第三話 混沌の申し子
「出来るわけないだろっ!!」
一瞬の迷いもない叫びが廃墟に響き渡る。
世界のために愛する人を殺す? 冗談でも笑えない。絶対に無理だ。
もしもそんな事をすれば、今まで自分が戦ってきた意味が消失してしまう。
「……あなたならそう言うと思っていました」
ですが、とアイリスは声音に諦観を滲ませて。
「四大天使が生きていれば外なる神は殺せない。それは事実です。
世界の白紙化が始まった以上、もう五百年前のように封印することは出来ない。
例え、奇跡が起こってリリアを助けられたとしても……世界は滅びます。それでいいのですか?」
リリアを殺して世界を救うか、彼女を救って世界を滅ぼすか。
受け入れられない選択を前に、ジークは拳を強く握りしめた。
「僕は……!」
「冥王メネスは恋人の心を手に入れるために世界を変えました」
「……っ」
「あなたは、どうしますか?」
状況も選択も問いも異なる。
だが、いま直面している問題は、かつてメネスが通った道と同じものだ。
自らの愛のために世界を滅ぼしたメネスと、
恋人と世界を天秤にかけられたジーク。
もしも世界を選べばアゼルクスは倒せるかもしれない。
ルージュは救われ、
アステシアと共に生き、
トニトルス小隊の仲間と共に暮らせる幸せが待っている。
けれど、そこにリリアはいない。
もしもリリアを選べばーー世界は滅びる。
そうなればどうなるか分からない。彼女と共に生きられるのかもわからない。
それでも、リリアを殺すという自分の選択からは逃げる事が出来る。
「僕は……ッ」
冥王メネスは選択し、結果を示した。
ならば自分は。
一度は英雄になる事を拒み、理不尽への怒りから英雄となる事を決意した自分は。
ジーク・トニトルスは何を選ぶ?
ーーあぁ、そんなの、決まっている。
「全部、救ってみせる」
「……!」
ーーそうだ。思い出した。
テレサやリリアや、アステシアと出会い、人の温もりに溺れていたけれど。
いつだって世界は自分に厳しかった。理不尽なことばかり突きつけてきた。
神々も人間も悪魔も獣人も、自分に味方してくれた事なんてなかった。
でもジークは、自分の望みを諦めた事なんて一度もないのだ。
大切な人たちと共に笑い、共に生き、そして死ぬ。
誰もが味わう平凡な幸せを手に入れるために、おのれの全てを懸ける。
「知っていますか、アイリスさん」
ジークは口の端を吊り上げ、笑って見せる。
「僕、父さんに負けないくらい傲慢らしいんですよ。
欲しいものはなんでも手に入れる……世界も、リリアも、どっちも諦めない」
「……何度も言うように四大天使を倒さなければアゼルクスは」
「はい。だから、ラファエルを倒してリリアを救います」
アイリスは顔色を変えた。
アウロラやエリージアは「ほう」と言いたげに片眉を上げている。
「……気付いたの、ジーク」
「当然です。僕は彼女の夫ですよ?」
ジークはラファエルの姿を脳裏に思い描く。
白にも黒にも染まり切らない、オッドアイの瞳を見せる彼女の姿を。
「リリアはまだ、彼女の中で生きている」
恐らく今はラファエルに主人格が移っている状態なのだろう。
もしもラファエルがリリアの身体を完全に支配したなら、もっと強硬手段に出たはずだ。それこそ、声をかける前に不意打ちで奇襲していればよかったのだから。
「五百年前、アゼルクスは四大天使の身体を使って再生したといいましたけど。
あの時と今とでは状況が違います。ゼレオティール様の身体で世界の白紙化を行っているのは、自分の好きなように世界を書き換える為ですよね? つまり、そこにかなりの力を割いていてーー白紙化が完全に終わるまで、好きなようには出来ないという事です。そうでしょう?」
「……」
「五百年前とは違う方法があるはずです」
アゼルクスを倒すにはリリアの死を引き金とした権能発動が絶対条件だ。
しかし今、ラファエルとリリアは一つになっている。
二つの人格が同居し、魂が混ざりかけている。
であれば、リリアが死ぬ前にラファエルの死を誤認させることが出来れば、助けられるはず。
いや、可能性が低くてもいい。
例え誰に無理だと言われようと。
例え世界が彼女の死を望もうと。
ずっと外なる神と向き合い続けてきた同僚から諦めろと言われても。
「何度でも言います。僕は、諦めない」
「……」
「大体、なんであんな奴の言いなりにならないといけないんですか? なんで無理だと決めつけるんですか? ムカつくでしょ。ふざけんなって感じですよ。外の世界からやってきて、僕たちの世界を滅茶苦茶にしたあいつをーーリリアやアスティやルージュやみんなに手を出したあのくそったれな神を……許せるわけがないでしょうっ!」
言葉はだんだんと熱を帯びる。
怒りの萌芽に応えた陽力がバチバチと迸り、地面が放射状にひび割れた。
「世界も救って、リリアも助けて! 大切な人たちをみんな助ける! あの理不尽な神をぶっ倒す! それが、それこそが僕たちのやるべき事でしょう! 今の世界を生きる、みんなの願いでしょう! 違いますか!?」
「……っ」
「だから、今度は僕からお願いします。アウロラ様、エリージア様、アイリスさん」
その場にいる者達の姿を見回して、英雄は傲然と告げる。
「僕に手を貸せ」
お願いと言いながらも、有無を言わせない表情がそこにある。
おのれの意思を貫くために他者を使う、それは傲慢な英雄の言葉だ。
世界が変わる前の神々ならば一笑に付すか、あるいは苛立ちを隠せないだろう。
英雄とはいえ人の身。自分たちに命ずるお前は何者なのかと。
だが、三界が一つになった今では。
外なる神アゼルクスという共通の敵を得て、互いの怒りに共感を示す彼らは。
「ふふ」
アウロラは楽しそうに笑った。
「ほら。言った通り。お姉さま……これが、ジーク」
妹に話を振られたエリージアは肩を竦め、
「傲慢、わがまま、独善的でありながら……全てを救う事に目を向ける……。
冥王と同じようで……違う道を往くのね……これが、あなたという人間、か」
月の女神は薄く微笑んだ。
「ん……悪く、ない」
特に。
「あのムカつく神をぶっ飛ばすという点に……激しく同意する」
「エリージア様」
「呼びで捨てでいい。ジーク……私もそう呼ぶ。私はあなたに……手を貸しましょう。
その代わり、あなたも、じいじを救うために手を貸す……これは、対等な同盟」
かつて戦った因縁を忘れ、共に戦おうと。
互いの目的に理解を示したジークとエリージアは手を取り合った。
そして、アイリスは。
「……試すようなことを言って、すいません」
申し訳なさそうに、微笑んだ。
厳しい表情から一転、柔らかな顔は年頃の少女の笑みだ。
「確かにあの時と今では状況が違う。針の穴より細い……砂漠の中で宝石を見つけるような光が……万に一つの可能性がある。でもそれは、果てしなく厳しい道です。最悪の場合、全てを喪う可能性を忘れてほしくなかった」
「はい。分かっています」
もはや思い出すまでもない。外なる神アゼルクスの力は強大だ。
ゼレオティールの身体を奪っているとはいえ、世界の白紙化を実行できるほどである。冥王と自分、そして六柱の大神の力を使っても、防御を突破する事も出来なかった。五百年前からアウロラが準備し続けてきた権能の発動も不可欠なのだろう。
「それでも、諦める理由にはならない……そうですよね」
「……あなたが五百年前に生まれていれば……いえ、よしましょう」
アイリスは首を横に振り、
「今は一刻も早く戦力を集め、外なる神を討つ必要があります。あなたの力も復活しなければならない……まずは、」
「既に調べてある。この先に、アステシアが封印されている神殿が……」
「は? なんでそれを早く言わないんですかっ!? 早く行きましょう!! すぐ行きましょう!」
「ジーク! 待ちなさい! この先には敵が待ち構えて……って早い!?」
アイリスの制止も聞かず、ジークはその場から飛び出していた。
アウロラが指差した方向に向け、一目散に駆け抜けていく。
神々と七聖将第一席が追いつけないほどの速さだ。
アイリスたちは顔を見合わせ、すぐにジークを追いかけ始めた。
「全く……! だから……アステシアの名を出さなかった、のに……!」
「ごめんなさい、お姉さま。怒らないで」
「可愛い妹に、怒るわけ、ない。悪いのは……何も言わなかったアイリス」
「とばっちりは止めてくれますっ? それより早く追いかけないと……!
大神たちの封印前には奴らが集中している! アステシア様の封印は特にです。
四大天使には及ばないまでも、アゼルクスに支配された神々が守護しています!」
外なる神アゼルクスはゼレオティールの身体を乗っ取った混沌なる王だ。大神たちのように大きな力を持っている者は無理でも、主神から生まれた神々を支配するはたやすい。特にアステシアはジークに連なる者とあって、大神に連なる力を持つ神々が来ていた。
先ほどまでアイリスは単独で斥候役を買って出ていて、単独での救出は無理だと判断していたのである。
(世界が変わる前ならいざ知らず……! 今の彼には魔剣もなければ加護もない。
いえ、一部は機能しているようですが、たったそれだけで神々に太刀打ちできるわけがない!)
ジークという戦力を喪えば外なる神アゼルクスを倒すことは不可能だ。
アゼルクス自身が秩序を乱して産ませた、人と魔の間に生まれた混沌の申し子でなければ彼の神核に傷をつける事は出来ない。破壊に特化した破壊神や雷霆神はもう居ないのだ。オルクトヴィアスの力だけでは、彼を倒すことは決してかなわない。だから慎重に行動してくれと、言おうとしたときにこの体たらく。
「全く……! 神アウロラ。少しはものを考えて発言してください!」
「私の抜けているところは……お姉さまが、補う。だから、完璧」
「どこも完璧ではないんですがっ」
「問題ない……じきに追いつく」
廃墟のビルを降りると、霧深き冥界の沼が広がっていた。
その霧の先に佇んでいるのは、白亜の神殿。
天界では知らぬ者のいないアステシアの神域。『叡智の図書館』である。
荘厳な広場の前には噴水が噴き出し、色とりどりの花々が咲き乱れている。
アステシアがお茶をするためのバルコニーは庭園を見渡せる場所にあり、
そのために余計なものは一切ない。雄大な自然を眺められる高所に図書館はあった。
そして、その広場の前には二柱の神々が立っていた。
ジークの前に立ちはだかる、全身が焔で出来た大男と、小さな妖精じみた姿の神。
炎と水の双子神。インティグラとリーガ・ドラだ。
「来たか。運命の子。我が主の命に従い、お前を捕縛する!」
「全てはアゼルクス様の御心のままにってわけだよ。お前を捕縛してここを攻めるからね」
人界では加護を得やすいとあって人気の神々で、その分、信仰が強く集まっている。
神にとって信仰は力と同義だ。
山を消し飛ばし、湖を蒸発させ、火山を鎮火させることなど彼らにとっては造作もないこと。
インティグラが手を掲げると、その手に巨大なマグマの塊が生まれた。
戦車砲などとは比べ物にならない威力を持つ火球。それに加え、水の神リーガ・ドラが周りの水分を操作して炎を強くする。
近寄るだけで自然発火しそうな超々高熱の合わせ技は、接近戦ではどうにもならない。
そして彼ら後ろには炎と水の双子神と契りを交わした天使部隊百人が待ち構えている。万が一、突破されても接近戦で囲む構えだ。
さらに彼らの周りには天界に名だたる神獣グリフォンや、冥界の凶悪な魔獣が居並んでいる。
天界の宝具、彼方の角笛まで持っている始末だ。
アイリスが攻略を諦めた理由がここにある。
もしも三人で挑んだとしても、彼らと戦っているさなかに応援を呼ばれてしまう。
そうなれば数の暴力で押され無駄死となるだろう。
近くにいることが分かったジークを呼び寄せ、彼に接近戦を任せて自分たちは遠距離から仕掛ける。
アゼルクスに支配された双子神に対抗するには、それが最善だと思っていたのだ。
ーーだが。
「邪魔」
「「「は……?」」」
驚愕の声が、三人の口から洩れていく。
瞬殺。
炎と水の双子神は、何が起こったのか分からぬままに首を両断された。
彼らが手を掲げた瞬間、ジークは爆発的な速度で踏み込み、接近していたのだ。
同時に彼らが放出した魔力が暴走。大爆発を引き起こし、後方にいる天使たちを炎の舌が舐めとっていく。
炎を背後に神殿へ駆け抜けるジークは、続いて神獣グリフォンの懐に潜り込んだ。
「フ……!」
前足を振り上げた獣の攻撃をかいくぐり、回転と共に右足を一閃。
続いて逆方向に回転し、左足を斬る。前足の腱が斬られて体勢を崩すグリフォン。その懐の中から真上に剣を突き出し、ジークは一気に心臓を貫いた。狩りの獲物を捌くかのような流麗さで、グリフォンの腹にまっすぐな線が奔る。雄々しい神獣が真っ二つに崩れ落ちるとき、ジークは既に次なる魔獣へ斬りかかっていた。
「そこを、どけぇぇええええええええええええええ!」
狂戦士もかくやというべき気勢でありながら、その身体には返り血一つ浴びていない。武神ラディンギルを彷彿させる、武の極致がそこにあった。
「…………………………ねぇ、アウロラ。私、夢でも……見ている、の?」
「お姉さま、大丈夫。私も同じ気持ち」
「いくら何でも……強すぎるでしょう」
今より半年以上前にジークと本体で出会っているエリージアだ。
彼が冥界へ潜っている時、未だに絶対防御領域を会得していなかったことからも、その成長ぶりはうかがえる。自身も神霊体をやられた記憶があるし、そこは疑っていない。だが、加護と魔剣を喪った上でこのほどの強さがあるとは、正直思わなかった。それはエリージアだけでなく、アイリスも同じ気持ちだ。
(第三次人魔大戦の折、彼の力は目の当たりにしていましたが……あれからさらに成長するとはッ)
加護と魔剣を喪っていても、陽力は健在だ。
もしもここに異端討滅機構の魔導工学者が居れば卒倒していただろう。
三界が一つになったことで、世界には魔力の素となるエーテルが満ち満ちている。
それはつまり、人界であった頃よりも陽力を生成できる量が跳ね上がったことを意味しており、
今のジーク・トニトルスの陽力量は、大神のそれを遥かに上回っているのだ。
(混沌の化身が降臨したことで、その因子であるジークの力もまた増している。
まさか、世界が混沌に近づけば近づくほど、彼の力も強くなるという事ですか……!?)
外なる神アゼルクスが四大天使を遣わしてまでジークを確保したい理由がそこにある。今のジークは外なる神の神核を納める器であることに加え、彼に対抗できる唯一の刃なのだ。
ジークはアゼルクスにとって切り札であると同時に、諸刃の剣。
混沌の王は理解しているーージークが自分にとって天敵であることを。
(いえ、ただ陽力があるだけではああは出来ません……どんな陽力操作能力ですかッ)
洗練された陽力操作は一見して強さを感じられない。
嵐のような荒々しさや力強さはなく、静かに流れる大河の如き静けさがそこにある。
だがそれは、急流の中で丸太を組むようなものだ。
どれだけ精緻に組み上げようとしても絶えずあふれる陽力が組み上げたものを全て流してしまう。そこを堪えて陽力を圧縮・操作し、神を圧倒するほどの力を紡ぎあげるには、強靭な意思と精神力、そしてアイリスが想像もできないほどの陽力操作能力が必要となる。
そもそもアイリスにはどうすればあれほどの陽力を扱えるのかも分からないが……。
武神ラディンギルに勝ったのも頷けるというものだ。
(正直に言って……魔剣の力が大きいと思ってました。加護に恵まれているとも)
実際、魔力を吸い、因果を断つ魔剣の権能は大きすぎた。
大抵の敵は魔剣を一振りするだけで倒せるだろう。
故に彼の強さを覆い隠していたのだ。
加護についてもそう。
天威の加護と先視の加護を持つ彼の前で立っていたものが、一体どれほどいただろう。
だが、その二つの力が却ってジーク本来の力を曇らせていた。
莫大な量の力を扱う、陽力操作能力、危機管理、戦闘勘、身体能力。
魔剣と加護を扱うための彼の基本スペックは、尋常を逸脱した英雄のそれだ。
天界での様子を聞いた限り、彼は対等な敵を前に喜んでいたと聞く。
それもそうだろうとアイリスは思う。
自分の力の限界も分からずに戦うほど愚かなことはない。
(彼ならば、もしかしたら)
アイリスは隠し切れない興奮に肩を震わせていた。
憧れを前にした子供のように、絶望の中で希望を見つけた少女のように。
(半魔として迫害に遭いながら、人と魔の間でまっすぐに生きた彼ならば。
本当に、全てを救えるかもしれない……恋人を救い、女神を解放し、友を、世界を救う事が)
神殺しの雷霆ならば。
「はは……さすが……あなたの息子ですね、セレス。そして……」
時読みの巫女は口元を緩め、ジークの後を追う。
神々を滅ぼし、天使と獣たちを殲滅した彼を。
希望を見出した彼女らの足取りは、羽のように軽かった。




