アイリスの配下。
『戦姫』オリヴィア・ブリュンゲルだ。金髪を揺らし、彼女は瞳に憂いを滲ませた。
「リリアの事だが……」
「はい。分かっています。僕が、必ず」
「……ん。そうか」
リリアがアゼルクスに取り込まれたことを聞いたのだろう。
妹が心配でたまらない姉にジークは微笑んだ。
「それで、オズには会いに行かないんですか?」
「なッ、なんで私があの男に!」
オリヴィアの顔が真っ赤になった。
「え? だって好きなんじゃ……」
「ば、馬鹿者っ! 別に私と奴はそういう関係ではない!」
「そうなんですか?」
「当たり前だ! け、決闘の決着がつくまでそういう事はない!」
(((決着がついたらそうなるんだ……)))
その場にいる三人の心が一致した。
微笑ましい顔になるジーク、ルージュ、アステシアの視線から逃げるように、
「それに私も作戦に参加する。船にも乗るんだからな。
別れの挨拶などしなくても、共に戦うことになるのだから問題はーー」
「お、ブリュンゲルじゃねぇか。なにしてんだこんなとこで」
「ひゃい!?」
オリヴィアが飛び上がった。
見れば、彼女の背後にはオズワンやギルダーン、ヤタロウと言った面子が揃っている。
「お、オズワン!? なんでここに!?」
「なんでって……『最果ての方舟』に割り当てられた陣地だかんな。
獣王国の王様になったとはいえ、おれが居ても別におかしくねぇだろ。てかなんで顔が赤いんだ?」
「う、うるしゃい! きしゃまには関係にゃいだろう!?」
((((噛みまくってる……)))
ジークたちはオリヴィア以外と顔を見合わせた。
「あ、そういえば僕、用事があるんだったー」
「あたしも、そろそろ眠くなってきちゃったー」
「私も、寝る前に読まなきゃいけない本があったのだわー」
「俺も最後の晩酌といかねぇと。早く行かねぇと無くなっちまうわー」
「拙者、ジーク殿に用があって参ったでござったー」
「「!?」」
オズワンとオリヴィアが飛び上がった。
全員、声を揃えていった。
「「「「「じゃ、そういう事で」」」」」
「ちょ、お前ら……!」
オズワンが止める間もなく、ジークたちはその場から退散する。
後ろで何やらオリヴィアが喚いている気がするが、気にしてはいけないのである。
これで進展してくれればいいと思うが……オリヴィアの性格では難しいかもとジークは頭を悩ませた。
「じゃ、俺は本当に晩酌に行くけど……」
「えぇ。拙者、ジーク殿に用があるので。あとで二人で一緒に参加します」
ギルダーンは晩酌に、アステシアやルージュは気を遣ったのか、二人で去って行く。ジークはヤタロウと共にバルコニーに出て夜風を浴びながら「それで」と話しを切り出した。
「ヤタロウ。用ってなに?」
「拙者を混沌領域へ連れて行ってください」
ジークは顔を顰めた。
「またそれか……さっきの作戦会議で、ダメだって言ったよね?」
先ほどの作戦会議で役割を決めるとき、ヤタロウがごねたのだ。
このの作戦ではアレクやトリス、サタナーン、六柱の大神が地上を防衛する役。
残るトニトルス小隊と冥王の手勢で混沌領域に攻め込むという話だった。混沌領域はアゼルクスの腹の中のようなもの。どれだけ強力な神々でも乗っ取られる危険性があるためである。
だがその際、ジークがヤタロウを外したのだ。
ヤタロウは強硬に主張したが、他の全員が反対したことで却下された。
「君の剣術は確かに強いけどさ……それは一対一の場合でしょ。今回の作戦では間違いなく乱戦になるし、強力な相手も……神々やイチカさんの相手も出来ない。はっきり言って力不足……ううん、もっというなら足手まといなんだよ。地上に残って指揮を執ってくれた方がいい」
あえて突き放すように言ったジーク。
だが、そんな事はヤタロウも分かっている。嫌でも身に染みている。
彼が気にしているのは、もっと別の事だった。
「ジーク殿は……帰って、来るのですよね?」
「……」
黙り込む主に、参謀は縋るように言った。
「いつものように、どんな無茶な相手にも勝って、帰ってくるのですよね?」
「……ヤタロウ」
「なんとか言ってくださらぬか!」
常の彼ではありえない怒声に、ジークは薄く微笑んだ。
それが答えだった。
ーーこの作戦で生きて帰れる確率は、限りなく低い。
それはジークの道を切り開く決死隊もそうだし、ジーク本人もそうだ。
そもそも、考えてみればおかしい。
天威の加護第三の力。
外なる神アゼルクスへ対抗する手段があるというなら、なぜ最初から使わなかった?
ゼレオティールがジークに渡した加護だ。最初から大神の力を集めさせればよかった。
それが出来なかったのは、身体への負担があまりに大きすぎるからだ。
いくら混沌の化身であるジークとはいえ、七つの加護を宿して身体が平気なわけがない。それは三つの世界が統一された今でもそうだ。
ましてや、外なる神を滅ぼす第三の力が及ぼす影響はーー
「あなたは、死ぬ気なのでござるか」
「……」
ヤタロウは踏み出し、ジークの胸にすがりついた。
「なぜ、何も、言ってくださらぬのですか……?」
彼が命を賭して世界を、恋人を救おうとしている事は分かる。
ヤタロウ・オウカはそのことを責めているわけではない。
彼が必死に運命に抗おうとしていることは誰だって分かっている。
あぁ、それでも。
「なぜ、一緒に死んでくれと言ってくださらぬのですか!?」
力になれないというなら、せめて盾になりたかった。
トニトルス小隊の仲間のように、露払いとしてお供をさせてほしかったのだ。
友として、参謀として、彼に救われた者として、この命を捧げたかった。
世界変えるために戦う彼の力になる。それこそ、おのれの贖罪だったはずなのに。
「甘えるな、ヤタロウ・オウカ」
「……っ」
ジーク・トニトルスは、逃げることを許さない。
「ぁ」
ジークはヤタロウの手を外して、冷たく告げる。
「僕が居なくなっても君の贖罪は続くんだ。君は誓ったはずだ。
生涯をかけて、おのれの犯した罪を償っていくのだと。死ぬことが贖いになるのか?」
「それ、は」
「頼るなとは言わない。むしろ頼っていい。でも、僕に依存するな」
「……っ」
復讐という寄る辺を喪った自分に道しるべを与えてくれた主。
彼のために身を捧げるそれを甘えだと断じて、ジークは参謀を突き放す。
アステシアに代わってジークが道を示したように、誰かが道を示すときは終わりを告げた。
今度は彼が自分で考えて、自分の足で歩いて行く時なのだと。
「トニトルス小隊の仲間たちは、君のような知恵がない。彼らは乱戦でこそ力を発揮する。でも……君の智謀は生きていてこそ輝くんだ。生きて、贖え。役目を全うしろ。ヤタロウ」
「では、ジーク殿は……我が友……あなたは、どうなるのですか……?」
「僕は僕のやるべきことをやる」
それにね、とジークは微笑んだ。
「友達として、君には幸せになって欲しいんだよ」
「……っ」
「君はいい加減、自分の事を大切にするべきだ。贖いのほかに、生きる意味を見つけるべきだ」
「あなたがそれを言うのですかっ?」
「それを言われると耳が痛い。リリアにも怒られてるし……まぁ、でも」
ジークはヤタロウの横を通り過ぎた。
軽く肩を叩いて、散歩でも行くような気軽さで呟く。
「あとは任せたよ。ヤタロウ」
「……っ」
そう言って、ジークは去って行った。
一人残されたヤタロウは、寄る辺を喪いその場に崩れ落ちた。
ぽつ、ぽつと雨が降ってくる。
雨足は強くなり、ヤタロウの身体を冷たく打ち付けていく。
ザァーー……ザァーー……。
「拙者は」
彼の言っていることは分かる。理解できる。呑み込める。
でも、理屈は分かっていても、感情を呑み込むことは出来なかった。
だって自分を救ってくれたのは「生きて贖え」と許してくれたのはジークなのだ。
彼のために働けることが誇らしかった。
世界のために戦う彼に仕えることこそ生きる意味だった。
その彼が居ない世界で、自分以外の仲間が死に絶えた世界で。
独りで罪を贖い、生き続ける事なんて、自分には。
「ーーヤタロウ」
暖かい何かが、頭を包み込んだ。
柔らかな声。厳しくも優しさを感じさせる声がささやく。
「気持ちは分かります……ですが、置いて行かれるのは、あなた一人ではありませんわ」
「ぁ」
首に回された腕を、ぎゅっと掴む。
泣きたくなるような温かさに、ヤタロウの視界が歪んだ。
「せ、しゃは」
「それでも人はーー生きていかねばならないのです。
大切な誰かに置いて行かれようと……どれだけおのれの無力が憎くても」
声の主は震えていた。
その震えを、じっと押し殺していた。
彼女の持つ苦しみが、悲しみが伝わってきて。
「ぁ、ぁあ……ッ」
涙の堤防が決壊し、ヤタロウは声の主に縋りついた。
何も出来ず故郷の家族を殺された時のように、今の自分は何も出来ない。
どれだけ力を付けても知識を蓄えても、独りの無力さを思い知る時がきっと来る。
大切な友を喪うと分かっていてもーー見送らねばならぬのだと。
嗚呼。なんで自分はこんなにも弱い?
「う、うぁ、あぁぁああああああああああああああああああッ!!」
慟哭は、雨音に閉ざされて消えていく。
優しい声の主は雨に濡れながら、ずっと彼の事を抱きしめていた。
互いの寂しさを、悲しさを埋めるようにーーずっと。
◆
冷たい雨を眺めながら、ジークは異端討滅機構の頂上に居た。
瓦礫から滴る雨粒が、ぽたり、ぽたりと滴りおちていく。
両膝を抱えたジークはふと、上を見上げて微笑んだ。
「……やぁ。来ると思っていたよ」
「……」
どこからともなく隣に現れたのは、白と黒の翼を持つ天使だった。
リリアを素体とした『絶対なる凍土』は告げる。
「最後のチャンスです。ジーク・トニトルス」
「……」
リリアとは似ても似つかない冷たい瞳で、手を差し出した。
「今すぐ私と共に来なさい。さすれば、あなたの大切な者達は助かるでしょう」
「やだよ」
即答に、ラファエルは眉を顰めた。
「……なぜ? 仲間を死なせたいのですか?」
「そうじゃない。でも、アゼルクスの言う通りにはしない」
「我が主は平和を望んでいます」
ラファエルは誘惑する。
「主の目的は世界の征服であって、知的生命体の殲滅ではない。
あなたが望むなら、望む世界を用意すると仰せです。あなた一人の犠牲で全てが丸く収まります」
「でも、そこに僕の大切な人たちはいない」
「……」
ゼレオティールの身体を乗っ取り、リリアを人柱にしたアゼルクスが不穏分子を残すわけがない。神々や天使は彼の手駒になった。ジークが望む世界を用意するなどと、信じられるものか。
「それにさ。決めたんだ。全部取り戻すって」
「……例え、それであなたが死んでもですか」
「死ぬかもしれない。でも、死なないかもしれない。分からないよ。そんなの」
人は死ぬ。いつか死ぬ。絶対に死ぬ。
例えこの戦いで死ななくても、誰がいつ死ぬかなんてわからない。
その時になって悔いを残さないように、全力を尽くすしかない。
「なるほど。では、戦うしかありませんね」
ラファエルは感情を見せない声音で身を引く。
その身体がポリゴン状に崩れ、空間に溶けていく。
「主からの伝言です。『我が全力を以て貴様らを迎え撃つ。覚悟せよ』と」
「上等だ。首を洗って待ってろ」
好戦的に笑ったジークは消えゆく天使にふっと頬をやわらげて。
「ねぇ。待っててね、リリア」
ラファエルの中に眠り恋人に、愛をささやく。
「必ず君をーー殺しに行くから」
ラファエルの表情が変わった。
驚きに目を見開き、俯き、リリアは花のように笑う。
「えぇ。待ってますね、あなた」
使徒の身体が消え、声だけが残響していた。
そして世界は、終焉の日を迎える。




