第九話 絶望の淵で愛をささやく
その昔、世界がまだ形を伴っていなかったころ。
そこには混沌の海だけがあった。
やがて混沌に意思が生まれる。原初の一なる神だ。
一なる神が寂しくて涙を流すと海になり、一なる神が歩き出すと、そこが地面になった。
「狭い」と神が呟くと、空が現れ、宇宙ができた。
一なる神は己の力を分割し、概念化した。それはやがて神々となった。
神々を真似た混沌は人の形をとった。それはやがて人間と呼ばれるようになった。
人も神もあらゆる生き物が、混沌なる神を尊んだ。
それが世界の始まり、ジークを始めたとした誰もが知る創世神話。
だが、混沌が秩序を持とうとすればひずみが生まれるものだ。
そのひずみを利用して世界外の侵略者が現れる事もまた道理である。
ゼレオティールは世界を創世してよりずっと、その外敵を退け続けてきた。
だからこそ原初の間という場所から殆ど動かなかったのだ。
しかし、今ーー
「『外なる神』アゼルクス……! ついに、現れてしまいましたか……!」
「アイリスさんッ、一体どういう……」
誰よりも事情を知るアイリスにジークは説明を求める。
しかしその瞬間、いくつかの事が同時に起こった。
まず、アゼルクスの口元が三日月に裂け、甲高い叫びをあげた。
【ァ、あ、aaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!】
声に宿る魔力は聞く者の身体を崩壊させる破滅の旋律だ。
音波だけでカルナックのビルを倒壊させる恐ろしい攻撃に、ジークは驚愕した。
(このままじゃ、みんな……!)
すぐさま絶対防御領域を展開させようとするが、間に合わない。
第二の力には溜めが必要なのだ。音波はまたたくまに世界を渡り、
トニトルス小隊が居た神殿すらも呑み込む……
そうなる前に、ジークの前に六つの影が割って入った。
「ーー私のジークに、手は出させないッ!」
「アスティ!?」
ゼレオティールが現れた時と同様、天から現れたその人影は愛しい婚約者だ。
彼女は華奢な手を掲げ、その手に光を宿す。
見れば、彼女の隣にいるのは六柱の大神たちーーしかも神霊ではなく、本体だ。
人界に降臨した神々は、武神とジークの戦いの時のように結界を作った。
「ぐ、ぅ……!」
大神たちの結界すら脅かす外なる神の脅威。
結界に力を注ぎこみながら、ソルレシアは悪態をついた。
「封印から解き放たれたばかりでこの力……! 全く嫌になるね」
「あぁ、クソ、我らが父を、よくも……!」
「どうして忘れていたのでしょう……レフィーネ、あの、熾天使!
あんな女、わたくしたちは知らない! 何が一なる天使ですかッ!」
「お姉さま、アタシ、まだよくわかってないんだけど! どういうことなの!?」
「私たちは記憶を封じられていたのよ! 世界を維持するために大神の力は不可欠……!だから滅ぼすよりも主だった者の記憶を封じ込め、封印が解かれる機会をまった……!」
神々が力を欲していた真の理由は、おのれの生もさることながら、外敵の脅威故。
ゼレオティールが抑えてきた外なる神の侵攻が激しく、世界をあげて立ち向かおうとした。その過程で闇の神々は人類を支配すべきだと主張し、光の神々はそれに反対し、対立を煽ったレフィーネの裏工作により、終末戦争は起こったのだ。内輪揉めをしている最中に侵略されるとも知らずにーー。
「アスティ、わけわからないよ、どういうこと!? なんで……!」
結界を維持する背中に呼び掛けると、彼の花嫁は苦し気に呻いた。
「ジーク、冥王の言葉は全て真実よ。アレが、全ての元凶……!」
【ーー我が息子よ。会えて嬉しいぞ】
不意に、声が響いた。
破滅の旋律が消え、嫌な静寂がその場に満ちていく。
目もない鼻もない、およそ顔を構成する要素が口だけしかない無貌の神はまっすぐにジークへ語りかけていた。
ーー息子? 今、息子って言った?
「……僕の両親はルプスとセレスだ。お前じゃない」
【いいや、お前は確かに我が息子だ。分かっているだろう?】
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
ジークは反論できなかった。
かつてルプスに告げられた真実が、残響のようにジークの耳に木霊する。
『疑問に思ったことはねぇか? オメェが神共の加護を何個も宿せるってことをよ』
『答えは簡単だ』
『お前の正体は、神が造った神造兵器』
『セレスは母体を提供しただけだ』
幻聴が、ジークの心を引き裂く。
『だから複数の加護を宿せた。だから生まれる事が出来たんだよ』と。
それを裏付けているのが、この発言だ。
ゼレオティールですら敵わない理外の存在ならーー
本来生まれるはずのない子供を産むことだって出来るんじゃないか?
「ぁ、あ、ぼく、は……」
【叡智を司る者よ。答えてやるがいい。お前が求めていた答えがここにある】
「……」
アステシアは口惜しそうに歯噛みした。
それが全てだった。
しかし、愛する男の出生など、彼女たちにとっては。
「それでも、ジークはわたしの大切な人ですーーその事実は変わらないッ!」
「本当にそう。だからーー死んじゃえ、このあばずれ天使!」
リリアとルージュの合わせ技。
重力操作で加速させた氷の弾丸がレフィーネの身体を貫いた。
しかし、虹色の天使は身体に空いた穴を一顧だにせず、恍惚と見下ろすのみだ。
「ふふ。無意味ですよ、リリア。私の身体は混沌なる王のもの。
いくら傷つけたところで、この身体が消滅することはありません」
「……っ」
自分を歯牙にもかけていない態度にルージュは歯噛みする。
だが、攻撃が効かない混沌の使い魔を、さらに追撃する姿があった。
「『紅き光に散れ。流星の如く』!」
紅い光がレフィーネの身体を呑みこんだ。
続けて黒い刃が混沌なる神の元へ繰り出され、幾筋もの剣閃が宙を奔る。
【ぬぅ……】
外のなる神アゼルクスは顔を歪めるが、その身体には傷一つない。
傷がついた瞬間には再生を終えているのだ。
「構わない。畳み掛けろ」
ジークの前に降りたのは、黒い鎧を身に着けた男。
先ほど母の仇をこちらに投げつけてきた、第一死徒ニアだ。
「アレはまだ実体化していない。ゼレオティールの身体を触媒としたが、
混沌と同系統の存在である一なる神の身体は依り代としては不完全。今なら」
「奴を倒せる可能性が残っている。力を貸せ、ジーク、そして神々!」
闇の塊がアゼルクスの身体を呑みこみ、同時に一刀両断する。
傷を与えずとも再生に使う魔力は消耗する。だからこそ、冥王メネスはそこを狙う。
もはや異端討滅機構本部の頂上は消え去り、かろうじて足場だけが残されている。
しかし、ジークは未だに混乱していた。
メネスに告げられたこの戦争の裏の事もそうだし、
何より、自分の出生にこの外なる神が関わっていたと聞かされてすぐに納得は出来ない。ぐったりとしたルナマリアを抱えながら攻撃を繰り返す叔父の背中に、ジークは叫んだ。
「ふざけるなっ! おじさん、あなたが自分から封印を解いたんでしょう!」
「元よりアレの封印は解けかけていた。私がやったことは時を早めただけにすぎん!」
「言う通りにせよ。もはやこうなっては仕方なし。冥王と敵対している場合ではない」
海神デオウルスは苦虫を噛み潰したように言った。
「今、アレを滅ぼさなければ世界が終わる。我らが総攻撃を仕掛ければ、あるいは……!」
「わたくしは勘弁してほしいのですけれど。ゼレオティール様が負けた相手ですわよ? これ、無理では?」
「さらっとアタシの後ろに回り込もうとしてるんじゃないわよラーク! つべこべ言わず戦いなさい!」
「ジーク、納得できないかもしれないけれど……」
外なる神アゼルクスに、次々と降り注ぐ光の雨。
リリアやルージュも仕方なしと割り切ったのか、渋々冥王と共に攻撃を繰り出している。否、彼女たちが守っているのは世界ではないーージークだ。
(ついに、この時が来た……! アウロラ様の言っていた通り、でも、今なら……!)
(コイツはお兄ちゃんに近付けたらやばい。よく分からないけど、本当にヤバい……!)
世界を揺らす、極光じみた光の波状攻撃。
それに加え、冥王のそばに次々と影が降り立った。
「……ついに……この時が来た。混沌なる王……じいじの身体を、取り戻す」
「ようやくこの時が来たかしら。かしら!」
「メネスと契約して五百年あまり……長かったわね」
エリージアが、サタナーンが、オルクトヴィアスが。
闇の神々に属する全ての存在が一堂に集結し、外なる神に攻撃を始める。
もしもアゼルクスが宙に浮かんでいなければ、今ごろカルナックは更地になっていただろう。余波だけでもビルが倒壊する、人語を絶した力のぶつかり合いがそこにある。
「……っ、あぁ、もう。やればいいんでしょ、やればッ!」
もはや迷っている暇はなかった。
六柱の大神と冥王、闇の神々、ニア、そしてアイリス、リリア、ルージュ。そしてジークも攻撃に加わる。全員の攻撃が合わさった一撃は、この世の誰にも耐えられるはずがなかった。焔の赤も、光の白も、闇の黒も全てが混ざり合い、目をあけていられないほどの光となる。
それでも。
【我はまだ我が子と話していたのだ……邪魔だな、貴様ら】
その一言で、極彩色の光が掻き消えた。
光の闇の神々が放っていた攻撃が幻のように消え、その他の攻撃は虚しく吸い込まれる。
『馬鹿な……!』
驚愕する一同を放置し、無貌の神は思案げに一拍の間を置き、
【我が実体を保っていられるのも限度がある。先に世界の方を変えるべきか。我が端末よ、これへ】
「はっ。この命、我が主のために」
レフィーネが恍惚と頬を朱に染め、自らの胸に手を差し入れる。
ぐしゃぁあ、と鮮血と共に取り出されたのは彼女の心臓だ。
桃色の臓腑はまたたくまに虹色の結晶となり、アゼルクスの存在を維持する力と化した。巨大な手が結晶を掴み、呑み込む。呑みこみ、アゼルクスは四本の腕に槍を作り出し、交叉させた。
【さぁ、終わりを始めようーー】
「…………っ、まずい、みんな、急いでアレを止めーー!」
【もう遅い】
その瞬間、世界の全てが光に染まった。
世界が始まる開闢の光のように、樹が幹を伸ばし、枝葉を広げんがごとく。
光は風となり、人も神も魔も全ての身体を駆け抜け、地球の彼方まで広がっていく。
大地が塗り替わる。天が書き換わり、海に沸くは魔性の獣。
外なる力が神話に描かれた生命の樹の如くこの世界に根付き、全てを変えていく。
そしてーー
眩しい光が収まり、目を開けると、そこには変わらぬ空があった。
周りにいる誰もが無事のようで、何かが変わっている様子はない。
ジークはおそるおそる口を開いた。
「一体……何をしたんだ? リリア、ルージュ、アスティ……無事?」
「わたしは大丈夫です」
「あたしも平気。でも……なんか、身体が変っていうか……」
違和感に首をかしげたルージュの隣で、アステシアは言う。
「私も無事よ。でも……世界は」
「アスティ?」
アステシアはゆっくりと腕を上げ、吹き抜けになった城の外を指差す。屋上じみた広間からは外の風が吹きつけており、そこには何ら変わらぬカルナックの街並みがーー
「え」
なかった。
「あれって……神獣……?」
空飛ぶクジラが優雅に泳いでいる。
旧世界の街並みを残していた聖なる地は緑に覆われ、周りは森になっていた。
地上の街を一角獣が駆け、樹々に寄り添う妖精たちは優雅に踊る。
街の外を見れば、地平の彼方にある山は火を吹いていた。
底なし沼は触れた動物たちを呑みこみ、枯れた樹々が湿地に生えている。
七つの首を持つ犬が大地を闊歩し、空を飛ぶ神獣に唸り声を上げていた。
「冥界の、魔獣まで……」
我が物顔で闊歩する魔獣を相手に、天使たちが攻撃を仕掛けていた。
人界にいた天使ではないーー天界で神々に使えていた者達だ。
よく見れば、天界に存在していた建物が不規則に点在している。
人界、天界、冥界。
世界を隔てる壁を越え、魔獣も神獣も人間も天使も、全てが無秩序に入り乱れている。
「今、三界の垣根は無くなり、世界は一つになった」
アステシアの苦渋が滲んだ声が響く。
「混沌の時代が始まったのよ」
動揺する神々、険しい顔を見せる冥王、満足げな外なる神。
それら全てを認知しながらも、冬の熾天使はぽつりとつぶやいた。
「ーー時間切れ、ですね」
「リリア?」
振り向くと、リリアはきつく目を瞑っていた。
目を逸らしていたことと向き合うかのように。
目を見開いた時、彼女は恋人を見て儚げに微笑んだ。
「ジーク」
たん、と足を踏み出して、
「……っ」
暖かな唇が、ジークの口を塞いだ。
愛しい恋人が首の後ろに手を回し、羽で身体を抱きしめてくる。
互いの境界が無くなるような熱い口づけ。
その場にいる誰もが瞠目するなか、身体を離したリリアは口元を緩める。
「愛しています。ジーク」
「リリア……? こんな時に、どうして」
戸惑うジークに、リリアはおのれの胸の内を語る。
「ジーク。貴方と出会えたこの一年間、わたしにとって人生で一番幸せで、満ち足りた日々でした。天使になってからも、変わらずに接してくれてありがとうございます。一緒に暮らせてうれしかった。朝、起きたときにジークが傍にいることが幸せ過ぎて、毎日泣いてしまいそうでした。ふふ。ジークの作った料理、今ではちょっと懐かしいです」
「な、にを。なんで、今、そんなこと」
世界の変革も何もかもが見えていないかのように、リリアは言う。
今この瞬間、最愛の人しか目に入らないとでもいうように、
ーーまるで別れの言葉のように。
ぎゅっとジークを抱きしめたリリアは、泣きながら笑った。
「大好き。わたしのヒーロー」
「リリア……あの、嬉しいんだけど、ここ公衆の面前って言うか、
今はそんな時じゃないっていうか……あの、急にどうしたの?」
冬の天使の頬に、つぅ、と涙が零れ落ちていく。
「お別れです、あなた……わたしの、愛しいひと」
「え?」
トン、と。
ジークの身体を押し出したリリアは、愛をこめて微笑む。
「必ずわたしをーー」
その瞬間、リリアが光に包まれた。
「え」
咄嗟に手を伸ばすジークだが、光の膜は彼と彼女を隔てている。
絶対防御領域のように、空間と空間を断絶しているのだ。
悲鳴を上げたジークは光の膜を殴りつけた。拳が砕ける。
そうしている間にもリリアの身体は浮かび上がり、その身体は外なる神の元へ。
【我が使徒が犠牲になったのでな。補充させて貰うぞ】
「ぁ、ぁぁあああああああああああああああああああああああ!」
「リリアッ!!」
ジークは神速の雷撃を放つ。ルージュもまた重力の弾で援護した。
だが無駄だ。ゼレオティールを触媒とした外なる神の攻撃は、あらゆるものを拒絶する。雪のように真っ白だったリリアの身体は赤と黒を基調とした混沌の色へ変わり、その片目は、深淵を覗かせる深い闇色へと変わってしまった。
【ふむ……まだ僅かに抵抗があるが、時期に消えるだろう】
外なる神アゼルクスは満足げにそう告げる。
身体が変化したリリアはアゼルクスの足元で跪き、差し出された手に口づけた。
『我が主、絶対なりし混沌の王アゼルクスよ。御身にわたしの全てを捧げます』
【うむ。貴様には『永遠の凍土』の名を授ける。我が第四の使徒として励むがいい】
「な、ぁ」
頭がおかしくなりそうだった。
リリアが告げた別れも、彼女の身体が変化したという事実も。
そして何より、アゼルクスに忠誠を捧げているその事実が、ジークの心を怒りに染め上げた。
「おま、え……!」
「お兄ちゃん、一人で突っ込んじゃダメッ!!」
「リリアに、何をしたぁああああああああああああ!!」
雷撃一閃。
ルージュの制止もきかず、ジークは雷の速度で神に切りかかる。
武神をして「オレより速い」と言わしめた速度はいかに外なる神でも反応できない。
だが、その間に割って入るだけなら。
『させません』
「……………………ッ!!」
ラファエルの名を受けたリリアが、ジークと神の間に割って入って来た。
恋人の身体を盾にされたジークは寸前で剣を止める。
「リリ、ア……!」
『否。我が名はラファエル。無貌の神アゼルクス様の忠実なる下僕』
「違う! 君はリリアだ。リリアなんだよ……目を醒ましてよ、リリアッ!!」
『否、否です。囀るのはやめなさい。劣等種。それを拒むというのなら』
リリアは手を掲げた。
『偉大なる主の前に、その命を捧げなさい』
「お兄ちゃんッ!!」
ルージュの叫びと同時にジークの身体はぐい、と引っ張られた。
影の触手を巻き付けて、ルージュが引き寄せたのだ。
見れば、一瞬前までジークが居た場所は巨大な氷柱が突き立っている。
「リリ、ア……!」
恋人だった女の、暖かな笑みはどこにもない。
外なる神に絶対の忠誠を誓う、世界の枠から外れた天使の冷たい瞳がそこにあった。
「……取り込まれたか。残念だが、ああなってしまってはどうしようもない」
ジークの隣に立ち、冥王メネスが告げる。
「恋人を救いたければ殺せ。それがお前に出来る唯一の救いだ」
「ふざけるなッ! そんな事出来るわけないだろうが!」
「……どの道、奴を倒せねばどうにもなりません」
メネスの背後から進み出てきたニアは落ち着いた声音で言った。
「奴がこの世界に馴染み切らない今が最大のチャンス。
協力しろ、ジーク・トニトルス。終末をうたわれた予言の子よ」
「……っ」
「その男の言う通りよ、ジーク」
歯噛みするジークの隣で、アステシアが言った。
「四人の使徒が揃っていない今を逃せば次は難しいわ」
「……分かった、分かったよ……ルージュ、アル、行くよ」
「あったりまえだよ! お姉ちゃんを取り返さなきゃ!」
「きゅー!」
アルトノヴァを鎧として身に纏い、ルージュが魔力を滾らせる。
光と闇の神々もまた、おのれに出来る最大の技を放とうとしていた。
そして、先ほどリリアに治療を受けた七聖将もまた。
「あぁ、くそ。よくも、よくも姫様を……」
割れた眼鏡を捨てたアレクは立ち上がる。
その目にはありったけの憎悪が滲み出ていた。
「これが終わったら貴様だ冥王……絶対に殺してやるっ!」
「ふん。出来るものならやってみろ」
憎悪に駆られつつも姫が愛した世界を守るため男は前を向く。
再び使徒化した彼の身体にすさまじい陽力が立ち上っていた。
「色々めちゃくちゃだよ、ほんと……もうウチ、帰りたいんだけど」
血反吐を吐きながらトリスが言った。
小さな少女の身体は立っているのもやっとだ。
だが、例えおのれの体が動かなくても彼女だけは戦える。
「超素粒子電砲……出力最大、耐久性ゼロ……ぶっ飛ばす」
トリスの背後の床がせりあがり、巨大な銃となった。
狙いを定める彼女の横から、一人の少女が進み出る。
「ほんと、好き勝手やってくれるわ……はらわたが煮え繰り返りそうよ……!」
血まみれの姿で立ち上がったラナは、燃えたぎるような憎悪をみなぎらせる。
「ワタシの世界で! ワタシの家で! 好き勝手暴れてんじゃないわよッ!」
「ラナさん……」
「言っておくけどワタシはあなたの味方じゃないわ。これが終わったらアンタ、そして冥王よ!」
「分かってます……今だけは協力してください」
「フン。ワタシに命令しないで」
手足の欠損を炎の両腕で補うラナは、聖杖機を構えた。
もはや陽力は心もとないが、世界の危機とあらば何としても踏ん張らねばならない。
シェンは気絶してしまっているようだから、その分、自分が力を尽くさねば。
例え憎き相手がそこにいようとも今は世界の危機。
少しだけなら禍根を忘れよう。今だけは、共通の敵の為に戦ってやる。
それが七聖将。それがラナ・ヘイルダムの唯一の矜持ーー
「ーーははっ! あぁ、あんたのそう言うところが、あたいは好きだったよ、ラナ」
「え?」
ーー斬ッ!
くるくる、くるくると。
ラナの視界はめまぐるしく回っていた。
目の前を真っ赤に染める鮮血、耳に残響する残酷な声音。
ーーあれ、ワタシ、どうして。身体が、あそこに。
ごろん、と。
首を転がしたラナは何が起こったか分からぬまま死亡した。
『なッ』
その場の誰もが絶句する、その下手人。
ラナの首を狩り飛ばした七聖将第三席、イチカ・グランデは笑う。
「ま、生まれ変わって元気になりなよ。アンタもこっち側だ」
「ラナちゃん!!」
「トリス、待て!」
「イチカさん……どう、して」
戦斧を肩に担ぎ、イチカの身体が浮かび上がる。
同時、首と胴が分かれたラナの身体も変化を起こした。
「ぁ、あぁあああああああああああああああああああああ!!」
首と胴が再び一つとなり、身体が異形のそれへと変化する。
傷だらけの背中からは四対の翼が生え、頭部は機械じみ頭に変貌。
両手に巨大なかぎ爪を得た彼女は無感情にアゼルクスの前に膝をつく。
「我が主。至高の御方。どうぞ我が身をお使いください」
【うむ。貴様には第二使徒『永劫の焔』の名を授けよう】
「イチカさん……どういうことですか。あなたは、最初から……!?」
「おう、ジーク。悪いな。でも、あたいだけじゃないぜ?」
動揺する神々の中から、ぬぅ、と影の輪郭が浮かび上がった。
影のヴェールを切り裂き、死の神オルクトヴィアスの腹を触手が貫く……。
「させん」
その寸前、メネスの剣が影の触手を貫いた。
眉尻を寄せるオルクトヴィアスが「……そう」と息をついて。
「貴方も裏切るのね。クズ……いいえ、ダルカナス」
「ダーッハハハハ! まぁな!」
褐色の偉丈夫、闇の神ダルカナスがそう告げる。
先ほどの攻撃に参加していなかったのは、そもそも参加するつもりがなかったからか。
またたく間に変化する状況、もはや誰が裏切るのかもわからぬ混沌とした事態。
(早くリリアを取り戻さなきゃいけないのに……これじゃあッ)
ーーキヒッ。
その瞬間、強烈な悪寒が背筋を貫いた。
「~~~~~~~~~~~~~っ!」
迫りくる風切り音。肌を焦がす熱波、マグマのように煮え立つ地面。
咄嗟に上に剣を掲げたジークへ、衝撃が訪れたのは次の瞬間だ。
ガキンッ!!
「……あぁ、待っていたぜ、この時を。混沌の時代を」
「お前ッ」
そう、闇の神ダルカナスが裏切って、この男が裏切らぬはずがない。
神義を尊びながらも他者を傷つける事に容赦を知らず竜人であり、
ジークの腹を貫いた、焔と氷を併せ持つ、煉獄の化身。
「煉獄の神、ヴェヌリス……!」
「久しぶりだなぁジーク・トニトルスッ! 会いたかったぜぇ!!」
「こんな時に……邪魔をするなッ!」
「こんな時だからこそ邪魔するんだろうがよッ!」
「お兄ちゃんッ!!」
ルージュが援護に走る。
ヴェヌリスを背中から貫かんとした彼女の手刀は、しかし、執事服の男が割り込んだことで受け止められた。
「お引きを。我が主の邪魔はさせません」
「闇の神の眷属……! あたしとお兄ちゃんの邪魔をしようなんて、いい度胸じゃん!!」
ますます混沌を深める戦場。
肌を焦がす熱を受けたジークは拳を受け流し、ヴェヌリスの胴を切り裂いた。
ゆらりと、焔が散り、ヴェヌリスが消える。分身だ。本体は、
「あそこか……!」
世界に叛いた裏切り者たちが、アゼルクスの元に集結していた。
外なる世界からの侵入者はおのれについた者達の決断を讃えた。
【よくぞ我が元へ集まった。貴様らの願いは我が神命を以て果たそうぞ】
「……どいつも、こいつもッ」
「焦ってはいけません。まだ奴を滅ぼす望みはあります」
アイリスがジークの肩に手を置き、諭すように言った。
「冥王が言った通り、あれはまだこの世界に馴染み切っていない。
完全に降りるには肉体が必要です。創造神の身体は不適格。であれば……」
「次に狙うのはお前の身体だ。そのために奴はセレスにお前を産ませたのだろう」
アイリスの言葉尻をメネスが言い切る。
それこそ、外なる神がジークを『我が息子』と呼んだ意味であり、
ルプスがジークを神造兵器と言ったことの意味だと。
(ーーいや、待て)
恐ろしい予感がジークの脳裏に過った。
(父さんは、なんで、このことを知って)
「ーー別によぉ、身体を得るのは世界を滅ぼした後でもいいんだぜ?」
「ぁ」
雷が、空から降ってくる。
目にも止まらぬ速さで宙を駆け抜けたのは獅子のような男だ。
空中に停止した世界最強は、傲慢に告げる。
「だからそれまでは、別の身体を得たっていいわけだ」
『孤高の暴虐』ルプス・トニトルスはニヤリと笑う。
「とう、さん……!」
「ルプス……! やはり、そうか。やはり貴様は、この時の為に!」
「おう、メネス。同盟は終わりだ。俺様は俺様の道を行くぜ? 他ならぬ俺様の願いの為にーー」
彼の身体に、外なる神アゼルクスは手を伸ばした。
「『混沌の力』を手にして、何もかもを滅ぼし尽くすためになぁ!!」
【その願い、聞き届けたり】
ルプスの身体がアゼルクスに呑まれていく。
否、二つの身体は触れ合った傍から溶け合い、混じり合い、一つになっているのだ。
無貌の神の、顔のない部分がルプスのそれと重なりーー
【あぁ……ようやく。この時が来た】
ルプスの身体を得た外なる神は、陰惨に嗤う。
それは父のものとも、外なる神のものとも取れる、残虐な笑みだ。
アゼルクスの唯一の弱点である『世界外の存在ゆえに降臨を維持できない』という点は消えた。
【終わらせようぜ。全てを】
今や創造神ですらかなわない凶悪な魔力と、
ルプスの鍛え上げた、鋼を凌駕した肉体を併せ持っている。
「あなたの好きにはさせないわ……まだ、私たちが残っている!」
【あぁ、そうだな。叡智を司る者。だから、お前たちはこうするのだ】
「「「!?」」」
その瞬間、六柱の大神たちは光に包まれた。
「アスティ!?」
ジークが助け出そうとするが、無意味だ。
リリアの時と同じように、アゼルクスの光は触れたものを拒んでしまう。
「アスティーーーッ!」
「ジー、ク」
大神たちを包み込んだ光は結晶化し、彼らは眠りについた。
結晶に封印された彼らがアゼルクスの元へ飛んでいく。
【この者達は世界を構成する光を持っているのでな 。
ここで殺しては世界が崩壊しかねん。故に、封印させてもらったぞ】
「……リリアに続いて、アスティも、お前はっ、お前たちはっ」
ジークは怒りの形相で外なる神を睨みつける。
「僕から、全てを奪うのかッ!!!」
【その通りだ。全てを奪おう。今、ここで終わらせる】
アゼルクスが四本の槍を交差させ、黒き稲妻を迸らせた。
絶対防御領域、いや、間に合わない、受け止めるしかーー
恐ろしい衝撃を前に、ジークは真っ向から魔剣を振り上げた。
激突。
「く、ぅ……!」
「お兄ちゃん、耐えて……! あたしが支えるから!」
ジークはアルトノヴァの権能を発動する。
底知れない魔力の深淵に突っ込み、吸い上げる。
ピキ、と音がした。
「え」
魔剣の刃に皹が入る。皹は徐々に広がり、魔剣は粉々に砕け散った。
外なる神の力は、魔を統べる覇の竜でさえもーー
「アルッ!!」
声なき悲鳴を上げ、アルトノヴァは粉々に砕け散る。
相棒の死に動揺している暇はない。
今、こうしている間にも肌は焼け焦げ、死神の刃が自分たちを貫こうとしている。
後ろに立つ妹の両腕が焼け焦げていた。
「おにい、ちゃん……」
「………………!」
(せめて、ルージュだけでも……ッ!!)
自分たちがどうなったとしても、彼女だけは失わせない。
悲しみを押しのけたジークは背を向け、妹の身体を守ろうとしてーー
「ーーいやぁ、ここで終わらせるのは困るな。アゼルクス様」
声が、聞こえた。
ハッと上を見上げれば、そこにいるのは全てをかき乱す道化の化身。
遊戯の神ナシャフは両手を叩き、
「ここで全て終わらせるよりさーーこうする方が面白いだろ」
「遊戯の神ナシャフ……!」
ジークたちの身体が浮遊感に包まれた。
「ルージュ!」「お兄ちゃん!」妹に手を伸ばすジークだが、その手は届かない。
見れば、冥王やオルクトヴィアス、アイリスといった者達も、同じ状況のようだ。
(この感覚、空間転移……!)
アゼルクスの睨みを受けたナシャフは大仰に手を広げる。
「さぁ、神々よ、人の子よ、悪魔よ、ご照覧あれ!」
声高く、世界に響けと。
「五百年の長きにわたる戦いはいよいよもって終わりを迎える!
外なる神が世界の全てを清め、洗い流すだろう。抗する者は剣を取るがいい!」
全てを楽しむ遊戯の神は開幕を宣言する。
「三界が一つになった今、もはや逃げる場所はどこにもない! 封印も不可能だ!
さぁ終末を始めよう。全てに決着をつける戦いを、世界の存亡をかけたゲームを!」
浮遊感はますます強くなり、視界が極彩色に染まった。
遊戯の神ナシャフは大きく息を吸い、叫ぶ。
「最終戦争の始まりだーーッ!!」
空間の境界を越え、意識が飛ぶ。
ジークはアゼルクスの隣に佇むリリアの姿に手を伸ばした。
先ほど聞いた、彼女の声が呪いのように残響していた。
『お別れです、あなた……わたしの、愛しいひと』
『必ずわたしをーー殺してくださいね』
 




