第八話 人を超えた者の宿命
ーー鉄の街テルノ・ドゥアンゴ。
トニトルス小隊が救った事により人類が生き残った数少ない都市である。
三界が一つとなる前は鍛冶神を信仰していた土地であり、近くには活火山がある。
聖杖機生産の要所として知られていたこの街には生き残った人々が多く居た。
三界が一つになった今でも上下水道が生きており、蓄えていた食料も十二分にある。
魔獣や神獣の脅威に関しても、屈強な鍛冶師たちが束になれば牽制くらいにはなるだろう。
ーー悪魔たちが、攻めてこなければ。
「な……」
空の上からその光景を眺めていたジークは絶句した。
眼下、黒い点のように蠢いているのは人と魔が入り乱れた戦場だ。
三つの世界が一つになった今でも、彼らは争い合っている。
「なんで……」
鉄の匂いが上空にまで漂ってくる。内臓が零れ落ち、手足は吹き飛び、一人、また一人と倒れていっても、彼らは戦いを止めようとはしなかった。
「なんでこんな時に戦ってるんですか!?」
外なる神アゼルクスの脅威があるにも関わらず。
街の周囲では今にも街を襲いそうな神獣や魔獣たちがいるにも関わらず。
戦場の上には空飛ぶクジラが獲物を見定めるように彼らを見ているにも関わらず。
人と魔に分かたれた彼らは、争いを止めようとはしなかった。
「アゼルクスの事を知らない、から?」
「……いいえ。彼らはカルナックを包囲していた悪魔です。知らない筈がありません」
「アイリスさん……じゃあなんでっ」
「あれを、ジーク」
アイリスがゆっくりと腕を上げ、指を差す。
その方向を見れば、悪魔にめった刺しにされる人間の姿があって。
「ーーっ、悪魔化していない!?」
そう、死んだはずの人間は悪魔になっていなかった。
五百年間、人界を苛んできた歪んだ死の概念が正常さを取り戻している。
いや、違う。正常どころではない。
悶え苦しみ、息絶えた人間が光の粒子となって消えていた。
「ーー死の概念が消えています」
「……」
アイリスの言葉の深刻さに、その場にいた者達は押し黙った。
歪んだ死の概念が消え、人間が光となって消える現象が意味するのは一つだ。
外なる神アゼルクスが世界を白紙化することで、死は情報の消失を意味する事になった。これはつまり、外なる神が徐々に世界を掌握し始めているということである。
思えば、ここに来るまで白い靄を見る事が多くなっていた。
「悪魔は本来、肉体を維持するために食事を取る必要はありません。
人間だった時に持ち合わせていた食欲は持っていても、それは本来、要らないのです。魂を縛られた悪魔の肉体は、魔力で常に最高の状態を保とうとしていますから」
「じゃあ……」
「えぇ。彼らは食糧を求めて、街を襲っているのでしょう……我々人類と同じように」
もはや人の死が悪魔となる事は無くなった。それに合わせ、悪魔の生態も変化した。
悪魔たちの再生能力は目に見えて衰え、傷ついた悪魔たちが各所に見えている。
人も、悪魔も。
互いの家族を守るため、戦わなくてはいけないのだ。
「そんなの……」
三つの世界が一つになっても理不尽な現実は変わらなかった。
人は自分たちを守るため、悪魔は飢えの苦しみから逃れるため。
オルクトヴィアスという理不尽からアゼルクスという理不尽に変わっただけだ。
望んで悪魔になったわけではない。
だが、生きなければならないのだと。
「…………っ」
「ジーク!?」
アウロラの氷を蹴り、ジークは戦場に舞い降りていた。
人と悪魔がぶつかり合う境界線上に飛ぶ斬撃を放ち、大地に亀裂が走る。
「な、なんだ!?」
「あれは……」
『ジーク・トニトルス!?』
人と悪魔が自分を認識したのを見て、ジークは周りを見渡し、
「双方、剣を引けっ!!」
戦場全てに届く怒声を響かせた。
戸惑いを見せる人と悪魔。未だ戦おうとする彼らが竦み上がるような殺気を向ける。
『……!』
「混乱するのは分かる! けど、今は人と悪魔が争っている場合じゃない!
外なる神アゼルクスが、世界を呑み込もうとしているんだ。今は、引いてくれ!」
「ふざけるなッ! 英雄、冥王様に刃を向ける貴様が何のために来たかは知らぬがッ、
我らとて戦わなければならない事情がある! 戦いをやめろと言われて、従えるわけが……!」
「食糧が必要ならくれてやる」
「は?」
呆けた声を出したのは人の陣営だ。
自分たちの街の食糧をなぜ悪魔に渡さなければならないのか……。
そう顔に書いてある。
だが、ジークは鉄の街の食糧を分けてもらおうとは考えていなかった。
「食糧ならあるだろうーーそこら中に」
その瞬間、ジークは剣を振り上げた。
ごごご、と大地が震動し、数千本もの土槍が生まれる。
『な!?』
「飢えるなら狩ればいい。命が惜しいなら戦いを止めろ。全部無意味だ」
土槍が弾丸の如く撃ち出された。
空飛ぶクジラがめった刺しにされ、鮮血のシャワーが戦場に降り注ぐ。
それだけでは飽き足らず、戦場を囲んでいた全ての魔獣、神獣に対し、英雄の怒りは向けられた。獣たちの悲鳴に人魔の肌が粟立つ。ドン、ドン、と倒れ伏す獣たちを見て、ジークは再び声を上げた。
「これだけあれば足りるだろう。好きなだけーー」
そしてジークは気付いた。
「ば、バケモノ……」
ーー恐怖。
人も魔も、老若男女問わず。
彼らが自分に向けるのは、人の枠を逸脱した異端者に対するそれだ。
ただ人を救う英雄であればよかった。彼らが欲していたのはそういう英雄像だ。
今のジークのように、おのれの望みを力づくで叶える力を持った怪物ではない。
「ぁ……」
ズキン、とジークは胸が痛んだ。
半魔の時に向けられた視線とは全く違う、畏怖と嫌悪の感情。
理解出来ないものに向けられる目は慣れていたはずなのに、こんなにも胸が痛い。
「ジーク」
ふわりと、空から女神が舞い降りてきた。
アスティ、と呟いて力なく顔を上げると、彼の女神は仕方なさそうに微笑んでいた。
「行きましょう」
「ん……」
アウロラやエリージア、アイリスが彼らの後ろに続く。
いつの間にか戦争は止まっていた。
人も魔も、空から舞い降りてきた神々に目を奪われ、そして。
「え、エリージア様っ!」
悪魔のうちの一人がエリージアの元へ進み出た。
縋る先を見つけた子供のように、彼は頭を下げる。
「お願いします。我らをお導き下さい。冥王様からの意思も届かず、どうしたものかと……」
「断る」
「え」
エリージアは即答した。
呆気にとられる彼らをよそに、彼女は淡々と足を進める。
「私はいま、彼の仲間。彼を拒絶した……あなた達を……導く義理は、ない」
『なッ』
月の女神エリージアは冥王の軍勢における軍団長だ。
有事の際には全ての悪魔に指示を下す権限を持つ。
悪魔たちから見ても頼れる存在でーーそれ故に、この拒絶は大きかった。
そんな彼らの姿を見て、人も魔も、遅まきながらに気付く。
自分たちは拒絶してはならない者を拒絶してしまったのだと。
冬と叡智の女神たちも、七聖将第一席たるアイリスも、縋るような目を向けて来る人類に目もくれなかった。
「イリミアスの神気を感じる。たぶん、この先で間違いない」
「ようやくですか。そろそろ全員を集めないと時間がありませんね」
「この街の南に天空の離宮が見えるわ。ソルのやつ、たぶんそこにいるんじゃないかしら」
「なら、間に合いそうですね」
「えぇ。もうすぐ仲間に会えるわ。安心なさい、ジーク」
アステシアが握った手の温もりが、ジークの心を癒していく。
半魔として蔑まれてきた時のトラウマがなりを潜め、胸が暖かくなっていく。
仲間たちが向けてくれる眼差しの暖かさに、まぶたが熱くなった。
「……うん」
ジークはぎゅっと手を握り返した。
「ありがとう、みんな」
例え世界中から拒絶されたとしても、自分はもう、一人じゃない。
半魔として彷徨い歩いた、アーロンに連れまわされたあの時の自分とは違う。
ーー僕はもう、大丈夫。
口元を緩ませ、英雄は前を向く。
鉄の街に歩き出す彼らに道を開け、真っ二つに分かれた道を歩いて行く。
英雄と神々を止められるものは、この場に誰一人として居なかった。
◆
鍛冶神イリミアスは夕焼け色の結晶に包まれていた。
穏やかな寝顔は今にも起き出しそうなほどで、大事そうに槌を胸に抱きかかえている。
「良かった。いたね」
「ん。奴らの手も及んでいない。世界の白紙化に力を割いてる証拠」
「アウロラに、同意。奴は……ジークの力が及ぶ前に……決着を付けたがっている」
町民たちはジークを恐れてはいたが、アイリスやジークが七聖将であることは事実だ。アイリスが簡単な事情説明をして街の中に入れてもらい、こうして神殿まで赴いた。
「それにしても、鍛冶神の神殿って感じですね……」
鍛冶神の神殿、至聖所。
薄暗い部屋の中は鉄の匂いが立ち込めていた。
中央に設置された台座には大きな魔晶石が置かれていて、左側には鍛冶炉が置かれている。ぱちぱちと石炭の散らす火花が薄暗い部屋を照らし、左右の壁ににかけられた数百以上の武器を魅せていた。
「鉄の街が奉納した武器ですね……どれも、素晴らしい技巧がみれます」
「確かに。まぁイリミアスは満足しないでしょうけどね」
「そういえば、イリミアス様ってアスティのことお姉さまって呼ぶけど、どうしてなの? 神々の生まれ方からして、別に姉妹ってわけじゃないよね?」
「あー、それね」
アステシアは苦い顔になって、
「ずいぶん前にイリミアスが自分の技量に行き詰っていてね。私が助言してあげたのよ。あげたっていうか……『なんで分からないの?』みたいな感じだったけど。あの頃は私も荒れてたから……うん。まぁそれ以来、イリミアスがお姉さまって呼ぶようになったの。やめてほしいのだけど」
「なるほど……アスティのわか…………げふんげふん、アスティにも荒れていた時期があったんだね。でも、アスティは今も若くて世界一可愛いよ。僕が保証する」
「ありがとうジーク。でも何か言いかけたのは気のせいかしら?」
気のせいだよ。そうかしら。
目が笑っていないアステシアから必死に目を逸らしながら、ジークは前に進む。
イリミアスが包み込まれた結晶に手を触れると、結晶はポリゴンのように崩れ、
「へびゃ!?」
素っ頓狂な声を上げて、イリミアスは地面に落下した。
「な、何なの!?」頭を抑えながら顔を上げたイリミアスに、ジークは手を差し伸べる。
「おはようございます。寝坊ですよ、イリミアス様」
「ジー坊……それにお姉さまも、アウロラも……エリージアまで!?」
「イリミアス、うるさい……黙りなさい」
「いきなり失礼ねアンタ!?」
ぎゃあぎゃあと騒がしいイリミアスである。
ジークもアステシアも彼女の性格は熟知しているため、あえて止めようとは思わなかった。そんなこちらを見かねてか、苦笑したアイリスが進み出る。
「イリミアス様。ご無事で何よりです。お目にかかれて光栄に存じます」
「あんた……」
イリミアスの目が細まった。
「アイリスね? 七聖将第一席の」
「えぇ、そうです」
「良かった。一人だけ常識人が居たわ」
「あの、僕もいるんですけど」
「聞こえないわ」
ひどい言い草である。
アステシアを見ると、彼女は仕方ないと言って肩を竦めていた。
落ち着いたイリミアスにアイリスは外なる神やここ最近の動向を伝える。
彼女は頷いた。
「なるほどね……事情はよく分かったわ」
そして拳を握りしめる。
「アタシの子をへし折ってくれるなんて……よくもやってくれるじゃないっ!」
ジークはひゅっと息を呑んだ。
アタシの子、というのが何を指しているのか分かったのだ。
途端、努めて無視していた喪失感が去来し、今は別の角がある鞘を見てしまう。
「アルは……」
アルトノヴァは、悲鳴を上げて死んでいった。
何度も何度も助けられた彼に、自分は何も返す事が出来なかった。
父と再会してへこんでいる自分も追いかけてくれたアルトノヴァ。彼に力なんてなくても、ジークはあの小さな神獣が傍にいてくれるだけで、無限の心強さを感じていたのだ。
「アルは、もう……」
懐から取り出したのは蒼い光を放つ魔剣の欠片だ。
指先ほどの玉しか残らなかった彼を、ジークはぎゅっと握りしめた。
イリミアスは目を見開き、
「ジー坊、それ」
「……アルの、最後の欠片です。これだけは残っていて……」
ガシ、と肩を掴まれた。
顔を上げれば、イリミアスは夕陽色の双眸を輝かせていた。
「ーーデカしたわ、ジー坊!」
「え?」
「あんた気付いてなかったの? それは、アルトノヴァの神核よ!」
ジークは目を見開いた。
「もしかして」
「えぇ」
イリミアスは得意げに胸を張り、
「アルトノヴァはまだ生きている!」




