第六話 英雄の叛逆
「異端討滅機構ぶっ潰す……? マジで言ってのか、大将!?」
ロレンツォの悲鳴じみた叫びに、ジークは淡々と頷く。
「正確には異端討滅機構じゃなく、元老院だ。異端討滅機構の形はそのままに、今の上層部をぶっ潰して、ルナマリア様を中心とした組織に生まれ変わらせる。それがどういう結果になるのか分からないけど、今の元老院がのさばるよりマシだ。最初からこうすればよかった」
「……本気で、言ってんだな」
ギルダーンが呟いた。
その場の誰もが言葉を失っていて、すぐには反応出来ていないようだ。
ただ一人、ジークの恋人であり親友であるリリアはーー
「わたしは……反対です」
口元に苦渋を滲ませ、ジークを止めた。
「リリア」
「確かに元老院は結果的に自分たちの故郷を守っているかもしれません……。
でも、人類を守っているのも事実です。彼らが長年溜め込んだ異端討滅機構の運営ノウハウを、姫様が簡単に真似できるとは思えない」
それに、とリリアは泣きそうな顔で手を伸ばした。
「なんだか、嫌な予感がするんです。あの元老院がジークの叛逆を予期しなかったでしょうか? もし、今、この状況すらも誰かの手のひらの上だとしたら……! そうしたら、ジークはっ」
「ごめん。それでも」
伸ばされた手のひらを躱し、ジークは前に進む。
「ぁ」すれ違う二人の想い。未来の夫を思う妻の心は届かない。
トニトルス小隊の面々に思い入れのある英雄は怒りに支配されていた。
「例えこの状況が誰かの思い通りだったとしても……僕はもう我慢できない。いつ等の言いなりになって仲間を死なせるのはごめんだ。絶対に、同じ目に合わせてやる」
「あたしは付いていくよ」
泣きそうな顔になったリリアの背中に手を当てて、ルージュは言った。
「あたしはお兄ちゃんと一心同体だもん。もともと元老院は気に入らなかったし。
死んだことになってるあたしが現れたら、あいつらがどんな顔するのか見てみたいし」
「……ん。分かった」
元よりルージュを置いていくつもりはなかった。
放っておいても付いてくるであろう妹に、ジークは笑みをこぼした。
「目にもの見せてやろう。ルージュ」
「うん!」
「ーー待てよ、おい」
ギルダーンが鋭い声を上げる。
振り返れば、トニトルス小隊の全員が瞳に決意を滲ませていた。
「俺たちも付いていくぜ、大将」
「来なくていい」
ジークは首を横に振り、
「分かっているのか? 元老院を襲撃するってことは、人類に弓を引くことになるんだ。
本当の本当に、犯罪者になるって事なんだよ。異端討滅機構を再編したとしても、僕らの居場所は……」
「水臭ぇこと言ってんじゃねぇ! ですよ!」
瞬間、ファナの怒声が響いた。
常にビクビクとした彼女は彼女らしからぬ怒声を張り上げ、一歩足を踏み出す。
「わ、わたしだって、クラリスさんや、みんなが殺されたこと、怒ってるんです! 確かにわたしは足が速い事しか取り柄がないけど……でも、それでも、元老院は許せない!」
「……ま、あたしは傭兵だからね。不当解雇はごめんだよ。一度雇った以上はちゃんとしてもらわなきゃ」
ファナの言葉にかぶせて、おどけるようにエマが言う。
「この状況だ。大将のそばが一番安全だしなー」とロレンツォが笑って、
ギルダーン・マイヤーは肩を竦めた。
「言ったろ? 俺たちは死ぬまであんたについていく。人類を滅ぼすってんならともかく、イケ好かねぇ元老院を潰すなら大賛成だ。どうせ今から他の街に行っても、生き残ってるやつなんて居ねぇだろ。カルナックに行けば冥王も来るかもしれねぇし……最期に一泡吹かせようぜ」
「賛成だぜ大将!」「大賛成だぜ大将兄貴!」
「そうだそうだ!」「ぶっ潰してやろうぜ!」
人類に反逆するという行為をトニトルス小隊は歓迎する。
元より彼らの居場所は人類にはない。最果ての島が彼らの拠点であり家だ。
ならば、この命尽きるまで家族の為に戦おう、と。その場にいる者達の想いがジークの胸を打つ。
「みんな……」
自然、口元がほころんだ。
「ほんとモノ好きだな、君たちは」
「大将の部下だからなぁ」
「違いねぇ。わはははは!」
ほがらかな空気がその場に伝播する。
久しぶりに咲いた笑みが彼らの心を癒し、決意を新たにさせていた。
「ハァーー……全く……こうなると思っていたから、黙っていたのでござるよ」
ヤタロウは大仰にため息をつき、
「皆さま、元老院を襲撃すると言っても策はあるのでござるか?
筋肉だけが取り柄の皆様方には拙者のような敏腕参謀が必要かと」
「んだと!?」「失礼ですぅ!」「自分で敏腕っていうな」「馬鹿タロウのくせに!」
散々な言葉にヤタロウは笑い、
「要するに、拙者も連れていけということでござるよ」
「ヤタロウ……」
「ジーク殿。拙者はジーク殿の参謀。あなたの望みに従います」
「うん」
ジークが頷くと、リリアが諦めたように肩を落として、
「……もちろん、わたしも行きます。行くに決まっているじゃないですか。
わたしだってみんなのこと大好きだし、思うところはあります。でも、ジーク」
「分かっている。元老院以外に手は出さない……邪魔をする奴は別だけど。
みんなもだ。非戦闘員に手を出した奴は僕が殺す。僕たちの大義を見失うな」
ジークはリリアとルージュ、ヤタロウを乗せ、アルトノヴァに乗り込んだ。
「敵はカルナックにあり! 元老院を許すなっ!!」
『応っ!』
先ほど戦っていた鉄の街テルノ・ドゥアンゴは鍛冶神を信仰する都市である。
異端討滅機構においては対悪魔武器である聖杖機の製造に貢献しており、
葬送官が使う聖杖機の九割がこの街で作られている。
故に聖杖機の配送経路も整えられており、聖なる地までは街道一本で繋がっている状態だ。もちろん距離にして二千キロは下らないが、竜に騎乗するトニトルス小隊なら大幅に時短出来る。ものの一時間もしないうちに聖なる地へ到着し、ジークは上空からカルナックを見た。
「……囲まれてるね」
湖の上に浮かぶカルナックはおびただしいほどの悪魔に包囲されていた。
数百万に届こうかという悪魔たちは黒い波のようだ。
あれほどの悪魔に取り囲まれればいかに聖なる地といえど落ちるのではと思うが……。
「……結界ですね。良く持っています」
リリアの言葉にジークは頷く。
そう、カルナックの湖には神聖な光が立ちのぼっていたのだ。
湖の上で孤立しているが、悪魔たちは結界に触れた瞬間に葬魂されて入る事が出来ない。
(姫様の力を感じる……でも、これだけの数を押しとどめるのはかなりの負担のはず)
早々に決着をつけなければならないが、この中に冥王はいないようだ。
であれば、雑兵だけで構成された今だけがカルナック突入のチャンス。
「住民たちは?」
「カルナックには地下数百メートル先にシェルターがあり申す。
恐らくそこに避難しているのでしょう……ジーク殿、遠慮はいりません」
「分かった」
深呼吸し、ジークは声を張り上げた。
「全員、僕に続け!」
『応ッ!』
「ジークっ、どうするつもりですか!?」
「結界を全部壊しちゃダメだよ!? あたし、あんな数相手するの嫌だからね!」
「分かっている。一部だけこじあける!」
アルトノヴァが宙を滑空し、ぐんぐんと地面が近づいてくる。
目指すは聖なる地の中心、異端討滅機構本部の屋上だ。
ジークは魔剣を納刀。手のひらを掲げ、『力』の力場を広げていく。
「絶対防御領域、展開!」
その瞬間、結界の頂点に蒼い穴が開いた。
第二の力の本質は空間の断絶。
あらゆる力を防ぐことが出来る力は、範囲を調整すれば結界の小さな点を押し広げる事も可能だ。
アルトノヴァを始めとした二十数騎のドラグーンが、カルナックに突入。
異端討滅機構本部に風穴を開けるべく、各々が武器を構えた。
その瞬間だった。
「ーー狂い咲け。『絶対なる火焔』!」
「……!」
地上から放たれた一条の焔が、視界を覆い尽くした。
ジークは魔剣を抜刀。迫りくる熱波に真っ向から剣を振り上げる。
ーー激突。
「あっつ……!」
「新雪の舞踊、第二節『散華』!」
肌を焦がす火焔と対を為す、凍えるような雪が顕現する。
焔に当たった瞬間に魔力を散らす雪は、火焔の威力を大幅に小さくした。
その隙を狙ったルージュの影が他の隊員たちを焼却圏内から逃がしていく。
ーー火焔の主は全てを見ていた。
「……っ、大将、横っ!」
「!」
ガキンッ!!
硬い金属同士がぶつかり合う音が響いた。
手に強い衝撃。燃えさかる炎の中、鍔迫り合う二人は互いを睨みつけた。
「ーーやっぱり来たわね、ジーク。裏切り者」
「ラナさん……!」
燃えるような紅い髪を揺らし、瞳に憎悪をたぎらせる女傑。
七聖将第五席、ラナ・ヘイルダムは義足を振り上げる。
「吹き飛びなさいッ!!」
「……っ!」
脚部ブースターが唸りをあげ、ジェット噴射の如く蹴り強化する。
剣先に意識が散っていたジークは避け切れず、胸に直撃を受けた。
ドンッ、ドンッ、と水切り石のように地面を滑り、ジークは受け身を取る。
「が、はッ……!」
「ジークッ!?」
「お兄ちゃん!」
「キュォオオオオオオオオオオオオオ!」
主を傷つけられた神獣が咆哮し、リリアやルージュがジークの元へ。
他の隊員たちも、大将に従うように後ろへ飛び、ドラグーンに乗りつつ後方へ控えた。
「最後の忠告よ」
ザン、と地上に着地。
剣を振ったラナの切っ先がジークに向けられる。
「持ち場に戻りなさい。今な戦争の真っ最中。命令違反は裏切りとみなすわ」
「断る」
ラナにやられた肋骨を治癒し、ジークは立ち上がる。
魔剣を抜き放つ行為に迷いはなく、英雄は今、叛逆を宣言する。
「私利私欲におぼれ、他人の犠牲の上に家族を守ろうとする肥え太ったブタ共。
僕はお前たちを絶対に許さない。アイツらの手先になるなら、ラナさん、あなたにも容赦はしない」
「そ。なら、あんたはワタシの敵よ」
ラナが手を振り上げると、家々の屋根に黒い服を着た者達が現れた。
元老院直轄の暗部『カオナシ』。恐らくその全部隊。
仮面をかぶった彼らはジークたちを見下ろし、射殺すような敵意を向けている。
「異端討滅機構に仇為す大罪人、ジーク・トニトルス。
七聖将としての全ての権限を剥奪し、アンタを処刑する。執行人はこのワタシよ」
「あなただけで僕を止められると思ってるんですか?
ラナさん……はっきり言って、僕はあなたより数段強いです」
「言ってくれるじゃない。たかだか十数年しか生きていない若造が」
ラナは皮肉げに笑い、そして不快そうにため息を吐く。
「……そうね。認めてあげるわ。あんたはワタシより強い。一対一なら負けるでしょうね」
「ーーなら、俺っちたちが一緒ならどうだ?」
ザンッ、と宙から飛び降りて。
ラナの横に立つ四つの影に、ジークは眉を顰めた。
「シェン先輩、トリスさん、イチカさん……アレクさん」
「こうならないことを祈ってたぜ、後輩」
緑髪の短髪、貫頭衣の上からも鍛え上げた身体が見て取れる。
細身ながらもその身に蓄えた武に与えられた名は至高。
七聖将第四席、『至高の武』シェン・ユが冷酷に言い放つ。
「ま、こうなったらしょうがない。俺っちたちが相手をしてやるよ」
「あはははっ! あたいは嬉しいけどね! ようやくあの時の決着がつけられるってもんだ!」
高笑いをあげるのは褐色の肌をした女傑だ。
大勢の女葬送官を束ねる強者にして、美の女神ラークエスタに魅入られし者。
七聖将第三席、『華麗なる大鬼』イチカ・グランデが言う。
「この前も言ったよな、ジーク。あんたがそっちにつくなら容赦はしないって」
「……僕は冥王の味方になったわけではありませんよ」
「おんなじことだよぉ~。ジークちゃん~……」
眠たげな目をこすりながら、小さな少女はそう言った。
幼い容姿ながらもその頭脳は人類の五百年先をいっていると言われる天才魔導学者。
七聖将第六席、『地平線の鍛冶師』トリス・リュートは眉を下げた。
「言ったよね~。ウチらが存在を許されているのは人類の味方だからなんだよ~。
異端討滅機構のお墨付きがなきゃ、ウチらはただの爆弾……処理されるしかないの」
「それでも、僕は元老院を許せません」
「全く……いつ冥王が攻めて来るか分からぬこの時に、面倒を起こしてくれるものだ」
眼鏡をクイ、とあげ、人類の頭脳は言った。
彼の提案により人類側の年間死傷者が半分以下になったという天才策謀者。
数々の戦術を練り上げ、マニュアル化し、葬送官たちにいきわたらせた功績は今後二百年語り継がれるだろう。
七聖将第二席、『静かなる海』アレクサンダー・カルベローニ。
「さっさと終わらせて姫様の護衛に戻るぞ。覚悟しろ、ジーク・トニトルス」
「……ねぇ、アレクさん。今の元老院に従う価値があると思うんですか?」
「全く思わん。あのような輩、死に果てればいいと思う」
「だったら……!」
一歩前へ進んだジークに対し、アレクは長剣を抜き放つ。
「それでも、姫様にとって必要なことだ。姫様がそう言った。なら、私はそれに従う」
「……っ」
元老院を悪と断じながらも、従う事を止めないアレク。
自分の意思を持たず、姫の指示で全てを決める彼にジークは奥歯を噛みしめた。
やがて、
「……みんな、逃げて」
「ジーク?」
「大将っ? なんでだ。俺たちも一緒にーー」
「馬鹿ッ! 分からないのか!? この場に葬送官が居ない意味を!もう戦術がどうこうとか言っている場合じゃないんだよ! これから始まるのはーー」
神聖な風が、トニトルス小隊の間を駆け抜けていく。
「最初から全力で行くわよ」
ラナの身体から舞い散る火花。
ゆらり、ゆらりと、陽炎が彼女を包み込んでいく。
「お兄ちゃんと同じ使徒化……そうする前に、殺すしかないよね」
「ルージュっ、ダメだッ!」
ぬぅう、と影の中を移動したルージュが、背後からラナを手刀で貫こうとする。
絶対不可避の暗殺業に、しかし、反応したのは七聖将、シェンだ。
「おぉっと。殺させねぇよ。お嬢ちゃん」
「……っ」
「後輩の妹だが、悪魔だしな。もういっぺん、死んどけ?」
シェンの回し蹴りがルージュの頭を爆砕する。
粉々に砕け散った脳漿、凄まじい魔力の消費を代償にルージュは再生を始める。
しかし、その隙を逃す七聖将ではない。
使徒化をするラナを守ろうと動き出すトリス。シェン。
この場でジークの次に実力を持つルージュの対処に、彼らが迷う事はない。
だが、彼らがそうすることを見越せないトニトルス小隊ではなく。
「『氷の壁』!」
リリアの氷壁がルージュを包み込んだ。
一瞬で砕かれる。だが充分。一瞬あれば、彼らの妹は再生を終える。
「いったぁ……お兄ちゃん以外に触られるなんて、最悪だよ」
死んじゃえ、とルージュは呟いた。
「『千血の槍』!」
「さぁ唸れ、広がれ、嵐の如く!」
爆発のごとく展開するルージュの血槍を、ギルダーンの加護が倍増させる。
二千にも及ぶ血の槍を受け、七聖将の二人はその場から飛び退った。
「扶桑一刀流……『桜花抜刀』!」
「吹っ飛べおらぁ!」「吹っ飛べやオラオラァ!」
ヤタロウの抜刀術と同時に放たれた二つの斧がシェンを襲い、
エマ率いるトニトルス小隊の女性陣が遠距離からトリスを襲い始める。
一方、ジークは動けない。
目の前に立つアレクとイチカから目を離せば、途端にトニトルス小隊は崩壊する。
武神ラディンギルとの戦いでも見せた、想像上の戦いが彼らの間で繰り広げられていた。だからこそ、その詠唱を止められる者はなく……。
「『汝が眷属、ラナの名の元に希う。契約に従い、今ここに顕れよ』」
ラナの全身が焔に包まれ、火焔に負けない眼光が煌めく。
「『其は天地を照らす焔なれば。いざ滅さん、異端なる魔を。大罪の徒を』」
ジークは予備動作なく雷を放った。
瞬間、イチカがドンッ!と足踏みし、大地が隆起。
隆起した岸壁に当たった雷は、またたくまに霧散した。
にぃ……。と笑みを見せるイチカ。その背後で、神が降臨する。
「『宿業合一、ワタシは振るう、劫火の刃!』」
竜巻のような焔が散り、その姿が露わになる。
焔を纏ったような紅いドレス。ひらりと翻すスリットの入ったスカートから義足が覗いている。長剣は消え、その手には円輪が握られていた。
ごぅ、と竜のように口から火を吐き、ラナ・ヘイルダムは爬虫類じみた瞳を煌めかせる。
「『殲滅なる焔姫』。滅ぼすわよ、裏切り者」
「……っ」
間近で見ているだけで目が焼かれそうだ、とジークは危機感を抱いた。
ラナに加護を与えているのは太陽神ソルレシアだ。
太陽の化身として名高い彼は温和な性格をしているが、その実、天界で一、二を争う実力者である。
そんな彼の加護が半端なわけはなく、ラナから感じる陽力の神聖さは彼に勝るとも劣らない。
自分の中の悪魔の部分が囁いている。
あの焔に触れれば、再生能力は意味をなさないと。
一度触れたが最後、その炎は蛇の舌のように全身を舐め尽くすだろう……。
「じゃ、次は俺っちだな」
「いや、ラナが使徒化した以上、我らの時間稼ぎは必要ない。全員で使徒化すればいいだろう」
「ひひっ、じゃあやるかっ!」
「ん。悪く思わないでね~ジークちゃん~」
口々に囁いた七聖将は、口をそろえて詠唱を始める……。
「「「「汝が眷属の名のもとに希うーー」」」」
ジークは顔色を変えた。
「ヤタロウッ! 全員を連れてすぐに退避しろ! これは命令だ!」
「……っ、皆さま方、行きますよ!」
「お兄ちゃん、あたしはーーっ!」
「ルージュ、みんなを守れ。リリアを任せた……行けぇッ!」
「ジーク……いや、いや! わたしも一緒にーー」
「……っ、お兄ちゃんの命令だよ! お姉ちゃん、言う事聞いて!」
「ジークーーーーーーーーーーーー!」
瞳に涙を溜めながら、ルージュはリリアを引きずって去って行く。
トニトルス小隊の皆もまた、ヤタロウの号令に従い街の中に散っていった。
そうしている間にも、七聖将の詠唱は続いていて。
神聖な光に包まれた四人の元へジークは爆発的な速度で地面を蹴った。
しかし、
「させないわよ」
「……ちぃ!」
焔と一体化したラナの円輪が、ジークに飛来する。
咄嗟に頭を下げて回避したジークだが、円輪は回転するごとに炎を吐き出し、ジークを自動追尾。相手を燃やし尽くすまで止まらない炎の姫は、円輪と挟み撃ちにするように背後へ。
「滅しなさいッ!」
「来い、アルッ!」
「キュォオオオオオオオオオオ!!」
ジークが後ろに剣を向けた途端、剣が神獣形態へ変化。
円輪を切り伏せるジークの背後で神獣の咆哮がラナを呑みこんだ。
「……!」
光線の中から煙を纏って脱出する炎の姫。
円輪を対処したジークが七聖将を止めようとするが、遅かった。
「『大海を呑みこむ者』」
「『極点を超えし者』」
「『魅惑なる鬼姫』」
「『地平の到達者』」
四人の纏う光が弾け飛び、神の降臨が露わになる。
神気を帯びた光を避け、距離を取ったジークは額から汗を流した。
「……さすがに、壮観だね」
「七聖将全員で使徒化することは五百年の間でも記録にない。誇るがいい、ジーク」
眼鏡が消え去った智将の身体は蒼い鎧に包まれている。
腕や脚にはヒレのような刃があり、彼の周囲に水滴が浮いていた。
「後輩。うちの神様を殺してくれたんだよな。ラディンギル様は俺っちの師匠でもあるんだぜーー」
細身な身体が一転、筋骨隆々となった体躯は亡き剣の師を思わせる。
上半身を晒し、帯を巻きつけた彼の手には手甲がはめられている。
「復讐戦ってやつ。やるか?」
「アレクさん、シェン先輩……」
「いやいや、何ひとり占めしようとしてんだよ。あたいも混ぜろよ、な?」
それは美の概念を具現化したような存在だった。
褐色の肌は妖しく艶めき、白く染まった髪が豊かな双丘に流れている。
それでいて、手に抱いた凶悪な長槍斧が美女に力強さを与える。
「イチカさん……綺麗ですね。うちのお嫁さんたちの方が綺麗ですけど」
「ジークちゃん……今なら降参できるよ」
幼き体躯の少女は額に輪っか型の機械を付けて呟いた。
腰には数々の鍛冶道具を巻き付けており、そしてその背には数百を超える砲門が浮いている。
「降参っ? はは! 馬鹿言ってんじゃないよ、トリス!
こうなった以上、あたいらは本気でやり合うしかないんだ。それが礼儀ってもんだろ?」
好戦的なイチカに辟易するトリス。
そんな二人に対し、焔の姫は射殺すような目で割って入った。
「ふざけてんじゃないわよ、イチカ。あれが使徒化する前に全員でかかって殺すわよ」
「それこそ冗談じゃないよ、ラナ。あんたから殺すよ? あたいは本気のあいつと戦いたいんだ。さぁ、ジーク・トニトルス。神殺しの英雄! 人類の敵! あんたもさっさとやりなよ! 使徒化をさ!」
「言われずとも」
ジークは唇を湿らせた。
ーーこうなった以上、こちらも使徒化するより他に手立てはない。
天威の加護や先視の加護だけで対抗できるほど、七聖将は甘くないのだ。
アルトノヴァの権能にだって、頼りすぎればボロが出来る。何より相手は五人。
ジークの最大の切り札である使徒化をすれば、何とか渡り合えるだろう。
逆に言えば、そうでもしないと自分は殺されるということ。
(アスティ……見てる?)
心の中で呼びかけると、女神はすぐに応えた。
(えぇ、見てるわよ、ジーク。大変なことになったわね)
(苦労を掛けるけど)
(ふふ。いいわよ。私は叡智の女神。あなたのどんな選択も尊重する。
何より、一緒に戦えることが嬉しいの。行きましょう、二人で。この未来へ)
(はいっ!)
深く息を吸い、ジークはおのれと世界の境界をまたぐ。
「『汝が眷属、ジークの名の元に希う。契約に従い、今ここに顕れよ』」
神聖な光があたりを駆け抜ける。
天が裂け、大地が蜘蛛の巣状にひび割れた。
「『其は彼方まで識る女神なれば。いざや振るわん、その知恵を。世界は識る。未来への道を』」
紅色の瞳の片方が、空のような蒼に染まっていく。
「『宿業合一、我らは振るう、叡智の刃!』」
紅と蒼の双眸が煌めき、
ジークの全身から、白いオーラが噴き出した。
「『無限世界の超越者』!」
そして彼の身体が、瞳以外も変化を始める。
黒一色だった葬送官の制服は黒と白の民族衣装へ変わり、
肩にはシルバーの装飾、腰には短剣を携え、ショルダーには本が収められている。
服装だけではない。
ジークの背は一回り高く、足はしなやかに、細い腕はしなやかに伸びている。
顔立ちはより中性的になり、男とも女ともとれる容姿だ。
その雰囲気は、人類とも半魔とも違う、神のそれ。
変化が終わると同時に、白い光は燐光のように彼に纏わりついた。
「へぇ……近くで見るとそんな感じなのか、やっぱお前、面白ぇな」
イチカが好戦的に笑うそばで、アレクは冷静にジークを観察する。
(改めて見ても凄まじい使徒化……同調率だけ見れば我らの倍以上だ。
あそこまで意識を共有して、どうやって自我を保っているのか……化け物、だな)
数々の後輩を見てきたアレクでも、ジークほど深く使徒化を成し遂げた者を見たことがない。この場に居る五人の誰よりも神に近いのはジークだ。油断をすれば、またたく間に五人ともやられてしまうだろう……。
『始めようか。時間が惜しい』
二身一体となったジークが口を開き、
『お前たち、全員、ぶっ倒してやる』
「おう。やってみろ、ジーク!」
「甘く見んじゃねぇぞ、後輩」
「……はぁ。気が乗らないけど、しょうがないか~」
「燃やし尽くしてやるわ。骨が残らないほどにね!」
聖なる地で降臨した六人の神の化身。
迫りくる叡智の化身を睨みつける五人に迷いはない。
静寂、そして怒号。
神と神の戦いが、今、聖なる地で始まった。