第七話 七聖将 vs ジーク
『六柱の大神の中で最強は誰か?』
聖なる地を問わず、人類の中ではしばしばこの論争が見られる。
最も議論が活発なのは加護を持たない若者たちだ。
それも当然といえば当然である。強力な神の加護を得るために情報を収集し、信仰先を選ぶのは珍しい事ではない。加護を得るために地域由来の信仰を捨て、自ら別の神殿に入信する者もいるくらいだ。
ーー曰く、六柱の長たるソルレシアこそ最強。
ーー曰く、武の粋を極めたラディンギルに敵う者はいない。
ーー曰く、怒れる海神デオウルスに比べれば、他の神々は雑魚同然。
過激な論文から地域の世間話にまで見られるこの論争。論者たちは主にこの三柱の名を上げるが、この中に地母神ラークエスタが加わる事もある。そして残り二人柱である、叡智の女神アステシア、鍛冶神イリミアスが入ったことは一度もない。
『力』のイメージとはほど遠い彼女たちは一部の信仰者たちに支えられていても、
彼らを省みるようなことはせず、人類に加護を与えるのも稀だったからだ。
特にアステシアに関しては六柱の大神に入っている事が不思議なほど人気がない。
むしろ、大神以外の神々の方が人気が高く、神殿の規模も大きいのが実情だ。
信仰者を選ぶが空間術の加護を与え、面倒見が良いと評判の空の神ドゥリンナや、
勝手気ままで横暴な性格だ言われつつも、時折見せる優しさが魅力の風の神フルール。
手軽な儀式で加護を与えつつも、その力は実用的で強力と噂される炎と水の双子神、インティグラとリーガ・ドラ。
大神以外で有力な神々はこの三柱とされている。
鍛冶や叡智より、もっとわかりやすい力を人類は好んでいるのだ。
では、天界ではどう言われているか?
人類同様、天使たちの中でもしばしばこの話題が出るが、決着がつくことはない。
天使たちにとってはどの神々も偉大で崇高で敬うべき者だからだ。
とある天使長はこう語る。
『六柱の大神の中で最も強い者は決められない。どの方々も恐ろしい力がある。
しかし、最も怒らせてはいけない者がいるとするならーーそれは彼女だ』
◆
「……ねぇ、ジークちゃん、ウチ、いじめみたいな真似いやだったんだ~。五対一なんて、いじめでしかないでしょ~? ジークちゃんでも死ぬかもなぁって……」
トリス・リュートは額に汗を流しながら呟いた。
ただでさえ気が乗らない戦いに、さらにやる気が削がれた形だ。
『ジーク・トニトルスを抹殺せよ』
七聖将全員に元老院から命令が下ったのが一時間前のことだ。
ルナマリアは第一席の厳重な庇護下にあり、戦時特例として元老院が七聖将の指揮を執っている。それだけでも気に入らないのに、同僚であり友人のジークを殺せと言われて、はいそうですかと納得は出来ない。
それに、彼が人類に叛逆すると言われて……正直、驚きはなかった。
情に厚い彼の性格は熟知しており、その若さからも、元老院の命令を受け入れられるとは思わなかった。そもそも、彼があれほど命令に従った事自体に驚いたくらいだ。
『元老院は出来るだけ悪魔を減らして冥王とジークをぶつけるつもりだ』
このままではジークが勝つ可能性が高いが、彼に生き残ってもらっては困る。
だから力を削いだうえ冥王と相討ちにさせるのが狙いだ……
そう、アレクが言っていたことを思い出す。
無論、トリスはジークの事を友達として好ましく思っているし、出来れば死んでほしくない。それに、ジークの力が七聖将の使徒化に効かないことはシェンが証言している。
『あいつ、俺っちが使徒化を見せた時に未来が見えなかったってぼやいてた。
戦争の後に気になって聞いたらな。やっぱ、神本体の未来は見えないらしい。
たぶん、五人がかりでやったら無傷で捕縛できるんじゃね? この前みたいに閉じ込めちまおうぜ』
そう言われても、トリスはこの戦いに乗り気ではなかった。
七聖将の力はただでさえ人類を超越している。
一人ならまだしも、五人を相手にしてジークが生き残れる可能性は低い。
過激なラナは絶対にジークを殺そうとするだろう。彼女を止めるのは骨が折れる。
トリスは自分たちの勝利を疑わなかった。
否、正確に言えば、勝負になるとさえ思わなかった。
誰だってそう思うだろう。
例えジークやアステシアがどれだけ力を持っていても、所詮は一人。
六柱の神の代理人たる自分たちが集中攻撃すれば、ひとたまりもない、と。
ーー甘かった。甘すぎた。
「それは反則だよ、ジークちゃん……」
一万の弾丸が降り注いでいる。
トリスの魔導機銃は一本で数百億は下らない、戦車十台分の殲滅力を誇る兵器だ。
小さな質量に彼女の持つ莫大な陽力を込めたバケモノで、この機銃だけで神霊を討滅せしめたことすらある。
それを、七本。
宙に浮かせて放つトリスの弾丸は、当てない事が至難の業。
それなのに、
『そう言われても知りませんよ』
全て避けられている。
嵐の如く降り注いだ弾丸は、全て彼の周囲を穿っている。
彼が立っている地面だけが無傷だ。本当にただの一つも当たらなかったのか。
そして、姿形を変えた彼は困ったように笑うのだ。
『当たらない未来があるなら、それを選ぶのは普通だし』
「……っ」
「退きなさい、トリスッ!」
頭上、ラナの振り上げた円輪が光を放ち、火柱を発生させる。
直径五十メートルを超える火柱はビルの一つを燃やし尽くし、その威力に一切の陰りを見せずジークへ迫る。傍にいるだけで肌が焦げそうな超高温。もはやマグマというべき凶悪な攻撃に、ジークはただ、剣を振り上げるのみ。
『僕は識る、その本質を』
ーー……ザンッ!!
一刀両断。
迷いなく放たれた巨大な飛ぶ斬撃が、炎柱を霧散させた。
否、それだけではない。ラナが溶かしたビルの鉄骨が、彼女の頭上に落ちていくーー。
「なッ!?」
『確かに僕は神本体の未来を決められない。その意味では使徒化は無意味だ』
だが、神が放った業の行く末までは別だ。
ルプスのように本体を動かすことは出来なくても、当たらない未来があるならそれを選べるし、その業の本質がどこにあるのか。放たれた魔力の核を識ることが出来れば、剣で斬れるのは道理。
そしてそれは、彼と彼女にも言えることで。
『そこを退け』
ジークが魔剣を振り上げ、
「全員、散開!!」
アレクの鋭い声が響き渡り、七聖将全員がその場を飛び退る。
だが無駄だ。既に飛ぶ斬撃は放たれている。
ーー……ドンッ!!
ビルの廃墟に呑まれようとしていたラナも、
そして様子見をしていたアレクも、イチカも、
接近戦を仕掛けようとしていたシェンも、狙撃の準備に入ったトリスも。
百発百中。
アステシアの権能は、外れる事を世界に許さない。
「「「「「ぐ……!」」」」」
斬撃が彼らの全身を舐め上げ、鮮血が噴き出す。
使徒化した身体を容赦なく蹂躙し、ジークは陽力に干渉を開始。
彼らの中に自分の魔力を混ぜ、かき乱す。
此処に至って、ラナ・ヘイルダムは観念せざるおえなかった。
(あぁ、認める。認めるわよ……ワタシ一人じゃ。コイツには勝てない……!)
こちらの攻撃を避けられ、あちらの攻撃は必中。
なんだそれは。反則かとラナは吐き捨てる。
使徒化していなければ今の斬撃だけでリタイアしている可能性すらある。
悪魔の力が混じったざらついた魔力は、神を降ろした身体に毒だ。
向こうも条件は同じはずなのに、一体どうなっているのか。
(でもね……それでも! 勝つのはワタシたちよ、裏切り者ッ!)
「痛ってぇ……なぁおい、手加減しろよ後輩」
「!」
当然の事ながら、この程度でやられる七聖将ではない。
いつの間にか懐に潜り込んでいたシェンの拳が、ジークの魔剣を捉えた。
ガキンッ!と剣戟の火花を散らし、一合、また一合と二人は剣を交わす。
「--やはりな。貴様の弱点、見えたぞ、ジーク」
(ジーク、上よ!)
「……!」
アステシアの鋭い叫びを受け、ジークは双剣の片割れでアレクの剣を受け止める。
右にシェン、左にアレクを受け止めるジークは腕が軋むような痛みを覚えた。
「ぐ……!」
「貴様が未来を決めて我らの業を避けるというなら話は簡単だ。避ける未来を失くせばいい。そして、接近戦において、我らの行動を決定することは出来ない。そうだな?』
『だったら、何だっていうんですか……!』
「決まっている。こうするまでだ」
七聖将アレクサンダー・カルベローニの分析力は、叡智の権能を看破する。
魔力の流れや呼吸の乱れ、筋肉の動きなど、些細な情報から弱点を特定していく。
海神の権能が牙を剥いた。
『!?』
ガクンッ、とジークの膝から力が抜けた。
何かが弾けるような音。そして身体のどこかが砕ける音が連鎖的に響く。
(これは……)
(息が、出来ない……!)
「貴様から呼吸を奪った」
権能武装『海龍の逆鱗』だ。
大気を支配下に置き、空気中の水分を結露させ、過集中によりジークの喉に水を詰まらせた。普通なら水を飲むだけで終わるが、アレクの権能は体内に入った水分も操作する。おのれの魔力で相手の魔力と対抗し、呼吸を止めさせるなど造作もない。
「低酸素状態における人間の運動能力の低下は有名だ。
呼吸により取り込める酸素量が減れば、その分、エネルギーを燃やす材料が無くなり、
筋肉の疲労材料ーー乳酸が分泌される。ならば呼吸を奪えばどうだ?」
「……っ!」
シェンとアレクの剣を受けきれず、ジークは膝をついた。
ギリ、ギリ、とかろうじて堪える叛逆者を、七聖将はさらに追い詰めていく。
「後輩。さっきは好きにやってくれたよなぁ?」
ニィ、とシェンが笑った。
そして、
「三倍返しだ」
「が……っ」
全身の骨が砕けるような強烈な衝撃がジークを襲う。
シェンの拳から伝わったその力に、思わず剣を取り落とさなかったのは奇跡だ。
(これ、は……!)
「これが俺っちの権能武装『不可逆の拳』受けた痛みを好きなだけ蓄積して衝撃として返す。気功の究極業ってとこだ。効くだろ?』
疑問形で聞かれても呼吸を封じられているのだから何も返せない。
頭が沸騰するように熱く、視界がチカチカと明滅を始めた。
このままでは不味いと二人は断ずる。だからこそ、彼らは仕掛ける。
「ごめんね、ジークちゃん」
地面が生き物のように胎動し、蛇のように足に絡みついた。
二人の剣を抑えている現状、今のジークがこれを振りほどくのは不可能だ。
少しでも重心を乱せば、この二人は容赦なく押し切ってくるだろう。
ちらりと見れば、トリスは離れたところから地面に手を置いていた。
(あんなに離れたところから……!)
(トリス・リュートの権能武装『万物錬成』ね。彼女が触れたあらゆるものは鍛冶の材料に成り下がる。地面なんて恰好の餌よ。今、私たちはまな板の上に乗った魚のようなものね。どうしようかしら)
(冷静に言ってる場合ですか!? 呼吸も苦しいんですけど……!)
(私だって苦しいけど、ジークと一緒に苦しんでると思うとちょっと気持ちよくも……)
(こんな時に変なこと言わないでください!?)
二人が一瞬でそんな意思をやり取りをしている間にも戦いは続いている。
アレクとシェンがジークを抑え、トリスが拘束する。
となれば、残り二人の役割も自然と決まってくる。ジークは上を見た。
「ははッ! ようやくあたいの出番って事だなぁ、オイ!」
回転する戦斧、くるくると舞う女戦士が大気を切り裂いて迫る。
ジークは咄嗟に権能武装を発動。視界が真っ黒に染まり、世界の分岐が無数に現れる。
だが、その中に彼女が攻撃を外す未来はない。
「たっぷり時間もらったからよぉ、とびっきりデカいの行くぜ!」
イチカの斬撃が直撃する瞬間、シェンとアレクが飛び退いた。
刹那の乱れも許されない絶妙な連携に、ジークが目を剥く暇もなく。
ーー……ドンッ!!
激突する。
地面が放射状にひび割れ、ジークは両手の剣を交叉させてイチカの剣を受け止める。
だが、彼女の力はアレクとシェンを足した時よりも強烈で、受け切るのは不可能だった。酸素不足だった筋肉が悲鳴を上げ、ジークは仰向けに地面に倒れた。肺が圧迫され、息が詰まる。
「が、は……!」
「悪いな、お前とは一対一で決着つけたかったが、あたいも七聖将だからなぁ」
イチカ・グランデの権能武装『大地の母』。
地面を一歩歩くごとに大地から魔力を吸収し、増幅させていく。
その吸収量は一歩歩くだけで特級葬送官十人分と言われており、この短時間でイチカが歩いた歩数は百歩。特級葬送官千人分の魔力がイチカの身体に漲っている。
「代わりによ、一緒に焼かれてやるから。覚悟しろ?」
地面が触手のようにうねり、ジークの身体に巻き付いた。
二重、三重にも巻かれたのは葬送官封じの鎖。以前ジークが捕まった時と同じものだ。
触れているだけで陽力を吸い取る鎖を、トリスは絶えず錬成する。
そしてーー
「足止めご苦労。あとはワタシに任せなさい」
頭上に太陽が現れた。
そうとしか言いようがないほど、それは破滅的な巨大さを誇っていた。
太陽を生み出した焔の姫は、その熱に合わぬ冷徹な瞳でジークを見据える。
「燃え尽きなさい、ジーク・トニトルス」
ーー轟ッ!!
太陽が落ちる。
街が焼ける。溶ける。灰になり、消える。
灼熱の業火が舐めるように聖地を蹂躙し、あたり一帯が消し炭になった。
ごうごうと、燃えさかる炎の中で、トリスは呟く。
「相変わらず容赦ないラナちゃん……ジークちゃん、さすがに死んじゃったかなぁ……」
死なせたくなかったんだけどなぁ。とトリスは寂しげにつぶやいた。
「……ま、さすがにこれで無事なこたぁねぇだろ」
「……フン」
どれだけ高温でもラナ・ヘイルダムの焔は燃やす対象を識別する。
トリスの横に立つシェンもアレクも、炎を浴びながら何ともない状況だ。
ジークを抑えているイチカにも炎は及ばない。ラナだからこそできる、味方ごと巻き込む大規模攻撃。街を燃やさない対象に選ばないことで威力を増した攻撃が、ジークに集中している。
「ハッ! さすがに死んでるわよ。七聖将五人の権能武装を受けて無事だったら、
ワタシ、鼻歌を歌いながら裸で聖地を一周して、お尻で文字を書いて謝罪してやるわ」
トリスの前に降り立ち、ラナは傲然と告げる。
彼女の周りは街を消し炭にしてもまだ炎が残っており、一向に衰えることはない。
ラナの権能武装『焔天』。
それは葬送官の中でも概念干渉系の能力を持つ最強の能力。
燃やすという概念を具現化し、対象が消滅してもその炎が消えることはない。
あまりに強力な能力の為、ジークの『超越者の魔眼』同様、陽力消費が大きい。
だが、ジークと違って人並みの陽力量しか持たないラナにとってこれは諸刃の剣だ。
一度使っただけで陽力を使い切ってしまい、使徒化をしたとしても、その使用頻度は三回が限度。他の五人に比べ、神の化身に等しい使徒化にしては、少々格が不足していると言えるだろう。
これこそラナが第五席におさまっている理由である。応用の効くアレクや汎用性の高いイチカ、シェンと違い、その力は破壊に特化しすぎている。
だが、『破壊』という一点で言うなら、彼女は葬送官の中でトップの殲滅力を持つ!
「つーか炎が強すぎて前があんまり見えねぇんだが……おいラナ」
「うっさいわね。しょうがないでしょ」
「さすがにこの中では私の水も存在できん……貴様が認識しなければ燃やさない対象に選べないというのは厄介だな。全く……」
「待ってて。今、ウチが耐熱ドローン作るから、それで確認を……」
影が焔を切り裂いた。
「「「「は?」」」」
影は地面を二転、三転し、トリスたちの前に着地する。
がはッ、と血反吐を吐いて膝をつき、腹を抑えて息を荒立てるのは。
「イチカちゃん!? え、もしかして、ジークちゃんこの中でも生きてるの!?」
「生きてる、どころじゃねぇ……」
忌々しげに呟いたイチカの言葉に、一同は驚愕する。
「あの野郎、無傷で 受け止めやがった……!」
「は? そんなわけーーたった一人よ? ワタシたちの権能武装を受け止め切れるわけ、」
振り返ったラナだが、
『鼻歌を歌いながら裸で聖地を一周。言質、頂きましたよ』
目の前にジークが居た。
「!?」
『お尻で文字を書いて謝罪も、忘れずに』
無数の斬撃が放たれ、大気が唸りを上げる。
全身を切り刻まれたラナの義腕義足は粉々に砕け散った。
「が……っ」
(嘘、ありえない……ワタシの焔を受けて無傷なんて……一体どうやって!?)
きりもみ打って宙を飛びながら、ラナはジークを見る。
(……鎧!?)
先ほどとは違い、ジークは全身に鎧を纏っていた。
銀色の全身鎧。その表面は鱗のように連なり、鋭角に尖っている。
背中からは四対の翼が生え、腰からは尾が揺れて、水晶色の燐光を纏う。
『さっきから一人とか五人とかうるさいけど』
紅色の眼光が、ギラリと煌めく。
『僕たちは最初から、三人だ』
尻もちをつくラナを飛び越え、アレクとシェンが切りかかった。
(あの連携でも倒せぬか……! さすが神々に人類の切り札と言われるだけはある!)
(けどよ、接近戦では俺っちたちの未来は決められない。それは変わらねぇ!)
アレクとシェンはほんの一瞬の目配せで互いの意図を共有する。
あの鎧ーー恐らく魔剣を変形させた鎧だろうがーーアレは厄介だ。
マグマに匹敵するラナの高熱を無傷で受け止める耐熱性能。
さらに魔剣の権能が発動しているとなれば、自分たちの魔力はあの鎧に触れた傍から吸収される。
たったこれだけで遠距離攻撃は無意味と化した。アレクの水分操作も、鎧に遮断されて体内にまで届かない。つまり、自分たちに出来る事は近接戦で未来を誘導し、その鎧に剣を突き立てるだけだ。鎧の中に触れられれば、アレクの業も生きて来る。今のジークに雷の力は使えないのだから、遠距離攻撃はない。遠近両方の攻撃を併せ持つアレクと、近接戦最強のシェンが居れば、あの男にも牙は届くはずだ。
彼らが三人でなければ。
『アルトノヴァ』
『キュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
「なッ」
「この……!」
ジークの尾が竜の顔に変化し、その口から二条の光が迸った。
接近戦で決着をつけようとしていた二人は真っ向から光を受け止める。
しかしその衝撃は到底受け切れるものではなく、彼らは決河のごとく吹き飛ばされた。
「アレクちゃん!? シェンちゃん!?」
悲鳴を上げたトリスの眼前、ジークは潜り込んでいた。
物体に触れただけであらゆるものを錬成する権能ーー実は彼女の権能が一番厄介だ。
天才魔導学者として知られる彼女の知識はジークを遥かに凌駕する。
あるいは、アステシアでさえ知り得ない未知を作る可能性もなくはない。
(そうなる前に潰す。ジークの友達だから手加減してあげるわ)
トリスは二人の意図を察し、苦虫を噛み潰したような顔になった。
そして覚悟を決めたように俯き、すぐそばにあったビルに手を触れる。
「ウチ、ジークちゃんも好きだけど、みんなも好きだからさ~」
その瞬間、三十メートルを超えるビルがポリゴンのように分解され、再構築。
光に包まれた高層ビルは、またたく間に巨大な人型機械に姿を変える。
「手加減は……しないよッ!」
巨人の手が振り下ろされーー
「ぁぁあああああああああああああああああああああっ!」
「!?」
それは全て、ラナの纏う焔に溶かされた。
獣のような雄たけびを上げながら、ジークとトリスの間に割り込んだのだ。
「ラナちゃん!?」
「なんでよ……」
渾身の一撃だった。全身全霊を懸けた一撃だった。
この一回で全てを終わらせる覚悟を以て、カルナックの中心部を更地にした。
それでも届かなかったラナの心は決壊し、暴走していた。
「なんでよッ、なんでなのよッ!!」
義腕義足を炎の腕と足で代替しながらラナは剣を振りかぶる。
もはや他の四人との連携など見る影もなく、怒りの焔があたりを蹂躙する。
燃えたぎる怒りの双眸をたぎらせながら、彼女は叫んでいた。
「それだけの力がありながら! その気になれば人類全部を救える力がありながら!
なんでアンタは! アンタみたいな奴が、悪魔の味方すんのよ。なんで人類に牙を剥くのよ!?」
『元老院が許せないからです』
ガキンッ、と摩天楼の真っ只中で鍔迫り合いを演じるジークとラナ。
剣と剣のぶつかり合いの余波がビルを倒壊させ、戦塵が巻き上がった。
冷たい瞳で相手を見据えるジークに対し、ラナは嘲笑に口元を歪ませる。
「ハッ、元老院が何をしたっていうの。ただ人類を守ろうとしてただけじゃない。確かに、確かにね。アンタの言う通り、ついでに故郷を守れるっていう利権はあるかもしれない。でも、利権もなしに動かない人間なんていないわ! それはただの狂人よ!」
例え金銭などと形のある報酬でなくとも、感謝や敬意などを求める者もいる。
真の意味で何の見返りも求めず動ける人間が、この世界にどれだけいるだろう。
ラナ・ヘイルダムは人を理解している。そして悪魔もまた。
「分かってるの!? 悪魔は、人を、喰らうのよ!」
焔が勢いを増し、津波のようにジークを襲う。
アルトノヴァの鎧でそれらすべてを吸収し、時にジークは斬撃を飛ばして応戦。
ジグザグに動いて斬撃を避けるラナの顔は怒りと憎悪に満ちていた。
「貧しい人を集めて親を喪った子供にパンを差し出しながら、君を助けるためだと宣いながら! いい肉になるように子供を育てる、畜生以下のバケモノ! それがエルダーよ! そのエルダーを助ける? 頭、おかしいんじゃないの、アンタッ!!」
ラナ・ヘイルダムは異端討滅機構に所属していていない辺境の村に生まれた。
神の加護を得た村長が悪魔を葬魂するこの村では、人を襲わないエルダーを容認する方針を打ち出し、それを聞きつけた様々なエルダーが村に来訪し、人口は膨れ上がった。しかし、そのエルダーの中には人喰らいの趣向を持つ者がいて、わざと村に魔獣をおびき寄せ、怪我をした者を喰らっていたのだ。そして親を喪った子供を集めて孤児院を開き、その子供の肉が熟成される瞬間を待って食すーー人肉の養育場を作った。
ラナは、そこに引き取られた子供の一人だ。
両親を魔獣に殺されたと思い込む彼女はエルダーを親のように慕い、孤児院の友と絆を紡いだ。
彼女は素直になれず悪態をついていたが、エルダーの大人たちが大好きだった。
ーーある日、エルダーが人を喰らうという真実を知るまでは。
「ワタシの親友はエルダーを慕っていた! 親友を助けるエルダーを見て、ワタシも信じようと思った……。なのに! エルダーはワタシたちを裏切った。いいえ、最初から相容れない存在だったのよ。
両親を殺し、親友を喰らい、何人もの友達を喰らったアイツらをーーワタシは決して許さないッ!!」
村が焔に包まれたあの日。
自らの手で全てを終わらせたあの日、ラナは決めたのだ。
この命の限りを以て、目に届く悪魔を、一切悉く殲滅する、と。
「エルダーを助けるアンタも、同罪よ。消し炭になればいいッ!」
『……人間だって、同じだ』
「っ!?」
勢いを増す火勢に負けじと、ジークは抜刀。
アルトノヴァの光線で追撃しながら、英雄は吐き捨てる。
『自分を助けるなら知らない人を平気で犠牲にする。自分の家族を助ける為なら他人の家族を犠牲にすることもいとわない。人類の大義だと宣いながら自分たちの為に他人を虐げることと、悪魔が人を喰らうこと、何が違うって言うんだ? どちらも等しく、理不尽じゃないか!』
ラナの境遇は同情に値する。
きっと自分と同じようなーー否、それ以上の地獄を彼女は味わったのだろう。
人を喰らうエルダーは悪だ。それは、ジークにも分かる。
だが、全てのエルダーが人を喰らうわけではない。
『人類もエルダーもどうでもいいんだよ……僕はただ、許せないだけなんだ』
善も悪も正義も不正義も、全て等しいならジークは守りたい者の為に戦う。元老院の、決して勝負の土俵に立たない癖に他人を犠牲にするそのやり口が気に入らない。
『僕の家族を虐げたあいつらを! 絶対に、許さないッ!!』
「……っ」
「だから、そこを退けッ!! ラナ・ヘイルダム!!」
炎の手足を両断し、致命的な一撃がラナに迫る。
彼女は力を振り絞り、権能武装でジークを燃やそうとするが無意味だ。
燃やすという概念の具象化。その強力な力を発揮するためにはジークの肉体を視認する必要がある。
でなければ、今頃ジークは鎧の中で蒸し焼きになっているだろう。
叡智の使徒化の真の恐ろしさは未来決定能力ではなく、万象の本質を見抜く魔性の眼である。ジークが一人ではなかったことが彼女の敗因だ。
『まずは、ひと
「ーー動くなッ!!」
声が、ジークの動きを止めた。
見上げれば、倒壊したビルの瓦礫上、黒いローブを被った小柄なカオナシが女性を抱きかかえている。ナイフを突きつけられた女性は口惜しそうに顔を歪めていた。
(あれは……)
(……七聖将が敵になった時点で想定するべきだったわね。甘かったわ)
綺麗な金髪は煤で汚れ、玉のような汗が額に浮かんでいる。
リリアと同じ澄んだ瞳はジークに苦労をかけてしまった自責の念で濁っていた。
「この女がどうなってもいいのか!? 殺されたくなければ抵抗をやめろ!」
「オリヴィア、さん……!」
「ジー、ク……」
『戦姫』オリヴィア・ブリュンゲル。
第一席の手によって身体に埋め込まれた爆弾は取り外されたが、彼女の人質としての価値がなくなったわけではない。
オリヴィアは自分の権能武装を教えたもう一人の師であり、大切な友人だ。
そんな彼女を前にしてジークは動揺を隠せない。人類のためという大義に叛いて異端討滅機構を潰すと決めても、家族を見捨てる事などできはしない。
(あいつら……!)
燃えたぎるような怒りが全身を駆け巡り、カッと頭に血がのぼった。
判断力を失いかける婚約者と共に在りながら、冷静に思考できるのは女神だけだ。
(ジーク、落ち着いて聞いて。私が……)
思考時間は一秒にも満たない。戦略を告げる時間もまた。
だが、砂時計の一粒が落ちるより短い時間でも、世界の守護者たる彼らが動くにはおつりが来る。
五つの銀閃がジークを貫いた。
突き抜けるような衝撃が胸を貫き、腹に風穴が開く。
自由に動いていた両肩が刺し止められ、両足の腱を斬られた。
『ぁ』
声も出ない激痛に顔を歪めるジークに対し、四人の七聖将は呟く。
「ようやく隙を見せたわね……裏切り者」
「我らに此処までさせたこと、誇りに思うがいい」
「後輩。お前は強ぇよ。でも、三人じゃな」
「これで終わりか……もっと遊びたかったんだけどなぁ」
トリスは涙目で声を震わせた。
「……楽しかったよ、ジークちゃん。今まで……ありがとね」
(ジークっ!!)
自らも壮絶な激痛に苛まれているというのに、アステシアはジークの身を案じて叫んでいた。声に出さない声はジークの心を揺さぶり、婚約者の痛みを理解する。
口の中は鉄の味で満たされていて、ひたり、ひたりと迫りくる死の足音が聞こえた。
ーーあぁ、いま僕が死ねば……彼女も。
(アスティ……僕は、だいじょうぶだから)
見慣れた大空の中。心象風景が映す世界で、彼と彼女は対面する。
ジークの儚げな笑みを受け、白皙の美貌が驚きに染まり、全てを察した。
アステシアは手を伸ばすーーだが、その手が触れる事を、ジークは許さない。
(ジーク、やめなさい! 今、ここで私が消えれば……!)
(ごめんね)
悲鳴を上げる彼女を無視して、ジークは使徒化を解除した。
身体の中はラナの焔に焼かれ、悪魔の回復能力はシェンに封じられている。
刺すような痛みは気功によって広がり、ジークに正常な判断を許さない。
使徒化を解除したと同時に襲い来る、強烈な虚脱感。
ざしゅ、と嫌な音が聞こえて、ジークは膝をついた。
「……終わりよ、ジーク」
ぽつ、ぽつと雨が降ってくる。
焔によって暖められた上昇気流が雲を作り、聖なる地を雨雲が覆う。
雨は次第に強くなり、ザァーー……と雨だれがジークの身体を削り取っていく。
もはや抗う力を喪った英雄に対し、ラナは言った。
「もっと早くアンタに出会えていたら……こうしなくて済んだかもね」
「……ラナ、さん」
「でも、ワタシの前に英雄は現れなかった……それが全てよ」
処刑人のごとく、彼女は剣を振り上げる。
「さようなら」
ーー斬ッ!!
くるくる、くるくると。
ジークの頭が宙を飛び、地面を転がっていく。
世界を救う英雄の死に、七聖将たちは眉を伏せ、沈黙があたりを満たすはずだった。
「『時よ、加速なさい』」
世界の全てが色を喪った。
剣を振り上げるラナも、ジークの処刑を見守る七聖将も。
激しい雨も、瓦礫の上に居たオリヴィアもーー全ての時は、ただ一人の女に支配される。
「……間に合った」
呟きは、風に溶けて消えていく。
世界は再び正常さを取り戻し、激しい雨だれが七聖将の身体を打ち始める。
ひゅん、と手ごたえなく剣を空振ったラナが、愕然と目を見開いた。
ジークの姿が、どこにもない。
「消えた……!」
「この魔力の残滓……またアイツか。どういうつもりだ!?」
舌打ちするシェン、どこか安堵したようなトリス。
つまらなさそうに唇をすぼめるイチカ。そしてラナは血が出るほど強く唇を噛み締めた。
「あの女……!」
「急ぎ戻るぞ。姫様の身が危ない」
使徒化を解かぬまま主の元へ急ごうとするアレク。
だが、誰よりも裏切りを許せないラナは傲然と噛みついた。
「待ちなさいっ! まだあの裏切り者が生きてるかも……!」
「そうだとしても、我らに構っている時間はない。
我らが最優先すべきは姫様の安全だ。エリンだけでは心もとない」
ルナマリアの専属メイドにして護衛、エリンは元七聖将の実力者である。
しかし、冥王を前にしながらどれだけ立っていられるかは未知数。
姫を最優先したいアレクとしては、これ以上ジークに構っている時間はない。
(ギリギリのタイミングだったな……全く。しかし、これで姫様の命は果たした)
そんな内心を決して悟らせぬまま、七聖将の統率者は眼鏡を上げる。
「急ぐぞ。これは命令だ」
◆
雨の音は子守唄に似ているとジークは思う。
一定の感覚で打たれる雨粒の音。数千数万の命の水が大地を濡らし、樹々を潤すさまは、聞く者の耳を潤してくれる。
好きな人たちの声、母の声、その次にジークが好きなのが、雨の音だ。
だからまどろみに浸っているこの時も、その音に浸っていたかった。
「ーーきなさい」
耳を揺さぶる声。身体に触れる華奢な手。
それらを一顧だにすることなく、ジークは寝返りを打った。
「ーーきなさい、ジーク。今すぐ起きなさい」
「ん……あと一時間……」
「長いです。締め上げますよ」
「ーーさん、無理です。こうなったジークはこうしないと起きません。私にお任せを」
その瞬間、ジークの鼻を羽がくすぐった。
「ふぇ?」
「ほぉらジーク。早く起きないとくすぐりの刑ですよ~。ほらほら~」
「ぶぇっくしゅん!? ふぇ!? な、なに!?」
ジークは鼻水を垂らしながら、弾かれるように飛び起きた。
見れば、彼の恋人が羽を片手に悪戯な笑みを浮かべている。
「ほら、起きました。おはようございます、ジーク」
「リリア……おはよう。って、なんで…………そうだ、あの人たちは!?」
慌てて身体を見下ろすジークだが、同僚たちに貫かれた傷は跡形もなく塞がっている。
まるで傷自体がなかったことになったように。
「……ようやく起きましたか。この事態に、呑気なものですね」
「……!」
聞き覚えのある声にハッと顔を上げ、ジークは雷撃を手のひらに発生させた。
バチバチと迸る火花が照らすのは、黒いローブを纏った一人の少女だ。
フードの中から、呆れたような声を響かせている」
「お前……!」
悪魔教団の件でジークを救出し、獣王国に現れた女ーー『協力者』。
終末計画などという意味不明なことを口にする女に、ジークは迷うことなく攻撃を仕掛けた。宙を迸る雷撃が女を貫かんとするとき、氷の壁が『協力者』を守る。
ジークと同じベッドに座る、リリアだ。
「リリア!?」
「落ち着いて下さい、ジーク。彼女は敵ではありません」
「敵じゃなくても味方じゃないんでしょ。だったら、今ここでぶちのめして全部吐かせて……!」
なおも起き上がろうとしたジークを影の触手が縫い留めた。
ジークの影からぬぅう、と、確かな輪郭を持って浮かびあがった。
驚いて思わず動きを止めると、影のヴェールを脱ぎ捨てた少女は不満そうに、
「あの人が助けてくれたから、攻撃しちゃダメだよ、お兄ちゃん。少なくとも今はね」
「ルージュ……」
普段、トニトルス小隊で最も好戦的なルージュに言われ、ジークの頭がすぅと冷えていく。
彼女たちは二人とも自分を心配してくれている。自分だって危うく死んだと思ったほどだ。
あの状況から助けてくれたことに、まずは感謝すべきか。
「……………………………………………あ、あり…………がとう」
「どうしてもお礼を言いたくないんだね、お兄ちゃん」
「むぅ……」
複雑な感情をあらわすジークにルージュは苦笑する。
それから、ジークは改めて協力者を見た。
「……せめて顔を見せてほしい。まぁ、そう言ってもダメなんだろうけど……」
「いいですよ」
「は?」
思わず呆けた声が出てしまった。
今までどれだけ迫っても素顔を明かそうとしなかった『協力者』の態度。
百八十度違った対応に目を剥くジークの前で、彼女はさらりとローブを脱ぎ捨てた。
「もはや、正体を隠す必要もなくなりました」
蒼い宝石を散りばめた綺麗な長髪が揺れ、意志の強い琥珀色の瞳が現れる。
日焼けしていない真珠のような細腕が通しているのは葬送官の服だ。
レイピアを腰に下げながら、少女のような女は言う。
「改めて自己紹介しましょう。運命の子。予言に謳われた終末の子よ。
私の名はアイリス・クロックノート。七聖将第一席を預かる者にして時読みの調停者」
「!?」
『協力者』ーーアイリスは毅然と告げる。
「全てを終わらせるために、力を貸してください。ジーク」