第六話 戦友との再会
中央大陸から一路、一行は南方大陸へ向かっていた。
南方大陸で広く信仰される地母神ラークエスタを解放するためである。あの神は個人的に苦手だが、ジークとしては獣王国に行けば『彼ら』がいるかもという希望があった。
「熱い……熱いわ。アウロラ、氷、もっとちょうだい」
「良いけど……もう、何度目? 大陸ごと凍らせた方が……早いかも」
「それはさすがにやめてください」
過激な発言に真面目なアイリスが反応する。
アウロラの振り切った発言はどこかリリアを彷彿させて、やはり主と眷属なのだとジークは思った。中央大陸と違って南方大陸は気温が高く、汗で透き通ったアステシアの服に少しだけ見惚れてしまったのは内緒である。
「それにしても、南方大陸は何というか……変わりましたね」
眼下、以前まで荒野が広がっていた場所には魔境が広がっている。
底なし沼、増殖する森、雷を喰らう空飛ぶクジラ、大地を闊歩する巨大な牛……。
人外魔境という言葉が頭に過る。
未踏破領域などとは比べ物にならない混沌とした有様だ。
「ここ、もう人が住めるような場所ではないんじゃ……?」
「そうね。まぁあの淫乱女の事だから、何とかするんだろうけど」
「そう、ね。自分じゃ動かず……男を使う。それが……ラークエスタ」
「……ん。姉さまに同意」
「皆さま、あの方への評価が厳しくないですか?」
散々な神々の物言いにアイリスが苦笑を浮かべる。
天界でさまざまな男神を食い散らかしていたラークエスタは女神たちにとってあまり好ましくない対象のようだ。反対に、男神たちからは圧倒的な支持を得ている。ジークも彼女の事は苦手だが、彼女はどんな形であれ獣王国を救っているし、悪い神というわけではないと思う。
と。そんなやり取りをしているとーー
「ジーク、あれを見てください。見覚えがありませんか?」
「え? ぁ!」
眼下、山の頂上に突き刺さっているのは巨大な戦艦だ。
総重量5000トンを超える物体は山と一つになり、オブジェクトのようになっている。
「僕たちが乗っていた……!」
不死の都に向かう最中、ジークたちが途中下船した代物である。
あれがあそこにあるという事は最後まで残っていたオズワンや天使たちがいるという事。獣人の精鋭たちであれば、変わり果てた世界で生き延びることは可能だろう。
「どこに……」
「ジーク、あれよ」
アステシアが指差した方向を見れば、魔獣が集まっている場所が見えた。
鬱蒼と生い茂る森の中だ。よく見れば陽力光が弾け、剣戟の音が響いている。
「アウロラ様! エリージアさん!」
『了解』
冬と月の姉妹が同時に動き出す。
ジークたちを運ぶ氷の足場が高速で滑り降り、エリージアが神弓を構えた。
一発、二発、どれだけ離れていても正確無比に相手を仕留める奇跡の矢。
一つ一つが魔獣を爆散せしめる業を以て、彼らはこちらの存在に気付いたらしい。
「ジーク!?」
「ジーク様!」
赤い龍鱗を持つ男、オズワンだ。その近くには姉のカレンも居る。
総勢千人の獣人部隊、そして天使たちの一団がいた。
「アステシア様、アウロラ様……! ジークまで!? いえ、ですが」
天使部隊は驚愕と同時に、一柱の女神に警戒を露わにする。
軽快されているエリージアはどこ吹く風で、気にした様子もなく矢をつがえていた。
「無駄口は……後。今は、こいつら……片づける」
「天界を裏切ったあなたがなにを……!」
「言う通りにして、時間がないわ。あとで説明するから」
アステシアの言葉に、天使たちは渋々従い、魔獣の対処を開始する。
彼らは聖なる地で起こったことを知らない。
外なる神アゼルクスの存在も知らないだろうから、その反応も無理はないだろう。
そうして周りを静かにさせたジークは、改めてオズワンたちに向き直った。
「オズ、無事でよかった」
「あぁ、お前もなァ」
「ジーク様、現状を説明願えますか?」
挨拶もそこそこに、カレンが切り出す。
「あの時、わたくしたちは暗黒大陸から一転、一度最果ての島に進路を変えました。
しかし、獣王国の事が心配となり、一度国へ帰ることにしたのです。王の軍勢が獣王国にも及んでいるかもしれませんでしたから。ただ、その途中でアレが起きて……」
外なる神アゼルクスの降臨は、何も知らない者達からすれば迷惑極まりないだろう。
なにせ、いきなり天界と人界と冥界が一つになり、魑魅魍魎が跋扈し始めたのだから。何が何だか分からない。そう呟くカレンにジークは頷いた。
「えーっとね……話せば長くはならないんだけど」
「ならねぇのかよ」
「この世界を無茶苦茶にしちゃ奴がいる。だからぶっ飛ばす。力を貸して」
ジークはリリアの事も自分のことも何も口にしていない。
それでも、共に時を重ねた自分たちにはそれで充分だ。
ムカつく奴がいる。だからぶっ飛ばす。単純明快な答えに彼らは顔を見合わせる。
そしてオズワンは口元を緩めーー
「いや、ちゃんと説明しろよバカ」
「いだっ」
と、呆れたようにチョップをかますのだった。
「それで分かるわけねぇだろ……」
「ん、んん」
おかしい、こんなはずでは……と頭を抱えるジークだった。
◆
「外なる神、ね……」
「はい。なので獣人たちの力も貸してほしいのです」
「まぁ、世界の危機ってんならやぶさかでもねぇが。あんたが協力者とはな……アイリス、だっけか」
「正直混乱する事ばかりですが……まぁ、状況は分かりました」
オズワンやカレンはアイリスからの説明を受けて唸っていた。
側近のイラや他の獣人たちと情報を共有しつつ、方針を固めている。
「で、お前はいつまでそーしてんだよ、ジーク」
オズワンが視線を向けた先には、木の根元で地面をいじるジークが居た。
「オズが……あの筋肉馬鹿で猪突猛進だったオズが居なくなっちゃった……よよよ」
「大丈夫よ。ジーク、私はあの説明で分かったから」
アステシアはジークの肩に手を置いて慰めている。
涙目のジークは顔を上げた。
「アスティ……」
「例えどれだけ説明不足で状況にそぐわなくても私は好きよ」
「それ褒めてないよねっ?」
けろりと落としてくるアステシアにジークは呆れ顔だ。
まぁ確かに先ほどのは説明不足だったと自分でも反省しつつ、
「そっちはどうするの、オズ」
「あァ? 決まってんだろうがッ」
オズワンは拳を打ち付けた。
「ムカつく奴はぶっ飛ばす。そんで、元の世界に戻そうぜ」
「ねぇ、それさっきの僕と同じ結論だよね? ね?」
なぜだか釈然としないジークである。
カレンやイラは顔を見合わせて肩を竦めている。何か言ってほしい。
ともあれ、と。ジークはアステシアを見た。
「元に、戻る、のかな……?」
「無理よ」
叡智の女神は断言する。
「人界、天界、冥界。これらはもう一つになって混ざり合った。ここから元に戻そうとすればどんなひずみが生じるか分かったものじゃないわ。最悪、世界が崩壊する可能性すらある」
「歪んだなら元に戻せばいい……と、そう単純な話ではないという事ですわね?」
「そういう事よ。世界はあなた達人間が思っているより歪で、不完全で、危ういの」
「しかし、今はその不完全さすらも混沌に犯されている。だから、」
「えぇ。アイリス。出来るだけ早く外なる神を排除しましょう。私とリリアがジークといちゃいちゃするためにっ」
固く決意するアステシアをじと目で見るオズワンである。
ジークにも言いたいことは分かる。
威厳も何もあったものじゃない。まぁそこが可愛いんだけど。
そんな事を思いつつ、ジークは次なる話題を繰り出した。
「で、僕たちはラークエスタ様の神殿に行くつもりなんだけど、君たちはどうする?」
「ーーとりあえず、獣王国に戻らなければなりません」
応えたのはオズワンの幼馴染であり側近、犬顔のイラだ。
深刻そうに眉根を寄せる彼は腕を組んで、
「世界が変わった今、我らの故郷がどうなっているのか気になります。王は……恐らくあなたについていきたいと思いますが、一度は国に戻ったほうがいいでしょう。女神救出の名目であれば再度出発することは許されるはず」
「ま、そだな。顔見せないと、アイツら不安がるし」
オズワンたちはアウロラが運び手となって獣王国へ戻り、天使部隊はジークたちと共にラークエスタを捜索する事になった。何せ南方大陸には地母神ラークエスタの神殿が千個以上ある。そのどこにラークエスタが居るのか、しらみつぶしに探していかないと分からないのだ。
「わたくしたちはこちらに行きましょう」
ジークたちはカレンの先導でバルボッサ氏族の故郷に赴いた。
獣王国建国時代、地母神ラークエスタが最初に神霊を降ろした場所である。
最有力の候補地だ。
幸いというべきか、空母が墜落した現場は彼らの故郷からそう離れていない場所にあった。
「ジーク様、大丈夫ですか?」
「ん? 何が?」
「いえ……リリア様のことや……他のことも」
「大丈夫だよ」
ジークは笑った。
「ほんとに、大丈夫」
「……そうですか。相変わらず、あなた様は強いですわね」
カレンはホっとしたように微笑む。
そんなに心配されるような顔をしているだろうか、とジークは頬をつねって、
「それでさ。聞きたいことがあったんだけど」
「はい?」
「カレンって、ヤタロウとどうなの?」
「はい!?」
気遣わし気な空気をぶった切るジークである。
カレンはギョッとしたように肩を跳ねた。
「いきなりなんですの!?」
「いや……うーん」
実を言えば、空母での出陣数日前にカレンとヤタロウが話しているのを聞いていたのだ。盗み聞きするつもりはなかったが、カレンが失敗していたらヤタロウを叩きのめして気絶させるつもりだった。そんな理由で気配を消して扉の前に佇んでいたわけだが、聞こえてきたのは予想外に互いを分かり合っている二人だったので、今回聴いてみたのである。
「ジーク、どういうこと?」
「えーと……実はかくかくしかじかで」
「ほうほう……」
アステシア、エリージア、アイリスはにやにやと笑う。
「その話……詳しく」
「私、同年代とそういうお話をしたことがなかったので……気になりますっ」
「人と獣人の恋がどういう結末になるのか非常に知りたいわ。ぜひとも聞かせてほしいわね」
「み、皆さま!? 別にわたくしは、ヤタロウに恋をしているわけでは……っ」
「なる、ほど? 今はそういう段階だと……」
「エリージア様、納得しないでくださいまし!?」
姦しい女子たちの話にジークはほっこりとした気分で剣を振るう。
脳漿を飛び散らせた魔獣が倒れ伏し、鮮血を避けたジークは次なる獲物に切りかかった。だんだんと魔獣や神獣たちが多くなってきているのだが、彼女たちは話に夢中だ。
どうやら、人の恋路で盛り上がるのは人も神々も同じらしい。
今は邪魔をさせるべきではない、と思いつつ、ジークは手を動かして耳を傾ける。
「じゃあ、ヤタロウのことどう思ってるの?」
「別に、わたくしは仲間として……ただ、放っておけないだけですわ」
「「「ほほう……?」」」
「じゃあ、男として意識はしていないの? 弟の代わりだと?」
「……そういうわけではありませんが。少しはカッコいいと思うところもありますし」
「「「ほほう?」」」
アステシアは腕を組み、
「それ、もう好きなんじゃないの?」
「アステシア……それは、野暮。今……恋が発芽してる、最中」
「種族間を超えた恋、ですか……素敵ですね……」
「あの、皆さま。全部聞こえているのですが。あと恋はしていませんから」
カレンは頬をひきつらせた。
彼女らの言葉を聞いても、今いち自分の気持ちを掴めない。
そもそも自分は巫女として、王女として生きてきたから、自分の幸せというものを考えたことがなかった。誰かを好きになる。恋をするという話も、人の話は楽しめるが、自分の事になると別だ。彼の言葉に救われたことは認めるが、自分はそこまで軽い女ではない。
「そう言う事は、全て終わってからですわ。そうですわよね、ジーク様?」
「ん? うん。まぁ……そうだね。ヤタロウも無事で居るか分かんないし」
「あの、心配になるようなことを言うのはやめてくださいませんか?」
「ごめん」
だが実際問題、彼らが無事であるかは分からないのだ。
考えたくない事だが、もう二度と会えない可能性も無くはない。
そのことを実感したのかカレンの足は少しだけ早くなっていたのだが、ジークは触れない事にした。
ーーと、そんなやり取りを経て。
「ここですわ」
一行は生い茂る樹々を抜けて岸壁に辿り着いていた。
カレンの指差した方向には、先の見通せない真っ暗な穴があった。
「……あれが神殿?」
「はい。バルボッサ氏族はラークエスタ様を狂信的なまでに信仰していましたから、万が一にも神殿が壊されることを恐れ、さらに神殿を聖域とするため、洞窟の奥に神殿を作りました」
「なるほど……アスティ、どう?」
「えぇ。間違いないわね。淫乱女の神気を感じる。本当に気が進まないけど、行くしかなさそう」
「この面子でも充分だけど……念のため、オズを待とうか。先に行くと怒りそうだし」
オズワンは一度獣王国に戻ってから合流する予定なのだ。
魔獣や神獣を相手にしてはいたが、強敵と戦っていない彼は消化不良。
思いっきり暴れるためにも、ラークエスタ救出に協力したいとのことだった。
それから数時間後ーー昼食を食べてから、しばらく。
獣王国から戻って来たオズワン、アウロラが合流した。
「悪い、待たせたな」
「ん。じゃあ行こうか」
神殿に向かうのはジーク、オズワン、カレンだ。
獣人たちを運んだアウロラは休息、エリージアは権能の関係で休憩、アステシアは単純にラークエスタが嫌いという事だった。あの地母神、かなりの女神から嫌われているが本当に大丈夫なのだろうか……と心配になるジークである。アイリスは神々の護衛の為に残った。
(まぁ、ラークエスタ様の事なんてどうでもいいか。僕も苦手だし)
洞窟の中はじめじめとしていて、明かりがあっても一メートル先しか見渡せないような暗さだった。幸いにもバルボッサ氏族が手入れを欠かさなかったため、道が凸凹しているという事はなかったが、洞窟の中は迷路のように入り組んでいた。カレンが居なければ、ジークたちは一瞬で迷子になっていただろう。
気になったのは、足元に転がっている大小さまざまな骨だ。大人のようなものも、子供のようなものもある。
「あの、これって……」
「皆殺しにされたバルボッサ氏族の骨ですわ」
カレンがこともなげに言った。
「政変で大勢の兵士がこの場に攻め寄せたと聞いています。大人も子供も老人も、バルボッサの血を引く者は皆殺しの憂き目にあったのでしょう。恐らく神殿に逃げている途中に、背中から殺されたのだと思います」
「いや、カレン……知り合いも、居たんだよね」
「過去の事ですから。それに、巫女として育てられたわたくしは気軽に誰かと接する事も出来ませんでした。友と呼べる者達も居ませんので、感じることは特に」
ジークが困ったようにオズワンを見ると、彼も肩を竦めた。
「おれも同じだ。いじめられっ子だったからな。でも……」
オズワンは周りを見渡し、尻尾を揺らす。
「ま、あとで弔うことくらいはしてやるか」
「……ですわね」
弟の言葉にカレンは微笑んだ。
きっと彼女もそうしたかったに違いないとジークは思った。
「つーかよ、思い出したんだが、ここ、有事の際に避難所として利用されるって話だったよな。だから、侵入者が現れた時の為に迎撃用の仕掛けがある……とか言ってなかったか?」
「あ」
カレンが間の抜けが声を出した。
同時、彼女の踏んだ足場がゴン、と凹み、天井が揺れ始める。
ジークとオズワンが何事かと目をまわすなか、彼女は振り向いて。
「おほほ。盛大に忘れていましたわ」
「ちょ、カレン!?」
「てへぺろ、ですわ」
「いい歳こいてぶりっ子ぶってんじゃねぇぞクソ姉貴!?」
「黙りなさい愚弟。今度年齢の事を言ったら蹴り潰しますわよ」
「言ってる場合!? なんか知らないけどとにかく……」
此処から出たほうがいい、とジークは言おうとして。
『ぁ』
三人の足元に穴が空いた。
浮遊感が三人を包み込む。重力に従い、三人は落ちた。
どこかに掴めるような場所も、ない。
『ぁああああああああああああああああああああ!?』
深い奈落の底に、三人は落ちていった。




